一〇話⑤
「三日ぶりの夜だー」
一切の変化がない環境は精神の毒、長期の潜行は推奨されていない。開放感からか伸びをした蘭子に釣られるようにして百々代も体を伸ばし一息つく。
「あまり休めなくて心苦しいのだけど、首魁の最奥層を開くまではこのまま進ませてもらいたい。だから明日朝の出立となるから」
「問題ありませんよ。私達はまだ三日しか潜っていませんし」
「お二人は大丈夫なんですか?もう六日目ですよねっ」
「今の速度で潜っていけるなら、首魁の再胎まで余裕ができる。そこで休息を取らせてもらうよ」
「遅れれば遅れた分、迷宮の中は破茶滅茶になっちゃうからね。二人のお陰でだいぶ早く進めてるし、さっさと片付けてさっさと休もう!」
「はーいっ!」
四人は宿舎へ帰っていく。
―――
「あの二人、どう思う?」
「優秀だねぇ。ただの上位一〇座ってだけじゃなさそう、卒業して五年六年じゃそんな授業の内容も変わらないだろうし。…迷宮攻略に参加したといってもたかだか数日でしょ?」
「上市場さんがいうには、…一〇日に満たない程度だったか。…まさか篠ノ井家のお坊ちゃんがお遊びじゃなかったことに驚きだよ」
「ねー。女の子にいいところ見せようと迷宮の活動を選んで、私達がそのお守りだと思ってたんだけど予想は外れちゃったね」
大嵐夫婦は月夜で酒を嗜みながら二人の感想を言い合っていた。迷宮管理局なんていう場所は高位貴族の子息が好むような場所ではない、学舎外活動で良い所を見せようと参加してひぃひぃと音を上げて帰っていくのが通例。二度三度そういう姿を見ていただけに、彼女らは期待をせず置き去りにして先に迷宮へ向かっていたのだ。
宗秋の実家がある片栗街で氾濫からの侵攻が起こっては困る、というのも事実なのだが。
ちなみに彼は大嵐家への婿養子。蘭子が小狸藻男爵なのは彼女が一人娘で、前家長である父が体調を崩し早くから隠棲することになったので家督を引き継いでいる。
「彼らが嫌がらないのであれば継続して行動しようと思うのだけど、どうだろう?」
「いいねー!賑やかになりそうだし、私は賛成だよ。…ねぇ」
酒の杯を机に置いて、蘭子は宗秋の隣にすり寄って熱っぽい瞳で見上げては、そっと手を合わせた。
―――
(やはり言葉も無しに連携を取れる百々代と組むのは楽だな。あの二人と息を合わせるのは苦労した…)
なんだかんだ我の強い三人が組んだことで物凄い反発を引き起こしたのだが、一帆が緩衝材となり纏めるまでは「酷い」の一言に尽きるものだったと彼は考える。百々代が的確なお膳立てやら位置取りをしてくれる大事さを大いに学んだ半年であった。
(百々代のことばかり考えているな…)
長い別行動期間で如何に彼女の大事さを学んだ彼の心には小さな芽吹きがあったわけで。
(これが信頼か…!)
結衣が聞けばあんぐりと口を開け、駿佑や杏が聞けば大爆笑し、莉子が聞けば眉間に皺を寄せるだろう。
そんなことを考えていれば控えめに扉を叩く音と聞き慣れた声。
「一帆様、起きてますか?」
「起きている、入っていいぞ」
夜中にうら若き乙女が男の部屋を訪れるなど褒められた行為ではないのだが、まあ婚約しているのだから問題はない、…かもしれない?
寝台に腰掛ける一帆の隣に座り、恥ずかしそうな笑みを見せた百々代は言葉を紡ぐ。
「…何か用件があったわけじゃなくて、少し前まで皆と楽しく過ごしてたじゃないですか、ちょっぴり寂しく」
「なら寝るまでの間、話でもするか」
「ありがとうございますっ」
鼻を擽る石鹸の香りに顔をそらしては月光差し込む夜空へと一帆は視線を向けた。
「西条家とは上手く付き合えているのか?」
「はいっ、好くしてもらっています。魔法莢の触媒も購入していただきましたし、お屋敷に私室もあるんですよ。驚きです」
「てっきり名前だけ貸して終わりかと思っていたのだがな。ま、当然か。篠ノ井との縁繋ぎも出来て成績の優秀さで名前も売れる、どんな家でも厚遇してもらえるだろう」
「そういうのって重要なんですね」
「ああ、重要だ。知名度が上がったり、良縁を結べれば舞い込むものも多くなる。家の繁栄には必要なことなんだ」
「それじゃあ一帆様の魔法師として名を上げたいっていうのも篠ノ井家の為なんですね」
「ふっ、俺達篠ノ井家のな、おわっ」
ニッと相好を崩しては百々代の手を取り、既に一員だと言わんばかりに引き寄せる。のだが、少しばかり引く勢いが強すぎて、一帆自信が押し倒されるような形になってしまい、頬が赤く染まっていく。
「…驚きました。けど、えへへっ、嬉しいな。一帆様の事、離さないんで覚悟してね」
「っ!」
両手を押さえつけるように握られてしまえば、力では敵わないわけで。ジッと見つめられる青と金の瞳から目を逸らせずに心の臓腑を高鳴らせていれば、百々代は糸の切れた操り人形の如く動きで一帆に覆いかぶさり寝息を立てる。
「すぅ…」
「本当か…。……おーい百々代、このまま寝られると困るんだが」
やっとの思いで這い出ては、どうしたものかと考え。頬を摘もうと肩を揺らそうと返事はなく、抱きかかえて移動することなど出来るはずもなく、途方に暮れた一帆はといえば隣に寝転び同衾する事にした。
一つの寝具を二人で共用しながら寝顔を眺めていれば、次第に眠気が襲いかかってきて。
(…可愛い顔してるよな、こいつ)
「…おやすみ」
欠伸を一つして一帆も瞳を閉ざして眠りに落ちる。
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