4 企画部・衣装課
駅から本社までゆるやかな坂道を登る。運動不足の私にはゆるかろうが登りはキツイ。
SSR。
国内でも有数な大手アイドル事務所が見えてきた。正式名称は(株)サンシャインレインボー。
笑うところじゃないから、真面目な話ね。
「俳優や歌手ならいざ知らず、アイドルだけに特化した事務所なんて無い時代だよ?突飛なカタカナで話題沸騰だったんだから」
「輝くアイドルは太陽!虹の架け橋でファンの元へ、なーんてな?」
「メンバーカラーってあるだろ?で、色にまつわる虹を社名に入れたらしいよ」
など。
いろんな説があるんだけど、聞くたびに少しづつ違うから真相はわからない。
今は『自分だけの特別レアな推しを引き当てろ!』みたいに言われてるし。
ガチャか?
普段、SSRと言えばアイドル事務所の事だとわかってもらえるから、所属しているアイドルも社員の私も、サンシャインレインボーとは言わない。
以前、知り合いに名刺を見せたときは微妙な空気になった。
「うわぁ、本当にSSRじゃん、いいなぁ、ん?サンシャイン?」
「やだ、SSRって前株なの?」
淡いブルーの紙にシンプルな文字配列。
表には『SSR企画部衣装課サブチーフ倉沢凛々子』
裏には控えめに『(株)サンシャインレインボー』と所在地・連絡先。
突っ込むとこ、まだあるからね?
課だよ。
じゃあ何か?私は副課長なのか?
昭和と今のごちゃまぜ感がもぉ、なんだか。
実際に呼ばれるときは班だよな。衣装班とか倉沢班とか。ってことは私、班長なのか?いや、副班長?
社員証をゲートにかざして中へ。顔なじみの警備員さんに会釈で挨拶。あ、ちょっとイケメンさんの当番だ。
芸能界で衣装を担当している、と言うと大概スタイリスト?と思われがちなんだけど、私はステージ衣装の統括責任者って感じかな。最終責任者に上司の並木センパイがいるから、肩書にサブが付く。
社内に正社員としてデザイナーや衣装制作を抱えているのはかなり珍しいことなのだと思う。普通は外注に出しちゃうし。
そうだな、世界にも名が知れるような劇団やサーカスなどは内部にあるけど、うちはアイドル事務所だよ?
まぁ、ぶっちゃけデザインアイデアの盗難騒ぎがあって。
外注先を疑った上層部が、社内の企画部にデザインと衣装を所属させようって動いた為にできた部署なんだけど。
アイドルの衣装なんて似たりよったりだから初めはそこまで気にしなかったらしいんだけど、何度か続くと流石に疑わしいと感じるよね?
でも、証拠がなくて結局訴えることすら出来なかったみたい。
私が入社する前の事だし、上も話したがらないから詳しく知ることはできないんだけど。
実際、すべてを社内で行うと、特殊ミシンが何台も必要だし、縫製の難しい素材が多いので熟練した技術も必要。
なので、デザイン課はともかく、衣装作成は信頼の置ける外注に出さざるを得ないんだよね。
私がしてるのは、パターン作成や生地や付属などの確保と取り寄せ、発注、外注との窓口。
あとは、サイズや破損の直しとか、かな。
昔はちょっとほつれただけでも、直すのに手間賃と日数がかかっていたのが、今は私達社内で直せる。お給料の範囲内で。
外注への情報漏洩は私達が目を光らせることで減ってるはずだし、このシステムは成功なのかな?
うーん。まだ改良の余地はありそうだけど、私にとっては大好きなアイドル事務所に所属できてるんだもん、天国のように有り難い職場だよ。
衣装班が入るフロアには小さな休憩スペースとチーフの執務室、そして大きな部屋が三つ。
きっちりと仕切られた作業部屋だ。
職業用ミシンはパワーがある分モーター音が大きい。サンプルや直しだけとはいえ、いくつかある特殊ミシンが稼働するとかなりの騒音だ。
そのため、三つある衣装班それぞれの部屋には防音を施してある。
廊下からは部屋の中がよく見えるように、はめ込み式の大きなガラス窓。
盗難事件の再発を防ぐため『いつでも見られている状態』を作るべきだとの判断らしい。
でもさ、逆にこれだけ見れたらふらっと廊下を通った人が衣装の情報を見放題だと思うんだよね?
どうなの?
まぁ、個人的には防音のガラスって高額そうだから、壊さないようにしなきゃって緊張しちゃうんだけど。
エレベーターからほど近い区画が私の倉沢班と呼ばれてる部屋。
中へ入ると後輩たちが作業の手を止めた。ちなみに私は遅刻じゃないよ。フレックス制ね。
「おはようございます、りこさん。頼まれてた素材チェック終わってます」
「おはようございます、待ってました。パターン見てください。袖山と巾のバランスがうまくいかなくて」
「おはよう、シャツの袖?」
あいかわらずウチの子たちはやる気があるな。光稀くんの舞台も終わり、小さい子たちの夏休みコンサートの準備も外注からの仕上げ待ち。ちょうど手の空く貴重な時期に個々のスキルアップをさせている。あと、有給消化も。
「りこさん、男の子の服に飽きたりしません?女の子のフワフワとかヒラヒラが作れるようになりたいです!」
うん?何言ってんの?私が光稀くんの衣装に飽きるわけなくない?…こほん。
「そうね、グループによってはフェミニンなデザインもあるから、そのあたりの資料を参考にしてみたらどうかしら」
そうそう、F2にもロングコートが女子のワンピースか!ってぐらいに可愛くて美しいシルエットの衣装が…
いやいや、そんなことより今日は夕方から打ち合わせがあって。先程受け取った素材表を確認しないと。
すると雪乃ちゃんがタブレットに資料映像を出してきた。りこさんの指摘したフェミニンはこの辺りですか?と。さらに
「うちの班は月下で女性ダンサーを手がける分メンズ以外も楽しめるでしょ?オープニングのドレス衣装は基礎だし、アレンジの勉強にもなりませんか?」
と続く。
ホントこの子優秀だなぁ、私の下に付けとくのもったいないよ。
「ありがとう。そうね、あとは去年のCOUNTRYのピンクのセットアップなんてどうかしら」
とはいえ、テキパキと後輩の世話を焼く雪乃ちゃんにも、ちょっと理解しにくい趣味がある。彼女の萌えポイントは生地のしわなのだ。
私もさ、パンツのしわとかダンスのさいに出る肩甲骨周りのしわとか大好きだけど!すっと立ってるときにしわが出たらサイズが合ってないだけなんだけど、だからってピッタリすぎたら動けないわけで、計算されたゆとり分が絶妙なわけ!
わかる?
特にF2が出すしわは二人ともに美しくて…
けれど、雪乃ちゃんは私の上を行く。目に留まるしわが幅広く、衣装以外にも興奮を覚えるらしい。
興奮って…。
どこそこの劇場の緞帳のドレープ具合が最高だとかなんとか。初めて聞いた時には私でもさすがに引いた。緞帳って、まじまじと見たりしないよね?普通。
SSRを志望した理由は早替えの衣装を作りたいから。と。
「私、友達の付き合いでCOUNTRYのファーストコンサートへ行ったんです。そこで初めて生で早替え見て、感動して!舞台上で衣装が変わるのもすごいんですけど、それより!下にいくつも衣装を重ね着してるのに、一番上の衣装に変なしわが出ないんですよ!ありえなくないですか?どんな技術ですか?知りたくないですか?入社目指しません?」
黙々と仕事をこなす雪乃ちゃんが職場に馴染んできたころにぶちまけられた告白。
「確かに、瞬時に剥がすための衣装は着るよりもまとう、だから奇麗なシルエットを保つための工夫があるし、興味が引かれるのもわかる気がするわ」
私なりに自分の萌えポイントを隠しながらも雪乃ちゃんに理解を示すと
「好意的な意見、始めてもらいましたぁ」
と、懐かれてしまった。
まだ私がサブチーフになる前の話。
いやぁ、でも、早替えなら歌舞伎とかさ、あとはイリュージョン的な出し物とか…ウチ以外の舞台衣装を専門に作ってる会社行けばいいのに。
「そういえばりこさん、月下のパーティーどうでした?まだ話聞いてないです」
「わぁ、私も聞きたいです。ホテルでの開催だったんですよね?」
そうだった、有給消化で全員いないからそろったら話す約束だった。
うーん困った、私に光稀くんの話をしろと?
「そうね、劇場関係者も参加していて、いつものコンサートの打ち上げとはだいぶ違った集まりだったわ」
萌えを出さないように落ち着いて先日の話をする。
「ジャケットの件で光稀くんから感謝の言葉があったの、みんなのおかげで夜公演も無事だったし、私からも改めてお礼が言いたいわ、ありがとう」
会場の雰囲気や関係者の挨拶の内容を掻い摘んで話す。
光稀くんに褒められて嬉しそうな彼女たちをなだめて仕事にもどす。
…ふう、パーティーのこと思い出しちゃった。
「りこさんと話がしたかった」
って言われたんだよぉ、光稀くんに。
…フフフ。ははは。
へへへへ…。
あの日、帰宅して気持ちの整理をつけたつもりだったんだけどな。
光稀くんとお喋りしちゃったー、羨ましいかっ。羨ましいぞっ。そうだろうとも!
…いけない、仕事しよ。
夕方の打ち合わせまでにすることがいくつかある。
タブレットを立ち上げて社内メールと本日のタスクをチェック。
素敵な思い出があれば何があっても乗り切れる!
一人でできる仕事ではないので、周りにいる同僚はどんな感じかな?と考えてみたら、偏った萌えを持った子に。そんなつもりじゃ…
りこさんが打ち上げのことを思い出したので、次回は前回のパーティーをりこさん視点で。