20.近づく距離③
彼が未婚の女性達に囲まれている姿を想像してしまい、なぜか心が落ち着かなくなる。
彼が誰といようとそれは彼の自由であって、自分には関係がないことなのにどうしたのだろうか。
彼にはこれから相応しい出会いがあるわ。
邪魔はしたくない。
私ではない誰かと…いるべきだわ。
彼は侯爵家の嫡男なのだから、いつか相応しい人が彼の隣に立つのは当たり前のこと。
それはきっと遠くない未来に起こる現実。
ちゃんと理解している、それは侯爵家にとっても彼にとっても必要なことだと。
それなのに…その姿を見たくないと思ってしまう。
無関係な自分がそんなことを考えること自体が意味のないこと。
それにヒューイには誰よりも幸せになって欲しいと思っているのに、なぜ彼の幸せな姿を見ることを私は拒むのだろうか。
なんだか今日の私は変だ。貴族令嬢の私らしくない。
彼の幸せを願いながらそれに反する思いも抱くなんて。
だからなのか口から出てきたのは気の利いた断りの台詞ではなく、自分の過去を考えての後ろ向きな発言だった。
「…離縁した私なんかを連れて行かなくてもヒューイと一緒に参加したい素敵な令嬢はたくさんいるわ」
なんだか拗ねているような言葉。
気遣ってくれた彼に返す言葉ではない。
伯爵令嬢としても人としても失礼な言い方だった。
こんなことを言うつもりなんてなかったのに…。
私ったらどうかしているわ。
我に返り言い直そうとするが、その前に彼が口を開いた。
「つまりマリアは噂がある俺となんか一緒に夜会へは参加したくはないのかな…?
口数の少ない男だと言われている俺と一緒ではつまらないだろうから、断られても仕方がないな…。
残念だが俺はまた一人寂しく夜会に参加しよう」
彼は私を見つめたまま、がっかりした表情を浮かべる。
そんな風に思ってなんかいない。
彼の口から出た『俺となんか』という言葉を今すぐに否定したい。
私が断ったのは彼ではなく、私のほうの問題。
『私なんか』では釣り合わないから断わっただけ。
『本当は彼の…隣にいたい』
私の気持ちを誤解されたくなんかない。
「そんなこと思っていないわ、『俺となんか』と言わないでちょうだい。そんな貶めるような言い方は貴方自身であっても許さないわ。だってヒューイは素晴らしい人よ、いつでも真っ直ぐで誰に対しても態度を変えないし、媚もしない。ちゃんと自分自身を持っている。
それに貴方との会話はとても楽しくていつまでも話していたいぐらい。今まで伝えてはいなかったけど、いつも私はそう思っていたのよ。
ヒューイにエスコートして貰えたらとても嬉しいし、貴方となら夜会にだって参加したいと思っているわ!」
思わず大きな声でそう言ってしまった。
人は慌てると偽りではなく本音が出てしまう。
ハッと我に返った時にはもう遅かった。
口から出た言葉は取り返しがつかないのだから。
「じゃあ決まりだな。マリアは俺と一緒に夜会に参加しよう。これは侯爵子息と伯爵令嬢の約束だから、もう覆すことは許されない。
もしどちらかが約束を反故にしたらマイル侯爵家とクーガー伯爵家の責任問題にまで発展するな。お互いに責任重大だな、あっはっは」
そう言うヒューイはなんだかとても嬉しそうで、家同士の責任問題について言及している顔ではない。それに最後はしっかりと笑い声まで上げている。
その様は寡黙な側近というより陽気な側近にしか見えない。
両親も彼の言葉に『うん、うん』と頷きながらお互いに耳元で囁きあっている。
「そうなったら我が家は社交界から追放かな、それは困ったぞ先祖に顔向けができない」
「あらあら、それはとても困るわね。そうなったらどうしましょうか?あっ、でもこれは親である私達が穏便に対処すればいいことだから、そうなってもマリアには内緒にしておきましょう」
その声は丸聞こえで、囁きあってる風を装っているが完全に確信犯だ。
それに困ったと言いながら全然困った顔はしていない。いつも以上に晴れやかな表情を浮かべている。
兄にいたってはニヤニヤしながら『マリア、家を潰してこのお兄様を泣かすなよ』と軽口を叩いてとても楽しげだ。
明らかに秘蔵のお酒の飲みすぎだろう兄を軽く睨むが酔っ払いには全く効果はなかった。
「マリア、お兄様はとっても嬉しいんだぞ~。はっはっは、今日は最高だな!」
そう言いながら私にぎゅっと抱きついてくる。
お酒臭いが温かい抱擁。
そういえば幼い頃に私が泣いていると兄はいつも私を抱きしめて『お兄ちゃまがいるからな』と慰めてくれた。
兄にとって私はいくつになっても手の掛かる妹なのだろう。
私だってもう子供ではないのに。
お兄様ったら子供扱いして。
それがくすぐったいけれども嬉しくて、『もう飲み過ぎです、お兄様』と厳しめの口調で窘めながら兄の抱擁を笑って受け入れる。
大きな声で『彼と夜会に行きたい』と宣言するように叫んでしまった自分が今は恥ずかしくて仕方がない。
でも自分の言葉を否定はしない。
行くこと自体は嫌ではない…というより彼との約束はとても嬉しかったから。
それは誤魔化しようがない事実。
一歩を踏み出すことをさっきまで躊躇していたのが嘘のようだ。
家族が優しく私の背中を押してくれ、ヒューイが一歩踏み出せずにいる私の手をしっかりと引っ張てくれたから、私は前に進むことが出来た。
彼らが臆病な私に勇気を与えてくれた。
「ありがとう」
私が今告げるべき言葉はこれだけ。
だから心を込めてみんなにこの言葉を贈る。
両親も兄もヒューイも笑顔を浮かべて、
「なんのことだ?」
「なんのことかしら?」
「…なに言ってるんだ?」
「俺こそありがとう、マリア」
と何もしていないふりをする。みんなの名演技ならぬ迷演技に思わず私が笑ってしまうとみんなつられるように声を上げて笑っている。
幸せを感じる瞬間。
彼らの優しさに包まれている私はどんなことでも乗り越えられる。
心からそう思っていると、不安なんていつの間にか消えてなくなっていた。




