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翌日、十二月二五日は超大作ゲーム『シェルタの伝承』の新作の発売日だった。
それは澳田龍馬にとって待ちに待った新作であり続編であった。世界で一〇〇〇万本以上売れた超ヒット作にして、ゲーム史上最大の傑作であった前作。その正式な続編が、ついに発売するのだ。
待ちに待った二年間だった。発表から二年。前作からは四年。その続編が発表された際、澳田は本気で涙を流し制作会社に感謝したほどであった。彼の人生にとっても、並ぶものなき最高のゲーム。初めてプレイした時の感動は今でもはっきり覚えていた。
その傑作、澳田にとっても人生最高のゲームの、正式な続編が、いよいよ明日発売される。
その前日、澳田は部屋で一人ゲームのトレーラー映像を見ていた。これに、明日、いよいよ会える。スマホを置き、ベッドに入り、まだ二二時という早さであったが就寝する。すべては明日のゲームのため。ダウンロード版であれば日付が変わると同時にプレイできたが、澳田はパッケージ派であった。というより、高校生の金銭的事情がそうさせていた。小遣いではゲームは月に一本買うのでやっとだ。なるべく多くのゲームをやるには、パッケージで買って、プレイが終われば売って、それで得た金でまた新しいゲームを買う、とやりくりしていかなければならない。ゲーマーとしては制作会社に多少の申し訳無さもあったが、金がない以上澳田にはどうすることもできなかった。
(とはいえこれを売ることは一生ないかもしれないけどな……)
澳田は頭の中で新作ゲームをプレイしながら、そう思う。興奮でなかなか寝付けなかったが、徐々に眠気もやってくる。
(ああ、あと数時間で俺の人生最高の瞬間がやってくる……この二年死なずに生きてきて本当に良かった……すべてが報われる……このためだけに生きてきたんだ……)
そんな思いの中、澳田の意識は眠りにつく。数時間後、早朝にアラームはセットされている。そうして起きてすぐにゲームショップへ向かい、早朝開店の列に並び、ゲームをゲットし、あとは一日中遊ぶのだ。冬休みだから学校もない。文字通り一日中、できるのだ。
そんな幸せ、あっていいのだろうか。
澳田は眠る。眠りの中にいる。夜は更け、冬の外も徐々に明るくなってくる。
しかし、澳田に「明日」はこなかった。
*
アラームが鳴ったのは、いつもの時間だった。いつも学校へ行くときの起床時間。とはいえそれは休日であってもかわりはない。ともかく、早朝開店に並ぶためにかけたアラームの時間とは異なっていた。だから澳田はスマホに表示された時刻を見た瞬間、飛び起きた。
(は!? え、なんで!? 寝坊!? 六時にセットしたはずだろ! なんだよクソ、セットされてねえじゃん! あんだけ確認したのになんでだよ!)
などと思いながら慌ててベッドから出ようとするが、そこでそれに気づく。
(あれ? 十一月二四日?)
改めてまじまじとディスプレイを見る。そこに表示されていた日付は、「今日」であるはずの十二月二五日ではなく、一ヶ月前の十一月二四日であった。
(なんだよこれ、スマホ壊れたのか? それでアラーム鳴らなかったのかよ。まあ予約してるから売り切れとかはないけど。数時間無駄にしたのはムカつくわ)
澳田はそんなことを思いつつも身支度を整えるべく一階へと降りた。そこで顔を洗い髪を整え歯を磨く。そうしていると、
「なに龍馬。あんた朝ごはん食べる前に歯磨いちゃったの?」
と母親が声をかけてきた。
「ああ。帰ってきてからでいいかって思ったから」
「帰ってきてから? 何言ってんのあんた。いいから早く食べちゃってよ」
と母に促され、澳田はリビングに入った。テレビにはいつものニュース番組。
しかしそこに、澳田はありえないものを目撃した。
「おはようございます。十一月二四日。モーニングニュースのお時間です」
そう話すアナウンサーの声とともに、大きく映し出された十一月二四日という文字。
「――は? え、なんでこんな思いっきり間違ってんの?」
と思わず驚嘆の声を漏らす。
「何が?」
「いやだって今思いっきり十一月二四日って」
「それが?」
「え? いやだって今日二五日じゃん。というか十二月だし」
「……あんた寝ぼけてるの?」
「え?」
「今日はまだ十一月でしょ。十二月二五日なんて一ヶ月も先じゃない」
「……え、それ本気で言ってる……?」
「だったら新聞でも他のチャンネルでも確認すればいいじゃない」
母に言われ、澳田はあらゆるチャンネルに切り替えた。そのどこでも、日付は十一月二四日となっている。録画機器などでも同じ。
「――あの、お父さん、少しでいいので新聞見せてもらってもいいでしょうか……」
澳田の問いに父親はあからさまに不機嫌そうにしながらも、新聞の日付を見せてきた。そこに書かれていた日付も、やはり十一月二四日。
澳田は呆然としたままスマホを操作する。スマホ本体の日付はやはり十一月二四日。ネット上の各種サイトや掲示板、SNSなどを見ても日付は十一月二四日。そこまで見て、澳田は確信した。
(なんだ、夢か)
これが夢だと「悟っ」た澳田はそのまま朝食をスルーし、二階へ戻る。そうして再びベッドに入り目をつぶった。夢ならば、もう一回寝て起きればちゃんと目覚めるだろうと。それにしてもやけにリアルな夢だな、と思いながら。
しかしその「逃避」は、早々に打ち砕かれることとなった。
「おい」
と室内に声が響いた。自分のものではなく、家族のものでもない聞き覚えのない声。
「おい貴様! そこの布団にくるまってる貴様だ!」
どうやら自分に呼びかけてるらしい、と気づいた澳田は目を開け上体を起こした。そして声のした方を見ると――そこには一人の「女性」が浮いていた。
「――は?」
「寝るのは構わんが先に私の話を聞け」
「……いや、その前に誰? ていうかなんで部屋にいんの? てかその前に浮いてるし――」
ああ、そっか、これは全部夢なんだ、と澳田は改めて思い直した。が、
「そう思いたがるのもわかるが、これは夢ではないぞ」
「は?」
「貴様のためにはまずは状況を整理したほうがいいだろう。まず端的に言えば、貴様は十一月二四日に戻ってきた。『ループ』というやつだな」
「……いや、ちょっと何言ってるかよくわかんないんだけど」
「ならば貴様にとって今日は本来ならいつだ?」
「……十二月二五日」
「そうだ。それは間違っていない。しかし今日の、正確にはこの時間での今日の日付は十一月二四日だ。つまり貴様は過去に戻ってきたということだ。ここまではいいな?」
「……まあどうせ夢だし、それでいいけど」
「いつまでもそんなこと言ってられると思うなよ。これはどこまでも現実だ。貴様は十二月二五日までの一ヶ月をもう一度、今度は違う形で過ごさなければならんのだぞ?」
「まあそういう設定はわかったんで、その前にあんた誰? なんで俺の部屋いんの? なんか浮いてるし、というか微妙に透けてるし。幽霊とか?」
「近いが違うな。お前たちの言葉で言うならば『死神』が一番近いだろう。厳密には違うが、簡単に言えば霊、魂をを管理するような存在だ」
「その死神がなんで俺んところに? なんで俺時間戻されたの?」
「ここにいるのはお前にしかできないあることをしてもらうためだ」
「そういう設定。てかこの夢やたら長くない? もういいんだけどさ。俺はさっさと起きてゲーム買いに行きたいのよ」
「……まあ確かに、夢と思い込むのは当然かもしれんな。だがこれは夢ではない。一日過ごせばわかるだろう。時間がないが仕方ない。一日過ごして、これが夢でないことを確かめてくればいい。そしたら貴様も少しは真面目に話を聞くか」
「はいはい。んじゃ俺もう寝るから」
そうして再び布団に入る澳田であったが、すぐに、
「龍馬ー! あんた何やってんの! もしかしてまた寝てるのー!? 学校遅刻するでしょ! 早く食べて準備して学校行きなさいよ!」
という声が飛んでくる。十一月二四日は当然冬休みではない。ついでに休日でもなかった。澳田は仕方なく起き、
(夢の中でも学校か……というかさっさと覚めてくれよなあ)
などと思いながら仕方なしに学校へ行く支度をするのであった。
*
学校へ向かうため家を出ても、相変わらず夢から覚める気配はない。とはいえ、外に出ることで確かに「十一月二四日らしさ」を実感する。
気温が違う。昨日までいたはずの十二月二五日という真冬から比べればまだずいぶんと温かい。人々の服装一つにしてもそうであったし、木々の落葉具合などを見てもそこは確かに十二月二五日よりは十一月二四日と言われたほうが納得ができた。
(そもそも冬休みのはずなのにみんな登校してるしな……)
と思いつつ、澳田は改めてスマホを取り出し日付を確認する。表示されているのはやはり十一月二四日。
(どういうことだ? さすがにこれが夢じゃない気はしてきたけど……だったらこれまでの一ヶ月が夢だったのか? にしたってはっきり記憶も実感もあるし、第一夢にしては長すぎただろ。発売日直前に覚めて一ヶ月やり直しとかなかなかハードな夢だしよ……)
澳田はそこでふと立ち止まり、考えを改め踵を返すのであった。
やってきたのは近所のゲームショップ。あの大作ゲームを予約していた店だ。開店まで待ったため学校には完全に遅刻だったが、この状況ではそんなことはたいして気にならなかった。
「すみません」
と澳田はカウンターの店員に声をかける。
「ゲーム予約してたんですけど」
「はい。予約表お持ちですか?」
「はい。あの、その前にちょっと確認したいんですけど、予約してるのって『シェルタの伝承』の新作なんですけど」
「あーはい。じゃあ予約キャンセルでしょうか?」
「いえ、そうじゃなくて――まだ入荷してないですよね?」
「え? ――っと、シェル伝の発売日は来月の二五日になりますねー」
「ですよね……あの、つかぬことをお聞きしますが、今日って何日でしたっけ?」
「十一月二四日です」
「あ、はい、そうですよね……すいませんお手数おかけして」
澳田はそれだけ言い、足早に店を後にするのであった。
*
店を出た後、澳田の姿は学校までの間の公園にあった。人気の少ない公園の中、一人ベンチに座って大きなため息を尽き、途方に暮れている。
(マジかよ……なんなんだこの状況? 夢だよな普通? 昨日までの一ヶ月の記憶ははっきりあるぞ。そっちはさすがに夢じゃねえだろ。でもこれもさすがに夢っぽくないし……あいつ、なんか「死神」とかいってた変なの、夢だと思って完全にスルーしてたけど「ループした」とか言ってたよな……まあ俺の実感からすればそうなんだけど)
「というよりそれが事実だからな」
と突然声がし、澳田はびくりと飛び上がる。振り向いた先には、朝部屋にいた「自称死神」の姿があった。
「お前、いたのかよ!?」
「ずっといたぞ。姿を見せてなかっただけだ。とはいえ今も貴様以外には見えない状態だ。はたから見れば独り言いってる変人だな」
「あ、そう……それはやっぱり死神だから?」
「死神というのはあくまでわかりやすく例えただけだ。厳密には魂、霊体の管理人、通行整理人とでも言ったほうがいいだろう。無論人ではないがな。霊体、幽霊のようなものだとでも思えばいい。それはともかくさすがに頭は冴えたか?」
「冴えたって?」
「これが夢ではないといい加減わかってきただろう」
「……かもしれないとは思うけど、さすがに信じろって言われてもな」
「そうか、まあいい。普通の人間ならそうだろうからな。いずれ夢ではないと嫌でもわかる時が来るだろう」
「そっすか……あの、確認なんだけどさ、そっちの言い分じゃ俺は確かに昨日まで十二月二四日にいたってことでいいんだよな? そこから今は十一月二四日っていう過去にループ、というかタイムトラベル? してきたと」
「そうだな。厳密には違うが。時間は別に戻っていない。十二月二四日のお前の精神、まあ魂や意識、記憶と考えていいだろう。ともかくそれを過去のお前の体に移しただけにすぎない。だからお前だけ、まあ私達も一応そうではあるが、ともかくお前だけが十二月二四日までの未来の記憶を持っているということだ」
「そういう感じですか。けどなんで俺にだけそんなことが起きてんだよ。お前がやったのか?」
「私ではない。もっと上の存在だ。簡潔に述べよう。お前がループに陥ったことには原因がある。そしてその原因を取り除きループを解決するのはお前にしかできない。私の役目はそれを伝えること、そして監視することだ」
「はあ。なんかよくある設定ですね。で、その原因ってのは?」
「少し話したが、私は本来は死後の魂というものを管理する非物質的、霊体としての存在だ。だから厳密に言えばこの世の存在ではない。
ともかく我々はそういう仕事をしているわけだが、先日、というのも厳密には違うが、お前たちの時間軸で言えば過去においてある魂が逃げ出して現世に戻った。死者の魂が現世に戻ることはあってはならないことだ。それだけであれば稀にあるので我々も対処はできるのだが、今回はその逃げ出した魂が少々厄介でな。お前らが言うところのいわゆる魔女というものだ」
「魔女? そんなもん実在するの?」
「厳密には呪術師といったほうがいいだろう。そういう者の魂は一般の魂と比べれば力を持ち強固で厄介でな。その魂が現世のある人間に取り憑いてしまったわけだ」
「それは、確かにあんまよくなさそうな状況っすね……」
「ああ。無理にひっぺがえそうとすれば取り憑かれた人間の魂にまで影響が出てしまう。命がもたないのは確実だろう。しかし当然、我々も現世の人間を簡単に殺すわけにはいかない。とはいえ放っておいては人間の体が呪術師の魂に乗っ取られてしまう。当然それも避けなくてはならない」
「そりゃまあ、そうでしょうね普通」
「ああ。だが手段はある。簡単に言えば取り憑いた魂の願いを満たし成仏を促すという方法だ。現世に戻ろうとする魂というものは現世に何らかの未練があって戻るわけだ。つまりその未練を解決させ自発的に人間の肉体から離れてもらうという方法だな」
「そりゃまたなんかよくある設定って感じですけど……それでなんで俺が関係してんの?」
「まあ聞け。その呪術師の魂の未練は『恋人とクリスマスを過ごしたい』というものなのだ」
「は?」
「そしてやつ曰く、お前はやつの初恋の相手と瓜二つらしい」
「は?」
「そしてその呪術師の魂が取り憑いてる相手だが、お前のクラスメイトの水季薊だ」
「はあ!? なんで!?」
「自分に似てすごく美人だったから、と本人は言っている」
「はあ……」
「つまり、貴様が水季薊と恋仲となり、恋人としてクリスマスイブを過ごすことでやつの魂は成仏し水季薊の肉体は解放され救われる、というわけだ。わかったな?」
「……まあわかったけど、いやわかりはしないけど、それは一旦置いといて、ループは? 今の話にループについて一個も出てこなかったけど、多分それすればループも解消されるんだよな? でもそもそもなんでそれで俺がループしてんの?」
「それはクリスマスがタイムリミットになっているからだ。やつの願いがそこにある以上、それが果たされなければ水季薊の肉体が完全に乗っ取られてしまう。しかしそれを許すわけにはいかないからな。特別処置であるが、先程も言ったようにお前の精神を過去のお前と同期させることでその最悪な終幕を避けることになったわけだ」
「……つまり俺は完全なとばっちりってこと?」
「だな。とはいえ水季薊という一人の人間の魂のためだ。頼んだぞ」
「いや、つったってこんな、ふざけすぎだろ……」
「私に八つ当たりするな。決めたのは私ではない。もっと上位の存在だ。ループを行っているのもな。そこは私に言われてもどうすることもできない。ともかく貴様がループを終わらせるためにできるのは水季薊という人間と結ばれ例の霊を成仏させることだけだ。この状況をどうにかしたいなら自分でどうにかする以外に道はないぞ」
「そっすか……なんかもう、絶望だなこりゃ」
澳田はそう言い、頭を抱えため息をつく。
「――整理すっけどさ、要するにその、俺があの水季とその、恋人っていうか付き合って? それでクリスマスイブを迎えりゃループが終わるってことなんだよな?」
「そのはずだ」
「失敗したら?」
「またループする」
「……それはさ、やっぱ当然記憶残ったままだよな?」
「そうだな」
「んじゃさ、成功するまでずっと何回も何回もこの一ヶ月をループするってこと?」
「そうだ。それまでの記憶をすべて蓄積したままな」
つまり、一生『シェルタの伝承』新作の発売日である十二月二五日にはたどり着けないわけであった。
「ありえねえだろんなの……」
さすがに冗談キツすぎる、と澳田は再び頭を抱える。夢なら早く覚めてくれ。こんなの悪夢にも程がある、と。
「一応聞くけどさ、つまり今の水季薊は中身はその呪術師とかいうやつだってことだよな」
「いや、それは違うぞ」
「そうなの?」
「ああ。取り憑いたといっても肉体をすべて乗っ取っているわけではない。肉体の制御権はあくまで水季薊本人の魂にある。霊は一時的にそこに間借りしているような状況だ。まあ一方通行だと考えてればいい。霊は現状水季薊本人にはなんら影響を及ぼせないが、その記憶や体験は水季薊を通して霊も共有している、ということだ。つまり水季薊のクリスマスの体験を彼女を通し霊も共有することになる。それによってその霊がクリスマスの思い出を自分のこととして経験し、成仏にいたる、というわけだな」
「なるほど……つまり俺が相手にするのはあくまで水季本人だと」
「そういうことだ」
「にしてもなあ……」
よりにもよってあの水季薊とは、と澳田は頭を抱えた。
「――とにかく学校行かねえとな。もうかなり遅刻してるし」
「そうか。まあがんばれ。姿は見せないが近くで監視させてもらうぞ」
「了解……お前の姿って他の誰にも見えないんだよな? 声も」
「そうだ」
「じゃあ人がいる時は極力話しかけたり姿見せたりはしないでくれよ。独り言話してるやばいやつになっちまうからさ」
澳田はそう言い、重い腰を上げるとこれまた重い足取りで学校へと向かうのであった。
*
「急な腹痛で」と遅刻の理由を偽り、澳田は教室に入る。そうして自分の席に座る前に、ちらりと後ろの席に目をやる。
渦中の人物、水季薊がそこにいた。
水季薊。彼女について澳田が知っていることは少ない。高校に入学し、同じクラスになってから約9ヶ月。今は席が前後とはいえ、ろくに会話をしたこともない。とはいえ彼女はある種の「有名人」であり、そのことくらいは澳田も知っていた。
「美人すぎる女子高生女流棋士」。それが世間が認知する水季薊であった。女流棋士。つまり女性の将棋棋士。澳田もテレビやネットで目にしたことくらいはある。そして「美人すぎる」というのがメディアお得意の誇張でもなんでもなく、確かに恐ろしく整った美貌を持っていた。
そんな彼女であったが、澳田は少なくともこの九ヶ月間彼女が誰かと話しているのをほとんど見たことがない。教室にいる時はいつも一人で自席に座り何かを読んでいた。そしてそれはほとんどの場合将棋に関するものだった。とにかく、いつでも常に将棋の勉強。そうでなくとも限られた時間での学校の勉強。友達はおらず、いつも一人。それが澳田にとっての水季薊という人間であった。
(しかしまあ、無理すぎんだろさすがに……)
澳田は自席に腰を下ろし、本日何度目かのため息をつく。接点がない。話したこともない。そんな人間と、どうやってたった一ヶ月で恋人になれというのだ。無理ゲーにも程がある、と。
(現実はゲームみたいにはいかねえだろ……やらねえとループが終わらねえっつうんだからやるしかないんだけど、それにしたってまだ信じたわけでもねえし。だいたい恋人って、付き合うってどうすりゃいいんだよ。経験ねえよ。そういうゲームもやったことはあるけど、あんなんしょせんゲームだし、絶対役に立たないし。放っておいてなんかイベントが起きるなんてこともありえねえし、こっちが動かない限りなんも起きねえだろうなあ……つったってどうすりゃいいんだよ。こいつのことなんも知らねえぞ。将棋かやっぱ? 将棋の話するしかねえのか?)
などと考えつつも、いきなりのことで当然やる気など湧いてくるわけもなく、その日は水季とは一言もかわさず一日を終えるのであった。
*
翌日。目覚めても澳田の「悪夢」は覚めてなかった。
「起きたか」
と覚醒を出迎えたのは昨日の「死神」とやら。
「……おはよう」
「ああ。早速だが今日は頼むぞ」
「多分な……」
澳田はそう答え、念のためスマホで日付を確認する。十一月二五日。やはり「ループ以前」の十二月の日付ではない。スマホの表示だけではなくネット、テレビや新聞の日付も改めて確認するが、当然どれも十一月二五日。
(これはほんとに、一ヶ月前に戻ったんだな……)
澳田はやはり頭を抱える。こんなん学校なんか行ってる場合じゃねえだろ。いや、行かないと水季にも会えないから問題の解決もしようがないし、でも行ったところでどうにかなる気もしないし……などとウジウジと考えるが、気は休まらない。仕方なしにスマホを手に取り、ふと思い立ち動画サイトを開く。そうして再生したのは、あの『シェルタの伝承』の新作、続編のトレーラー映像だった
――そうだ、これだ。これが俺の生きる理由でありモチベーションじゃねえか。本当なら明日、というか昨日できるはずだったのに、それをこんな直前でお預け食らって……
チクショウ、なんだよそれ。ずっと待ってたんだぞ。この二年、このために生きてきたようなもんなんだぞ。それをてめえ、永遠にできないなんて、永遠に前日でお預けなんて。
そんなこと、許せるわけがねえじゃねえか。
やるぞ。やってやる。決めたぞ。全部知るか。俺はゲームのためだけにやってやるんだ。やってやるよこんちくしょう。絶対に、十二月二五日にたどり着くぞ。『シェル伝』にたどり着くぞ。
こんなクソみてえな理不尽に、負けてられっか!
澳田は意を決し、ぱちんと自分の頬を叩き気合を入れる。
(よし、そうと決まりゃまずは会話だ! とにかく水季と話さねえことには始まらねえ。幸い俺も将棋はできる。共通の話題、しかも一緒にプレイできる「ゲーム」があるんだからある意味楽勝じゃねえか! やってやる、やるぞチクショウ! 接点がなかろうとなんだろうと話しかけてやろうじゃねえか!)
澳田は決意を新たに、学校へ向かうのであった。