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 将棋を指し、棋譜を読み、また将棋を指す。その合間にも「澳田とばっかりやってるとレベルが下がるから」とPCでAIとの勝負もする。そうした合間合間に気分転換にとちょくちょく勉強も挟む。それらを見ながら澳田は「器用というか、よくまあそう色々と集中できるよなあ」などと思っていた。


 そんなうちに外もすっかり暗くなり、夜の八時に迫っていた。


「さすがにそろそろ帰るよ。ほぼ半日いたな。しかもその間ずっと将棋と勉強」


「それくらい棋士は普通でしょ。そうじゃないと勝てないんだから。みんなそれくらいやってるんだし」


「ほんとすごい世界だよな。ある意味受験と同じだけど。実際どう? 俺ある程度は上手くなってきた?」


「それなりにはね。最初から比べればだけど、でも全然まだまだのまだまだ」


「そんなにか」


「そりゃそうでしょ。圧倒的に足りてないんだから。一ヶ月あれば指せるくらいにはなれるだろうけど、指せるところから強くなるには一ヶ月なんかじゃ無理に決まってるじゃん。よっぽどの天才がずっとそれだけやってようやくじゃない?」


「そりゃそうだよなあ……夕飯もまた弁当買いに行くの?」


「夜はカップ麺。さすがに食費抑えないとだから」


「そっか。一人暮らしだもんな……それで栄養大丈夫なの?」


「なんとかなってるからね。ブドウ糖は入れてるしサプリも飲んでるから」


「偏り過ぎだよなあ」


 澳田はそう言って苦笑する。そうして少し逡巡し、ずっと思っていたことを口にした。


「――あのさ、こういうこと聞くのも悪いと思うし答えたくなかったら答えなくて全然かまわないんだけど、水季はなんで一人暮らししてるの?」


「別に、他に選択肢ないからだけど」


「そ、そう?」


「うん。――あんたが聞きたいのは親のことじゃないの?」


「まあ、親というか家族は、どうしたのかなあとかは思ったけど……でもあれ? やっぱ将棋留学みたいな感じ? 東京に将棋会館あるし対局の中心は東京だからさ。前に昔は東京住んでなかったって言ってたし」


「……それはゼロじゃないけど、でもその前からこっち住んでたから。その前は別のとこいて、その前はまた東京いたし」


 そう言い、水季は一つ息をついた。


「元々、東京にいたの。けど親が離婚した。それで東京からお母さんの実家に引っ越した。小学校入る前かな。結構田舎の方で、そこでおじいちゃんとおばあちゃんとお母さんの四人で暮らしてた」


 水季はそこまで話し、カップのコーヒーに口をつけた。


「将棋を教えてくれたのはおじいちゃん。最初の記憶なんか覚えてないけど、気づいたらおじいちゃんと将棋指してた。それが楽しくて、褒められて嬉しくて、だからもっとやって、もっとうまくなろうって……まだ小さい女の子が他のことにはほとんど目もくれず将棋三昧。ま、他に娯楽も少なかったからね。田舎だったし、お金にだってそんなに余裕なかったし。けど何よりそれが楽しかったから。お母さんは実家に迷惑かけたくないって仕事忙しかったし、だから家ではおじいちゃんおばあちゃんと過ごすことが多かった。まあでも、ほんとに優しい人達だったし、恵まれてたよ、ほんと。穏やかっていうか。おかげで私も何の憂いもなく将棋できてたしね」


 水季は思い出しながらふっと微笑む。


「それでまあ、どんどん将棋にのめり込んで、でも田舎だからやる人も少なくてさ。同年代なんか特に。もっと強くなりたいとか自分の力を試したいとかもあって、少し大きい街に連れてってもらったり大会に参加したりしてさ。そこでまあ、優勝したりして、その頃初めてかな。自分がそれなりに強いって初めてわかったのじゃ。勝っちゃったからさ、尚更自信持って、もっと強くなろう、プロになろうって、本気で目指し始めたのもこの頃かな。小学校の高学年になるくらい? おじいちゃんも本気で喜んでくれてたしさ。おじいちゃん、昔は棋士になりたかったんだって。子供の頃から将棋やってて。でも金銭的にも実力の上でも無理で。その夢を託すってのは多少はあったんだと思う。なんかアマチュアの大会でも全国上位に入ったことあるらしくてさ、まあかなり強い人に小さい頃から鍛えられてたんだよね結果として」


 水季はそう言い、祖父のことを思い出しながら頬を緩めた。


「けど、六年生の頃からそういうのもガラッと変わって。おじいちゃんが病気になってさ、死ぬのはあっという間だったな……おじいちゃんが亡くなったらおばあちゃんも急に痴呆が進んじゃって。認知症で、いわゆる要介護ってやつ。でもさ、うちに介護できる人なんかいないし、お母さんは仕事しないといけなかったし。


 それで、おばあちゃんには悪いけど施設に入ってもらって、お母さんは田舎じゃ施設の費用も生活費も稼げないってまた東京に戻ってきてさ。それが中学の頃。でもこれが結果的に私が将棋メディアなんかにも取り上げられるような契機になってね。やっぱり将棋の中心の東京だとさ、対局も多いし、見られることも知られることも多いし。それに私も少しでも自分もお金を稼がなきゃいけないって、賞金に繋がるような試合には片っ端に出てたから。


 必死だったなほんと。必死だった。お金のため、おばあちゃんのため、お母さんのためって。それは今でも変わらないけど、やっぱりあの頃はまだそんな軌道にも乗れるかわからない頃だったから、不安で一杯で必死だった。


 けどさ、お母さんも働きすぎて体壊して。今、入院してる」


「……そう、だったんだ……」


「そ。だから一人暮らし。頼れる親戚もいないし、いても遠すぎて頼れないし。そもそも私は将棋で稼がなくちゃいけないから東京離れられないし。ほんとなら学校なんて行ってる場合じゃないんだけどね、お母さんにせめて高校だけは出てってお願いされて。あんな泣きながら私のせいでごめんねなんて言われたらさ、それ無視して辞めるなんてのもできないしね……」


 水季はそう言ってかすかに微笑む。その笑みには、どこか諦めのようなものが混じっていた。


「……ほんと、大変なんだな……なんかその、なんも知らなくてごめん……」


「いいよ別に。知らないのが普通だし。知られてた方が困るしさ。だからまあ、絶対対局は勝たなくちゃいけないし、一日でも早くプロにならなくちゃいけないの。だから絶対に二四日は負けられない」


「そうだったんだ……あのさ、対局以外の、俺も詳しくは知らないけど大盤解説とかそういう別の仕事とかって依頼きたりはしないの? 水季ならそういうのもありそうなんだけど」


「私ならって?」


「その、世間じゃ『美人すぎる女流棋士』とか言われてるわけだしさ」


「ああ……なんか知ってる人にそういうこと言われると気持ち悪いね」


「ごめん。ほんと、こういうの嫌だったかもしれないけど」


「別にいいよ。気持ち悪いってそういうことじゃないし。嫌は嫌だけど、どうでもいいからね。将棋と関係ないところで注目されるのはさ」


 水季はそう言ってなんでもないことのように笑う。


「実際あるよ色々。全然将棋と関係ないテレビとかからもさ。それこそ芸能事務所とかからも。私も、お金のこと考えると稼げるならいいかとかも思ったけど、将棋の仕事ちょっとやってまだ無理だなって。今はまだそんな余裕ないし、実力もないし。将棋と関係ないことしてたら肝心のそっちがおろそかになっちゃうから。そりゃお金は必要だけどさ、でも私はやっぱり、将棋で生きていきたいから。ちゃんと将棋で稼いで、そういう人間になりたいって思ったから。それにお金だって将棋で勝ちさえすればいいだけだしね。だからまあ、今は全然。余裕ある時だけたまに」


「そうだったんだな……いやでも、ほんとなんかごめん。全然そんな事情知らずにさ、弟子にしてくれとか対局しようとか、ほんと迷惑だったよな」


「最初はね。でも確かに使えたし、試験勉強じゃ役立ったし。それもま、試験終わってみないとわからないけどさ、あんたのヤマ、全部大外れならまた赤点だろうし。そうなったらもう弟子破門かな」


 そう言って水季は笑う。


「それはねえよ。絶対ないって約束する。それに対局、次の対局絶対勝てるよう、ほんとに俺にできることはなんでもやるよ。もう俺に教えるとかどうでもいいからさ。だからほんとに、なんでも言ってくれよ」


「そっか……ま、ここまできたら私ももうそのつもりだけどね。ほんとになんでもやる?」


「やるよ当然。やらせていただきます」


「言ったね? じゃあ棋譜の分析、徹底して頼むね。あんたどうせ試験勉強しなくていいんでしょ?」


「まあな」


「ほんといいの? 成績下がったらなんか言われたりしない?」


「なんも言われないよ今更」


「そっか……もうだいぶ遅いね。あんたは私と違って早く帰んないと待ってる家族が心配するんじゃないの?」


「どうかな。少なくとも父親はなんも心配しないよ」


「そう……あんたもなんか色々あるんだ」


「かもしれないけど、お前と比べりゃ全然たいしたことないよ。普通に親どっちもいてさ、病気でもないし、食わせてもらってて。それでなんか言ってたら罰当たりだろ」


「別にそんなことないでしょ。人には人の苦労があるんだし。外から見てどうとかは関係ないし」


「そういうもんかな……」


「そういうもんじゃない?」


 水季はそう言い、一つ息をつく。


「話したかったら話したら? 私も話して少しスッキリしたし。というか私だけ自分のこと一方的に話してたらフェアじゃないじゃん」


「別にこういうのはフェアとかそういうのじゃ」


「だとしてもさ。別に話せばいいじゃん。あんたにはあんたの大変なことがあるんだろうし。それ話してさ、少し楽になるくらい別に悪いことじゃないでしょ。私だってまあ、勉強の借りじゃないけど、聞くくらいは全然するし」


 水季に促され、澳田はカリカリと頭を掻く。そうして一つ息をつき、意を決して口を開いた。


「――うちさ、うちというか俺の父親と、兄二人、三人ともみんな青海(せいかい)なんだ。青海って知ってる? 青海高校」


「セイカイって青い海の?」


「そうそこ」


「さすがにね。棋士の人でも青海出身の人とか結構いるから。日本でも一番くらいに偏差値高いとこじゃない?」


「そうなんだよ。実質日本一の高校だな。半分以上は平気で東大行くみたいなとこ。ま、そんな家だからさ、当然俺も青海に行くこと期待されてたんだよ。期待っていうかもはや既定路線だけどね。青海行くのが当たり前。青海以外はあり得ないって。自分でもその気でいたしね。


 それでまあ、あそこ中高一貫だからさ、小学生の時から受験勉強。塾通ってバリバリにね。俺も昔から勉強できたしさ、得意だったし、好きだったし。実際点数も良かったし、自分でも頭いいって思ってたんだよな。


 けどさ、6年生にもなって、受験も近づいてくると伸び悩んでくるっていうか、全然点数上がらなくて。むしろ問題難しくなると落ちてきたりしてさ。順位なんかは下がってく一方なんだよ。俺は伸びないけど周りのみんなはどんどん伸びてって。


 それでさ、父親からもたるんでる、やる気がないって。遊びは全部禁止で勉強漬け。兄貴たちからも色々言われるし、あざ笑れるしさ。もうほんと、あの頃はヤバかったな……プレッシャーっていうか、なんだろう……本当に何かに押しつぶされるんじゃないかって感覚がずっとあってさ。それに支配されてるっていうか、もう恐怖だよね。強迫観念だし。悪夢ばっか見たよほんと。受験に落ちる夢ばっか。受かる夢なんて多分一度もみなかったな。


 そんなんで勉強してたってさ、やっぱり伸びなくて。模試とかでも解いてる最中も恐怖感しかないからね。頭パニクって普通ならわかるもんだいもわからないし、解けててもこれで合ってるのかって疑心暗鬼が止まらないし。ほんとにもう、最悪だったよ。


 そんなんだったからさ、当然落ちた。うちで初めての不合格者。出来損ないだって、落込こぼれだって、ほんとにそんな言葉を言われんだよ。そんなのこっちが一番わかってんのにさ、慰めなんて一切ないし。


 けど、もう一度だけチャンスをもらえた。もらえたっていうのもあれだけどさ、次こそは落ちるのは許さないって、絶対に高校では合格しろってね。それ以外は認めないって。


 それからの三年間、中学の時はもうずっと勉強漬け。友達なんてほんといなかったな……学校でちょっと話す程度でさ、でも放課後遊べるわけでもないし。こっちも受験だけで必死だったからそんな余裕もなかったしな。俺はお前らとは違うんだって、ほんとはここにいる人間じゃないんだ、ここは俺の居場所じゃないんだって。まあ、嫌なやつだったよほんと」


「……でもそれは、一杯一杯でしょうがなかったんでしょ」


「かもしれないけど、だとしてもね。みんなは何一つ悪くないのにな。それでまあ、必死こいて勉強だけする毎日だったけどさ、三年になるとやっぱり、小学校の時の繰り返し。同じだったよ。自分はもうこれ以上伸びない、上がり目なしって感じで、でもみんなはどんどん受験勉強始めて伸びてくる。だから相対的に俺は下がっていく。プレッシャーも、恐怖も、強迫観念も、ほんとに同じことの繰り返しだった。だから自ずと全部フラッシュバックするよな。前回の失敗をさ。もう精神的に完全に参ってて……もはやあの頃の記憶が逆にないんだよな。毎日何してたのか、何考えてたのかとかうまく思い出せなくてさ。それでも受験に落ちる夢だけは、鮮明に覚えてんだよな。ほんとに毎日だよ多分。毎日毎日。だから寝たくないしさ、寝ないで勉強して。不眠になって。体調も崩して。


 多分相当ボロボロだっただろうな。まあ、当然結果は不合格。二回目の、最後のチャンスも失った。失敗した。けどさ、終わったらなんかもう、逆に安心しちゃったよね。そうだよな、やっぱりかって。わかってたことだって、なんかそんな感じで……


 それでもう、父親からは完全に切られた。諦められた。お前みたいな出来損ないはもうどうでもいい、勝手にしろって。家にいるだけで子供だとも思ってねえんじゃねえかな。穀潰しの金食い虫。命じたことも全うできずにタダ飯食らってる寄生虫って。ほんとにさ、もうそういうレベルで……


 兄貴たちに対するコンプレックスもすげえんだよ。もう顔も見れないっていうか、会いたくもないし、声だって聞きたくねえし。どっちも普通に青海入って、東大入って。なんの苦労もなくヘラヘラ笑って過ごしててさ。人生すごい充実してて。お前だけ俺らとは頭の出来が違ったなって。だからもう、連絡だってとってねえよ。まあ単に俺が必死こいて逃げてるだけだけどな。


 そんなんで今、ここにいる。あの学校に入ってさ、やっぱりここは本当は俺の居場所じゃないって、俺はお前たちとは違うって、最後の意地で一番だけは取り続けて……でも当然そんなことしてるやつに友達なんかできるわけもなくてさ……


 家じゃ毎日ゲームだよ。ゲームやって現実逃避。必死こいて逃げてんだ。もうどれだけ遊んでても父親もなんも言ってこないしな。ゲームはいいよ。楽だし、クリアできるし。成功があって、勝利できるし。


 将棋だってさ、確かに小さい頃やってたのは事実だけど、再開したのはそうやって誰かに勝って見下して気持ちよくなりたかっただけなんだよな、多分。頭使ってさ、俺はほんとは頭いいんだって、できるんだって、そう自分に言い聞かせるために……


 ほんとさ、そんなのに付き合わせて悪かったよ。話してて改めてわかったけど、俺の動機なんか全然不純で、お前みたいに真面目にちゃんと将棋やってるやつとは全然違ってさ……それで強くなりたいとか、無理だし何言ってんだって笑っちまうよなほんと……」


 澳田は話し終え、自嘲するように乾いた笑みを浮かべるのであった。しばしの間、室内に沈黙が広がる。


「――わかった」


 と水季が口を開いた。


「ちゃんと全部聞いたけど、あんたの父親最低だね」


「……そう?」


「そうでしょ。最低のくそオヤジじゃん。やってること普通に虐待だし。ほんと、話聞いてるだけでムカついてくる」


 と水季は心から怒っている様子で眉間にシワを寄せて言う。


「まあうちの父親もクソだけど? 妻子捨てて他の女のとこ行って、しかも養育費とか慰謝料一切払ってないクソ野郎だし。でもいないだけ私に害与えることはほとんどなかったって点ではあんたの親よりはマシかもね。ほんと、どういう育ち方したらそんな自分の子供のすべてを傷つけるようなことできんだか。ぜんっぜん理解できない」


「ははは……まあ多分本人には傷つけてる自覚なんか少しもないんだろうけどね」


「だからこそクソなんじゃん。あんただってさ、落込こぼれなんかなわけないじゃん。出来損ないとかそんなのありえないでしょ。普通にやってれば、楽しんでのびのびやってればさ、絶対普通に受かってたじゃん」


「はは、どうだろうな」


「そうでしょ。決まってんじゃん。あのね、普通の人間はあんなすぐに棋譜暗記したり詰将棋解いたりなんてできないの。言っとくけどあの最後の一問なんてプロにだって褒められた問題なんだからね? それ解いたんだから自信持ちなよ。というか持て。この私が保証するんだから」


「それは……お前からそんなこと言ってもらえるなんてすげえ嬉しいわ」


「そうでしょ? それにね、棋譜の暗記だって、はっきり言うけど私より断然あんたのほうがすごいからね? 私だってあんな早くあんな量覚えられないし、それだけだったら普通にプロにだって肩並べられるくらいだって。絶対。だからあんたはすごい。どれだけ青海落ちようと、クソな父親なんかに何言われようと、あんたは絶対間違いなくすごい」


「はは……あんがとな、慰めてくれて」


「慰めだけでこんな事言わないし」


 水季はそう言ってまっすぐに澳田を見る。


「将棋の理由だってさ、別にそういう理由で始める人、やってる人だっていくらでもいるじゃん。もちろんそれだけで強くなるとか、続けるとかプロになるとかはかなり厳しいだろうけど、でも将棋やってる人なんてみんなどこかしら傲慢で勝つことが目的で人見下してて、そういう人だっていくらでもいるでしょ。でもあんただってそれだけじゃないんじゃないの? それだけでそんな続けられないでしょ。私とやってる時だってそんなことばっかり考えてたの?」


「……いや、そんなことないよ。一人でやってる時も負ければ悔しいし、負けた理由ちゃんと知りたいし、それで次は勝ちたいって、純粋に思うし……お前とやってる時なんかはさ、それがもっと強まるっていうか、人とやってるからなおさらそうだってのもあるんだろうけど、純粋になんでこんな強いんだろうって不思議に思うしさ、どうしたらこんなうまくなれるんだって知りたいし、何よりも、少しでもそこに近づきたいって、そう思って打ってたよ」


「ならそれが答えじゃん」


 水季はそう言って立ち上がった。


「決めた。私はちゃんと師匠として、弟子のあんたを強くする。ちゃんとあんたが自信持てるくらいに、落ちこぼれでも出来損ないでもないって証明してあげる」


「――それは俺をプロにするってこと?」


「まさか。それはあんたが決めることでしょ。でも、選べるところまでは引き上げてあげる。そうじゃなくてもさ、人生はまだまだ続くじゃん。受験失敗したとか言ってるけど、別にまだ終わりじゃないでしょ。だいたい中学高校くらいが何? そんなのどこだってそんなに変わりないじゃん。最終学歴の方がよっぽど重要でしょ。東大だろうとハーバードだろうとイェールだろうとさ、親なんか手も届かないようなとこ行って見返してやればいいだけじゃん。あんたの人生まだ全然終わってないでしょ」


 室内が、再びしんと静まり返る。


「――はは、水季お前さ、ほんとはそんな熱いやつだったんだな」


「悪い? プロ棋士やってるような人なんてみんな内にはマグマ抱えてるに決まってるでしょ。闘争心秘めてるに決まってんじゃん。それ燃やしまくって毎回毎回戦ってんだから」


「そうだよな……そりゃそっか。そうに決まってるよな!」


 澳田はそう言い、久しぶりに――本当に久しぶりに、心から笑った。


「いやさ、めっちゃそっけないし、クールだし、口悪いし何考えてんのかとか全然わかんなかったけどさ、そうだよな。お前もバチバチの棋士の一人ってだけか」


「そんなのこっちのセリフでしょ。そっちの方こそ何考えてんだかわかんないし、ろくに話したこともないのにいきなり将棋教えろとか言ってきて、やたら強情だし追っ払うために出した課題は一瞬で解いてきちゃうし……そのくせ将棋は全然下手で、けど勉強はすごくできて。ほんと意味わかんない」


「はは、かもなーそりゃそうだよな、お前から見りゃそういう不審者だったよな俺。いやー、ははは……水季、ほんとありがとうな」


「……別に何もしてないけど」


「いや、してくれたよほんと。将棋のことだけでもありがたいのにさ、こんな……そうだよなほんと。別にまだ人生終わったわけでもないのにさ。ただ受験二回落ちただけで、クソな親父にクソなこと言われただけで。でも俺の人生は別に全然始まってもいねえのにな。まだ高校一年で16歳で、そりゃこっから勉強すりゃ東大だろうとハーバードだろうとプロ棋士だろうとなんだって可能性あるもんな! 努力して挑戦し続ける限りさ!」


「そうよ。プロ棋士だって半分は負けんだから。たった二回負けたくらいで何言ってんの。何回負けたって勝つまで何度でも戦うだけじゃん」


「ほんとな――なあ水季、絶対勝とうぜ」


 澳田はそう言ってニットと笑う。


「次の対局、絶対勝とうぜ。そんで絶対プロになろうぜ。俺もさ、絶対お前のこと勝たせてやるから。お前が絶対勝てるよう、マジでがんばっからよ」


「当然でしょ。だから少しでも棋譜自分のものにして打てるようになってよね。期末試験なんか放っといてさ」


「おう、任せとけって。お前も留年退学なんてなんないよう試験勉強もがんばれよ」


「それはあんたのヤマ次第」


「そっちは完璧だからやっぱお前の頑張り次第だな」


 澳田はそう言い、立ち上がった。


「よし、そうと決まりゃまた明日だ。試験前最後の一日、やりきるぞ」


「当然」


「はは、んじゃ明日な」


「うん。また明日」


「はは。なんかやっとほんとに弟子になった気分だわ」


「こっちもようやく師匠になった気分。手が掛かる弟子持ってさ」


 水季はそう言ってふっと笑った。


「はは。じゃ、お邪魔しました」


 澳田はそれだけ言い外に出た。十二月の夜の冷たい空気が全身を包む。


 しかし澳田の胸は暖かかった。その胸のうちは、熱く熱く燃えていた。



 澳田は夜空を見上げながら帰路に着く。こんな気持で歩いたのは、本当に久しぶりだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] めっちゃ熱いですね! 2人の会話が好き! この先の展開も楽しみにしています。
2024/01/27 21:55 退会済み
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