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澳田は、アラームの音で目を覚ました。
(あれ、俺、いつの間に寝てたんだ……?)
スマートフォンのアラームを止め、むくりと上体を起こす。その体はしっかりとベッドの布団に収まっていたが、布団に入った記憶はない。
(俺、何してたんだっけ……)
そうして少し考え――すぐに思い出す。
(そうだ! 十二月二五日! 今日は何日だ!?)
慌てて再びスマートフォンを手に取り画面を見ると――そこに表示されていた日付は「十一月二四日」であった。
――マジだ。マジでまたループしやがった……いや、まだ確証はないけど……
などと思考を巡らせていると、
「起きたか」
という声がかかる。そこにいたのは、あの「死神」ガミだった。
「――マジでループしたんだな」
「そうだ。悪いが、また十一月二四日だ」
「マジか……一応覚悟はしてたけど、マジかあ……」
澳田は大きなため息をつき、頭を抱える。が、すぐに思い出し、慌ててベッドを飛び出し机に向かった。
「どうした?」
「棋譜だよ! 対局、昨日の! それ必死こいて覚えようとしてたら寝落ちしてたんだ!」
澳田はすぐさま筆記用具を取り出しノートに向かう。
(大丈夫だ、思い出せ、思い出せるはずだ、記憶はちゃんとある……)
澳田は集中し、必死にループ以前最後の記憶を手繰り寄せようとする。
(そう、最初はこうで……よし、よし! そっからはもう流れでだいぶ覚えてるぞ!)
澳田はひたすらにペンを走らせる。ところどころ不安な部分はあったが、なんとか最後まで書き留めた。
「よっしゃ、できた……ちゃんと覚えてたぞおい!」
と思わず声を上げる。
「それは何か重要なものなのか?」
「ああ。クリスマスの日の水季の対局の棋譜だよ。将棋の試合の全記録っつうのかな。あいつは負けちまったけど、これがあれば少なくとも少しは相手の作戦もわかるし対策のしようもあるだろ」
「ふむ、よくわからんが前回の重要な記録ということか」
「そういうこと。はー、とにかくスタートはうまくいったぜ……あのさ、確認だけど俺以外はみんな前回の記憶はないんだよな?」
「ああ」
「当然水季もだよな?」
「そうだな」
「だとやっぱまた初めからか……」
しゃあねえ、やるしかねえんだ。ほんとにループしちまった以上、やるしかねえ! こんな一ヶ月を何回も何回も繰り返してられるか! 絶対今回で終わらせてやる……絶対十二月二五日にたどり着いて『シェル伝』をやるぞこんちくしょう!
澳田は一人拳を握り、腹が減っては戦はできぬと部屋を出るのであった。
*
学校。前回とは違い遅刻することなく到着する。自席の後ろにはまだ水季の姿はなく、澳田は仕方なしに、そしてさり気なく水季が登校した時のアピールにとスマートフォンのアプリで将棋を始めた。
そして始業直前、ようやく水季が姿を表した。
(よし、来たか。ここからは時間短縮、最短距離で行ってやる!)
澳田は一人、ギュッと拳を握るのであった。
*
チャイムが鳴り、授業が終わる。休み時間、待ってましたとばかりに澳田は水季の方に振り返った。
「なあ水季」
「は?」
と水季は睨みつけるように顔を上げる。
(しまった、慣れでつい呼び捨てにしちまったけど、今はほとんど初めての会話だった!)
澳田は慌てて頭を下げる。
「ごめん、間違えた。間違えたっていうのもあれだけど、水季さん、俺に将棋教えてくれない?」
「……何いきなり」
「今すげえ将棋ハマっててさ。ネット対局とかやってるけどもっと強くなりたいんだよ。それにやっぱ一度くらいは水季さんと将棋指したいしさ。それなりに自信あるから練習相手くらいにはなれると思うけど」
「いや、時間ないから」
「だよな。将棋の練習と学校の勉強で忙しいのに実力もわからないやつと将棋指してる時間なんかないもんな。なんかテスト出してくれよ。そうすりゃ俺も素人じゃないって証明できるから」
「いや、というかそもそも私にメリットが何もないし」
「そこは何でもお礼するよ。練習相手になればそれでもいいし、それ以外でもなんでもいいし。例えば勉強教えるとかさ。試験も近いじゃん。俺ヤマ貼るの得意だからさ」
「……別に必要ないけど」
「そう言わずに! 頼む、この通り!」
澳田はそう言い、手を合わせ頭を下げる。
「――だったら言った通り素人じゃないの証明してよ」
水季はそう言い、紙の束を取り出した。
「棋譜。これ全部暗記して」
「よしきた! 棋譜の暗記は得意だから任せとけよ!」
「は? 得意って」
「前に何回かやってるからな」
「そう……趣味?」
「でもあるし、将棋の勉強にもなるしな。面白いし」
「へえ……」
「あーでもさ、ただ暗記するだけじゃ将棋の実力証明することにはならないよな。他にも、例えば詰将棋とかそういうテスト出してもらってもいいんだけど。水季さんなら自作の詰将棋の問題とかあったりするんじゃない?」
「まああるけど……確かにそっちのほうが力はわかるかな」
「だろ? 俺も詰将棋やって力つけたいしさ」
「……明日覚えてたら持ってくる。棋譜も覚えられないんじゃ話にならないけどね」
「大丈夫だって。ほんとこれ得意だから」
澳田はそう言って棋譜に目を通す。そこにあったのは、やはり見覚えがあるもの。よし、やっぱり前回と同じだ、一ヶ月あいてるけどある程度覚えてるしこれなら今日中に暗記できるぞ! と心のなかで拳を握った。
「じゃあ早速これ覚えるわ」
「そう。ちゃんと盤面に駒並べられるように覚えないと意味ないからね」
「わかってるって。いつもそうやってっから」
「へえ……ねえ」
「ん?」
「……あんたがこういうこと言ってきたのって初めてだよね」
「どういうこと?」
「……将棋教えて欲しいとか、そういうの」
「……初めてだけど」
「だよね……なんでもない」
水季はそれだけ言うと顔を下げ、また机上の書類に視線を戻すのであった。
(これが初めてって、まさかこいつ、記憶が残ってんのか……?)
澳田は疑念を抱きつつも、すぐに棋譜の暗記へと取り掛かるのであった。
*
その昼休み。
「水季さん今時間大丈夫?」
「なに?」
「棋譜覚えたから確認してもらえるかな」
「は? いや、もう覚えたの?」
「ああ。授業中に暗記した」
澳田はそう言い携帯将棋盤を取り出す。
「あんたそんなの持ち歩いてんの?」
「そりゃね。水季さんも持ってんじゃないの?」
「まああるけど……」
「よし、んじゃ時間取らせて悪いけど今から棋譜通り駒動かすから確認してよ」
澳田はそう言って棋譜を渡し、暗記したとおりに駒を動かしていくのであった。
そして数分後。
「――で投了と。どう? 合ってた?」
その問いに、水季は黙ってこくんと頷く。
「よし、ならよかったわ。この調子で詰将棋もクリアしてちゃんと水季さんに認めてもらうからさ」
「そう……あんたのこの棋譜は初めて見たの?」
「え? 多分だけど。そんな何枚も見たことあるわけじゃないし、全部覚えてるわけじゃないからね」
「そっか。暗記得意ってのはほんとだったんだ……勉強も、やっぱできるの?」
「得意ではあるかな。好きだし。まあ自慢になるけど一応学年一位だから」
「は? 一位って、試験で?」
「そう」
「すごっ……でも頭良くて勉強できれば将棋ができるわけでもないしね」
「それはわかってるよ。そりゃ記憶力とか頭の良さも重要だけど、やっぱ一番は経験だもんな。そこは俺も欠けてるからさ、これから少しでもその差を埋めたいし、水季さんに弟子入りして少しでも強くなりたいんだよ」
「そう……なんか、強くなりたい理由でもあんの?」
「理由……まあ、一番は単純に負けるのが悔しいからじゃない?」
「え? それだけ?」
「それだけではないけど、やっぱ一番は負けるのが悔しいからもっと強くなりたいし、強くなればもっと面白くなるし、もっと強い人とできるようにもなるし……だから強い水季さんとも対局して自分がどれだけできるのかも試してみたいからさ」
「そう……なんかあまりにも単純すぎて逆に驚いた」
「そんな?」
「そりゃね。急にこれだけ言ってくるし、なんか大会でもあってそこで勝ちたいとかそういう具体的な目標でもあるのかと思って」
「あーそういうのか。大会なー。やっぱプロとしてはそういう大会みたいな具体的目標あったほうが上手くなると思う?」
「一般論で考えればね。あと私別にプロじゃないから」
「ああそっか。三級だっけ。確かプロって呼ばれるのは二級からなんだっけ?」
「そう。それくらいは知ってるんだ」
「最近将棋熱すごいって言ったじゃん。それでそういうのもいろいろ調べててさ」
「なるほどね……まあでも実際あんたの棋譜暗記はすごいってのはわかったから、明日詰将棋の問題持ってくるよ。そっちはそんな、こんな一日でクリアできるようなもんじゃないけど」
「それも任せとけって。詰将棋の特訓も散々やったからな」
「じゃあその言葉がほんとなのか明日確認してあげる」
水季はそう言い、本当に少しだけ、ふっと微笑んだ。
*
放課後。家に帰り着いた澳田は早速机に向かい将棋の特訓を再開させようとする。が、その前に、
「ガミ、いるよな」
「いるぞ」
とガミが幽体の姿を見せる。
「実はさ、今日水季と前回とまったく同じような会話したあとにあいつが『あんたとこういうこと話すのって初めてだっけ』って聞いてきたんだよ」
「ふむ……それは前回とは別か?」
「別。前回はそんなこと言ってなかったよ。これははっきり覚えてる。でさ、もしかしてあいつ少しは記憶あったりする可能性ある?」
「可能性はあるな。その点はこちらも考えてはいたが、やはりそうなったか」
「どういうことだよ」
「水季にわずかに記憶が残っているとしたらそれはおそらく取り憑いている霊の影響によるものだろう。そもそもだが、このループというのは単にお前の記憶、精神を過去のお前に同期させているだけに過ぎず、厳密には時間を戻しているわけではないということは説明したな?」
「まあ軽くは。一応納得はしてる」
「そうだな。では何故私、我々にも記憶がある?」
「え……そりゃお前も自分の記憶戻してるからじゃないの?」
「それは違うな。厳密には我々のような存在、精神体だが、そうしたものはそもそも時間の影響というものは受けていないのだ。よりわかりやすく言えば時間というものの外側にいるということだな」
「マジで? そういうもんなの?」
「そういうものだ。霊や、いわゆるあの世というものはそういう存在だ。これは水季に取り憑いている霊も例外ではない。つまりそいつもまた記憶は保持したままだということだ。おそらくそのやつが持っている記憶が何らかの結びつきにより水季と共有されているのだろう」
「なるほど……でもお前最初にそういうのって一方通行とか言ってなかった?」
「記憶力がいいな。基本はその通りだ。しかしその記憶もそもそもは水季自身が実際に体験したものだからな。最初から取り憑いている霊の記憶というわけではない。別に霊のほうが水季に干渉して生じた記憶ではないわけだ。結び付きが強い以上、霊の側が持っていた記憶のごく一部を水季が自分の記憶として思い出すこともあるにはあるだろう」
「なるほどねえ……いやでも、そうだったらまた光明が見えてきたぞ。あっちにも一ヶ月間の記憶が多少なりともあるなら仲良くなんのも前回よりはよっぽど簡単だろ!」
澳田はそう言い、再び見えてきた成功への鍵に心を躍らせるのであった。