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水季と澳田兄の話し合いにより、無事AIが水季に提供されることとなった。データ化されている対戦相手の棋譜、指し手をすべてインプットし、その「個性」を再現する。
「とはいえ今回は相手もまだ若い女流棋士ってこともあって圧倒的に元になるデータが少なかったからな。そういう意味でも精度は全然だからあんまり期待するなよ。おまけじゃないけど一応似たタイプのベテランのプロ棋士のも再現してみたから、普通に考えりゃそっち使ってやったほうがいいかもな」
というのが澳田兄の話であった。
「それと手間も考えて今回はデータ化されてる棋譜しか学習させてないからな。アナログな部分はそっちで補完しろよ。んじゃま、いい結果を祈ってるわ。勝てばこっちも大々的にアピールできるしな」
と兄は言った。今回の対局で、勝てば水季の「バック」に兄たちが、彼らが作成したAIがいることを明らかにするというのが条件の一つであった。形から見れば水季の勝利に多少のケチがつくものであったが、当然違法ではなく兄たちも慈善事業でやっているわけではないので当然の条件でもあった。なにはともあれ、勝つこと。どのような道具を使用しようとも、練習の成果として、努力の結果として、己の力で勝つこと。それがすべてだった。
水季は対局までのおよそ一週間、ひたすらそのAI相手に練習をした。澳田は買い出しや雑務と言ったサポート。そしてAIに取り込めなかったアナログな部分での分析などを買って出た。
澳田の兄らが作ったAIは完成品ではないとはいえ優秀なものであった。序盤の指し手、作戦などを指示すればそれを再現することもできた。これもあって水季は澳田の「予知」のような相手の奇襲作戦にもいくらか意図的に予習することができたが、それよりも相手の作戦を指示しない「フリーモード」の状態でも一度だけそうした手を指してきたことが水季にとっては大きかった。いくらこれまで一度しか使っていないような戦法であれ、それを学習してる以上AIもごくたまにそれを再現することがある。一度あったことは、二度目もあるかもしれない。そういう事実を体験として水季に突きつけた結果であった。
そして一日十五時間以上の将棋の日々を終え、ついに運命の対局の日、十二月二四日を迎えるのであった。
*
澳田にとって都合4度目の「今年のクリスマス」はこれまでと少し様子が違った。これまでと比べ非情に寒く、夜には雪がふるかもしれないという予報まで出ていた。そりゃ天気のことだし毎回毎回同じなんてことはありえないだろうけど、でも今回に限ってこれまでと違うなんて……と澳田はどこか嫌な予感に襲われていた。虫の知らせのようなもの。もしかすると、今度の十二月二四日は何かが違うのではないだろうか、と。
「見に来てよ、対局。将棋会館に」
と水季が誘ってきたのも、これまでとは違う展開であった。
「え、いいの?」
「いいから言ってんじゃん」
と水季は笑って答える。
「いや、そうだろうけど……邪魔じゃない?」
「別にそっちは大部屋で見てるだけだしね。まあ私の対局が解説されてるとは思わないけど」
「ていうかその日見にいけるの?」
「……わかんない。考えたこともなかった。これまで見に来る人なんていなかったし」
「あ、そう……じゃあ入れたら行くよ。入れなくても近くのファミレスとかカフェで見てるから。勝ったらすぐ行くし」
「うん、わかった」
「ああ。でもさ、水季からそんなこと言ってくるなんて相当自信あったりする?」
その言葉に、水季はふっと笑った。
「そりゃね。自信なかったらこんなこと言わないし。ありがとね。ほんとあんたのおかげ。正確にはあんたのお兄さんたちのAIのおかげだけどさ」
「ほんとその通りで。俺は全然なにもしてないっすからね」
「そんなことないよ。最初の一歩目はあんたなんだからさ。あんたのおかげであることには変わりないって。それはほんとに、ありがとう」
「……ああ、どういたしまして。ていうのも勝ってからだな」
「そうだね」
水季はそう言い、一つ息をついた。
「でもさ、それだけじゃないから。自信だけじゃない。やっぱりさ、一ヶ月あんたとやってきて、始めて誰かに近くで見てほしいって思ったんだ。一緒に勝利を分かち合いたいって。自分を本当に応援してくれてる、支えてくれてる人とさ。おじいちゃんはその前になくなっちゃったし、おばあちゃんだってもうずっと前から私のこともわからなくなっちゃったし、お母さんもずっと、忙しくて、だから来てなんて言えなかったし」
「そっか……」
そういえば今日、水季の母親は……
「うん。だからま、気が向いたらね。勝つからさ、勝って勝利を分かち合おうね」
「もちろん。俺はもう応援しかできないけどさ、たとえ遠くでもずっと本気で祈ってるからさ。だからまあ――信じてるし、信じろよ。この一ヶ月、この一週間だけじゃなくて、お前がこれまでやってきたすべてを。大丈夫だって。俺はたった一ヶ月しかまだ見てないけどさ、でもお前がほんとに頑張ってるってこの目で見たから。お前が勝たなきゃ世の中嘘だって、わかってるから。だから自分を信じて、勝つぞ」
「もちろん。勝つから」
二人はそう言い、拳を合わせた。そうして戦場へと向かう水季の背中を澳田は一人見送った。
――勝てよ、勝つぞ、今度こそ。
今度こそ絶対に、二人で勝つぞ!
*
対局開始の時刻。澳田は一人、カフェでスマートフォンを睨みつけていた。ネットでの対局の配信。時間になり、いよいよ運命の対局が始まる。
相手の一手目は――これまでと異なるものだった。
(は!? なんだって!?)
澳田は一人驚きを隠せない。その後も相手の手は「これまでの十二月二四日」とはまったく異なるもの。奇襲も奇抜も一切なく、彼女特有の堅牢な守りを主とした守り勝つことを徹底する将棋であった。そしてそれは同時に、これまで一度も水季が打ち破ることのできなかった高い壁でもあった。
(マジか、マジかよちくしょう……ここに来てこんな、今までと違う作戦で来るなんて……未来が変わる、というより過去が変わることなんてあるのかよ? 雪がふるって時から嫌な予感はしてたけど、まさかこんな大きな変化まで表れるなんて……)
澳田は頭を抱える。あれだけ大見得きって予知だとかなんだとか言っといて、完全に外した。あまりにも情けなく、水季に申し訳が立たない。けれども水季も何も澳田の「予知」を完全に信じるようなことはなかった。可能性は排除しないが、あくまでデータを第一に。その彼女の堅実な主義に、今は感謝する澳田であった。
(そうだ、これまでと違うとか予知が外れたとか俺は言ってるけど、そんなのあいつははなからあてになんかしてなかった。ちゃんとこれまでの相手を見て、分析して、今日のこの相手を予想してやってきてたじゃねえか。AIだって同じだ。これまでの棋譜を取り込んで再現する以上、これが一番水季も練習相手としてやってきた姿じゃないか。だからむしろ、これで良かったんだ。この相手ならこれまでいくらでも戦い、分析し、研究してきた相手じゃないか。それだけ活路もあるってことだ。だから大丈夫、一人で勝手に慌ててるな。むしろ勝機があるんだ。水季なら絶対に、できるだろ!)
澳田は拳を握りしめる。その手のひらは、気づかぬうちに汗ばんでいた。
(大丈夫だ、勝てる! がんばれ、がんばれ!)
澳田は一人心の中で強く祈る。もう自分には、それ以外にできることなど何もなかった。
*
数時間経ち、盤面はいよいよ終盤を迎えていた。相手の堅牢な守りは、終盤が近づくに連れ威力を増す。真綿で首を絞めるようにじわじわと、徐々に徐々に相手を追い詰めていく。序盤、中盤と盤面に大きな変化はない。大きな有利不利は表には表れない。しかしその深部では徐々に攻略が進んでいく。そういう長丁場の、忍耐強い将棋が相手の持ち味であった。
水季はそれに、辛抱強く対応していた。これまでとは違う。決して攻め急いだりはしない。とにかく読む。より深く考える。今ではなく、もっとずっと遠い先。最終的に勝つために、勝って終わるために。そこへつなげるには、どうすればいいか。
まさにがっぷり四つに組むといった具合。正面からぶつかり合う攻防。互いに長考も増え、対局は長引き、お互いの持ち時間も減っていく。
そして最初に持ち時間が一分を切ったのは水季の方だった。
一分将棋。もう長考はできない。一分以内に、確実に勝ちへとつながる手を打ち続けなければならない。思考時間が減れば当然それだけ不利になる。
けれども水季もその練習は十分に積んできた。図らずとも澳田との将棋が毎回一分、30秒将棋で指していたことも練習になった。
水季はよく粘っていた。やがて相手も持ち時間が切れ、互いに一分将棋となり、行き詰まる攻防が続いた。澳田の素人目には今ひとつ状況もわからなかったが、次第に彼の目にもはっきりと優劣が見え始めてきた。
そこからは、じわじわと。徐々に徐々に、丁寧に。一手も間違えぬようにと確実に進んでいく。そうして盤面ははっきり片方の有利になり――
「負けました」
投了。対局が終わった。
勝って顔を上げたのは、水季だった。
「よっしゃあ!」
と澳田は店内にもかかわらず思わず吠えていた。そうしてすぐに周囲を見回し会釈をし、逃げるように店を出る。けれどもそれは逃げるためじゃない。迎えに行くため。会いに行くため。
澳田の顔には、満面の笑顔があった。笑みを浮かべたまま真冬の東京の街を走っていた。寒さなんて感じない。夜の暗がりなど関係ない。クリスマスのカップルも目に入らない。
澳田は走った。走れ、走れ、走れ。




