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推しの衣装を手がけてます!  作者: 葵 紀柚実
一章 恋心は内密に
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1 トラブル

千秋楽が近づいて、少し気が緩んでいたのかもしれない。些細な事が大きなミスにつながる。


二幕が開いてすぐ、社交界のシーン。

衣装担当の倉沢凛々子(くらさわりりこ)は、楽屋近くの衣裳部屋で同じ班の後輩と打ち合わせをしながら舞台を映すモニターを見ていた。

舞台が始まって一週間、普段は後輩に現場を任せているが、手直しの必要な衣装が数点あったため、初日以来久しぶりに現場入りしていた。

今日は昼と夜の二回公演。

「じゃあ、後は楽日までみんなにまかせても大丈夫ね?」

信頼している雪乃(ゆきの)ちゃんが夜の衣装を最終確認しながらうなずいてくれる。

私が担当しているのはこの舞台だけではない。せっかく現場に来たけれど最後まで見ていくわけにはいかないのだ。

「…あれ?」

何か、舞台上が気になってモニターを確認する。中央のバックダンサーの位置が少し前ぎみじゃない?

「ねぇ、これ。ターンしたら…」

モニターを指差すと同時に、私が気になった女性ダンサーがよろめいた。ように、見えた。

彼女は、立ち位置を回転のさいに修正しようとでもしたのだろうか、体が変に揺らいでいた。

それでもなんとか踏みとどまったのはさすがプロと言うべきか。でも、きっと足を挫いている。

後輩たちがモニターを見ながら「事故?」「大丈夫じゃない?」とつぶやくころ、私は夜公演で使う深紅のジャケットを手にして部屋の扉へ向かっていた。

よろめいたせいで位置は修正されていない。それどころかよけい前に出てない?

あのままだと次のターンで光稀くんにぶつかる。

で、彼女のカツラが取れる!


国民的アイドルユニットF2(エフツー)藤枝光稀(ふじえだこうき)が座長をつとめるミュージカルショー『月下掌握』はバンパイアをモチーフにしたオリジナルストーリー。

初演の一昨年はアイドルの舞台なんて、どうせファンがキャーキャー騒ぐだけ。たいしたことはないだろうと言われていた。

けれど、公演が進むにつれ歌・ダンス・話の構成などが認められ、今年再演するに至ったのだ。

それもただ同じ芝居を届けたのでは再演の意味がないと、ストーリーの再構築がされ、ショー要素が多かった前作よりも舞台としてより魅力ある台本に進化している。

そのため、ダンサーは村娘、メイド、貴婦人等と衣装の早替えもせわしない。

彼女たちは元々の髪をひっつめにしてシーンごとに付け毛をしている。それらは私たち衣装の担当外で詳しいことはわからないが、もう一度よろけたら、きっと真ん中に立つ光稀くんは彼女を支えるために手を伸ばしてしまう。普段より立ち位置がずれていた、手が届く位置に。だからこそ助けてしまうだろう。そしたら…髪が、ドレスに合わせた縦ロールの金髪が光稀くんのジャケットのボタンか胸元のコサージュに絡まりそう。

予感が外れればいいけど。

廊下へ踏み出す私の後ろで、モニターを食い入るように見ている後輩たちから小さな悲鳴があがった。

「大変です!衣装が…」

雪乃ちゃんが私に声をかける。やっぱり少なからず事故った。部屋を出た私は舞台袖へ走る。


困ったな、今トランシーバー付けてないや。普段から衣装の私は付けることなんてないけど。

「あの!倉沢がジャケット持って舞台袖に行きますって伝えて!」

スタッフジャンパーの大道具と思われる青年に声をかけ、耳中みみなかに連絡してもらう。もちろん足は止めずに。

舞台裏の通路に置かれたモニターに目を向ければ光稀くんがダンサーとペアダンスで上手かみてへすべるようなステップで進んでいた。

よかった、上手であっていた。社交界のシーンはホールへの入場が上手だから急遽はけるならこっちだと思ったんだ。

本来なら光稀くんのソロダンスのシーンだが二人の密着具合から予感的中、事故だ。離れることができない状況…

衣装は無事で、くじいた足を庇うため?でも、雪乃ちゃんが衣装って言ってたし。

詳しく確認してから飛び出せば良かったかな、でもそれじゃ遅くなる。

舞台裏、足元に微かな明かりだけの中を走る。私を見て道を開けるスタッフ。

はぁはぁ、疲れた。つらい。髪をまとめてくればよかった。まとわりつく。

はぁ、足痛い。普段の運動不足がたたるなぁ。たいした距離じゃないのに。

ほら、上袖かみそではすぐそこ。

「倉沢さん、トランシーバーで聞いた。暗転5秒入るって!」

たった5秒?けれど本来はないはずの演出の変更だ。

裏から袖へ入った途端、緊張が走った。

目の前に泣き崩れたダンサーがいたからだ。

裏と比べればいくぶん明かりのある場所へ来たことで、一度瞬きをする。

私が袖に入るとほぼ同時に光稀くんと彼女もはけてきたようだ。

光稀くんはジャケットと絡まった髪、付け毛をスタッフにわたす。しゃがみこんだままの彼女はわたされたタオルを顔に押し当て泣いていた。ここで声を立てれば客席にまで聞こえてしまうかもしれない。必死でこらえるようにしているが、これでは舞台に上がれないだろう。

うわー、どーすんだよ、コレ。

そう思った所で流れていた曲が終わった。

5秒の暗転に入る。

私は急いで光稀くんにジャケットをわたす。彼の手に触れた。

震えている。

平気そうな顔をしても彼だって緊張したりするんだ。

以前、インタビューで後戻りのできない舞台では臨機応変さが必要だって言ってたし、とっさの判断でペアダンスに切り替えていたから、たいして動揺していないのかと思っていたけれど、本当は必死なのかな。

だから私は、彼の手をぽんとたたいた。大丈夫だよと想いをこめて。

舞台に光がともる。

光稀くんがジャケットを羽織りながら戻る刹那、

「ありがと」

音をたてずに口の動きだけで、私にお礼をくれた。


客席はこのトラブルに気がついていないのではないかと思うほどだ。

一人のダンサーが欠けたことで、光稀くんはシャドーダンスを踊ることになったけれど、逆にそれこそが主人公の孤独を表す演出にさえなっている。

スポットライトが光稀くんから舞台奥の階段上に現れたヒロインへと当たる。

良かった、これでちゃんと次のシーンへ繋がった。

袖では、先程まで泣き崩れていたダンサーが冷却スプレー等で痛めた足首に応急処置をされていた。

次の場面から舞台へ上がるのか、代役を立てるのか…

衣装のサイズが変わるような代役なら、予備の物を出して来なければ…!

まぁ、必要なら声をかけてくるだろうし、とりあえず私は、先程受け取った付け毛の絡まったジャケットをどうにかしないと。

早々に先程の衣装部屋へ戻ろう。

舞台裏に下がり、近場のモニターへ目をやると、舞台上では光稀くんがヒロインと手を取り合い見つめ合っていた。

手。

さっきは震えていたのに堂々とした演技だ。

…手。

私、ぽんって触っちゃったなぁ…


そぉだよ!

触ったよ!!

私、天下のアイドル藤枝光稀の手に触れたんだよ?

仕事とはいえ、ひぇーだよ。恐れ多いよ!

はぁ…やっぱ、相変わらず光稀くんかっこいいなぁ〜。

年下だけど、可愛いじゃなくてカッコイイ!

まぁ、年下って言っても二歳差だし?

私はモニターを見ながら、ふっと息を吐いた。

周りからは突然のアクシデントを乗り切った衣装担当のほっと一息に見えているだろう。けど、違う。

これは、大好きな推しの光稀くんが今日もカッコイイ〜!きゃー!

の、ため息だ。

推しとかファンとか、なんならヲタク、なんと表現されてもいい。とにかく好き、大好き!

本当に好き。CDデビュー前からチェックしてたし、ファンクラブにも入ってるし、愛してる。

ガチ恋だって自分で言い切れるぐらい好き。

すらりとしたシルエット、憂いを帯びた瞳。短く清潔感漂う黒髪。さらりと流れる前髪。はにかむように微笑む控えめな表情。

まさに私の理想の王子。

はぁー好き。全部好き。

そんな私の王子様が「ありがと」って言ったよね?

あ、声には出してなかったけど、でも、私には光稀くんの幻聴が聞こえるから『言われた』で間違いない。

そう、幻聴も幻覚も想いのままに再現できる!愛ゆえに!

やばい、鼻血出そう。あと、ヨダレも。

…あ。

モニター凝視したままだった。衣装部屋行かなきゃ。


顔がニヤけてきたので咳払いをして誤魔化しながら、すたすたとやや早めに歩みを進める。

私が光稀くんのファンだとは周りのスタッフに話していない。

この業界、アイドルが好きだから職業として選んだ人は多い。そのため隠す必要はないと思うのだが、私の場合気持ち悪いぐらいのめり込んでるからなぁ。えぇ、自覚あるぐらい気持ち悪く。

によによしながら「へへへぇ」って息づかい荒く光稀くんに近づいたら、秒で捕まると思うんだ。通報されちゃう。

そんぐらい好き。

もちろん、捕まるような失態はしないように我慢するけど、すました仕事モードの時に

「倉沢さんって光稀くんのファンなんですか?」

とか、声かけられたら気が緩みそう。

メジャーを腰に回してウエスト測るときとか。

あ、あれだよ?私の腕を回してるんじゃないよ?あくまでメジャーだからね?

いやぁ、こないだのフィッティングは心臓バクバクだったなぁ。

衿の形見るのに首もとへ顔を近づけたり。だって、デザインが特徴的な衿だったんだもん!仕方ないじゃん?

別に光稀くんのうなじを凝視したりなんかしてないからね!

アイドルでも歌唱力には定評のあるF2だから、声帯が鍛えられているのか、細すぎもせず、色気のある首もとで…

あ、部屋へついた。


「あ、りこさん戻ってきた。お疲れさまです」

「さすがサブチーフ。対応早くて驚きました」

モニターで舞台上を確認しつつトランシーバーを付けたスタッフから上手袖の状況を聞いていたという彼女たちは、予備のジャケットを準備して夜公演に備えつつ、ヘアメイクさんたちと絡まった付け毛を補修する相談をしていたそうだ。

仕事早っ。

「手際が良くて助かるわ」

日本屈指の大手アイドル事務所で仕事しているだけのことはある。このメンバーならハプニングでも乗り越えられる。

「元々りこさんは帰るところだったんですから、ここは任せてもらって大丈夫ですよ」

雪乃ちゃん頼もしいなぁ。確かに、他の担当アイドルの衣裳について確認したいことがあるんだよね。

「そう、わかったわ。これお願い。何かあったら連絡して。頼りにしてる」

「はーい」

私がジャケットをわたすと元気な返事とともに作業を開始する。

ダンサーが代役になるのか、その衣装は間に合うのか気がかりはあるけれど、そのあたりも任せておいて大丈夫そうだ。

荷物を手に劇場裏の関係者専用扉へ向かう。

通路にも、小さなモニターがあった。

うわぁー、黒のベルベットの衣装似合うなぁ、光稀くん。これいいよね。

さっきの深紅も似合うし、一幕の金色も。何でも似合うけど、やっぱり黒だよなぁ。

最近、光稀くんのことを黒騎士とか言うファンが増えたんだよね。称号のあるアイドルって萌えない?萌える!

まぁ私は、昔から変わらず王子だと思ってるけど。

あーあと、闇の貴公子って称号もあったっけ。

F2の相方がイメージ白っぽいから対になる光稀くんが黒とか闇なんだろうな。

「あれー?倉沢さん最後まで見ていかないんですか?」

声かけられて足が止まった。

おっと危ない。考え事していてドアにぶつかりそうになっていた。

いや、ぶつかってないし、平気だし?

「倉沢さん忙しいんですね、お疲れさまです」

笑顔で去っていく名前も知らないスタッフにすまし顔で会釈しながら扉を開けた。

向こうは私の名前知ってるのか、誰だっけ?まぁ、いいや。


今日は光稀くんの手に触れたあたりから私情が乱れまくって仕事に差し障りが…

軽く目を閉じてから深呼吸。

よし。

私はできる女の顔を作って駅への道をあるき出した。

…できる女ってなんだよと、思いながら。

実際、衣装さんってどんな仕事してるんだろう?

スタイリストさんを衣装班と呼んだり、舞台衣装専門の会社があったりと、芸能事務所や活動内容によって様々ですが、小説なんだから、多少強引に書きたいことを書いていこうかと。

次回はアイドルユニットF2について。

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