一三話①
舗装された領間道を質の良い馬車が小気味よく走る。衝撃は重板発条と車輪に張られた護謨が緩和してくれており、屋根にそこそこの荷物を乗せても問題ない安定した車体で、御者には糸目の女が二頭の馬を操っている。
赤茶色の髪に異なる色の瞳が収まっている、開いているかわからない瞳、そして上向いた口端と愛嬌のある顔つきをしている。流石に冬の御者台は冷えるので、厚手の外套に厚手の手袋と少しばかり着ぶくれしていた。
彼女は西条百々代、白秋桜子爵家に養子となった元庶民。
馬車の中を覗き込めば、少しばかり暇そうに外を眺めている金髪碧眼白皙の美青年は金木犀伯爵家の篠ノ井一帆。彼は百々代の婚約者である。
ふと視界に海を進む商会船舶を捉えては思いついた言葉を口にする。
「そういえば沈丁花なら船の方が早いと思うのですが、なぜ馬車なんですか?」
「私が船酔いしちゃうんだよねー、あの揺れは苦手で」
「そういうことでしたか」
「沈丁花と金木犀なら船の方が早いのはわかってはいるんだけどねー」
少しばかり申し訳無さそうな表情を見せたのは小狸藻男爵の大嵐蘭子。白茶色の髪を揺らして「始めて船に乗ったときは酷かった…」と多い目をしている。
とはいえたかだか数日、気にするものでもないので、一帆は暇な馬車旅に欠伸を一つ。
「百々代さん、そろそろ御者を交代するかい?」
客車から御者台に声を掛けた、黒髪の糸目男性は蘭子の夫だ。
「大丈夫ですよー、領間道は舗装もされてて下手な街中よりも気楽なんでっ」
御者を担当するのは百々代と宗秋の二人。最初は一人雇うという考えだったらしいが、百々代が工房の手伝いで御者慣れしているということもあり、二人で交代交代で行っている。
今向かっているのは陸蓮根領。海岸線に位置し漁港をいくつか抱える小さめな領地だ。大きな主要港を持つ金木犀領の隣という恩恵は非常に大きく、漁業以外にも人の往来の多さから宿場の運営なども盛んで豊かな領地なのだ。
とはいえ見える景色は水平線と田舎風景、退屈なことに変わりはない。心地よい揺れに一帆は再び欠伸をした。
―――
のんびりと旅を続けて数日。沈丁花領に入った頃、宿場町で人集りを見つけて通り過ぎようとすれば声がかかり、馬の手綱を引き馬車の制動管を踏んで停車させる。
「ちょいと姉さん、この先に進むのはお勧めできないよ。手練れの護衛でも連れてるんじゃない限りさ」
「護衛?…迷宮の氾濫でも起きたとか」
「いんや、賊騒ぎさ。少し行った山間に面倒な賊が居着いちまって、通るには荷物を置いていくか実力で以て押し通るしかねえんだよ。困ったなぁ」
「港防は出てないの?」
「出てるみたいなんだがどうにも手強いらしくて、軍務の軍人さん待ちなんだとよ。草鞋だか鉛だかの巣みたいな名前でな」
「蠍の巣ですか?」
「そうそうそんな名前だった」
「との事ですがどうしましょう?」
「賊集団か…厄介だね。僕も蘭子も人に対して使えるような魔法莢は持っていない。懲らしめる、というのは難しいかな」
つまりは殺し。些か気が乗らないというのが宗秋の本心。
加えて賊討伐なんていうのは港防省の領分であり、余計な手出しをしてもいいことはないだろう。
「待つのが無難かな。通行人を襲うだけかい?」
「今のところはな。ただ…暫く通行人もいなくなってるから、奴さんも周囲の略奪に移る頃合いかもしれなくて、この宿場町も気を揉んでいるみたいなんだ」
「なるほど。陸路が塞がれても海路があるから、そっちに流れてしまえば問題ないからね」
「多少の値は掛かるが引き返そうかって者も出始める頃だ」
間が悪い、と考えたのは一行。彼らが迂回を始めていれば、情報が流れて避けられていただろう。
「一応だけどどれくらいの規模かは?」
「二〇から三〇って話だが、そこそこの魔法師もいるみたいだってよ」
そりゃあ警務官じゃ厳しいだろうと納得する。宿場町に勤務する者などたかだか数人、土台無理な話だ。
「一旦宿を取って考えようか」
「だねー、二人は馬車番をよろしく」
一人で行動するべきではない、と大嵐夫妻と一帆たちで分かれて行動する事に。
百々代も一応のこと備えは必要だと天井に位置する荷台から自身の鞄を取り、魔法莢と不識を帯革に佩いていく。
「賊退治にでも出るつもりか?」
「ううん、さっきの話だとこっちに襲撃がかかるかもしれないから。日中の内は大丈夫だと思うけど」
「それじゃあ俺のも取ってくれ、障壁は鞄の方入ってるんだ」
「二つあった筈だけど、どっちの?」
「小さい方だ」
「りょーかい…はい、こっちだよね」
ああ、と返事をしては鞄から障壁の魔法莢を取り出して佩いては、鞄を百々代に手渡して荷台に戻してもらう。
「昔と違って強くなったし、魔法もしっかり持ってる…だけど」
「人とは戦いたくないか?」
「うん。」
(俺的にも戦ってもらいたくはないがな)
あくまで百々代は迷宮管理局に務め、人々を守る為に努めたいのであって、本物の対人戦闘は範囲外である。
そもそも彼女も大概手加減をしないと丸腰相手では死傷者が出る類いの魔法師に違いない。徒手空拳ですら肉体強化と纏鎧を用いることで魔獣の頭蓋を砕けるだけの威力なのだから。
宿を取ってきた宗秋に御者を任せて、四人は神妙な面持ちで進む。
―――
「でだ、これからどうしようか。強行突破はできないことない、戻って海路を使うことも出来る、待つのが一番厄介なことになると思うけれど」
「厄介事ですか?」
「うん。ここは既に沈丁花領内で港防軍がやってくるとしたら、賊の居場所を挟んで向こう側からになる。上手く絞めてくれればいいのだけれど、仕損た場合はこっちに雪崩込んでくる可能性が非常に高いんだ」
「…それも、そうですね」
「そうならないことを願いたいが、蠍の巣って昔から名前の聞く息の長い集団って事も考えると、逃げ足は早いんじゃないかって想像がいく。そんなわけで居残りは得策じゃない」
「だけどねー、私は沈丁花貴族の端くれだし領民が傷付くのは嫌なんだよね。巡回官ってこともあってここにいないことの方が多いけどさ」
しゅんと悩み顔をするのは蘭子。普段は見られない表情だ。
この中で一番対人へ向いていない彼女だからこそ悩む。故郷である領地のあれこれに若い二人を巻き込んでいいのか、凄惨な場を見せてしまっていいのかと。
「…。」
一帆は無言で百々代の出方を伺う。彼としては拐かされそうになったり、相棒を痛めつけられた恨みもある。…まあ対象そのものは死んでいるが。
賊討伐にでるのであれば、ある程度は許容して戦うつもりでいるからだ。
「…。…。…一帆様と二人でなら最小限の被害で捕縛できると思うんです。多少の死人は出ると思いますが、佩氷の攻性障壁とわたしで」
「流石に二人に任せっきりになんかできないよ!」
「もし何かあったらどうするつもりなんだい?命すら危ういのかもしれないのだよ」
「そもそもだ。捉えたところで奴らは国土を荒らし待っている大罪人、捕らえたところで死罪は免れない。百々代の手を汚さずに済むが、結局の死人の数は変わらん」
(百港中を動き回るようになればこういった荒事は必要になるだろうから、優秀な二人が援護してくれる間に)
「そ、そうですよね…」
今直ぐ死ぬか後で死ぬかの違いに過ぎない。ならば態々危険な橋を渡らせるつもりはない、と一帆は釘を刺す。
「百々代ちゃんだけ残るって選択肢もあるんだよね、残党が来た際の戦力としてさ?」
「……。いえ、皆さんが行くのであれば覚悟を決めます。わたしは既に賊を目で殺していますので」
「「…っ」」
「…はぁ、私を守る為に、ですよ。進んでそんなことするような為人ではありませんから」
もっと周囲をしっかりと精査していればあんなことは無かったのだと負い目を感じた時もあった。
「そうか、そうだね。よしっ、それじゃあ夜中に襲撃を仕掛けてさっさと沈丁花領都へ向かおうか。今回は有事ということもあって執行権を用いることにする」
「たしかっ…『領内で発生した武力を必要とする有事に対しては当該領地に所属する貴族であれば私兵及び義勇兵を用いて港防省の一局と同等の権利を主張できる』でしたっけ?」
「よく勉強しているね。僕らは沈丁花貴族という扱いで、蘭子は小狸藻男爵家の家督を継いでいる。条件としては十分だ。義勇兵を引き連れていく事はしないけれど、宿場町の有志には防衛を頼んでこようと思う」
「わかりました。それでは準備をしておきます」
「ああ、よろしく」
宗秋は一人部屋を出て外で話しを進めていく。
「蘭子さんはこの魔法莢を使ってください、識温視っていう温度を見れる肉体強化系の魔法ですっ。視界の悪さを補うことが出来ると思うので」
「おー、最新の魔法だ」
「安茂里工房、実家で生産し始めた試供品みたいな物ですが」
「ありがと、使わせてもらうね」
「起動句は『起動。識温視』です。必要であればこの場で変えられますが」
「大丈夫だよ、そのままで」
「予備はあったりしないか?俺も持っておきたいのだが」
「自分で使う用しかなくって」
「なら別に構わん」
一帆と百々代は既に準備を終えていたので、残るは蘭子と宗秋だけなのだが。
「…魔法莢の構成を変えたのか?」
「はいっ。雷鎖鋸剣がこれとこれ、擲槍がこっちとこれ、纏鎧二種がこれで、今回に使うつもりはありませんが休暇中で作っちゃったのがこの三つです」
「三つ?三つで一つの魔法か?」
「そうです!一応成形魔法の系統になるはずです」
「今更だがその複合魔法莢はどうやって調整しているんだ?現状使っているのは百々代くらいなものだぞ」
「どうといいますと、迷宮遺物と魔法莢を紐づける魔法陣を応用しまして、設計の段階から一つの魔法になるよう組んでいるんです。ただ纏鎧は問題なく動いていますが、雷鎖鋸剣はまだまだ欠陥品なんですよ。時々思いついた時に魔法陣を書き直して、休暇中にも彫り直したりしましたが…そもそも触媒が反発しているっぽくて。一つの魔法莢に―――」
「「…?」」
魔法そのものや迷宮遺物であればついていけないことのない二人だが、魔法陣や触媒の話になってくると意味不明だ。道具と付属品にその使い方を理解できても、部品と素材、仕組みなんかの話しをされても…というわけだ。
「―――それで纏鎧には同じ素材を触媒にしていることを思い出して、新しく作ったものにも城郭迷宮で分けてもらった骸ノ武王の大剣を鋳溶かして全てに混ぜてみたら上手くいったんです」
「わかったわかった。全くわからんがわかった」
「うんうん、よくわかんないけどわかった!」
制動管が壊れ悍馬が引く暴走馬車の如く勢いで話し続けそうなので静止して落ちつける。工房の職人ってみんなこんななのかなぁと風評被害が二人に根付いたとか。
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