44 海と夜景と
二人きりで会いたいと思っていても、結局会えたのは七月に入ってからだった。
俺がオフでもりこさんの方ががっつり仕事だったり。また、その逆に俺のスケジュールが開かなかったり。
とはいえ、ほとんど仕事の延長なのだが。
「えっと、じゃあ。近くまで」
「はい。すみません」
遅くまで打ち合わせをするのはよくあることで、終電までもう少し時間はあるけど。せっかくだから家の近くまで送ろうか?
今日、自車で事務所来てるし。
打ち合わせ終わりで、そんな誘いをするのも勇気がいった。
ドラマの撮影で忙しい時期にも、アルバム作成と秋からのツアー準備で打ち合わせはある。
遅い時間から本社へ。
指定の会議室で待っていたのはりこさんと堀田マネージャー。
休日の小泉さんに代わり、今日は長い時間堀田さんと一緒だ。昼間にはドラマの撮影スタジオで一度会ってるし。
早朝や深夜移動が多くなるドラマでは、自車で現場入りすることが多い。
さすがに電車を使うことは減ったけど、渋滞を避けるためにあえて電車に乗ることもある。
以外とバレない。
さて、秋発売のアルバム。初回特典に付くDVDには表題曲のMVとそのメイキングが収録されるのはお決まりだ。
が、新たな試みとして、今回は初回特典Bにソロ曲のMVを付けてみる。
初回なのにAとかBってなんだよ。という突っ込みはデビュー当初に諦めた。
個人的にはファンに負担をかけたくないけど、おまけトラックは違うし、支払った以上の幸せを感じてもらう作品を作ることで、勘弁してほしい。
まぁ、そんなわけで俺のソロの衣装について相談したい。って掛け合ってやっとりこさんと話ができた。
正直、撮影までのスケジュールを考えるとギリギリの日程。
既製品にアレンジをするだけとはいえ、締切がタイトすぎるかな。
いいと思った素材が使えそうだと提案したのは俺だけど、絶対使いたかったわけではないし、こんな、急に会議で決まるとは思ってなかったから。
スケジュール無理に詰めて、まるで我が儘言ったみたいになっていないだろうか。
結果、りこさんと会えたから良し。
「光稀くん。運転気をつけて。じゃぁ、俺は智史くんの所行くし、明日も早いから」
堀田さんがそそくさと部屋を出ていく。
今から智史の送り迎えか、大変だな。
免許あるくせに智史は運転をしたがらない。車内は貴重な睡眠時間とか言ってるらしいが。
「堀田さんっていつも早く上がるイメージですね」
りこさんが堀田さんの背中を見ながら呟やいた。
「二人まとまったときじゃないと、車って出ないんですっけ?」
「そんなこともないけど、二人でドラマだと、現場も時間もいつも以上に不規則で」
小泉さんなら、俺を駐車場まで送ってから移動するんだろうけど。
ま、いいか。
こうやって、少しでもりこさんといられるなら。
「それでは、お疲れ様でした」
え?りこさん?帰るのか、あっさり?
「ちょっ、待って」
呼び止めた俺にりこさんは不思議そうな顔をする。
「まだ、何か?」
「は?いや、だって。せっかく二人になったわけだし」
食事でも?
いや、もう打ち合わせ前に食べてるし。こんな時間じゃ開いてるのは飲み屋かバーか。
車の俺では飲めないし。
そうだ、家まで送るのは?
って、まだ電車走ってる時間か。
あー、もう。
「駅まで、送る。のは、ダメ?ですか?」
「へ?あ。いえ、ダメじゃない。です」
「もし、良かったら、家の近くまで。あ、その。急だし、お邪魔する気はないけど」
いや、りこさんの家、気になる。行ってみたいのは山々だが。
「家は!その、ちょっと、ごめんなさい」
そうだよな。片付けとかあるだろうし。
「俺こそごめん。じゃぁ、近くまで」
「はい。すみません」
りこさん、俺の写真飾ってるんだろうな。
そしたら、確かに入りにくい。
「光稀くん。もし、時間大丈夫なら、その。少し遠回りをしませんか?」
ひー。
言ったぞ。私、頑張った。
助手席に座ってシートベルトさえ付けたかどうかというタイミング。
だって、さっきっから光稀くんの一喜一憂が手を取るようにわかるんだもん。
今日会ったのは仕事だし、まだ電車のある時間だから普通に帰ろうとしたら、ガックリした顔したし。
近くまで送ってくれることになったら、浮足立って喜んでるし。
もちろん、ファンじゃない人が見たら気が付かない程度なんだけどね?
あ。
私の提案に固まってる。
「やっぱり、ドラマ撮影期間は忙しいですよね?」
「いや、行く。えっと、どこがいいかな。夜景?海?と、とりあえず車出すね」
なんか、動揺してますけど安全運転でお願いします。
着いたのは、夜の公園だった。
海のすぐ近く。
そう、あの観覧車や水族館のある公園。
遠回りという距離じゃなくなってるよ。
「やっぱ、観覧車はもう終わってる時間か。だと、展望台も入れないかな」
「展望台?」
「あの、ガラス張りのやつ」
あ、あれって展望台だったんだ。
園内は広くて、ここからだとキラキラ輝く建物にはまだ距離がある。
「りこさん、来るの初めて?」
「いえ、観覧車と水族館には」
「そっか。俺、水族館には行ってないや。観覧車もだけど」
主要な施設が終了した園内は人がまばらで、照明も少ない。
これなら記者に撮られることも無いだろう。もし、見つかってもフラッシュの光でこちらも気づく。
気がつけば事務所としての対応もしやすい。
「何年か前だけど、バーベキューのロケがあって。ほかのお客さんに迷惑かからないように早朝集合だったんだけど、駐車場は開いてるし、もう、一般の利用客いるし。そしたら、駐車場は24時間開いてるんだって聞いてさ。さっき、それを思い出した」
「あぁ、2年か3年前でしたっけ。GIFTの『パンドラ』の夏特番、拡大スペシャルのF2ゲスト回ですよね?」
「…りこさん。よく覚えてるね、いいけど」
あ。
引かれた?
だって、光稀くんが危なっかしい手つきでアウトドア料理とか、レアすぎて何度も繰り返し見たもん。
そっか、ここだったっけ。
観覧車が映り込んでればすぐわかったんだろうけど、エンディングロールの撮影協力の一覽、帰ったらチェックだ。
「思ったより広いね。足大丈夫?その、手を」
光稀くんが照れた顔で差し出す。
ん?これって、手を握るチャンス??
ヒール履いてるわけじゃないので足は大丈夫なんだけど。
うわ。
無理、照れる。
手汗とか大丈夫だよね?よし!いざ!
と、勇気を振り絞ったところで光稀くんの手が、引っ込んだ。
「ほら、りこさん。海見えてきた」
あぅ。
握り返すの遅かったか。
これじゃ、私が手に触れたくなくて無視したみたいだよ。
ごめんなさい。
トロくてすみません。
海と言っても湾だし、夜景と言っても、そんなに綺羅びやかなものではない。
リゾート地のムード漂う夜に比べたら、ただの広い公園だね。って場所だけど、私はドキドキが止まらない。
「海風、強いね」
「はい、うわっ髪が」
風にイタズラされたみたいに毛先が乱れる。
慌てて撫でつけたけど、また、強風に煽られた。
今日は打ち合わせばかりで作業がなかったから、髪は纏めていない。
「大丈夫?」
「はい、なんとか」
光稀くんが一歩近づいて、優しく髪に触れた。
「ずっと、触れてみたかったんだ」
私の髪に?そ、それは滅相もないことで。ふー、良かった。光稀くん好みのロングヘアーにしてて。
光稀くんはさらに一歩間を詰めてくるから、思わず後ずさる。
「あ、嫌だった?ごめん」
「いえ。大丈夫です」
髪に触れられたのが嫌なんじゃない。
近い。近いよ光稀くん。
許可は取れたとばかりに私の頭をなでなでするのは、あまりにも恥ずかしいからやめてほしい。
そして、そのまま、そっと私の肩を抱き寄せる。
…は?
えっ、ええ??
ちょっ、触れてるっていうか、くっついてます!
ふわっとした抱き方だけど、ゼロ距離です!これは、もう、犯罪なんじゃ。
アイドルにおさわり厳禁ですよね?
「りこさん?意識ある?」
くすっ。って光稀くんが笑った。
あぅ、その微笑みで昇天しそうです。
「どうにか、生きてます」
ワタワタしながら答えると、更に光稀くんの顔が近づく。
「俺を風よけに使いなよ、ほら、この角度なら」
耳元で囁かれた。
ふ、普通に言ってくれて構わないから。
だって、耳に光稀くんの息がかかる。
電話で何度も耳元に聞いてきた声なのに、今日は特別、背中がゾワゾワしちゃうよ。
肩を抱かれて、息が触れ合う距離。
恥ずかしくも気になって、そっと光稀くんの様子を伺うと「何?」って小首をかしげる彼。
その角度のまま、ちゅっ。
キスしてくる。
…は?
あれ?
えっと。確かにその覗き方は、少し見上げた私の顔と、口づけするのに丁度いい見つめ合い方でしたが。
だって、私。目を開けたままだったし。
はっ!
やだ、私、最後に何食べた?歯磨きしてないよ?
「ごめん、我慢できなかった」
「え…うん」
「りこさん、目、閉じて」
目?
じゃ、じゃあもう一回するの?
そんな、アイドルと!
まずいよ、精神上良くないよ、耐えられない。
それでも光稀くんは目を閉じる。つられて私も目を閉じる。
そっと。
唇に、貴方の想いを感じる。
わーわー。
さっきのは不意打ちだったから、今度のが初めてって思える。
ちょっ、や。ホント、ど、どうしたら。
次に、ついばむように。
抱き寄せられていた手が緩んだので、目を開けると、光稀くんと目があった。
「あ、あの。もう」
堪えられそうにないです。っていう間もなく、光稀くんは私の唇をはむっと口に含む。
そのまま舌で唇をすくわれる。
ぺろりとひと舐め。
ひー。
ちょっ、ごめんなさい、勿体ない行為ですぅ。
怯んだ私の口がアワアワと開いたところに、さらに舌が入り込む。
暴れそうに悶る私の腰を光稀くんは支えるように抱きしめて。
逃さないと言われているかのように回された腕に力が入る。
苦しい。
息が。
楽になろうと、私の舌が光稀くんから逃れようとするが、すかさずすくわれ、お互いに絡まる。
これは。やばい、キスだけで意識手放せそうだ。
「ん。…んん」
苦しい、熱い。
あぁ、もう、限界っ。
ひときわ大きく、口内を弄られたあと、ふいに唇は離れる。
「このまま、もっと繋がっていたい」
強く抱かれて耳元に囁かれる声。
繋がる…?
え。
えっと、それはキスのことですよね?
それ以上のことですかね?
「りこさん、声聞きたい。なにか言って」
「え?」
そういえば、ずっと光稀くんばかり喋ってて、私は相槌のような受け答えばかりだ。
でも、それより、このあとの方が気になる。
繋がる…って。
私、今日の下着、大丈夫?
いやいや、そんな事になるとかないよね?
一瞬、この辺りにラブボとかってあるんだっけ?とか、思っちゃったけど。
けど、ほんの一瞬だけだからね!
「もう、その。いっぱいいっぱいで、フラフラします」
「そっか。だね。俺も、かなり動揺してる。ごめん、離れたくないけど。もう帰る時間かな」
「そう、ですね」
やった、よかった。帰るって。
まだまだ一緒にいたいし、もっと好きって確かめたい気持ちも、ちゃんとあるけど。
それ以上にしんどい。
私が深呼吸ともため息ともつかぬ息を吐いたからか、光稀くんがそっと腕を出してくれる。
エスコートするみたいに、支えになってくれるようだ。
私は、素直にその腕に甘えた。
いや、ホントは顔から火が出そうなほど恥ずかしいよ?
でも、来るとき差し出された手を無視した形になっちゃったし。
キスはしといて、腕組むのは出来ないってもの変だし。
「光稀くん。その、これ以上のデートは、まだ私には耐えられません」
ぐったり気味でそう言うと、彼は照れながら
「じゃぁ、りこさんが慣れるように、毎晩電話で甘い言葉をかけてあげる」
とか、言い出した。
慣れる?
そんな日は一生こないと思いますけど。
やっと恋人らしいことを。ホントやっとだよ。
次回はりこさん、スキルアップのはずが…。




