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特異事例調査員 日奉菖蒲の調査ファイル  作者: 龍々
Final case:大禍
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第89話:禍福は糾える縄の如し

 全ては終わった。従姉であるまーちゃん――殺月真臥禧が引き起こした『大禍事件』は突如として何事も無かったかのように収束した。病院の崩壊はピタリと止まり、体を浸食していた奇妙な融合現象も嘘の様に急に不活性化した。まるで何事も無かったかの様に遠くに見えていた巨大な時空間異常も消滅していた。


「こら動くんじゃないよ。じっとしな」

「……」


 そう制止してきたのは日奉真白さんだ。実を言うとこうして会うのは初めてだったが、東雲病院の院長をしており、かつて菖蒲ちゃんの診察もしていた人物だ。

 以前イーハトーブから帰って来た時に訪れた公園には特設テントが設置されており、その中にあたしは居た。簡素なベッドの上で横になりながら隣で眠っている魔姫を見る。


「魔姫は……大丈夫なんですか」

「心配しないでもあんたよりは軽傷だ。ただ痛みで気を失ってるだけさ」

「そう、ですか」


 今あたしがここに居るのはあの病院に救急隊員が派遣されたからだった。どうやら本物の方の雌黄さんがネットワークにアクセスし、救援要請をしてくれていたらしい。そのおかげであの場に居た全員が助かった。


「如月さんは……」

「あの鬼の子ならちょっと前に手術したよ。まあ命の方は大丈夫さ」

「雌黄さんは大丈夫でした?」

「転んだ拍子に骨を折ってたみたいだけど、治らない怪我じゃなかったよ。少なくともあの場に居た全員の中じゃ一番軽傷さ」


 それを聞いて嫌な予感がしてしまう。ここに運ばれてからまだあの子の姿を見ていない。

 詰まりそうになる言葉を喉の奥から捻り出す。


「あ、菖蒲ちゃん、は……」

「……」

「助かってますよね……?」

「死んではない。ただ、何やっても意識が戻らないんだ」


 真白さん曰く、菖蒲ちゃんは病院の地下にあるボイラー室で倒れているところを発見されたらしい。右足に裂けたような傷や顔の火傷などの外傷はあったものの、問題無く呼吸はしていたそうだ。しかし何をやっても意識が一向に戻らず、専用のテントで経過観察中の状態になっているのだという。

 嫌な予感が自分の中で沸々と湧き上がり、自分の目で確かめるためにベッドから上体を起こす。


「聞こえなかったのかい? 安静にしろって言ったんだ」

「ダメ、です……会わないと。菖蒲ちゃんを、助けないと……」


 腹部に残る違和感を感じながら立ち上がり、テントの外へと出る。そこには今回の事件で被災した人々の姿があった。怪我をしている人も居れば、大切な人を失い涙を流している人も居る。そんな光景を目の当たりにしながら心拍数が乱れるのも構わず、公園内で明らかに隔離されて設置されているテントを見つけ出した。

 テント入り口には警備員が二人立っており、こちらが近づくとこちらを制止する様に手の平を向けた。


「失礼。こちらは関係者以外立ち入り禁止です。お引き取り下さい」

「関係者です」

「医療スタッフですか?」

「菖蒲ちゃん……日奉菖蒲の相棒です」

「失礼ですが同業者の方でも立ち入りは禁止されています」


 何が起こっている。あの子に何が起こっている。そもそもあの時何が起こった。どうして急に厄災は止まった。まーちゃんは一体何をした。


「お願いです、入れてください」

「申し訳ございませんが、現在は許可を得ている方でなければ入れません。なので――」

「構いませんよ。お入りくださいな」


 テントの中から聞こえた声には聞き覚えがあった。蘇芳さんの声だ。彼女がここに居るという事は菖蒲ちゃんは何かの呪いの類を受けているのだろうか。


「……どうぞ、お入りください」

「ありがとうございます……」


 警備員に頭を下げて中へと入ってみると、テントの内壁には大量のお札が貼り付けられており、随所には呪術的な配置で置かれている様々なオブジェが点在していた。その中心では菖蒲ちゃんがベッドに寝かされており、その隣で手で空を切っている蘇芳さんの姿があった。


「蘇芳さん……」

「お久しぶりですわね命さん」

「一体何が……」

「……貴方にとっては最悪の事態と言えるかもしれませんわね」


 そう言って蘇芳さんが語った内容は彼女が言う通り、あたしにとって最悪と言えるものだった。

 菖蒲ちゃんはまーちゃんと共にボイラー室に落ちた後、自身の能力を使って彼女の魂を抜き取って固着させたらしい。つまり今やまーちゃんがどんな意思を持っていようと、あの厄災の力は完全に封じられた状態になっているのだ。これだけなら喜ばしいとも言えるかもしれない。だが――


「菖蒲さんには荷が重すぎるんですのよ」

「体が耐えられないって事ですか……?」

「端的に言えばそうですわね。様々な条件から考えたところ、真臥禧さんは憑き護の類だという事が判明してるんです。それだけなら良かったのですけれど……」


 蘇芳さんによるとまーちゃんはコトサマの影響を引き寄せる憑き護としての力を持っていた人間だが、それを別の形に変異させて今回の事件を起こした疑いがある。一度も前例が無い特例とも言える能力になっており、この能力はまーちゃんの魂と肉体の両方が揃っているからこそ精密なコントロールが出来ていた可能性があるそうだ。しかし現在は菖蒲ちゃんの肉体にまーちゃんの魂という状態になっており、能力が非常に不安定になっているらしいのだ。


「ですが、厄災は止まってますよ?」

「菖蒲さんが止めているんですの。さっきから時折呪線が体から出てるのですけど、そのたびにすぐに引っ込んで消えてしまうんです。わたくしが解呪するよりも早く」

「まさか菖蒲ちゃんが……」

「ええ。暴れる真臥禧さんを食い止めている可能性が高いですわ」


 一応蘇芳さんから呪線の見方や解呪の方法を習いはしたものの、やはり適性は蘇芳さんの方が高いのか自分には何も見えなかった。菖蒲ちゃんの表情も食い止めているといった感じは全く見られず、眠っている様に安らかな表情をしている。それこそ何かの拍子にいつもの様に起き上がって笑顔を見せてくれるのではないかと感じる程だった。


「何か……何か菖蒲ちゃんを目覚めさせる方法は無いんですか……!?」

「申し訳ありませんけれど私に出来ることはもしもに備えるだけですわ。もし万が一厄災が起こってしまえば、もう私の手には負えませんから」


 蘇芳さんによると、発動前であれば呪線を解呪する事で止められるが、一度発動した厄災はこの世のことわりであるため蘇芳さんの能力の適用範囲から外れてしまうらしい。


「まーちゃ……殺月真臥禧を、沈静化するか別の場所に追い出せば、助かりますか?」

「何とも言えませんわね……そもそもそんなの当主の茜さんにしか出来ませんし……いえ、あの方でもこの状況は……」


 日奉茜。彼女の事は自分も知っている。かつて世界を変えた『黄昏事件』の際、コトサマの存在と日奉一族の存在を公表した人物だ。その能力はトップシークレットとされており、一部の人間にしか知らされていないらしい。しかしそんな人ですら難しいかもしれないとはどういう事なのだろうか。


「蘇芳さん、茜さんでも難しいんですか?」

「あの人の力は、精密性が無いんですの。強力な反面、あまりにも大雑把。もしここで使えば……真臥禧さんどころか菖蒲さんごと消滅するでしょう……」


 どんな力なのかは分からないが、菖蒲ちゃんの命が少しでも危険になるのは候補として外さなければいけない。精密でなおかつこういった状態に適した能力を持っている人物に頼らなければならない。

 そう考えていた時、ふとある人物が浮かんだ。彼女であればこの状況を打破出来るかもしれない。


「日奉千草……」

「……」

「あの人、自分の思うがままに儀式を作れる能力を持ってました。あの力なら……!」

「……」


 すぐにでも見つけ出すためにテントを飛び出し、公園内で聞き込みを繰り返す。もし彼女が避難しているのなら、当然簸子ちゃんの姿もある筈だ。簸子ちゃんのあの目はかなり目立つだろう。

 そうして聞き込みを繰り返していると、やがて求めていた彼女の下へと辿り着いた。だが、だが、あまりにも絶望的な光景が広がっていた。


「簸子ちゃん……?」


 その場所は遺体安置所だった。今回の事件で被災して死亡した人達がひとまず集められている場所だ。そこに並べられている遺体の中に彼女の姿があった。美しい顔立ちを歪め、完全に呼吸を止めている日奉千草の姿がそこにあった。簸子ちゃんはそんな彼女の隣でガラスの破片の様な物を胸に抱くようにして眠っていた。


「あ、殺月ちゃん……」

「お姉さん……」


 呆然としているあたしに声を掛けてきたのは百さんだった。優しい笑顔をこちらに向けてはくれたものの、無理をしているのは一目瞭然だった。


「千草ちゃん、ね。私が見つけた時は、もう……」

「……死因は、分かってるんですか?」

「うん。何かが脇腹の辺りに飛んできて、抉れちゃってたの……それで出血多量で……」

「この子は……?」

「ほ、本当はね、千草ちゃんも簸子ちゃんも避難させるつもりだったんだ。でも私、千草ちゃんの力に嵌まっちゃって、それで簸子ちゃんだけ連れて逃げたの」


 その後、事態が収束したことで捜索を行ったところ、あるビルの屋上で彼女の遺体を見つけたのだという。簸子ちゃんはここに運ばれてきた千草の姿を見ると縋り付くようにして泣き始め、やがて千草が握り込んでいたガラスの破片を自分の手に移し、眠り始めたのだという。


「あ、はは……ダメだなぁ私……」

「お姉さん……?」

「私の力……たったの一分だよぉ? もっと戻せたら、千草ちゃんを助けられたかもしれないのに……菖蒲ちゃんが助かる手段も、見つけられたかも、しれないのに……」


 その言葉を最後に百さんはわんわんと子供の様に泣き出した。これまでのおっとりとしつつも頼れるお姉さんといった雰囲気からはまるで想像も出来ない姿だった。だが理解は出来る。この人にとってあの子は最後に残ったたった一人の家族なのだ。自分がしっかりしていればと悔やむのも分かる。自分もあの時、まーちゃんの言葉を信じなければ、菖蒲ちゃんがあんな目に遭わなくても済んだかもしれない。


「……失礼します」


 込み上げてくる感情を必死に抑えながらその場を後にする。あのまま百さんを見ていると自分まで感情の波に呑まれそうになったからだ。


「こんな時、あの子なら……」


 あの子なら、菖蒲ちゃんなら絶対にこんな状況でも諦めないだろう。これまで一緒に乗り越えて来られたのも、いつも傍に居てくれたからだ。あの子のロマンチストに見えてリアリストな一面にいつだって助けられてきた。だからこんなところで諦める訳にはいかない。

 そう自分を奮い立たせていると、聞き覚えのある声がこちらに声を掛けてきた。


「や~、みこちゃん。おひさ~」

「化生さん……」

「何か急に止まっちゃったよねぇ~。いや止まってくれて良かったんだけどさ」

「化生さんお願いします!!」

「え、なになに急に改まっちゃって~……」

「あの子を! 菖蒲ちゃんを助けたいんです!」

「……聞いてるよ。あやちゃん、元凶の魂取り込んだんだってね。ほんと、無茶するよ~」

「力を貸してくださいお願いします!」

「言われなくてもするって~。大体目星はついてるし。まあ仮説だけど」


 化生さんによると運勢には必ず波があるらしい。今回の事件の最中、化生さんはこれまでは見えなかった『運の波』まで見えるようになったのだそうだ。そしてもしまーちゃんの能力が、その運勢を自在に傾かせる力も内包していたのだとすれば、それを固定化する方法を生み出せれば菖蒲ちゃんが助かる見込みが出てくるらしい。


「仮説だけどさ~、手伝ってくれる?」

「……もちろんです。あの子の、相棒ですから」


 一筋の希望が見えてきたあたしは化生さんと共に行動を開始した。今にも千切れてしまいそうな細い細い希望の糸が切れてしまわない様に。

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