二一話⑨
篠ノ井夫妻だけで潜っていた時と比べて平原隊の加わってからの足の進み順調の一言。五日を経て八階層の発見までは終了。
三階層以来、雹透族とは遭遇しておらず深くへ潜ると現れる魔物なのではなく珍しい部類の相手なのだと結論付けながら、確実な警戒の許で探索を行っていった。
「これで八階層まで到達できたか。これだけ経って巡回官が増えないところを考えると樹氷林迷宮は俺たちで探索を終える必要がありそうだな」
「私たちも最後まで同行しようと思っていますので、力を合わせて頑張りましょう」
「おー!…そうだっ、そろそろ雹透族の触媒調査を颯さんが行うみたいで、わたしも加わりたいんだけどいいかな?」
「溜まっていた手仕事とやらは終わったのか。それなりに働き詰めだ、休息とするか」
「賛成でーす!」
身体が資本。それなりに急を要する状況ではあるものの、適度な休息が必要だと休暇にするため一行は迷宮の外へと戻っていく。
―――
「やあ十夜くん元気ですか?」
「今井の小父さんですか、こんちは。なにかご用事でも?」
安茂里工房に馬車でやってきたのは今井達吾郎。最近は子供も大きくなってきて、一三歳下の奥さんに第二子の宿った幸せ者。そして百々代の兄である十夜が彼の相手をすべく工房から出てきたところである。
ちなみに父の千璃と母の京子は工房を彼に任せて、夫婦団欒の小旅行中だ。温泉に行ったのだとか。
「実は百々代ちゃ、百々代さんから手紙が届きまして。『現在の迷宮で識温視が必要になっていまして、迷宮管理局椿崎所から注文があるかもしれません。数はわかりませんが、用意があれば楽になると思います』とのことでして」
「ああ、構いませんよ。ちっとばかし材料が余っちまったんで、…発注間違えてしまって」
「そうなんですか?」
「恥ずかしながら。もう少し勉強をしっかりしとくべきだったと思わされます。今後からは穣治に任せますので、大丈夫かと思うのですが」
「必要であればこちらで引き取りますのでお声掛けくださいね。安茂里工房は今井商会連盟の大事なお仲間なので」
「うっす。助かります」
安茂里家としては末娘が世話になった大の付く恩人だ。そこまでされなくても一生付いていくのだが、彼が慕われる理由であろう。
二人は茶で一服し、百々代がどんな場所にいるのか、何をしているのか等を軽く話しては互いに仕事へと戻っていく。
―――
夕餉や湯浴みを終えて篠ノ井夫妻の部屋で。
寝間着に着替えた百々代は柑橘類の香りを僅かに放ちながら、寝台で舞台台本を読んでいる一帆の隣に腰掛けては、柔らかな力で彼を押し倒しては胸板に頭を乗せて欠伸をする。
「ふぁ…」
夫の心音を耳にしながら何の邪魔もない、ただただ甘えられる時間を満喫していく。
一帆の方も邪険にすることなどなく、甘えん坊仕草はいつものことだと頭を撫でながら台本へ視線を戻し百々代の呼吸と体温を快く思う。
「なあ百々代」
「なに?」
「どれくらい続けるかはわからないが、巡回官の仕事を終えたら何をしたい?」
「んー、先生とかしてみたいなっ。よしみ先生みたいに。一帆は劇団?」
「いや、演技はさっぱりだし、観ているのが好きだから関わるつもりはない」
「そうなんだ。華やかな見た目だし映えるし。一帆なら演技くらいやって出来そうだけどね」
「今に見た目が良くても、俺たちが巡回官を終える頃には三〇を優に超えているのだろうし、そこから演技を学ぶなんて遅いだろう」
「始めるのに遅いことなんて無いと思うけどね。…実際に演劇に関われるとしたら携わりたい?」
「どうだろうな、俺は。心躍る舞台を観るのが好きだから、やはりいい」
「そっか」
「無難に迷管務めにでもなるか」
「あはは、執務仕事してる一帆は似合いそう。金木犀でも天糸瓜でもどっちでも上手くやれるんじゃない?」
執務室で風に煽られた髪を掻き上げる、そんな姿を思い浮かべては様になると微笑みつつ、腕枕を強請れば台本を閉じて腕を伸ばして待ち構える。
「ありがとっ」
「…今更になるが颯を俺の隣にいても本当にいいのか?」
(あいつが好意を寄せているのは間違いなく百々代なのだが、気がついている風もないし)
「全然いいよ。わたしも颯さんの事好きだし。やっぱさ、好きなこと、魔法莢のことを何の遠慮もなく話せて、一緒に弄くり回せる同性で近い年頃の人は少くってさ。一帆が話しに付き合ってくれるけど、一方的になっちゃうことも多いし。一帆と颯さんと三人で一緒の家族になれるなんて、なんて嬉しいんだってあの時に思ったんだ」
「妬けるな」
「えへへ、やきもちさんだ」
「颯は俺と百々代の間を邪魔する心算はなく、利になることが多い。…だがちょっとくらいは渋ってほしかったがな」
「大丈夫、他の人なら嫌だよ」
鼻に控えめな口付けをし、色の違う二つの瞳を見せつける緩い笑顔を咲かせる百々代に、対抗するが如く一帆は彼女の喉へ口唇を押し付ける。
「なんかいやらしいんだ。そういう気分になっちゃったの?」
「百々代、次第だな」
「えー、じゃあちょっと眠いかも」
「…。」
誂うような言の葉にムスッとするも、直ぐに観念したのか百々代を抱き寄せて口唇を重ね合う。吐き出し合う熱の籠もった吐息を吐き出せば、僅かに彼女の白い歯が視界に入って一帆の鼓動は高鳴っていった。
「見えるところに噛みつくなよ」
「じゃあ――」
首根に赤い跡を付けられた一帆は、翌日に高い襟の衣服を着用していた。
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