8 トラウマ
テレビやラジオも大概はまとめ撮りをするものや。
トークバラエティー『F·F』もしかり。一本目の収録が終わり、俺らは休憩のため一度楽屋へ戻った。
一応、フェスティバル・フリー、自由気ままなお祭り騒ぎって意味の番組タイトルがあるんやけど、みんな『エフツーのエフエフ』と呼ぶ。
「うわぁ、今日の弁当、めっちゃ美味かった店のや。俺らのリクエストをスタッフさん覚えてくれてたんやなぁ、二つぐらいぺろりといけそうや」
遅めの昼ご飯。
「え?俺一つでいいし」
肉でも魚でもどちらでも選べることができるよう、二つづつ置いてある弁当を光稀はよく見もせんと手に取った。
魚を選ぶとは心ここに在らずや。俺の視線に気がついて、何?と表情だけで聞かれたから、こっちも声を出さずに何でもないと首をふった。
「気になるなぁ、言えよ」
「それ、魚やけど?…さっきのトーク大丈夫やったかな、って心配にもなるやん」
「こ、ここのは魚も旨いし。魚食べれなくねーし?…その…悪いな、気を遣わせて」
やっぱりまだ癒えてへんか。それでも一時期よりはましになっていると思うけど。
「ほれ、お茶」
ペットボトルと紙コップ。
「平気なわけじゃないけど、わざと恋愛の話を避けられるほうがよけい気になる。だから今日の、は…」
「そうか。なら俺、話題無理やりにでも変えよか思ってんけど。見守って続けて正解やったか」
「はぁ?話題変えられるタイミングあったなら変えてくれよ。なんだよ、クッションと戯れてないで、マジ頼むよ」
「こーきも後半の収録で抱えたらええよ、癒されるで」
次、二本目のゲストは男性俳優だし、もう大丈夫やな。
あれはF2がCDデビューする直前。ドラマで共演した駆け出しの女優と光稀が週刊誌にスクープされた。
『二人きりのお忍びデート』などとタイトルが付けられ、レストランで食事をしているぼやけた写真まで。記事には数か月前から付き合い始めただの、他にも親し気な写真を入手しているだの、よくもここまででたらめな事を書けたものだと呆れる文面。
あの食事会には俺もマネージャーもいたんやで?ドラマの関係者も。
加工技術ってすごいねんなぁ、切り取ったりわざとぼやかしたり、手間暇かけて感心する。
他にもあるならその写真出せっちゅうねん。どうせあらへんのちゃう?
すぐに事務所が名誉棄損で出版社を訴えたし、売名行為を目的とした女優の仕業だと判明した。
「私、ここまでしてしまうぐらい藤枝くんのことが好きなんです。私、本気です。なのに全く相手にされないなんてひどいと思いませんか?」
自分こそ被害者だとでもいうような彼女の態度。集まった記者に涙まで流して見せて、心にもないことを喚き散らした。
その騒ぎまでは特に注目されへんかったが、事件後、深夜のバラエティーではよく見かけるようになって、その後昼ドラにも何度か脇役として出演していた。
そもそも高校生が高級レストランで二人きりなんて、しんどい設定やし、世間もデビュー前の話題作りに丁度良かった、そんな風に流してくれはった。
あの後、どこに行っても隠しカメラを探すようになった光稀が、やっと緊張せずに食事ができるようになる頃には、女優のほうも芸能界から消えていた。調べればどこか地方でテレビに出ているのかも知れんし、全く別の仕事をしているのかもしれん。
もう、事務所の中でも一部の人しか覚えてへんやろうし、CDデビュー前やからファンの子らもほとんど知らんちゃうかな。
「やっぱここの弁当旨い。肉も食っていいと思う?」
俺の思いも知らんと呑気に食いおって。
「二本目のあと打ち合わせあるやろ。夕飯遅うなるんちゃう?今のうちに食べたらええやん」
「あぁ、表題曲のアレンジ終わったんだってな。他の曲も出そろったて?」
F2は秋にアルバムを出し、そのあと年末に向けてツアーがある。
アルバム収録曲のうち3曲はすでに発売されたシングル曲なので11曲全てをレコーディングするわけではないが正直スケジュールはカツカツや。
「この煮物、魚のほうと味付け違う。これも好き」
「お前、前に食っとった時も同じことゆーてたやん」
「そーだっけ?」
カメラが回るとクールになる光稀も俺といるとこんな屈託ない笑顔を見せる。俺は昔話を思い出してモヤモヤしているのに。
そうや、俺といるときでさえ暗い顔をしていた時もあったな。
あれは光稀の二十歳の誕生日に合わせて届いたファンレター。中に土地の登記簿の写しが入っていた。それだけが一枚。
ファンレターは事務所のスタッフが開ける。食品など生ものが入っていそうなら開封さえしない。厚みのある小包なら注意できても今回の書面は開けるまで異様さに気ぃ付かんかった。
手紙の無いそれは、土地を譲渡したいと思ったのかさえわからへん。事務所は警察に相談を持ち掛けたが、何も実害がないため具体的な対応策はとれずに終わっていた。
翌年、同じ人物から封書が届いた。
開封するまですっかり忘れていた事務所は警戒心がなさすぎだが、あの一枚以来何事もなかったのだから仕方がない。処理しなければいけないファンレターは膨大で、それはF2以外のグループも、なのだから。
「隠そうとも思ったんだけど、二人は後から聞くほうが嫌がるだろうし、速やかに対応するためにも二人に協力してもらいたいから」
わざわざ社長室に呼ばれて告げられた言葉と、一枚の紙。
婚姻届。
ぞわっとした。
妻の欄に記入がされていたからだ。コピーなどではない書類に直筆と実印。
「あー、これ効力無いよ。証人の署名も無いし受理には本人確認の書類が必要だから」
「ま、まぁ。そう…そうでしょう、けど」
光稀が乾いた声で相槌を打つ。よう、こんな話題に返事できるなぁ思ったけど、何か声に出さないと平静さを保てへんのかとも思った。
「今年は警察もすぐに対応してくれてね。書いてある住所、偽りのないものだったんだ」
届け出にも封筒にもきちんと住所は書いてある。だからこそ怖い。遊びで書類を書いたのではなく、本気で提出するつもりなのだと。
ただこれも夫の欄は空白。警察は注意喚起しかできひんだろう。
今、事務所ではトラブルを回避するための対策を検討しているらしい。
「まずは出待ちしてるファンへの接触は一切禁止。今までも注意してたけど帰ってもらうために仕方なくファンサービスせざるを得ないこと、あったろ?…ないか?今後は居るだけで警備呼ぶから。あと、握手会やサイン会の開催はしない。SSR全体の取り組みとしてね」
「え、それだと。ファンは…」
「光稀。まずファンを第一に考えるのは光稀のいいところだけど、今回はそれどころじゃないだろ?…自分が大丈夫じゃないときはちゃんと言いなよ?」
「大丈夫では、ないです。さすがに、ちょっと。けど、こんなファンだけじゃないし、応援してくれてるファンもいるし。ファンサービスはしたいし」
「わかるけど、会社としては所属タレントの安全確保が重要でね。まぁまだ話し合いの段階で本決まりじゃないけど」
「そうですか。…あの、こんなファン以外もちゃんと、いる…かな?」
「おるやろ」
「なら、大丈夫。そのうち、きっと、大丈夫に」
まったく、ダメダメやな。
その日からしばらくは事務所が光稀に気を使って、アイドルらしいキラキラした笑顔を要求することがなくなった。
もともと可愛いよりもカッコいいのが売りだったが暗い表情に拍車がかかって黒騎士とか呼ばれ始めるし。
人前に出る仕事をしていれば、少なからず嫌な思いはする。光稀のことが区切りになっただけで、そもそもF2以外にも小さなトラブルはあったに違いない。
直接的なファンサービスは皆無になってしまったSSRでも、会報のクオリティは高いし、公式WEBでの発信があったりと、できうる限りファンに楽しんでもらおうと工夫している。
そもそも、光稀やのうて俺をターゲットにしたったらええのに。そしたら返り討ちにして再起不能になるまで相手を追い詰めちゃる。住所わかってるんやし、仕返しなんか簡単や。
…ほんまにしたったら俺のほうが捕まるんかな。なら、せぇへんけど。
それに、俺に被害があったら、自分の時以上に光稀が参ってまうだろう。
…それはあかん。
まったくウチの相方は優しすぎる。
「サトぉ、表題曲のMV、話進めるってことはふわふわの色、染まるのかな?」
「ファーな。無理やったら連絡くるんちゃう?ないってことは染まると思うで」
「そっか。りこさんに頼んで正解だったな」
りこさん。最近、光稀の口からよく出てくる彼女の名前。
確かにサブチーフは優秀で、俺も彼女を頼っている。だが、光稀は気が付いているのだろうか、彼女の名を口にするとき、安心したような穏やかな表情になっているのを。
長年側にいる俺にしかわからない、ほんのわずかな変化やけど。
…絶対に気づいてへんな。
まぁええか。恋愛に苦手意識のある光稀に気になる人が出来たんは相方として喜ばしいことや思うし。
その思いに気ぃついたとき、光稀は慌てるのだろうか。それとも気が付かなかったふりでもするのだろうか。
せやな、そんな光稀を想像するのも面白そうや。
実際の迷惑行為は、もっと酷いのでは?と想像できますが、惨い話が書きたいのではなく、光稀の過去をなんとなく知って欲しかったので、この程度。
次回は凛々子の日常。