一〇話⑦
二〇階層を超えると経過時間の長さから魔物魔獣の量は多く、構造変化した階の頻度が上がり、首魁不在の三〇階層へ到達までに一〇日間が経過していた。四人で進んでいた事を考えれば早い方である。
「あ゛ーこれで一区切り。流石に一六連勤は草臥れる…。二人もご苦労さんね」
「はい、ご苦労さまですっ!」
「私達が来てから一三日、首魁の再胎までは七日そこら、といったところでしょうか?」
「そうなる。ちょっと待ってね、ええと…あったあった」
頂点に紐の括り付けられた卵型の銀細工。内側には透明な水晶が鎮座しており、精巧な美術品のような一品だ。
「これは再胎までの日数を測る迷宮遺物、子晶の銀母。こうしてくるくる回すと」
中心に座す水晶体は赤く輝きを放ちながらゆっくりと鼓動をした。
「…赤?つまりは一〇日先、寝坊助のようだ」
「休息を多く取れると考えるか、後に苦労をすると考えるかってところだね」
「遅いとなにかあるんですか?」
「遅くなると首魁が強い個体の確率があがるんだよね。ちっとばかしの覚悟をしたほうがいいよ」
「了解です」「承知しました」
「細々と様子を見に来るのは確定として、今日はとりあえず戻ろうか。…五日ぶりの地上に」
「夜が恋しいですねっ!」
「常夜の迷宮だと日光が恋しくなるよ」
「それは…大変な」
開放され資源迷宮として再度動き始めた二八階層を防衛官らに任せて四人は地上へと戻っていく。
―――
休み無く一三日の戦闘漬け、加えて開放的な景色から一切変わらない閉塞的な異空間に長くいた精神的な疲労は多くある。昼手前に目を覚ました一帆は伸びをして顔を洗いに部屋を出た。
「おはようさん…いや、おそようさんかな」
「おはようございます宗秋さん」
顔を洗って最低限の身だしなみを整えた宗秋が一帆を見つけて挨拶を交わす。彼とて連勤疲労の被害者だ、茶化しはするが咎めることはしない。
「百々代さんなら翠鹵草の採取を手伝うって朝一番に迷宮へと入っていったそうだ、驚きだよ」
「ええ…。体力馬鹿だとは思ってましたが、…まあいいか。首魁の出現するまでは細々と休みをもらえるって認識で?」
「その認識で大丈夫だ。僕たちは身体が資本、今回みたいな無茶はそうしない。どこもかしこも忙しくなければ、二組三組くらいで回して潜るんだよ」
「何時まで続くかはわかりませんが、お互い身体は大事にしたいですね」
「ああ、そうだね」
のんびりと会話をしながら食堂で顔を合わせ、遅めの朝餉…ではなく早めの昼餉にする。
「そういえば蘭子さんは?」
「昼過ぎくらいには起きるよ。休める時は最大限寝て寝溜めするんだって」
「そっち側なんですね。てっきり百々代のように活動的なのかと」
「ははは、あんまり落ち着きはないけど仕事外で迷宮に潜る類いではないよ。戦闘手法的にも信頼の置ける相手がいないと実力を発揮できないしさ」
一歩も動かず高高威力の長距離射程魔法で敵を一方的に屠る攻撃一点特化の魔法師、所謂固定砲台だ。
「お二人で潜っている時は防衛や露払いも宗秋さんが?」
「ああ、そうだ。そのための範囲を持つ駆刃と射程の確保できる魔法射撃を使いつつ、必要に応じて障壁を張ったりだね」
「何でも屋、ですね、本当に」
「器用貧乏ともいうんだけどね」
「謙遜だとしても貧乏は余計かと。信頼して背を預けてくれる方がいるんですから」
「…。若い子にこうも言われちゃうとはなぁ。そうだね、胸を張ってみようかな」
細い目を楽しそうに曲げて、宗秋は茶を口にする。
「一帆くんは百々代さんに全幅といえるだけの信頼を置いているけど、なんでなんだい?一度の実戦経験程度じゃ、あそこまで背中を許せるとは思えなくて」
「まあ一般的に見て長い付き合でもありませんからね。途中に間はありますが合わせて三年弱、背を預けるには些か足りない時間です。…百々代は自身の危険を顧みず、私のことを二度も命がけで救ってくれてまして。ふっ、俺の英雄ってところです。加えて目が良く、周囲を常に見回してこちらの動きやすいように立ち回ってくれるっていうのも要因かと」
「へぇ。」
宗秋はニヤニヤと若手の言葉を聞いて茶を呷っては、自身も昔はこんなんだったのかと思いを馳せて一人照れていく。
「おっはよー、二人共!あっ、すみませーん朝餉一つお願いします!え?もう昼?本当だ、それじゃあ昼餉で!」
比較的落ち着いた風貌の男二人を見つけて、元気溌剌な声色で寄ってくるのは蘭子で。
「おはようございます」「おはようさん」
「よく寝たよ、心身共にスッキリだ。…あれ?百々代ちゃんは?」
「朝一番で翠鹵草の採取を見学兼手伝いに迷宮へ潜って行ったって」
「本気?」
「本気らしい」
「本人がやりたがってるなら止めないけども。活発な彼女を持つと大変だね彼氏くん」
「全くです」
職員の配膳した昼餉を平らげて、のんびりと雑談でもしていれば件の彼女が戻ってきたのである。
―――
「翠鹵草の採取を手伝いたい?」
「はいっ!何事も経験かと思いまして!」
朝一番、連日の迷宮潜行もなんのその、元気溌剌な百々代は管理署の職員に許可を取り付けるべく訪れていた。職員は防衛官を捕まえては事情を説明し、許可が降りることとなった。
二階層三階層の簡素な栽培施設へ足を運び、わくわくと説明を飲み込んでいく。
「翠鹵草には二種類の採取時期がありまして、先ずは蕾が付き始めたこちらのもの。根を採取するために蓄えられた栄養を花、そして種に送られる前に採取してしまいます。野生のものでなく栽培種は比較的柔らかな土に生えていますので、こうして…引き抜くことも可能ですが、折れたりすると資源としての価値が落ちてしまいます。ですので、周囲を箆で解しつつ、損傷の無いように掘り起こします」
手に持たれているのは、人参や牛蒡のような主根と側根によって構成された真っ直ぐな根。そして地を這うように放射状へ広がり陽光を集める葉。中央から伸びる茎には小さな蕾ができ始めている。
「横に伸びる根っこは切れてもいいのですか?」
「薬効があるのは主根なので、側根は問題ありません。それでは少し採取してから種の方へ移りましょうか。こちらの箆をお使いください」
「はいっ!」
防衛官を手本に広がる葉を一纏めに掴み、周囲の土をザクザクと箆で解してから引き抜けば、主根の長さは一尺。中程から湿っていることから荒原迷宮も掘り起こせば水分があることが窺える。
日干しして煎じれば解熱効果のある薬と変わるとのことだが、…良薬口に苦し、という言葉を体現する味らしい。
黙々と作業を手伝い、お次は種の採取に移る。
先程の緑緑していた栽培所とは異なり、枯れる寸前のような枯れ草色の景色を目に説明が始まった。
「こちらは香辛料として使われる種の栽培所です。枯れ落ちる寸前頃に収穫することで塩辛い風味が強くなるため、こうして時期を待っているたのです。先端に複数の種がついていますので、鋏で手前の茎毎切って収穫していきましょう」
「はいっ!」
パチ、パチ、と鋏で茎を切り籠へ種を詰めていく。こちらは収穫後に種だけ取り出して、種のままやすり潰されたりして方々へと出荷されていく。
そして半日。作業を終えて宿舎へと帰っていった。
―――
明くる日、朝早くから出掛けの準備をする四人組。
大嵐夫妻は宗秋の実家である清水家に顔を出すため、一帆と百々代は片栗街へ羽根を伸ばしに定時の乗合馬車へと乗り込んでいく。
緩やかな下り坂を四半時掛けて乗合馬車は進み、停留所にて分かれて歩む。
「先ずは魔法関連の雑貨屋だったか」
「はいっ、宗秋さんに場所を教えてもらったので、好さそうな触媒素材があればと。葉錬鉱があれば弾性の纏鎧も作れますし」
「…有るといいな」
見慣れぬ街を楽しみながら歩いていき、到着したのは雑貨屋。百々代の行きつけと違って看板があり、小綺麗な佇まいだ。「片栗南魔法雑貨店」と書かれた看板を確認し、扉を開いて入店すると鈴の音が響く。
「いらっしゃいませー、自由に見てってください」
見慣れない男女。恋人同士で来るにはイマイチな場所だろう、と店番は思わなくもないが、盗みを働かない限り客は客、のんびり様子を窺っていく。
触媒の場所に百々代が向かい、一帆はその姿を眺めており八半時《15ふん》くらい経てば、いくつかの触媒と導銀筒盤、外莢を抱えて店番の元までやってきた。
「お会計お願いしますっ!」
置かれた商品を確認し、算盤を弾いては金額を告げれば問題なく金子が支払われて、店番は不思議がる。
「どうも。…どっかの使いですか?道具は買ってかないみたいですが」
「道具は持参してるんで大丈夫なんですっ。大嵐宗秋さんにから紹介されて足を運んだ魔法師でして」
「宗秋、…あー、清水家の坊っちゃんのお知り合いですか。となると迷宮管理局の、ご苦労さまです。贔屓にしてくれると助かるんで」
「はーいっ」
ひらひらと手を振って店を後にする百々代を見て、「似てる目元をしているし親戚なのだろう」と店番は一人頷く。
買い物を終えてしまえば目的もなくなってしまう二人。人の賑わう方へと足を向けてみれば、片栗街の広場にて市場が開かれて出店が立ち並んでいる。
鼻孔を擽る川魚の串焼きを食みながら面白いものはないかとふらふらと物色していく。
「名物というか翠鹵草の種や根が多いな」
「大きな産地ですから、他所から足を運ぶ人も多いんでしょうね」
迷宮で採取栽培された翠鹵草の多くは片栗街に卸され、商人が買い付けに来たり契約を持っている商会などに運ばれて方方へと広がっていく。
「待て待て、見て回りたいのもわかるが逸れてしまっては大変だ。ゆっくりと見て回ろう」
「賑やかなところは楽しく、つい浮かれちゃって。あっ、そうだ手繋ませんか?見失いませんよっ」
「…。まあいいだろう、ほら」
二人は手を繋ぎ市場を見物していく。
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