四話②
カナカナと蝉のなく夕涼みの頃、鍛錬の一環として百々代は走り込みを行っていた。
「はぁ…はぁ…」
時間にして半時《1じかん》、首にかけた手巾で汗を拭き取り寮の前で大きく息を吐きだす。
「おかえりなさいませ、お嬢様。お水をどうぞ」
頃合いを見計らって出迎えたのは百々代の小間使を務める朝陽。水の杯を受け取ると次は乳汁を手渡し、杯が空くのを待っている。
「ふぅ、ありがとうございます朝陽さん」
「どういたしまして。この後は筋力の鍛錬を?」
「四半時《30ふん》ほど」
「畏まりました。では半時後にお食事を出来るように準備をしておきます」
「おねがいしますっ」
自室に戻り屈伸や腕立て、腹筋等を行い筋肉という鎧を皮下に纏っていく。普段は隠れて眼にする機会の少ない腕や脚、腹部などは少女然とした柔らかさは失われつつあり、筋骨隆々とはいかないながらも引き締まった肉体をしている。これで一四歳なのだから驚きだ。
「せいっ!…なんか違うような」
鍛錬の合間、宙に拳を叩きつけ格闘術のような行動をしては首を傾げる。
(英雄劇のケンポーをしっかりと覚えておくんだったなぁ。あの頃は人の形を模倣してるだけで、根本が疎かだったし衣服で隠してたから諦めてたんだよね。…化ける銀も視線を見る赤も、こっちに無いのは勇者との戦闘で潰されちゃったからなのかな)
鏡の前で目蓋を持ち上げれば虹彩異色の青と金。青は兎も角、危険物たる金は人の身には余る代物であるが、窮地を救うことに活躍してくれたのは確かなわけで。
(なんだかんだ前世のわたしには感謝しないとね。金は使わないように尽力するけど、これからもよろしくね、二つとも)
「続き続き!」
机に置かれた水差しからで水分補給を行っては、体幹鍛えるために両手を伸ばして空気椅子の姿勢を取る。
コンコン、と扉が控えめに叩かれ、聞こえてくるは友達、莉子の声。
「百々代ちゃんいますか?」
「どうぞー」
「お邪魔する…ね」
「ちょっと待っててください、あと少しなんで。……ふぅ。はい、なんでしょう?」
「えっと…結衣ちゃんが夕食を一緒に食べようって。途中で小間使さんに会ったから、一応伝えてはあるけれどどうします?」
「是非に!汗を洗い落としてから行きますねっ」
「わかりました。…さっきしてたのは筋力の鍛錬?」
「はい、体幹を鍛えるもので姿勢や均衡維持に役立つんですよ。身体の胴体全部が体幹だと思ってください」
「ほえ。百々代ちゃん筋肉すごいですね、触ったりしても…?」
「汗をかいてるんでお勧めはしにくいですが、触りたいのならどうぞ。自慢の相棒たちです!」
「じゃあお言葉に甘えて。わぁ、硬くて丈夫ですっ!お腹も」
「えへへ、照れますね。…ひゃうっ」
「あっごめんなさい、脇は弱いんですね」
「こそばゆくて」
「……。……ふむ」
「莉子さんって、筋肉が好きなんですか?」
「っ!え、あ、…はい。破廉恥ですよね…」
瞳が泳いだ莉子は意を決したように拳を握り、癖を認めた。彼女は筋肉に魅力を感じる少女のようだ。
「好みなんて人それぞれでいいんじゃないですかね。ほら、目の前に魔法が好きで、ここまで鍛えてるのもいますし」
「いいんですかね…?」
「破廉恥という人はいるかもしれませんが、好きになっちゃったらしょうがないですよ」
(龍とかが悪として倒される英雄劇を嬉嬉として観劇に行ってた龍がいたんだし。子どもたちに混じって勇者を応援してたなんて)
「じゃ、じゃあ!もう少しだけ満喫させてもらっても?」
「どうぞっ」
その後、お姫様抱っこをされた莉子はうっとりとした表情を見せていたのだった。
―――
「お招きいただきありがとうございますっ」
「よくいらっしゃいました。どうぞお掛けください」
定形の挨拶をしては机に着き配膳を待つ。
「ふふっ、明日は小試験日、今夜は勝利を確信しているわたくしからの前祝いよ!食後には桂花亭から取り寄せたお菓子もあるの!」
「「「わー!」」」
ふんふんと自信満々な結衣は胸を張りながら勝利宣言を行っている。上位座が四人もいる状況で勉強を見てもらい、実技の特訓をすれば自然と理解度も深まるもので。今の彼女は無敵だった。
大いに感謝をしている一帆と駿佑の許にも菓子が届いている頃合いだろう。なにせ、杏と百々代は「数を熟して基本を理解すれば応用が効く」との事で、短期間での実力補強にはなんの約にも立たなかった。故に非常にわかりやすく懇切丁寧に説明してくれる彼らの存在は偉大なのだった。
「そういえば百々代は休暇中なにをして過ごすの?」
「休暇中ですか、工房の手伝いにと考えています。魔法莢の材料費に殆どのお小遣いを使ってしまったので」
「大変ね…。ちょっと先の話になるのだけれど、散秋季末の試験が終わったら冬季休みがあるじゃない?そこで西条家が所有する別荘で、休暇を過ごそうと思っているの。百々代もどうかって思ってね、勿論一帆様にもお声掛けするわよ」
「いいのですか?」
「当たり前じゃない、ねえ二人もいいでしょ?」
「一緒にゆっくりしましょう」「絶対楽しいよー!」
「で、では是非にっ!」
「ふふん、楽しみにしておきないさい!」
雑談をしつつ食事をする憩いのひと時。
「そういえば三人はどうやってお知り合いに?」
「わたくしたちの親が篠ノ井派閥で、同い年だったからよ。社交の場でよく顔を合わせてたからそのまま一緒にいることが多くて、今に至るの」
「逆に市井の友達ってどんな感じなの、茶会とか食事会とかないんでしょ?」
「家が近所だったり、兄が三人いるんで兄経由、あとは工房の職人さんたちのお子さんとかです。ちなみに食事会に近い集まりはありますよ、誰かが結婚する時にとかに」
「そんなに変わらないのですね」
「そうですね」
「…なんというか、百々代を見てても市井の出だって感じがしないのよね。言葉遣いに食事の作法に普段の所作。実は貴族なんですっ!って言われても頷いちゃいそうよ」
「わかるー」「うん」
「よしみ先生に礼儀作法習っている期間のほうが、人生で長いので。染み付いたって感じがしますね。美味しいお料理やお菓子、豪奢な衣装建物等驚かされることは多いですけれど」
「なるほどねぇ」
(これからも百々代は学舎で上手くやっていけそうで何よりだわ。成績が優秀でも馴染めないと大変なのは確実、他所との諍いもなさそうだし一緒に楽しく四年間を過ごしたいわ!)
(学舎でも友達が出来て良かったっ。皆には感謝しないとね)
食後の氷菓に舌鼓を打ち、和やかな夕餉は終わりを告げる。
―――
事前に不安視していた結衣と莉子も、自己採点では十分な結果を得られた小試験。
最終的な総合順位は一位一帆、三位百々代、四位駿佑、六位杏と上位一〇名の名前が掲載された。上位三名は同位点であり、三人とも実技筆記共に満点となっている。
「むぅ…庶民と同位点…?気に食わないわね」
「で、ですよねー」「きっとなにか汚い手を使ったのですわ」「そうに違いありません」
「…ねえ貴女達、庶民に負けて恥ずかしくないのかしら?きっちりと勉強をして、実技も熟していれば同位点で順位を落とせたのよ」
「は、はい」「申し訳ございません」
「それと見苦しいから、根も葉もない事をいって自身の品位を落とさないように。いいかしら」
「「「はい…」」」
第二座、小試験二位のご令嬢は一人廊下を歩いてゆく。
「いけ好かないんだ、アレ」「篠ノ井一帆様にもくっついてる庶民も気に食わないけど、あの女も気に食わないわ」「由緒正しい沈丁花伯爵家のご令嬢だから仲良くしてたのに」「歴史だけの古臭い家のくせに」
やめたやめたとご令嬢たちは愚痴をこぼしながら、彼女とは違う方向へと去っていった。
―――
一帆派閥がゆったりと茶をしている時、真っ直ぐな黒髪を揺らすご令嬢が一人現れる。
(あっ)(やっぱり来ちゃったかー)(茶臼山火凛様…)(面倒なのが来たな)(やっぱりかぁ)
百々代以外の全員は彼女、沈丁花伯爵家の茶臼山火凛を見ては小さく頭を抱える。自尊心が高く家格等を非常に気にする彼女は、何れ百々代の前に現れるだろうと各々察していたが、想定よりも早かったのだろう。
「貴女が安茂里百々代よね、私は沈丁花伯爵家の茶臼山火凛」
「丁寧にありがとうございます、茶臼山火凛様。安茂里工房の安茂里百々代です。本日はどのようご用件で」
「宣戦布告に来たのよ」
「宣戦布告、ですか?」
「今後の大小問わない試験で、貴女が私の総合点を下回った時、自主退学なさい」
「…つまり、同点以上を維持し続ければいいのですね?」
「そんな事ができるのならね。ああ、勿論退学する際はこちらで面倒を見るわ。雇い先が必要ならば私が雇いますし、魔法省への推薦が欲しいならお父様に頭を下げて書いてもらう。どうかしら」
「なに勝手なことを」
「篠ノ井一帆様とはお話していませんわ、割り込まないでくださる?私と安茂里百々代の大事なお話ですのよ」
「いい加減」
「まあまあ落ち着きましょうお二方。茶臼山火凛様はわたしと競い合いたいということでいいのでしょうか?」
「まるで同じ土台に立っているかのような物言いね。ですが許してあげるわ、庶民ながら同位点を取ったのだから、実力は認めてあげる。だけど、庶民と並ばれては私の気が収まらないの」
「だから点数が下回ったら出て行けと」
「そうよ、立場をわからせてあげる」
「わかりました、競う相手は多いほうがやる気が出ます。…ただ、わたしが点数を上回った場合はなにかあるのですか?ご褒美とか」
「万に一つもありえないでけれど、そうねぇ…手を繋いでお友達と宣言してあげるわ。対等な相手としてね、おほほほ」
「その時を楽しみにしてますね」
笑顔で承諾した百々代を見て、気分を良くした火凛は満足げな表情で場を去っていった。
「百々代、お前…勝手なことを」
「勝てば良いんですよ勝てば、それに魔法省への推薦も出してくれるみたいですし、いざとなったら向こうで準備運動をしていますよ」
「納得しているのならいいが…」
納得のいかない一帆は百々代を睨めつけ、溜息を大きく吐き出す。
「難癖でも付けて追い出すとかなら、僕たちも割って入れるだけど。ああも真っ直ぐに勝負を仕掛けられると気圧されちゃうね」
「ある意味上手よね、彼女」
結衣の言葉に頷いては一同百々代の様子を伺うのだが、こっちもこっちで楽しそうに後ろ姿を見つけており、不思議な感覚に陥るのだった。
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