一五話①
「ここは、狗尾草街か」
「わかるの?」
「わかると思うか?」
「わからないの?」
「わからん」
迷宮管理区画は出入り口が封鎖されていたため、一帆をお姫様抱っこで抱えた百々代が零距離擲槍で跳び上がり壁を超えて脱出した。
一帆曰く、「二度と同じことはしたくない」とのこと。
「こんな事を聞くのは気が引けるのだが、金子は持っているか?俺の財布はあっちの迷宮に置いたままだ」
「少額だけと常に持ち歩いてるから数日は大丈夫だよ。そこそこの港か街に着ければ銀行もあるだろうから、天糸瓜島内なら帰れるだけの金子は用意できるはず」
「百港国内なのは確実だ。なんとでもなるだろう」
狗尾草街に到着し自身らが迷い人だと告げて、現在地が何処なのかと聞いてみれば天糸瓜領北部に位置する小さな街だという。蕎麦を多く産出しているらしく、つまりはまあ…痩せていて雨の降り難い土地ということだ。
蕎麦の薄焼きに具材を乗せた料理に舌鼓を打ち、乗り合い馬車へ乗るべく停留所に向かう。
時間を過ぎても到着しない様子に首を傾げていれば、街人が歩いてきて。
「廃迷宮になっちまったから今日は来ないぞ、次来んのは明後日だな」
「そうなんですね。なら宿屋を取らないと。近くて手頃な宿ってどこでしょうか?」
「宿屋はねえんだな。ここに来るのなんて迷宮管理の局員さんくらいなもんで、彼らも迷宮のところに宿舎があるみたいで。俺の小さい頃に店たたんじまったな」
(田舎の悪いところだぞ!)
心内で憤慨する一帆は扠置き。
「不便ではないんですか?」
「街に出なくとも困らんからなぁ、必需品は商会が運んできてくれるし」
「商会ですか、商会の馬車なんてのは」
「昨日行っちまったな」
「ふむ。わたしたちは天糸瓜港を目指しているんですが、歩くと近隣の街まではどれくらいでしょうか?」
「天糸瓜方面だろ、うーん…時三つってところか。道なりにな」
「そっちには宿屋なんかは?」
「あった筈だな」
「そうなんですね、ありがとうございましたっ!」
「行くなら気を付けてな、轍道を進んでいけば到着できるけど、良い道ではないからな」
「はーいっ!」
「歩くのか…時三つも…」
「いざとなれば背負ってあげるよ」
「勘弁してくれ。…はぁ、行くか」
「うん」
旅人には見えない二人に疑問を覚えつつ、街人は見送り仕事へと戻っていく。
―――
翌朝に天糸瓜港方面に向かう馬車へと乗り込み、一度乗り継いで島一番の大都市へ到着したのは夕刻手前。もう一帆はぐったりな状態になっていた。
迷宮管理局へ向かう選択肢もあったが、休みたいとのことで翌日へ回し宿を取る。
(さも当然かのように寝台に潜ってくるようになったな…)
部屋は一つ、寝台は二つ。なのだが、一帆の横になる方へとすり寄ってきて当然の如く寝具へと潜り込む百々代。
「おやすみー」
「ああ、おやすみ」
(まあ今更か)
嫌なら寄ってこないだろうし、筋力で抵抗されれば彼は敵わない。抱き心地の良い抱き枕だと、引き寄せては一帆も目蓋を閉じる。
日が明けて、朝餉を終えた二人は迷宮管理局天糸瓜所へと足を踏み入れた。
天糸瓜島では一番大きな、天糸瓜島本所と言って差し支えない総本山だ。
「迷宮内で行方不明となり、気が付けば別の迷宮、それも廃迷宮の内側にいた」なんて意味不明話、聞き入れては貰えないだろうと思っていたのだが、二人が顔を見せ名乗ると受付職員は首を傾げて後ろへ引っ込んでいく。
「ねえ一帆、大変な事実を知っちゃったんだけど」
「どうした」
「受付の職員さんが持っていた紙なんだけどね、百港歴八八二年って書かれてて」
「…。本当か」
「うん」
あと一季と少し、盛春季が終われば年が移ろうのだが、来年の話しをするには流石に早すぎる。そして二人の記憶では、百港歴八八一年に古海底迷宮へと潜っていた筈。
一季を飛ばしたものだと考えていた二人は、実際には一年と二季前後を迷宮内で過ごしていたのである。時狂わせの紫恐るべし。
「副局長がお会いになりたいとのことですので、どうぞこちらへ」
「はいっ」
カツカツと廊下を進んでいけば、局長室へと案内され入室する。
「まさか本当に君たちとは。いや久しいね、掛けてくれ」
「久方ぶりですね、乙女賢多朗副局長」
「お久しぶりですっ!」
「とりあえず紹介をしておくけど、こっちにいるおじいちゃんのが迷管の局長、姨捨將煕だ」
「お初にお目にかかります。金木犀伯爵家の篠ノ井一帆と」
「白秋桜子爵家の西条百々代です」
「おじいちゃんって…言い方を考えて欲しいのだがね」
芥子谷子爵の姨捨將煕。迷宮管理局局長だが副局長からはぞんざいな扱いを受けているようだ。
「いいじゃないですか、親しみ深いですよ。知り合いのご老人みたいで。…そんな事はどうでもよくて、二人は今までのどこにいたのかな?」
斯々然々。ローカローカの事は伏せつつ、沈丁花港の古海底迷宮の階段を下ったら、狗尾草街の廃迷宮に通じていて階層を潜り続けたら首魁階層の床が崩れ去り地上に出ていたと説明する。
「狗尾草のね、あそこは時間の感覚が可怪しくなる異質化をしていたが、五季前に突如廃迷宮になってしまったんだ」
「五季前。私達が階段を下りはめたのが舞冬季なので、階段を下ってからも暫く先ですね」
「ああ、もし仮に階段というのが廃迷宮の一部だったとしても納得がいかない。…ああ、別に嘘だと糾弾する意図はない、調査をしたいが古海底は大規模な捜索を行なっていて、廃迷宮には勿論入れない。同じようなことがないよう、対策を講じておきたいのだけどね」
「一応だけど、もう一度廃迷宮に調査を回そうか」
「そうですね、変化があるかもしれません。なんにせよ、優秀な君たちが帰ってきてくれて嬉しいよ。この不可思議な事件は…………なんか良い口裏合わせは…」
「無理だと思うよ。今回の隠蔽は止してしっかり対応しようか」
「金木犀、沈丁花、月梅、陸蓮根の伯爵家四つに睨まれても困りますからね。わかりました、公表の手配を行います。さて、お二人共お家へはご連絡を?」
「未だです。まさか一年も迷宮内にいるとは思っていなかったので」
「ではこちらから各家へ連絡を行いますね。これからですが…とりあえず医務室へ行って検査を、その後はこちらが宿を用意するので、どうぞごゆるりと」
「承知しました」
「はいっ!あっそうだ、莢研の黒姫颯さんにも連絡をいれてもらえると助かりますっ」
「ああそうか、黒姫嬢と知己だったか。一報を入れておこう」
「ありがとうございますっ」
検査の結果は異常なし。健康体とのことだ。
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