表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/15

7

 


 翌日。休日であったが澳田は朝から電車に乗り水季の家へと向かった。休みの日の朝から慣れない街を歩いていると、どこか新鮮な気持ちになってくる。


(俺も学校以外じゃほとんど引きこもりに近いからなあ……)


 こうやって一人で遠くへ出かけるなんていつ以来だろう、などと思う。普段は家で勉強とゲームしかしていない。学校でも友達と呼べるような存在は一人もいなかった。


 志望校に落ちた。滑り止め。ここは本来自分がいるべき場所じゃない。そういう思いが、入学当初は強くあった。そんな学校に通う意味もわからず、そこで「格下」の同級生らと仲良くしようなどとも到底思えなかった。そうして一ヶ月が過ぎた頃には周りはすでに他者と交友関係を築いており、自分は一人だった。一人だから家に帰ってすぐにゲーム漬けだったし、家に帰ってゲームをしているだけだったから友達もできなかった。時間が経つにつれ慣れや諦めも生じてきて自分の現状や今いる場所への半ば憎しみに似た感情も薄れていったが、スタートに失敗した以上今更ここから新しく友達を作るなどということも出来ず、そういう考えもまた生まれてこなかった。


 別に一人でいい。一人でゲームをやっていればいい。ゲームさえできればいい。ゲームであれば、一人でもできる。


 そもそも自分には今まで友達と呼べる存在などいただろうか、と澳田は思う。昔はいた。いたはずだ。小さい頃、小学生の頃はまだ、何も考えず普通にみんなと遊んでいた。それが崩れ始めたのは受験勉強が始まってからだった。


 塾に通う。勉強を強要される。ゲームも遊びも外出も制限される。友達と遊ぶことだって限られた。学校では遊べたし話もできたが、放課後はまっすぐ家や塾。友達とも徐々に疎遠になっていく。


 それと何より、プレッシャー。中学受験、合格することが当たり前という強烈なプレッシャーに徐々に追い詰められていき、勉強のことしか考えられなくなっていった。こんなことをしていては合格できない。遊んでいては合格できない。友達なんかといては、合格できない。学校でも、どこでも、いついかなる時も、勉強、勉強……


 結果、受験には失敗した。プレッシャーで試験当日は家でも会場でも吐いた。体調は最悪だった。パニックで頭がいっぱいだった。


 それが一度目だ。「落ちこぼれ」「出来損ない」のレッテルを貼られた、自分自身でも貼った、一回目。


 それでも次が許された。というより、最後のチャンスを与えられた。同じ一貫校の高校。中学で入れなかったのだから、せめて高校では絶対に入れ。


 それがラストチャンスだ。絶対に合格しろ。


 それは父親から、兄たちから、そしてなにより自分自身で自分に与えた、強烈なプレッシャーだった。


 次はない。次こそは失敗できない。絶対に、絶対、合格して……


 だから中学でも友達らしい友達はできなかった。クラスで多少話す程度。けれども放課後や休日遊ぶようなことはない。自分自身にもそんな時間は、余裕はどこにもない。否、与えてられない。


 勉強だ、勉強。自分のすべてを、すべての時間を、勉強だけに注ぎ込んで。


 おちこぼれの、出来損ないの自分がそこに受かるには、他のすべてを犠牲にしなくちゃいけないから。


 そうして澳田の中学三年間は勉強だけに終わった。


 けれども結果は、不合格だった。試験当日の記憶は、襲いかかるプレッシャーでほとんどない。心はただ、強迫観念だけに支配されていた。そしてそれをずっと引きずったまま、高校生活を送ってきた。


 高校に入ってからはずっとゲームに逃げてきた。もうプレッシャーもない。強迫観念もない。父からは完全に諦められた。そして自分自身も、諦めていた。


 日々ゲームだけしていれば徐々に忘れていく。今の環境に、ダメな自分にも慣れていく。自分自身を諦められる。諦めが、支配していく。


 そんな中でも学年一位を取り続けたのはただの意地だった。もちろん地頭の良さと散々積み重ねてきた勉強によって他と比べれば優れているのは事実だったが、せめてそれくらいはして「ほら、別に自分はバカではないんだ。出来損ないではないんだ。あの日たまたまダメだっただけで、みんながプレッシャーかけてくるせいで」と自分自身を安心させなければ自分を保てなかった。俺はできると、ほんとはできると。本当ならここにいる人間じゃないと、せめて自分一人に対しては証明し続けないと、何かが崩れてしまう気がしていた。


 だから学年一位について父から何も言われなくても関係ない。どうでもいいことだった。すべては自分のため、意地のため。


 それが澳田のこれまでの一人の世界だった。


(それを考えると、水季はやっぱすげえよなあ……)


 と澳田は慣れない街を見回しながら思う。


 棋士というのは、何百何千何万回と戦う。対局、試合をする。そしてその半分は、負けである。超トップの棋士でも勝率七割がやっとというような世界だ。そういう化け物たち同士でやっているのだから、プロと言えども勝率五割、半分勝てば十分。つまり半分は負けている。


 半分が負け。負けても負けても、また戦う。何度負けても、また戦う。それを考えると、とてつもない勝負根性、負けず嫌いだと思う。自分なんかたった二回、三年に一度、人生に一度とはいえたった二回の受験に負けただけで全部諦め不貞腐れている。それを考えるとどうしようもなく幼稚で情けなくなってくる。


(そりゃ自分にとっちゃ人生を左右するような大事だったけどさ、でもそういう大一番の大勝負を、水季たちは毎回毎回やってんだもんな。負けていいなんて当然思わず、勝つことだけ考えて、これが人生最後の一番だって、そういう意気で、心持ちで)


 その事実を考えると、本当に頭が下がる思いしかなかった。純粋に尊敬する。しかもそれが、毎日のたゆまぬ努力の上で成り立っていることも目にした。本当に毎日それだけのために生きている。ひたすら練習して、勉強して、自分を磨いて。勝つために。なにより自分がそうしたいから。自分自身のため。


(結局俺は人に言われて勉強してただけだったんだよな……勉強も受験も全部。本当に勝ちたいとか、自分の意志でそういうものは、一つもなかった気がするわ……)


 今更になってその事実に気づく。自分には水季のような強い意志はなかった。戦い続ける根性もなかった。


(だからあいつには勝ってほしいのかもな……そりゃ最初はループがどうこうとかだったけど、一ヶ月以上あんだけ頑張ってるとこ見りゃさ、そりゃ普通に応援したくなるよ。ループとか関係なく、こんだけ頑張ってるやつが勝たなきゃ嘘だろって、そう思ってくるよな)


 澳田は空を見上げる。もしそのために、何もない自分なんかが少しでも手助けできるなら。


 いや、少しでもいいから、力になりたい。


(ま、今のところどう考えたって将棋に関しちゃただの足手まといだけどさ。勉強っつう自分ができるとこだけで力になるしかねえか)


 澳田はそんなことを考えながら街を歩いた。そうして「たまには散歩もいいかもな。ゲームばっかじゃなくて。知らない街を見るのはゲームで新しい街に行くのと同じだ。新鮮な気分で、しかもこっちのほうが健康にいいし」などと考えるのであった。



     *



 水季の家にやってきた澳田は、今日も今日とてと対戦相手の棋譜のコピーと対策、その実践に時間を使っていた。試験勉強らしい勉強はしていなかったが、完全に同じではないという可能性はあるとはいえ一度受けている試験なのでさほど不安は感じていなかった。前の一ヶ月でも、さらにその前の一ヶ月でも十分勉強はしている。授業中にもしている。量は十分やっていいるし、何より今回は「別に一位じゃなくてもいい」という思いがあった。それは当然ループを脱却しなければ試験の結果など意味がないということでもあったが、それ以上に「水季に勝ってもらいたい」という思いのほうが強かったからだ。


 澳田はふと時計を見、そろそろ昼食をとる頃合いであることに気づく。


「水季、そろそろ昼飯にする?」


 と声をかけるが返事はなく、ペンを走らせる手も止まらない。


「おーい……」


 音楽でも聴いてるのか? と思って立ち上がって見るが、耳には何もはめられていない。


(すごい集中力だな……全然聞こえてねえじゃん。やっぱプロ棋士目指すやつなんてのはこういう次元なのか……)


 と思いつつ、大人しく座り直しまた対戦相手の棋譜とのにらめっこに戻るのであった。



 それからしばらく経ち。


「お腹すいた。ごはんにしよっか」


 と突然水季部屋から出てきた。


「そうする? さすがに俺も腹減りだしてたわ」


「そうだった? じゃあ悪いけど弁当買ってきて」


「弁当って昨日のとこ?」


「うん。あそこ安いしご飯盛り無料だしポイントもあるから」


「いいけど毎日それ食ってんの?」


「そうだけど」


「さすがに種類は別々だよな」


「まあね。ローテーション。あればだけど」


「へえ。自炊とかは全然?」


「時間無駄だし。あんた自分で作って食べて片付けてとかやったことある?」


「残念ながら」


「一回でもやればわかるよ。バカみたいに時間かかるから。さすがにあんなので時間無駄にしてられないし」


「それは確かにな。けど買ってきてってお前は行かないの?」


「時間もったいないし。なんでも雑用するんでしょ?」


「するけどさ、お前も少しは外出たほうがいいんじゃないの? 数分もかからないでしょあそこまでなら。ちょっとは外の空気吸って動いてさ。その方が休まらない?」


「……そうだね、確かにずっと机座ってたし、今日は長丁場だから少し歩くか」


 水季はそう言ってコートをとって羽織る。


「え、そのまま? ジャージのままで行くの?」


「そうだけど」


「え、いいの?」


「いいでしょ別に。ほんとそこまでなんだし。コート羽織ってるしジャージなんて外着みたいなもんじゃん」


「そりゃそうだけどさ……いや、少なくとも『美人すぎる女流棋士』とか言われてんのにそれでいいのかなあって」


「なにが? 関係なくない?」


「まあ確かに関係はないですけどね」


 本人がそれでいいんだからそれでいいか、と澳田は水季と共に外に出た。


「はーっ、いい空気だなー。冬は空気が冷たくて頭が冴えるわ」


「確かに。暖房つけっぱの室内にこもってると少しボケてくるしね」


「だよな。寒いほうがシャキッとするし、冷たい空気吸うと頭がキーンってきていいよな、勉強後だと」


 と話しながら昨日の弁当屋へと向かう。


「せっかくだから外食とかは?」


「待つ時間が無駄だからいい」


「ほんと徹底してるなあ」


 それにジャージじゃさすがに外食はきついしな、と澳田は苦笑する。


「午前中勉強はどうだった?」


「あんたに言われたとこ徹底してる。まあおかげでそこはマスターしたかな。量少なかったし。ただ楽な暗記から始めたから英語数学あたりがちょっと手こずるかも」


「そこも俺の得意分野だから任せてくれよ」


「そっちはどうだったの? 午前中ずっと棋譜だけやってたわけ?」


「まあね。それで一応ずっと比べててクセっていうか特徴みたいなのもいくつか見つかった気がしてさ。すでにお前も気づいてるとこかもしれないけど後で一応確認してよ」


「へえ……なんかほんとに使えそうな弟子になってきてんじゃん」


「だから最初から言ってんだろ! 足りない部分の方が多いけどそれでもできる部分はしっかりやってるよ。毎日特訓してるしお前ともやってんだから少しは将棋も上手くなってきただろ?」


「どうだかね」


 と答えて水季はふっと笑う。


「仕方ないだろただでさえ下手なのに1分早指しでやってんだからさ! 普通にやってもらえりゃもう少しは俺の実力見せられるっつうのに」


「それはないかな。1分で無理なら10分考えても無理。そもそも考え方から間違ってるわけだし、元々自分の中に解答がないわけだから。第一時間ないからね。それするなら普通にAIと打ったほうが断然いいって」


「その通り過ぎて何も言えんなあ」


 澳田はそう答えつつ、辿り着いた弁当屋の店内に入るのであった。



 その帰路。


「そういやさ、正直に聞くけど、俺って邪魔になってたりはする?」


「は? 何いきなり」


「いや、将棋の練習のさ。普通に考えりゃ相当役立たずだろうし」


「自覚あったのにやってたの?」


「いや、そこはまあほんと、申し訳ないっす」


「ふーん……別にそんな気にしなくていいよ。こっちだってこっちの判断で今こうやってるわけだし」


「え、じゃあ俺なんかでも役立ってんの?」


「それは別。少なくとも対局じゃ全然」


「ですよねー」


 と澳田はため息をつき肩を落とす。


「でも少なくとも学校の方の勉強じゃ助かってるし、あとはまあ、こっから証明していくしかないんじゃない? とりあえずは帰ってあんたが見つけたっていう相手の傾向とか見てさ」


「そういうのは将棋の腕そのものよりは自信があるからな」


 澳田はそう言ってぐっと親指を立ててみせるのであった。



     *



 帰宅後、二人でちゃぶ台で買ってきた弁当を食べ始めたが、水季の方はほとんど箸が止まっており、澳田が渡した紙をじっと睨みつけるように眺めていた。


「えっと、どうですかね水季さん……」


「――うん、使える」


 水季はそう言って澳田の方を向き、ニッと笑った。


「やっぱり他の人の視点が入るってのもいいのかもね。私が気づいてなかった部分とかあるし。でもこれでまだ棋譜全部じゃないんでしょ?」


「ああ。まだ全部はさすがに目通せてないよ。でもそうやって同じ人の棋譜ばっか見てるだけでもなんとなくだけど特徴みたいなのは見えてくる気がするな」


「そう? それはそうだけど、それができるってことはあんたも結構棋士向いてるのかもね」


 水季はそう言って再び箸を動かし始める。


「とりあえずこれ食べたら対局ね。一応でもいいけどあんたが棋譜読み込んでどんなもんになったか一回確認しときたいから」


「それ極力相手の真似して指せってことだよな」


「そういうこと。じゃあさっさと食べちゃってやるよ」


 水季はそう言い、いくらか活気づいた様子で素早く弁当を口に運んでいくのであった。



     *



 昼食後。ブドウ糖のどっさり入ったコーヒー片手の二人の対局が進んでいく。それはお決まりの一分将棋とはいえ、最初のような瞬間決着というものからはさすがに遠くはなれていた。とはいえ結果は同じで、


「――負けました」


 澳田の投了で終わる。


「で、どうだったよ。対戦相手のコピーは」


「うん、まあ多少は出来てたけど、ほんと序盤だけだったね」


「そりゃそうだよ。やっぱ相手がいて違う手打ってきたらさ、そっから先はもう俺がオリジナルでやってくしかなくなるからな。中盤以降の癖とか本人の読み方とかそんなとこまではわかんねえしよ」

「今のあんたにはまだちょっと荷が重いかもね。でも中盤にせよ終盤にせよ、それでもその人の傾向ってのは現れるものだから。これからは取った手ばかりじゃなくて取らなかった手についてももっと考えて読んでみなよ」


「取らなかった手?」


「そ。要するにさ、一手ごとに選択肢ってのは複数あるわけじゃん。その中でなんでその手を打ったのか。それ以上になんで別の手は打たなかったのか。そこの取捨選択の思考に人のパターンは現れるから。大雑把に言えば攻めと守り。駒の選択。何を守り何を嫌い、どこをせめ何で攻めどう攻めたのか」


「なるほど……確かに聞いてみりゃそれこそ棋士が対局でやってることだけどよ、やっぱ将棋ってめちゃくちゃ奥深いよな……じゃあ棋譜のトレースっていうよりそこからわかる思考のトレースか」


「それができればかなり楽にはなるんだけどね。読みがさ」


「おし、任せろって。やることわかればなんとかなりそうだぜ」


「ほんと無駄に自信がすごいというか、まあ頼りにはなるけどね」


 水季はそう言ってふっと笑う。


「じゃあ午後はとりあえず将棋から。気が向いたら休憩で試験勉強。ていってもあんたの方はやらないんだろうけど」


「まあな。この週末も徹底的に棋譜読み込んでやるぜ」


「私もあんたにばっかやらせてないで自分でもやんないとね。とにかくあの人に勝たない以上始まらないんだから。傾向と対策」


「おう。三人寄れば文殊の知恵だしな。二人でやれば色々見つかるって」


「はは、三人って二人しかいないんだけど」


「そこは俺が二人分の働きするからな」


「ほんと、対局以外じゃすごい自信だよね」


 水季はそう言って笑い、二人で徹底して棋譜に目を通していくのであった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ