CAR LOVE LETTER 「My father's memory」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:NISSAN SKYLINE GT-R(BNR32)>
「こんなの、女の乗る車じゃないよ。」
「ずいぶん古い車だよね。燃費も悪いでしょ?新しいのに代えたら良いのに。」
この車の事を知らない人は、異口同音にそんなことを言う。
今日も会社の先輩に似たような事を言われた。
それでも私はこの車に乗る。スカイラインGT-R。
元々はお父さんの車だったけれど、今は私がステアリングを握っている。
この車との出会いは私が高校生の時だった。
その頃はバブル経済真っ只中で、お父さんの経営する工場の景気もうなぎ登り。作れば売れる、そんな時代だった。
海外旅行にも何度か行ったし、家族の誕生日にはホテルのラウンジでディナーなんて当たり前。それくらい景気がよかった。
そんな最中にうちに来た一台の車。それがこのGT-R。
お父さんは昔からスカイラインが好きで、いつも雑誌やカタログを読みふけっては、「やっぱGT-Rはかっこいいよなぁ。」と私達に聞こえる様にもらしていた。
そんなお父さんはある日の夕飯時、二本目のビールを空けた後、意を決してお母さんと私に、「俺は夢を買うぞ!」と思いの丈をぶつけてきた。
その時ちょうどテレビでは、スカイラインのコマーシャルが流れていたっけ。今もはっきりと覚えている。
その二ヶ月後、お父さんの夢は現実のものとなった。
キーを受け取り、ディーラーの正面に停めてあるGT-Rに颯爽と向かうお父さん。
そのニヤケ顔ったら、新しいオモチャを買ってもらった男の子みたいだった。
普段身なりにはほとんど気を使わないお父さんが、毎週の様にGT-Rを掃除する。
お母さんも、「そんなに磨いたら、塗装が剥げちゃうわよ。」なんてお父さんの行為を揶揄していた。
「こんなグレーじゃなく、もっと綺麗な色にしたらよかったのに」と私が言うと、「これはグレーなんかじゃない!ガンメタという色なんだ!」とお父さんは顔を真っ赤にして、怒っていたっけ。
お父さんは本当にGT-Rが大好きで、GT-Rと過ごす時間が楽しくて仕方が無いようだった。
温泉に行ったり、近場の名所を訪れたり、私達の移動はいつもGT-Rだった。
固い乗り心地、うるさいエンジン、狭い車内、そしてその狭い車内に充満するお父さんのタバコの煙・・・。
全てが快適とは言い難い状況。満足していたのはお父さん只一人。
私もお母さんも、お父さんには社長さんらしく、もっと快適なセダンとかに乗り換えて欲しかった。
そんな私達の気持ちは露しらず。私達はお父さんの夢に付き合わされ続けた。
月日が経ってもいつも新車の時の輝きを放つGT-R。
いつまでも変わらないのはGT-Rだけだった。
GT-Rが初めての車検を受ける時、お父さんの病が発覚した。
検査の後、私には「ちょっと悪い風邪みたいだ。薬を飲めばよくなる。」と言った。
本当の病名は、肺癌だった。ずっと後で聞いた話だが、実は手術も難しい程の病状だったらしい。お父さんは残りの人生を、メスを入れずに過ごす事に決めたのだった。
不幸は続くもので、バブル経済の崩壊で、突如不景気のどん底にたたき落とされた私達家族。
お父さんの工場もご他聞に漏れず、売り上げは最盛期の十分の一にまで落ち込んだ。
私立に通う私の学費は相当のものだったはず。私は学校を辞め、仕事に就こうと考えたが、お父さんはそれを頑に拒んだ。
ギリギリの毎日だったけれども、お父さんはGT-Rを手放す事はしなかった。
お母さんもGT-Rを売ろうと提案する事はしなかった。
真っ暗な車庫ではGT-Rがひっそりと、キーを携えた主人が来るのを待っている様だった。
私の高校の卒業式、小学校、中学校ともに仕事を理由に来なかったお父さんが、初めて式に出席した。
卒業証書を校長先生から受取り、在校生のまばらな拍手を受け、演台を降りる際に父母席に目をやると、お父さんが号泣しているのが見えた。
初めて見るお父さんの涙。いつも厳しく、力強く、そして優しく大きなお父さん。
そんなお父さんの涙に、私の胸にも熱くこみあげて来るものがあった。
卒業式の後、お父さんは街が見渡せる高台の公園に私を連れ出した。
花びらが開き始めた桜の木の下で、久しぶりにタバコをくゆらせながら、お父さんがふと口を開いた。
「お前、もう免許取れたんだよな。でも、この車は要らねぇか・・・。」
それだけ言うと、少し寂しそうな表情で、お父さんはGT-Rのドアミラーをそっと撫でた。
それが私とお父さんとGT-Rの最後の思い出。
その2ヶ月後、お父さんは息を引き取った。
夜中に体調が急変し、救急病院の集中治療室へ運び込まれるも、私達の願いは届かず、お父さんは私達を残して帰らぬ人となってしまった。
お父さんが亡くなった後のお母さんは、工場の処理やお金の手続きなど本当に大変そうだったけれど、そんな苦労を何一つ私には言ってこなかった。
でもただ一つだけ、「これはどうしようか」とお母さんは涙ながら私に聞いてきた。
そのお母さんの手には、お父さんのGT-Rのキーが握られていた。
桜の咲く頃、私はいつもあの公園にGT-Rとともに訪れる。
お父さんが私とGT-Rの姿をよく見られる様に、公園の一番高い所にGT-Rを停める。
お線香の代わりにお父さんが大好きだったタバコにそっと火をつける。
そして、私はお父さんに語りかける。
私もお母さんも、そしてGT-Rも元気にしてます・・・、と。
最後にお父さんがこの公園で吸ったタバコの吸い殻は、今もこのGT-Rの灰皿に残っている。
お父さんの思い出とともに。