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2.私を忘れた夫

嫌な夢を見ていた気がする。

夢から逃れたくて重い瞼をなんとか開き目覚めようとする。


だんだんとはっきりしていく意識。

目を開けるとそこには憔悴した表情の義母がいた。



 ああ…そうか。

 あれは夢じゃなかったのね…。



私が嫌な夢だと思っていたことは現実に起こったことだと思い出す。

ゆっくりと身体を起こそうとすると義母が私の背に手を当て助けてくれる。

 

「…お義母様、有り難うございます」



ベットで横たわる私の側にいるのは義母だけだった。周りを見るけれども夫であるエドワードの姿はどこにもない。



「マリア、具合はどう?大丈夫かしら?」


心配そうに話しかけてくる義母の表情は暗い。

息子であるエドワードが一年ぶりに帰ってきたとは思えないものだった。



「…大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ございません」


それは嘘、本当は大丈夫でなかった。


帰ってきた夫は一人ではなかった。愛おしそうに見つめる先には女性と赤ん坊がいた。そしてあの会話から察するにあの子供は彼らの子で、彼らは…。



…考えたくない。



俯いたままの私に義母は話しを続ける。


「あのね…。マリアが気を失っている間にエドワードから事情を聞いたわ。

あの子は私達が捜索していた場所よりもずっと遠くに流れ着いていたのよ。隣国ではなくその先の国だったから情報がこちらに届かなかったのね。


そして記憶を失ったまま親切な男爵家で手当を受けていたらしいわ。

そのお陰で濁流に揉まれて負った怪我も完治し、徐々に記憶を取り戻して自分がエドワード・ダイソンだと最近思い出し帰ってこれたらしいわ」


義母は肝心な部分は話していない。きっと私のことを気遣って意図的に避けているのだろう。



「お義母様、それだけではないですよね?エドと一緒に来た女性と赤ん坊のことも教えて下さい」


本当は聞きたくなんてない。

でもこの状況で私が知らないままではいられないのも事実だ。


義母は私の言葉に静かに頷いてから教えてくれる。



「あの女性は親切な男爵家の三女で流れ着いたエドワードを助けて付きっきりで看病をしてくれたらしいわ。

そして…二人は自然と恋に落ちて夫婦として暮らしていたと。男爵と言っても平民に近い暮らしだったようだから周りも反対しなかったみたい。

エドワードが誰か分からなかったから正式な婚姻はしていなかったけど、夫婦であることは変わらないって言っているわ。

それにあの赤ん坊もエドワードの子供だと言っているの。…確かに赤ん坊の頃の息子に驚くほどそっくりだったわ」



「……そうですか」


真摯に看病してくれる相手と記憶喪失の男性との間に芽生えた想いはちまたで流行っている恋物語のように燃え上がったのだろうか。すぐさま子供にも恵まれたことからきっとそうだったのだろう…。


二人の想いの深さを想像して胸が痛くなる。


ちらっと見えた赤ん坊は髪の色こそ女性の赤毛と同じだったけど、その顔は夫によく似ていると思った。

幼い頃の夫をよく知っている義母さえもそっくりと言うのだから、あの子はエドの子で間違いないのだろう。


認めたくなかったことがあっさりと現実になってしまった。


 望んでいた子は私とエドの子だったはず…。

 エド…忘れてしまったの?

 


私達は心から子の誕生を望んでいた、でもこんな形ではなかった。

それなのに泣く我が子をあやしていた彼は本当に幸せそうに見え、それが何より辛かった。


「それにね、あの子は全部の記憶を取り戻したと思っていたけどそうじゃなかったわ。話してみると実際には数年間の記憶は戻ってないままだった。

お医者様が言うにはこのままかもしれないし、いつか戻るかもしれないけれど、それははっきりとは分からないと言っていたわ。

ごめんなさいね、マリア。こんな事になってしまって…」


記憶の欠落という義母の言葉に『…やっぱり』と思った。


エドは馬車から降りてきたとき他人を見るような目で私を見ていた。

そこには私への愛情は感じられなかったし、女性を一緒に連れてきた申し訳なさは微塵もなかった。


そこにあったのは家に帰れた安堵と一緒に連れてきた女性と赤ん坊への気遣いだけ。


妻である私に対する感情は不自然なほどなかった。



つまりはエドには私との記憶は一切ないのだろう。



そうでなければ彼が私にあんな態度を取るとは思えない。



 そんな人ではなかったもの…。



「エドは私と結婚していることを忘れているんですね……」


それは質問ではなく、思わず呟いてしまった言葉。



「ええ、あなたと出会った頃からの記憶はまだ欠落したまま思い出していない。だから私達から自分に妻がいることを聞いて酷く動揺しているわ。記憶がないあの子は自分は独身だと信じていたのだから。

それは相手の女性もだけど…。

二人はエドワードと正式に結婚してここで暮らすために帰ってきたの。まさかもうすでに結婚していて妻がいるなんて思ってもいなかったみたいで。

とにかく混乱していたけど、このまま伝えない訳にもいかないから全てを伝えたわ」



良かったと思った。私からはとてもじゃないけど彼に冷静に伝えるなんて出来ない。



「それでエドはなんて言っていましたか?」


聞くのは怖かったけど聞かないわけにはいかない。だって私は彼の妻だから。


「あなたが目を覚ましたら話し合いたいって言っているわ。でもね、無理しなくていいのよ。

突然こんな事実と向き合えって言われても難しいことだから、もっと気持ちを落ち着けてからでいいのよ、マリア」


義母は嫁いできた私を実の娘のように可愛がってくれている。

だから私に無理をさせまいと気を遣ってくれているのは分かる。


でもそれに甘えてもなにも解決はしない。



「私、エドと話をしてみます。正直…私も混乱していてちゃんと向き合えるか分かりません。でもあの女性や子供のことをそのままにもしておけませんから」



自分から二人の存在に触れておきながら、自分の言葉で心を抉られる。



「本当にごめんさない、マリア。あの子の帰りを信じて待っていてくれたのはあなただけだったのに…」



謝り続ける義母に優しい言葉を掛けることはできなかった。今の私にはそんな余裕はなかったから。


ただ夫がこの瞬間にも私のことを、そして他に忘れている大切なことを思い出してくれることを願い続けていた。


ここは彼と私が築いてきた家庭があった場所だから思い出してくれるはず。

そしたら彼は私を前のように抱きしめてくれるわ。


残酷な現実を前にしても希望は捨てられなかった。

 


 私達は愛し合っているんだから。

 きっと思い出してくれるわ。


 そして『ただいま』って言ってくれるはず。


 エド、そうよね…。



この状況を私とエドだったら二人で乗り越えられるとこの時の私はまだ信じて、…いいえ、信じようとしていた。


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