二〇話⑤
「篠ノ井の奥方がそこまで…。期待以上ではあるが、申し訳ないことをしてしまったか」
屋敷にて報告を聞く駿人は驚きと、少しばかりの申し訳無さが表情に表れている。
「効果は上々。近くない領地ではありますが、天糸瓜侯爵に次ぐ金木犀伯爵家と強固な縁を持つ莉子様には、強硬手段など取りようもありません。脅迫状を送りつけた主犯の目星もつきましたし、明日には軟禁も解除できましょう」
「それは良かった。心苦しい思いをさせてしまったから、詫びをしないといけないね。本人にも伝えてなかったことだし」
「ええ、そうですね。…もう一つ報告なのですが、篠ノ井百々代様がどうにも知り得なる筈もない情報を得ていまして」
「というと?」
「莉子様のお部屋に書き留めた置き手紙、その中身を口走っておりまして」
「ふむ。今回の件は私と葉理、二人の企みだ。駿佑も知らないのだろう?」
「ええ。護衛を務める諜問の一部のみとなっており、鼠一匹入る余地はないかと」
「妙な動きをしないのであれば、聞かなかったことにしてはどうだろう。あの二人が心から信頼して、親しき友と呼ぶ奥方だ」
「…そうですね、様子見にしましょうか。どちらにせよ手出しは出来ませんが」
「月梅の諜問官長であった葉理がか?」
「篠ノ井百々代様は金木犀諜問官長のお気に入りで、対プレギエラ工作員に対する切り札を生み出したお方。こちら側だからこそ手が出し難い」
そっと腰に佩かれた識温視の魔法莢へ手を添えれば、駿人も納得し頷く。なるほど、と。
現在、百港国との開戦を目論み、細々と大衆心理を煽ろうと動いている大陸の傘仰国家プレギエラは、透布套という被ると透明化できる不可思議な道具を用いて水面下で動いている。
彼らの相手をするのは、対人戦闘を得意とする諜問官を以てしても苦難一言であった。そんな中で、透明になった相手の体温を見れる、そんな魔法が作られたのが数年前。
防戦一方でいざとなれば姿を晦ませてしまう厄介な相手に、強烈な反撃の札が作られ形勢は逆転。今現在では天糸瓜島東部を中心に殆どの諜問官が、安茂里工房で製作された識温視の魔法莢を携帯している。
ともすればおいそれと手出しの出来ない相手なのは確か。
気に食わないと危害を加えようものなら、何処からともなく影に刺されることになる。
「金木犀諜問官長とその部下の相手なんて悪夢でしかありませんので…」
「へ、へぇ…、才女と名高いけれどもそんなにとは。あー…駿佑は中々に人を見る目があるようだ。なんにせよ、加減を伺って様子見に徹しようか」
「畏まりました」
―――
日が明けて。
医務官に体調に問題はないと診断を受けた百々代が元気に朝餉を食んでいれば、今朝方私室に戻されていた莉子と顔を合わせ。
「莉子ちゃんおはよーっ!」
「百々代ちゃんおはよう!」
「月梅での暮らしと花嫁修業は順調?」
「大変だけど駿佑さんの為でもあるし、やりたいことでもあるから頑張れるよ」
「そっか。応援してるねっ!」
「ありがとう、百々代ちゃんは、順調だよね。月梅領にまで名前が響いてきてたよ」
「そうなの?」
「うん。新人巡回官の篠ノ井家の夫婦が龍種を倒した、新規の迷宮で魔物魔獣を千切っては投げ千切っては投げの大活躍だったなんて」
「えへへ、照れちゃうなぁ。天糸瓜の百港の皆を守れるようにわたしも頑張るねっ!」
「私も応援してるよ、百々代ちゃんのこと。一帆さんも」
「僕もね」
「ありがとっ!」「ふっ、受け取っておこう」
一同は学舎卒業以来の再会を楽しむ。
今回の事件、莉子宛に脅迫状が届き駿人の方で匿っていた、という説明がなされ、彼女を心配していた一同は無事に何事もなかったことに胸を撫で下ろす結末となった。
脅迫状を送った主犯は既に捕らえられ、莉子は護衛を付けることで元の生活に戻すとのこと。
本来であればもう数日は匿っておくべきなのだが、客人たる篠ノ井夫妻もいることなので、早々との解放になったようだ。
「敵を欺くにはなんとやら、仕方ないとはいえ秘密にされてたことは不本意だな」
「我が子を想ってのこと、だと思うから大目に見てあげてねっ」
「倒れた百々代さんが、そういうのなら…」
親の心子知らず、駿人と葉理の過去を視てしまった百々代からすれば微笑ましいばかり、彼らの関係も上手くいき幸せな家庭を築けるのだろうと確信をする。
「いやぁ、遅れてしまった。どうも初めまして、月梅伯爵を努めている辰野駿人です。昨日はこちらの都合でご迷惑をお掛けしてしまった不備を詫びたく、顔を見せた次第です」
「私は金木犀伯爵家の篠ノ井一帆、そして妻の百々代です」
「初めまして篠ノ井百々代です。こちらの方こそ、急遽一晩宿泊することとなってしまい、お手間をおかけしたことお詫びいたします」
「ははっ、いやなに息子の婚約者にあれ程気にかけてくれているなんて、一泊の恩義程度では返せませんよ。何時でも足を運び下さい、我々は歓迎致します故」
「ああ、何時でも寄ってほしい。船旅で内陸の月梅とは少しばかり離れてしまっているが、交通の便は何処よりも良い領地だ。気軽に来てくれると嬉しい」
「ふっ、気が向いたらな」
辰野と篠ノ井で歓談を楽しんでいれば、葉理が姿を現し。
「どうも、侍従の葉理と申しますが、一応のこと改めてお加減を伺いたく」
「はい、全く問題ありませんよっ。一晩休んだら何事もなかったかのような状況でして、ご心配をお掛けしました」
「いえいえ、こちらの事情に巻き込んでしまった結果、ですのでお気になさらずに。…。」
百々代からも葉理からも気を失う直前の発言に対するあれやこれやは無く、会話は自然と終わっていく。
(今回の件、公にしたことで深掘りはしてこないという姿勢でしょうかね。…諜問官でもない表の存在に気取られる程度の仕事はするな、と圧を掛けてきた、そう胸に留めておきます)
(なんかすっごく見られてる…?体調を心配してくれてるのかな)
本人は途絶える意識寸前で、言葉を口走った記憶すら曖昧だったりで、小さな齟齬が生まれているのだが。まあ問題ないだろう。
さて、一日遅れの再開と茶会を楽しみ、莉子が辰野家で上手くやれていることを確認しては解散となった。
―――
篠ノ井夫妻の一日が潰れた事、そして莉子に迷惑を掛けた事、その埋め合わせなのだろう。駿人は人気な劇の入場券を四人用意し、一行は豪奢な一室で昨今話題の演目を楽しむこととなった。
内容といえば身分違いの男女の恋愛を描いた悲恋物語。恋愛物が好みな莉子、観劇であればなんでも好物な一帆は楽しげに眺めて、百々代と駿佑は邪魔にならない程度の声で雑談をしている。
「ところで百々代さん」
「なに?」
「一帆が他の女の子にも手を出したって本当かい?」
「まだ手は出してないよ。黒姫颯さんっていう魔法莢研究局の人でね、一緒に旅をしてるんだ」
「…百々代さん的にはそれでいいのかい?法を違えているわけではないけれど思うことくらいはあるだろう?」
僅かばかり考え込んだ百々代だが、コロッとした笑顔を見せて。
「わたしを蔑ろにするわけでもないし、颯さんとは仲良くやれてるから全然いいよ。一帆が篠ノ井家を継ぐわけでもないからお家騒動もないだろうからね」
「ふうん、…百々代さんに反意がないのならいいのだけど。何かあったら相談してよ、僕たちの切っ掛けとなってくれたようなものだから、…一帆にガツンということくらいは出来るからさ」
「えへへ、ありがと」
そんな話しをしていれば劇は佳境を超えて終劇となり、莉子は感動に満ちた表情で一帆は役者の演技や脚本を褒めている。
「はははっ、二人が満足そうで良かったよ」
やはり台本を欲しがった一帆のために劇団と話しをし、お捻りがてら金子を手渡し台本を購入したのだった。
―――
それから数日。迷宮遺物を競り落としたり、月梅領都で買い物や遊び、観劇に時間を使い一同は出立の準備を終える。
「月梅では迷宮に潜らないのか?」
「ああ、周期がイマイチ噛み合わないのと、蘢佳のことで色々と詰めるのであれば人気の多い領地よりは、こぢんまりした場所のほうがいいだろう」
「というわけで!連翹領から南下して、椿崎港に行こうと思うんだ」
「椿崎ですか。海図はあるので問題ありませんし私は構いませんよ」
「吾はどこでも構わんぞ!」
「なら!」「行くとするか」
貸し切りの馬車に四人乗り込み、秋の終わりの寒風が吹く中を一同は連翹領へと向かっていく。
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