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週が明けた月曜の学校。目の下に隈ができた澳田はヘロヘロと席に着くと、後ろの水季の方へ振り返る。
「これ、解いた分。合ってるはずだけど一応確認しといて」
「そう。後で確認しとく」
「よろしくお願いします……」
「2日で結構解いたんだ。どれくらい?」
「七割くらいはいけたかな。残りのやつはどれも難すぎて全然できん」
「そう。まあ作った私でも自信あるようなやつばっかだし。けどほんとに将棋それなりにできたんだ」
「それなりにはね。でも全部解けないとお前の練習相手にすらならないわけでしょ?」
「そりゃね。最低限スタートラインだから。じゃないと時間の無駄。AI相手にやってる方がはるかに練習になるし」
「そりゃそうだよな。こっちなんか普通にネットのCPUにも負けるし……まあ待ってろよ。がんばって今週中にはなんとか全問解いてみせっから」
「そう……私が言うのもなんだけど、試験近いけどいいの?」
「そういやそっか。確かにな。でも普段からやってっから一応なんとかなるでしょ」
というかそれ以前にループをなんとかしない限り試験勉強なんかどれだけやったって意味ないからな、と澳田は頭の中で毒づく。
「それ言ったらそっちこそ試験勉強大変だろ? 毎日将棋の勉強だってあんだし。対局とかしょっちゅうあるよな、プロだし」
「……まああるけど、厳密にはプロじゃないから」
「あれ、そうなの?」
「まだね」
「そうだったんだ。にしたってプロ目指してんなら必死だしなあ……よかったら俺勉強教える?」
「え?」
「試験勉強。将棋の方でそっちまでやる時間ないんだろ?」
「……どうして?」
「どうしてって、そう思ったからってだけだけど。一応代わりに将棋教えてくれっていう下心もあるにはあるけどさ」
「勉強教える代わりに将棋教えろってこと?」
「一応。別に教えてもらえなくても対戦してもらうだけでもいいんだけどさ。でもそれはそっちのメリットにならないからなあ」
「……じゃあ一局だけ」
「え? いいの?」
「一局だけね。とりあえずどれだけ打てるか見るだけ。だから代わりに私が聞いたら勉強教えて」
「そりゃいいけど、まだ詰将棋終わってないけどいいの?」
「だから一局だけ。あと当然時間ないから十秒将棋」
「十秒将棋ってあれだよな。持ち時間十秒で指すやつ」
「そうだけど」
「……さすがにそれは無理すぎるんでせめて一分にならない?」
「……三十秒」
「了解です……」
三十秒って、普段自分ってどれくらい考えて打ってんだろうと思いつつ、当然要望に逆らえあるわけもなく澳田は了承するのであった。
*
その放課後。早速三十秒将棋を指すことになったわけであったが、
「――投了です……」
「弱っ……」
当然の結果としてまったく勝負にならなかった。
「くそっ……ていうかお前なんでそんな早く指せんの?」
「そりゃ経験があるからね。経験があれば直感で指せる。三十秒で指せないってことはあんたが圧倒的に経験がないって証拠」
「だよなあやっぱ……でもここまでコテンパだとさすがに悔しいな。もっと練習しねえと。あとさすがに一分はちょうだい!」
「次があったらね」
「そうだったな。まずは詰将棋ちゃんと全部解かねえと」
澳田はそう言い、一つ息をつく。
「試験勉強の方だけどさ、思ったんだけどお前そんな時間とれないんだろ? ならこっちである程度ヤマ張った部分教えるのがいいと思ったんだけどさ」
「どういうこと?」
「試験に出そうなとこ。というより重要だから試験に出してくくるだろうなあって部分」
「そんなのただのギャンブルじゃん」
「そうでもないよ。こういうのは傾向ってもんがあるわけだし。なら対策もできるしさ。市販の問題集なんかそういうのウリにしてるじゃん。ここまでの試験で学校とか教師の傾向も多少はわかってきたからさ」
「そんなに?」
「まあ経験上ね」
「……あんたほんと頭いいんだね」
「そうでもないよ。地頭がいいわけじゃないと思うし。そうじゃないから勉強して対策とか工夫しなきゃいけないわけだしさ。まあ勉強と試験は得意ってとこじゃないせいぜい。それ言ったらお前の方が絶対頭いいだろ。将棋強いんだしさ」
「どうだろ……たとえそうだとしても時間ないから意味ないけどね」
「ならやっぱ対策しないとな。ちょっと時間かかっかもしんないけどこっちで整理してまとめとくわ」
「そう……ありがと」
水季はそれだけ言い、席を立つ。
「――あんた、澳田龍馬っていったっけ」
「そうだけど」
「龍馬ってそれ将棋に何か関係ある?」
「いや、坂本龍馬からとったって言ってたけど」
「そう……じゃ」
水季はそれだけ言い、その場を立ち去った。その背中を見送りつつ、
(なんだかんだ自分のこと聞かれたの初めてだな……一応は多少の興味持ってもらえたってことでこれはいい兆候なのか?)
と澳田は考え、机の下で小さく拳を握るのであった。
*
放課後。自宅に帰り着いた澳田はどっとベッドに倒れ込んだ。
(さすがに疲れたな……けど詰将棋やんねえと。早指しの特訓もしねえとだし、あと勉強……つってもそっちはループ解決しない限り無意味だしな。というかもしかしてループすれば前もって試験の内容全部わかるのか?)
などと考えつつ、体を起こす。
「どうだ様子は」
と「ガミ」が声をかけた。
「あー、思ってたよりはずっとうまくいってるかな。最初は絶対無理だと思ってたから。とはいえさすがにまあ、将棋の実力が違いすぎてどうしようもない感じはあるけどな……」
「そうか。やはり一ヶ月では難しいか」
「多分ね。そういやだけどさ、またループしたら俺は次もこの一ヶ月分の記憶持ち越すんだよな?」
「ああ。全部が全部というわけではないが、少なくとも解決のために必要な記憶は優先して過去に送ることになっている。記憶にも容量というものがあるからな」
「そっか。ならもう最初の一ヶ月は捨てて将棋の特訓に全部当てちまったほうがいいのかもな……さっさと終わらせたいけどどう考えたってあと一ヶ月で付き合うとか無理がありすぎるし」
「そこは貴様の判断に任せざるを得ないな。実際行動するのは貴様だから」
「だよなあ……とにかくまともに将棋指せるようにならねえとこれ以上近づきようもねえか。しかしまあ、ほんとなんでこんなゲームみたいなこと現実でやってんだか」
澳田はそう言い、机に向かい詰将棋の問題を解きにかかるのであった。
*
それから一週間後。学校の教室に、不敵に笑う澳田の姿があった。
「水季……」
と澳田は水季の机の上に紙の束をノートを置く。
「できたぜ全部……最後の一問、解けたぞ!」
「へえ……」
「おう! すぐ確認してくれよ! 採点だけならすぐ終わるだろ?」
「じゃあ」
と言い、水季は澳田の解答に目を通す。
「――確かに、正解」
「よっしゃ! ははっ、全問クリアだ! いやー楽しかったな! めっちゃしんどかったけど解けた時はほんとヤバかったわ! お前もいい問題作るよなー」
「そう?」
「ああ。これそのまま売ればいいじゃんってくらい。こういうのって公表してないの?」
「一部はまあ、詰将棋作る大会っていうか、そういうのに出したりはしてるけど」
「へー、やっぱプロはすげえなほんと。厳密にはプロじゃないんだっけか」
澳田はそう言いつつ陽気に笑う。
「そっちはどうよ。俺が作った試験対策役立ってる?」
「役立つかは実際試験受けないとわからないけど、まあでもやってる」
「そりゃそっか。でもまあ自信あるし、少なくともあれだけやってても赤点回避は絶対だと思うからな」
「は? なんで知ってんの?」
「は? 何が?」
「……いや、なんでもない」
「……もしかしてお前ほんとに赤点とってんの?」
と澳田は声を潜めて尋ねる。
「……あんたには関係ない」
「あ、はい、そうですね……あの、いつでも勉強とかわかんないとことか聞いてもらっても大丈夫なんで」
「……わかった」
水季はそれだけ言い、うつむく。しかし顔を上げ、
「――将棋」
「え?」
「一分、早指しでいいならやってあげる。感想戦も、少しだけならまあ」
感想戦というのは「反省会」のようなものであり、この場合は水季の側が対局後に澳田の打った手について「指導」することであった。
「いいの?」
「一応そういう約束だし。棋譜とか、詰将棋とか言ったのはこっちだから。まさかほんとにやるとは思ってなかったけど」
「そっか……そりゃ助かるわ! ほんと助かる! あんがとな!」
「そう……だからそっちも、勉強、聞いた時は教えてね」
「そりゃな。そんくらいならいくらでもオッケーよ。だったらどっちも一緒にやったほうがいいんじゃね? 将棋と勉強」
「え?」
「勉強やって、休憩に将棋やって、また勉強やってて。そうすりゃわかんない時すぐこっちも教えられるし」
「ああ……まあ、そっちがそれでいいならいいけど」
「よし、じゃあそれでな! あー、ようやくお前とまともに将棋指せるわー」
「まともに指すだけの実力があるとは思えないけど」
「そこはまあ、特訓します……」
「そう……一応聞いとくけどさ、あんたはいつから将棋やってるの?」
「一番最初にやったのは小学生くらいじゃねえかな。そんなちゃんとやってたわけじゃないけど、こどもクラブみたいなとことかで。ネットとか将棋ソフトとかもあったし。それからまあ、たまに遊びでやってて、ってとこかな」
「そう。じゃあ今は自分の中でブームが再熱でもした?」
「まあそんな感じ。改めて本気でやると面白いなーって」
「そう……まあ遊びでやってるのが一番面白いかもね」
「いや、でも真剣だよ一応。負けたくねえし、負けたら悔しいし。まあそんなわけだからさ、早速今日からビシバシ鍛えてください」
「そのレベルで指せるならね」
水季はそう言い、珍しく、ほとんど初めてといった具合にふっと微笑むのであった。
*
それからは、将棋と試験勉強の日々だった。とはいえ将棋の方はまるで話にならない。水季からすれば赤子の手をひねるようなもの。澳田は日々惨敗を積み重ねていくだけだった。
とはいえそんな日々の中でも成長する。水季の指導。帰ってからはひたすらネットや将棋ソフトで一分将棋の練習。とにかく繰り返しで経験を埋めていく。とはいえ、そんな付け焼き刃で埋まるほど年月の差は甘くない。多少は善戦、程度が関の山であった。
そうしてようやく試験も終えた十二月の中旬。
「終わったー。ようやく終わったなあ。水季、試験どうだった?」
「まあ、お陰様で赤点はないかな。勉強時間は取れなかったけど」
「そっか。まあ前よりいいなら良かったじゃん。これでもっと将棋指せる時間も増えるな。さっそく頼むよ。たまには一分じゃなくてもっと持ち時間長くさ」
「下手なやつはどれだけ長考したって無駄」
「まあその通りでしょうけど……」
「あと悪いけどこれからはそんな付き合ってられないから」
「え?」
「来週、対局があるから。大事な試合」
「ああ、じゃあめっちゃ練習しないとか。来週っていつ?」
「二四日」
「は? クリスマスじゃん。へー……それどういう試合なの?」
「……私のプロ入りが決まる対局」
「マジ?」
「そりゃね。勝ったら昇格、ニ級。いわゆるちゃんとしたプロ。負けたら今回はそこで終わり」
「マジか。めっちゃ大事な試合じゃん。相手強いの?」
「……まだ一回も勝ったことない相手」
「うわっ、そりゃまたキツイな……」
「別に。プロになるなら超えなきゃいけない壁だし。でも私自身、ライバルだと思ってるし、絶対負けたくない相手」
「そりゃ本気で対策しねえとな……俺の将棋になんか付き合わせてられないか」
「別に一局くらいはいいけど。一分だし、気分転換にはなるし。頭も整理できるからね」
「そう? まあそっちに任すけど、こっちも無理には頼まないからやりたい時はいつでも言ってよ」
澳田はそう言ってなんでもないことのように笑顔を作るのであった。
*
その帰り道。澳田は一人で歩きながら考えていた。
二四日、クリスマスイブに対局がある。しかもプロ入りがかかった大一番。相手は一度も勝ったこ とがないライバル。
なんだよそりゃ。そんなんで付き合うだの素敵なクリスマスだの無理すぎじゃねえか。しかもこれから一週間はその対策で集中して練習しなくちゃいけないとかいうし、将棋指す時間もねえわけだ。
そう、時間。時間が圧倒的に足りてない。あまりにも不足していた。土台一ヶ月というのが無理がありすぎる上に、詰将棋で一週間も潰してしまった。自分の実力だってまだまだだ。そりゃ多少は仲良くはなれたかもしれないけれど、どう考えたって恋人関係なんてものいは程遠すぎる。
これはもう今回、「一周目」は絶対無理だな……ほんとにループして「二周目」なんてのがあるかはわからないけど。とはいえ棋譜も詰将棋も、ついでに試験も一度経験したというのは大きい。それを活かせば次は大幅な時間短縮が可能になるだろう、と澳田は考える。
(とはいえあの水季とまたイチからってのはかなりキツイよなあ……ダメだ、無理な気しかしてこない)
とはいえ、諦めるわけにはいかなかった。澳田には新作ゲームの発売日という、なんとしてもたどり着かねばならない「明日」があった。
だからとりあえず今はできることを。次のループまで、一週間の間にできることを。水季という人間をもっと知る。そして何より、少しでも彼女に近づくため将棋の腕を上げる。
(よし、帰ったら早速将棋の特訓だ! 幸い将棋が面白いから苦じゃないってのが助かるよなあ。というかやればやるほど面白くなってくし。それでもあいつには全然届かねえんだよなあ。ほんと強すぎるっていうか)
それとやっぱり、実際人とやったほうが楽しいんだよなあ、と澳田は思うのであった。
*
それから一週間。昼休みに一局だけ一分将棋を指し、放課後水季は早々に帰るという日々が続いた。事情が事情である以上、澳田も自分の都合で引き止めることもできない。「今回は無理! 潔く諦めて次だ!」と自分が今できることをすることに切り替えていた。
(にしても、このタイミングでよりにもよって水季だもんなあ……取り憑く方も相手考えて取り憑けよ)
などと内心愚痴りながら、運命の、そして実質二回目の「十二月二四日」を迎えた。
その日一日澳田は気が気でなかった。一応水季に「がんばれよ! 絶対勝てる!」などとメッセージを送ったが、既読はついたが返信はない。既読がついただけまだマシかと思いつつ、水季はちゃんと勝てるのか、果たして本当に「ループ」が起きるのか、と不安が押し寄せてくる。
(まあループは起きないほうがありがたいんだけどさ。こればっかりは実際経験しないとわからないからな……一回してるとはいえそれはまた別だし)
などと考えつつ、気を休めるためにもひたすらネット対局や将棋ソフトを使い将棋の特訓に打ち込むのであった。
*
夜。いよいよ十二月二五日があと数時間に迫っていた。が、それ以前に「水季の対局の結果」という重要事項が存在していた。
チャットを見るが、連絡はない。まあそりゃわざわざ勝敗の報告はしてこないか。いや、さすがに勝ったら連絡くらいはしてくるか? そこんとこどうなんだろう、どれくらいの関係なんだろう……というか肝心のあいつは俺のことをどう思ってるんだ? など考えつつ、いっそこちらから尋ねようかとも思う。
(けど負けてたらさすがに気まずいよな……ネットで確認してからの方がいいか)
と澳田は思い直し、ネットで対局の結果を確認する。
対局は、すでに終わっていた。結果は水季の負けだった。
(そっか、負けたかあいつ……)
澳田は一つ息をつき、背もたれに体重を預ける。あんなに頑張ってたのに、意気込んでたのに。プロになれる大事な一局だったのに。
(ていうかよく考えたらこれ、めっちゃ重要なんじゃねえか? 普通に考えたらこんな大事な対局に負けたら「恋人と素敵なクリスマス」もくそもねえじゃん。てことはこの対局勝つのがループ止めるための絶対条件?)
その事実に突き当たり、澳田はしばし呆然とした。
――やべえ、やべえじゃねえか! それ考えりゃ俺だけなんとかしてりゃいいって話じゃねえぞこれ! どんだけ仲良くなって、よしんば恋人になれたとしてもこの対局負けたらクリスマスもクソもねえだろ! ただ付き合うだけじゃなくてあいつが絶対勝てるようにしねえといけねえじゃねえか!
澳田は時計を見る。残された「今日」は約四時間。日付変更と同時にループが起きるのかはわからなかったが、ともかく明日までにはそれしかない。
(くそ、覚えねえと。少しでもこの対局の棋譜暗記して次はあいつが勝てるように手助けできるようにならねえとじゃねえか! やるぞ、やってやる、死ぬ気で暗記だ! 暗記は得意だろ! 俺が一番得意なことだろ! 散々やってきたじゃねえか! 絶対にこいつを、完璧に覚えて、少しでも情報を持ち帰るんだ!)
澳田はパソコンの画面にかじりつき、ひたすらにその棋譜を暗記するのであった。