二六話⑦
「困ったな」「困ったね」
百々代と颯は蝲鋼の残骸を前に腕を組み頭を悩ませていた。
原因は蝲鋼素材の強度で、今まで使用してきた颯の瑪瑙製乳鉢と乳棒では擂り潰すことが出来ず、乳鉢の方が傷付いてしまったのだ。
大粒でも触媒調査は出来ないことはないのだが、やはり精度が落ちてしまうのでやり方としては推奨できることではない。というか二人が納得しないだろう。
「凄い硬度だよね、鋼鉄の中でも更に鍛えられたってところかな」
「百々代くんでも胴体の破壊は不可、なのだったか?」
「物凄い長い時間を掛ければもしかしたらって程度だね」
「なるほど。それは厄介そうだ」
砕こうとした破片を拾い上げ、色んな角度から眺めている。
「仕方ないし、大きい塊で小さい塊を殴り潰して砕けるか試そうか」
「そうしよう。鉄粉が何時も以上に舞いそうだから、装備を変えなくては」
「だね」
それから暫くして、許容範囲内の粒を回収できた颯が触媒の調査を行い、百々代は散らかしてしまった部屋の清掃を行っていく。
「百々代くん、ちょっと来て欲しいのだが」
「なになに?」
「これは…何色だろうか?」
水溶液を揺らした颯は首を傾げながら、容器を百々代へと見せる。そこには水面に張った油膜の様な鈍い虹色が現れている。
「虹色だね。こんな反応する魔法は…ないはずだけど」
「完全新規と喜びたいが、何に使えるかは皆目見当がつかないな」
「蝲鋼の特徴だった攻撃法や金属の体躯、音のしない脚を元に導銀盤で試していくしかないね」
「なら先ずは…」
二人はあれこれと器材を準備し、魔法の開発に着手していく。
百々代と颯が戻ってくることなく時間が経過し夕日が沈む頃。そろそろ日照時間が短くなったと思いながら、一帆が魔法莢研究局の施設へ向かってみれば、明かりが灯っており確かに二人はいるようだ。
「百々代、颯、そろそろ良い時間だ。今日は一旦終わりに…」
足を踏み入れた一室には誰も居らず、精緻に描かれた魔法陣の写しや加工前の導銀が散らかっている。
(久々に雷が落ちるか。…片付けの手伝いくらいはしてやろう)
一帆は呆れながら施設内を歩いていき、魔法莢の試験が出来る一室に向かっていれば、颯の姿を見つけられ部屋内には百々代もいる。
「一帆くんか、良いところに来た。障壁を展開してくれるか、吾のでは些か不安なのだ」
「まあいいが。来い、佩氷」
取り出した短杖を振っては障壁を展開し、百々代へと視線を戻す。質問をしてもいいのだが、説明を聞くより見た方が早いのが殆ど。専門家の話しは素人に難しい。
六角魔法莢の上蓋に手を添えて、難しい顔をした百々代が手を突き出せば、棗の実ほどの大きさをした眩い光の球体が現れて、閃光が案山子を貫いてみせる。
「おお、成功したか!」
「アレが新しい魔法か。蝲鋼が使っていた魔法と比べてかなり小規模になっているが、それなりの速度と貫通力だな」
「クックック、今のは威力と規模を最小に収めたもので、あそこの壁を見れば本来の威力がわかるだろう」
と指さされた先は水浸しになっており消火された跡、そして溶けた壁が見受けられる。実験用の区画なので、丈夫な造りをしているはずの壁を溶かして、よく見れば大分歪んでいるではないか。
「来てたんだ、一帆。もしかしてもう良い時間とか?」
「ああ、良い時間だ。ところで、新しい魔法は実戦に耐えうる性能か?」
「無理だねっ」「無理だぞ」
一切の迷いのない二人の断言に首を傾げる一帆。先程の光景や壁の様子を見れば十分使えそうな風であるのだから、当然と言えよう。
「実はね、あの壁の跡は案山子を狙って撃った結果なんだ。他にもあるでしょ、小さい跡が」
指差した先を見れば、小さな焦げ跡がチラホラと見つけられ、一帆は納得していく。
「恐ろしく精度が悪いが威力には問題ない不良品、というのが現状の評価だ。こういった魔法の調整をするのが吾々の仕事なのだが、魔法陣に不備があるとしか思えない挙動でな、厳しいものがある」
「不備はないのか?」
「三回確認したけど問題はないね。だから一種類での触媒だと不安定って可能性も考えて、次はそっちから切り口を探してみようかなって話してた所」
「百々代と颯で複数回確認したのであれば、間違いはそうないか。触媒云々はよくわからんが、お前たちなら上手くやるだろう」
「えへへ、照れちゃうな」
「ふぅん。…まあ何にせよ、一帆くんが興味ありそうな新しい魔法の完成は暫く先だ」
「首を長くして待っていよう。さあ、片付けを手伝ってやるから夕餉に行くぞ」
「うんっ」「わかったよ」
湯浴みを終えた百々代が爽やかな石鹸の匂いとともに部屋を歩き、手に取るのは魔法陣の描かれた紙の束。颯や黒姫工房の職人らからすれば、一目で百々代のものだとわかる精緻で、導銀筒盤の限界まで彫り込むことを目的とした意匠で、再現をしようにも中々に難しいと評される技術。量産体制に移るには確実に手直しが必要になってしまうものである。
学舎に通っていた頃、というか六角魔法莢に触れるまではそこまで詰め込む性質ではなかったのだが、沢山描けるようになってから今の段階へと至ったのだ。
長椅子に腰掛ける一帆に凭れ掛かり、そのまま姿勢を崩しては彼の腿に頭を乗せて青い瞳を見つめては笑顔を向ける。
本日は百々代と一帆が二人で過ごす日で、颯は別室で一人。ただ就寝するのであれば三人でも良いのだが、閨事に至る際は…遠慮が必要とのこと。
三人の気分次第で百々代と寝る相手が変わるのだ。
「光線の魔法、名前は決めているのか?」
「未だだよ、まあでも試作光線とかでいいかなっ」
「流石に味気なさ過ぎる。そうだな……、陽芒なんてどうだ?」
「いいかも、颯と相談してみるね」
忘れまいと魔法陣の描かれた紙の角にわかるように記しては、紙束を一旦小机に置いては一帆に腹に頬ずりをして甘えてみせる。基本的に一帆か颯、若しくはその両方のみがいるときの百々代は非常に甘えたがりで、触れ合いを好む性格だ。本日もその例に漏れず、迷宮内で疎になっていた時間を埋めるように過ごしていく。
昨夜も一帆と颯に擦り付いていたのだが。
夫である彼とて満更ではなく、癖のある赤茶色の髪を優しく撫でながら百々代の手を握る。
お互いに愛の言葉を囁き、口唇を重ねては夫婦の時間を過ごす。
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