一六話③
四階層へと足を踏み入れると、徐々に日が傾いていき夕刻へと変わっていく。
「不思議な迷宮だねっ」
「ああ」
「何が不思議なんだ?」
「迷宮内は常昼だったり常夜だったり、時間が停滞しているところばかりだったので」
「ほう、そうなのか」
「ちなみに外とも時刻は違うみたい」
差し出された時計の針は一〇と半時、つまりは夜を指しており、夕刻というには遅い時間。
「結構な時間を歩いていたのだな…。…ようやく休める」
「ここは四階層ごとに拠点が設けられているみたいだし、日に四つ進もっか」
「迷宮探索とは大変なのだな…」
「俺も疲れた…」
「あはは、この迷宮は歩き難いから仕方ないねっ」
(百々代が言ってもなぁ…)(百々代くんがそれを言うのか…)
健脚を極めているような彼女がそれを言っても説得力がない、などと二人は考えつつも拠点で休息をする。
拠点と呼ばれていても簡易的なもので、比較的平地と呼べる場所に天幕を幾つか並べた簡素な場所。食事も持ち込みやすく長持ちする品々なので美味しいとは言い難い…いや食事に関しては不味い部類であろう。
船旅で慣れていても不味いものは不味いと一帆と颯は顔を顰めて、百々代は気にした風もなく腹を満たす。
百々代の前世は味で食べれるかどうかの判別をする必要がなく、味蕾の発達していなかった。故に味がすれば十分なのだ。特別好きなものは有るが嫌いなものはない、それが百々代。
―――
天幕内で寝具に潜り込み一帆を欠伸を一つ。
普段であれば百々代が隣にいるはずなのだが、今日は颯と同じ女性用の天幕で就寝中である。
成婚後はそれなりの忙しさではあったが、夫婦の触れ合いの時間は十分にあり同衾程度であれば日常だ。つまり。
(百々代が足らん)
閨事云々は兎も角、就寝前に寝台で会話をしながら過ごすひと時が足りないと一人心の内で嘆く。成婚してそれなりに色惚けと化したのである。
対する百々代は颯と魔法莢の話しを楽しんだ後、ぐっすりと就寝中。知らぬがなんとやら。
天幕を出ては夜となった幽谷迷宮の星空を覗く。
(ようやく百々代と正式に迷宮を巡れるようになり、俺の、俺達の舞台が始まった)
数年前、描いた夢の舞台へと上がった一帆は、高揚する心を表情へと発露させて暫しの時間を過ごした。
(俺よりも百々代が名を馳せることになるだろうが、まあいいだろう。篠ノ井の一人だ)
―――
この迷宮は全一八階層。五階層から八階層まで順調に進んだ三人は、九階層へと向かおうとした時に防衛官が慌てて駆け寄ってくる。
「巡回官の方ですよね!実は一〇階層で構造変化が発生しまして、一二と一六階層との道が途絶えてしまい制圧にご助力をと!」
「了解しましたっ!行きましょう!」
「ああお待ちを、私が偵察をして参りましたが一〇階層には鹿獣族の拠点が見られましたので、十分にお気をつけください!」
「鹿獣族か、笹野街の幽谷迷宮で厄介と言われる魔獣の。だが問題は無いだろう、一応だが颯は残ってもらうが」
「足手まといなのは自負しているから構わんぞ、ただし迎えには来てくれ。一人では迷宮を歩けん」
「迎えに来るねっ!戦闘はわたしたちでも大丈夫だと思います、ですから一応九階層待機をお願いします。万全の体制で一一階層への道を捜索への人員を割きたいので」
「畏まりました」
百々代と一帆は頷いて魔獣の少ない九階層を駆け抜けて、大木の虚を抜ければ構造変化の一〇階層。
「今まで通り暴れて相手の気を引くけど、群れて行動するし知性もある魔物。不意打ちとかには気を付けてね」
「百々代こそ気をつけろ。何かあれば戻ってこい、いいな」
「うんッ!」
駆け出した刹那、百々代目掛けて矢弾が飛来するも一帆が障壁で護り、射線を手繰り走り去る敵を見つける。
鹿の頭、人の上半身、鹿の首から下が下半身となった二臂四脚の六肢生物が五頭一組となって幽谷を自在に駆け回り、矢弾を撃ち頻っている。鹿頭の人馬、いや人鹿こそが鹿獣族だ。
高い機動性に中距離からの攻撃手段。魔法こそ使わないが厄介と言われるだけはある。
あくまでもそれは常識の範疇に収まっている魔法師に言えることだが。
狙いを定めた百々代がしゃがみ込んだ瞬間、一帆は自身との間に衝撃を設けて零距離擲槍の衝撃と巻き散らかされる土を防ぐ。
「起動。成形武装。雷鎖鋸剣ッ」
木々を足場に擲槍移動を行い薙ぎ倒しながら向かうのは鹿獣族の一隊、その先。左手を腰に佩いた魔法莢に添えて太さの異なる擲槍を作り出し、全てを別個の軌道線を設定して射出する。
先ずは細く空気抵抗の少ないもの、一番早くに相手の前方へと着弾し土石を巻き上げて直進を阻害。僅かな戸惑いの隙を狙った太く遅い擲槍は集団へ向かったが、綺麗に回避され後方の木を抉り折損し倒れる。
真中に倒れた木は鹿獣族を二手に別け、鳴き声を上げている間に鋸剣が三頭側に投げ込まれしまい百万雷で焼かれた。ともなれば基本五頭で行動する鹿らは逃げる他ない。
拠点へと足を向けた瞬間、意識の外側にいた百々代の拳と零距離擲槍が炸裂し、また一頭を仕留め。擲槍移動を交えた蹴りを受けて谷底へ落とされた残り一頭も絶命。一帆の出る幕もなく戦闘は終わった。
(ここまで暴れれば、)
何隊もの鹿獣族が拠点から出てきて、仇を討つべく弓矢を携えて幽谷を駆ける。
「起動。成形兵装武王ッ!」
態々大声で起動句を叫び上げ、武王を矢弾の盾とすべく展開し息を潜めて擲槍移動を行う。疎らな木々は視線を切るのは十分で、呼吸が乱れない程度に不識を使用し側面から殴る。
大暴れをして百々代と武王に視線が完全に固定された頃、姿を隠していた一帆は霙弓照準を合わせて、団子となっていた隊その中心に凍抓を撃ち込み一隊丸々を氷片へと変える。
(くくっ目で本体を捉えている限り百々代は追えん、…俺もまだ無理だが)
一帆が魔法射撃を行ったことを確認した百々代は、再度視線を集めるべく鋸剣を手に飛び出して一際大きな鹿獣族の首を刎ねては武王と並ぶ。
後は魔法射撃に合わせて暴れ、彼が攻撃に専念できるよう大立ち回りを演じてみせた。
―――
「ふぅ…」
四半時の戦闘を終えた百々代は息を吐き出し、不識の使用で乱れていた呼吸を整える。
冷気と焼け焦げた匂いの充満する異様な戦場は百々代と一帆の二人によって制圧、木や石で作られていた敵の拠点も壊滅し勝利となった。
齢一八(迷宮を彷徨っていた期間を考慮すると実年齢一七)でこれだけの早さで被害もなく熟せるのは、幾多の巡回官を見てきた防衛官ですら圧巻の一言。仮拠点から医務官が態々足を運び、持てるだけの医療具を持ち運んできていた防衛官らは纏鎧すら砕かれていない百々代の姿に目を瞬かせていたのだとか。
「次階層への調査はこちらで行いますので、二人はご休憩を!」
「それじゃあお言葉に甘えて、颯さんのお迎えがてら八階層に戻りますねっ」
「はい!足元にはお気をつけください」
「お疲れ百々代」
「おつかれ~」
「…あそこまで引き付けなくてもなんとかなったぞ?」
「えへへ、予行演習みたいなものだよ。それに鹿獣族みたいな距離をとる相手は一帆の方が攻撃しやすいしさっ」
「お陰様で攻撃に専念できたがな。ふっ、俺よりも引き時は見極めているだろうから何も言うまい。よくやった、相棒」
「いい援護だったよ、相棒」
不識で周囲の視線から外れた百々代は一帆の頬へ口唇を当てて、満足気に歩いていく。
「…。」
された本人は紅潮した頬を指で掻く。
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