二一話⑰
待冬季の初めに栂桜港は初雪となり、樹氷林迷宮の管理区画へ識温視の魔法莢が到着する。これを皮切りに燻っていた防衛官らは勇み迷宮へ潜行し、一帆らの中間拠点を建てるべく物資の運搬や道中の静雹透の処理を行っていく。中間拠点とその安全の確保ができれば、迷宮を制圧する速度は格段に上がっていき、中旬ともなれば首魁の討伐まで終えることが出来た。
それでも百々代が目を覚ますことのなく、今も尚眠り続けている。
治療は順調そのもので、身体に異常はなく医務官らは原因不明だと首を左右にふるばかり。
「う、うぅ…」
なんてやり取りをしていれば、彼女は僅かに声を漏らして動きを見せ始めた。
「百々代!」「百々代くん!」
「てま、えは…蘢佳だ」
口を開いたのは身体の指示系統を一時的に乗っ取って表層に現れることの出来た蘢佳。
「蘢佳?蘢佳、百々代はどうなったんだ!?」
「百々代、は…黒に、呑まれて、誰かの記憶に、いる…。手前じゃ、近づけないが、深く遠い、記憶の流れの中に…いる。……もう、少し…待って」
百々代の身体は成形獣と異なり蘢佳でも動かすのは難しいらしく、必要な言葉だけを伝えて動かぬ昏睡状態へと戻っていく。
「黒、というのは時間を見る瞳だったか」
「俺も詳しくはないがそうらしい。…はぁ、待っていれば起きるということは確定したのだな」
「良かったよ、本当に。百々代くんがいなければ、…退屈に圧し潰されてしまう」
二人は椅子に凭れかかっては天井を仰ぎ、安堵の吐息を口にする。
「寝坊助の起床の準備でも整えてやるか」
「そうだな、一帆くん。君には退屈な作業になるだろうが手伝ってくれるか?」
「素材を擂り潰したりなんてのは得意ではないのだがな、仕方ない。何から作る?」
「健在の魔法莢は蘢佳くんと尾装のみ。雷剣は素材的に再現は完全不可、…纏鎧もか。障壁と擲槍なんて最新のが予備としてあるから」
「そうなると零距離擲槍と武王、あと肉体強化しかないが」
「…武王は、魔法陣と素材の記録は残っているのだが、骸骨兵から成形体に変えた際の変更点は百々代くんの頭の中、だな」
「二つしかないではないか…」
「特殊且つ独自技術の塊のような魔法師なのだから当然であろう。魔法莢黎明の頃のほうがまだまだマシだぞ」
「…、剣は雹透族の素材を用いた成形武装の剣に置き換えてもらおう。アレの使い勝手は非常にいいとのことだから」
「報告は数度受けているし、細かな調整を加えた完成品とするか」
「小梧朗のにも手を加えてやってくれ。百々代のいない中で奮迅してくれていてな」
「承知した。とりあえず、魔法陣を引くとしよう。後で必要な素材の目録を出すから、虎丞と取り出してくれ」
「ああ、わかった。…焦雷龍の鱗はどうする?」
「…。本人に委ねようか?」
「そうするか」
それじゃあ、と二人は百々代の手を撫でてから立ち上がり、宿舎へと戻っていく。
―――
さて、百々代が昏睡状態に陥ってから暫く。待冬季も終わりに近づいた頃、彼女はゆっくりと目蓋を持ち上げて、覚醒に至る。
「…、うっ、はふっ。うわ、身体がカチカチだ?」
何事もなかったかのように起き上がり、衰えてしまった身体の調子に驚いては、周囲に視線を回しては何故医務室にいるのかと首を傾げた。
寝台から起き上がろうとして思った以上に力が入らず、一度転倒してから椅子に掴まって立ち上がる。今まででは考えられないほどにほっそりとした身体、寝たきりの期間を考えると筋肉量は半分ほどであろうか。
(…?何があったんだっけ。武王、狼さんの記憶を見ていた事は覚えているんだけども)
小机の上には蘢佳の魔法莢が置かれており、状況を聞くために起動句を口にした。
「起動。蘢佳」
「も、百々代!起きてよかったー!」
「おはよう」
顔が隠れており、変化もしない仕様だが感極まってるような感情は伝わってくる。一度抱きつこうとした蘢佳だが、百々代の様子を目にしては躊躇い、手を取って寝台に座らせてから医務官を呼びに行く。
「蘢佳!?…!百々代が目を覚ましたのか!」
と一帆の声が聞こえ、医務室周辺は大賑わいである。
「おはよー、一帆。…皆さんもおはようございます。こんなに集まってどうしたのですか?」
「なんだ、覚えていないのか?」
「何を?」
「意識を失うより前の事だ」
「…うーん、わからないかも」
顔を見合わせた医務官らから検査を行われつつ、記憶の精査を行っておけば焦雷龍と遭遇した迄の記憶が最後となっており、逃走と被弾の記憶はなくなっていた。
「焦雷龍相手に生き残れたんだ、わたし。随分と眠っちゃったみたいだけど、儲けものだねっ」
「お気楽な、どれだけ心配したと思っているのだ」
「沢山でしょ?ごめんねっ。…約束は破っちゃったことになるけど、一帆に何事もなくってよかったよ」
「まったく、お前って奴は…」
呆れ半分、喜び半分。ぐちゃぐちゃな感情の中で一帆は微笑する。
「迷宮の方はどうなったの?」
「無事に終わらせた。識温視も届いてな、氾濫が起こることもなかった」
「さっすがっ!じゃあ小梧朗さんたちはもう出立しちゃった?」
「いや、鍛錬がてら静雹透相手に迷宮へ潜っている」
(今回の件で思うこともあったのだろうがな)
「それじゃあ迷惑をかけたお詫びをしないとね」
なんて話しをしていれば検査は終わり、筋力の低下以外に問題はないとのこと。
「それと左の肩から肩甲骨及び二の腕辺りまでに、樹形模様の火傷痕は残ってしまいまして、お身体に傷跡を残してしまったことを謝罪いたします」
「そうなんですか?」
男衆には一旦出払ってもらい、衣服を脱ぎながら確認してみれば、樹形と蔦が張ったような模様の火傷痕が刻まれている。
「えへへ、このくらいはどうってことありませんよ。医務官の皆さん、治療への尽力ありがとうございました」
深々と頭を下げては礼を言いケロッと笑って見せれば、彼ら彼女らは心が洗われた気持ちになっていく。
「暫くは予後治療とか復帰治療になる感じですか?」
「そうですね。先ずは簡単な運動を行っていき、生活に支障のない水準まで回復されたら、量を増やして以前のようなお身体を目指していただくこととなります。期間は…三季もあれば」
「はーい。それじゃあ巡回官は少しの間休業かな」
「そうなるな。…、百々代、俺たちで揃いの指輪を注文したことを覚えているか?」
「うん。あっ、もしかしてもう出来上がったとか?」
「そのもしかして、だ。指を出せ」
「はいっ」
指に収まるのは銀地に青と金色の線の入った華やか指輪。彩銀鉱と呼ばれる加工方法によって色の変化する金属を用いた、昨今人気の品である。
「へぇ、綺麗。一帆のはわたしがつけてあげるよ」
「頼む」
全く同じ揃いの指輪を着けて、微笑ましい二人を目に医務官らは撤退していく。
―――
「では私たちはこちらなんで」
起春季の初め頃。栂桜港で平原隊の一行と百々代たち一行は顔を合わせて、別の道へ進むべく対面する。
「また、どこかお会いできたらよろしくお願いしますねっ」
「はい!その際は手合わせをお願いします」
「いいですよ。その時迄には前みたいに鍛えなおしておくので」
「こちらも鍛錬を怠らず、…その、あこ…、百々代に追いつけるくらいに強くなっているんで!」
(((へたれたな)))
百々代以外は呆れた視線を小梧朗に向けつつ小さく笑う。
「それで皆さんはどちらに向かうのですか?」
「吾らは天糸瓜港へと戻るつもりだ」
直睦からの質問には颯が答えて、一帆らが頷く。百々代が巡回官仕事をできない状態では、颯の遊学、というなの旅行も一時休止となる。ならば天糸瓜港に戻っては工房仕事をしたいとのこと。
「皆さんお元気で〜」
「平原隊の皆さんもっ」
握手を交わしては道を別れては、各々の進むべき先へと歩き出す。
「小梧朗のヘタレ〜」
「憧れ、くらい言えないのか」
「…、し、仕方ないだろう!言葉が詰まったのだから!」
ははは、と笑いながら平原隊は次の迷宮へと向かっていく。
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