第88話:福善禍淫
しーちゃんを魂に固着させたまま、私は目の前に立つ真臥禧へと構えを取る。真臥禧はまるで私を脅威とも見なしていない様子で真っ直ぐに立ち、その様子は完全に隙だらけの状態だった。しかしこれだけの事件を引き起こし、更にあらゆる厄災を引き起こす彼女にとっては、自分がその場から一歩も動かずとも私を殺せるという確信があるのだろう。
『菖蒲。あいつは菖蒲の感情を利用しようとしてる』
『分かってる……』
『……分かってない。いい? テレビで言ってたあいつの発言が事実なら、今のあんたは格好の的なの』
そう。真臥禧は自身に怒りや憎しみなどの感情が向けられた際、それに対してカウンターの様に厄災を発動させる。彼女にとっても何が起こるのか細かい調整までは利かないらしいが、それでも誰かから恨みを買うだけで簡単に能力を発動出来るのは間違いない。
『まずは深呼吸。心が乱れて冷静さを失えば、ちょっとした事にも引っ掛かりかねない』
『……そうだとしても、私は……』
命ちゃんは真臥禧を許そうとしていた。彼女を受け入れて少しでもその罰を軽くしようと考えていた。しかし真臥禧はその想いを裏切った。命ちゃんがそういう判断をするという事を見越した上で魔姫ちゃんを撃ち、全て計算の上で命ちゃんを刺したのだ。最早彼女には他人への情など残されていない。愛情も友情も人情も、何もかも。
「お前は、人間なんかじゃない……」
「そ、そうですね。あらゆる害成す怪異を引き寄せる憑き護。それが、あたしです」
「つきご……?」
聞いた事も無い言葉だった。恐らく彼女の発言からするとコトサマを引き寄せる避雷針の様なものだろうか。
『しーちゃん、今のって……』
『今菖蒲が考えたので合ってる。人の姿をした守護霊……いや、分類的には人間だから守護霊って言い方は間違いか』
『あいつの能力はそれが由来なのかな……』
『有り得なくはない。ただ本来憑き護は本人には知らされないらしい。つまり自分でコントロールは出来ないって事。だけど今までのを見てると……』
自分に引き寄せられる不幸を周囲に押し付けるのが彼女の本来の能力だったのかもしれない。しかし今の彼女の能力はそれとはまるで違う様に見える。もしも萌葱さんを失った事で能力が変異し、それを本人が認識して改良や訓練を行ったのだとしたらどうだろうか。
「か、掛かって来ないんですか? 別にこのままでもあたしはいいですけど。どうせ……ここも長くは持ちません」
「それで結構。お前を殺せるなら、私の命くらいくれてやる……!」
「……みーちゃん達が犠牲になっても?」
上階から何かが崩れる様な音が聞こえる。私の恨みを原動力にしたのか、病院の崩壊が進んでいっているのだろう。
「……命ちゃん達なら逃げられるよ、絶対に」
「本当に? 如月蒐子のあの傷、長くは持たない傷ですよ? 日奉雌黄はあの病弱な体で動けるんですか? 魔姫ちゃんも当然動けない。みーちゃんはもちろんそう。だって殺す様に刺したから。それで、ここからどう逃げられるって計算が出来るんですか……?」
真臥禧が言っている事は正しい。あの場所に居る誰もが動ける状態ではない。本物の雌黄さんならギリギリ動けるかもしれないが、逃げている最中に一切厄災の影響を受けずにそのまま逃げ切れるかと考えると可能性はかなり低いだろう。それならば、今残された可能性は一つしかない。
「勘違いするな。お前を殺す……そうすれば厄災は止まって、全員ここから逃げられる。そういう意味で言ったんだ」
「ほ、本当にそうですかね?」
「何が言いたいの……」
「あ、あたしは怪異に対する人間避雷針。元ですけどね。それが今では台風の目みたいなものなんです。無事なのはあたし、そしてあたしと親しい人間だけ。親しかった人間は……萌葱さんだけなんです」
何を言おうとしている? 何故彼女はわざわざここまで話している?
「あたしが厄の流れを操ってあげてるんです。だからお父さん達は幸せに暮らせてた。だけど親しい人間はもう居ない。唯一の庇護対象はあたしだけなんです」
「……?」
「つまり、あたしが死ねば全ての厄は流れを奪われ、ありとあらゆる場所へと拡散していくんです。それこそ、誰にも何が起こるのか予測なんて出来ない、今以上の大禍に見舞われるんです……!」
見えてきた。真臥禧の目的は最初から全て完成していたのだ。このまま順調に狙い通り世界が崩壊しても良し。自分が誰かに殺される事で全ての厄がコントロールを失い、予測不可能な事態を世界に拡散させても良し。彼女の能力が今の形になった段階で、何がどう転んでも彼女にとっては成功する手筈になっていたのだ。つまり殺月真臥禧を殺しても殺さなくても、私達に逃げ場は無いという事だ。
それならばもう考えている暇など無い。
「真臥禧ぇぇええ!!」
手刀を繰り出すために駆け出す。これまではあくまで無力化目的の蛇痺咬などがメインだった。しかしそんな技は真臥禧には必要無い。ただ相手を殺すだけなら、魂を直接傷つけてしまえばいいのだ。かつて私の姉であるしーちゃんはそうやってコトサマ相手に戦っていたらしい。私は出来る限り平和に解決しようと考えああいった技を使い続けてきたが、そんな事はもうどうでもいい。しーちゃんと同じやり方で、この女を殺すのだ。
「っ!?」
しかし後少しといった所で突如横から爆発が起き、その爆風によって私は吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。熱を感じながら顔を上げると、私がついさっき吹き飛ばされた場所よりも奥にあったボイラーが爆発して炎上していた。
「あなたがあたしを傷つけるのは不可能なんです。近寄るのだって、無理ですよ……」
やはり私の恨みに反応して自動的に発動しているらしい。厄災を超えていくには恨みや怒りを捨てなければならない。だが、あんな真似をして頭に来ない人間なんて居ないだろう。全て計算されている事だとされても体が怒りを抑えられない。
「……ど、どうやら終わりの時が来たみたいですね」
真臥禧のその言葉を合図にするかの様に周囲から聞いた事もない音が聞こえてくる。金属が不可解な力で捻じ曲げられているかの様な音、壁同士が凄まじい速度で擦りつけられている様な奇妙な音だった。そしてそれが何によって引き起こされているものなのかを理解したのは、私の右足にかつてない痛みが走ってからだった。
「あああああぁあ!? がっ……!?」
「あたしが望んでいた通りです、ね……。世界崩壊の中で、一番そうであってほしかったパターンです」
慌てて右足を見てみると、丁度足の真ん中を境目にする様にして左右にズレが生じていた。いや、ズレているのではない。私のものではない足が、私の足に融合してきているのだ。ズレている左右の内のどちらかが私の本来の足で、もう片方が別の誰かの足だ。
「な、何が起き……っ!」
「世界が融合してきてるんです。別の世界同士が重なり始めてるんです」
それを聞いて思い出したのは、並行世界から来た疑惑のある結城さんの事件だった。こちらでは存在しない国が存在し、よく似ているが少し違う歴史を歩んできた世界。命ちゃんの考察によれば、磁場の乱れによって生ずる『ポータル』の中には、同一世界の別の場所ではなく、全く違う並行世界のどこかに繋がっているものも存在するかもしれないらしい。ここに来るまでに遠くに見えたあの巨大な時空間異常がそれなのかもしれない。
「隣り合った世界は必ず同時に進んでるんです。隣の世界にもあたしは居て、当然あなたも居ます。細かい歴史は違っても大まかな歴史は変わらない」
「必ず、同時っ……?」
この融合現象はその同時にという部分が原因で発生しているのだろうか。普段は違う世界だからお互いに問題無く過ごせている。しかし、もし両方の世界が同じ宇宙で重なり合えばどうなるだろうか。本来なら一つしかないものが同時に全く同じ場所に存在するという事になる。そうなれば、果たしてどちらが本物とされるのだろうか。重なり合った同一の存在は、お互いの世界に適応出来るのだろうか。
「う、あああああ!?」
「あ、あなたが死ぬのが先か、世界が崩壊するのが先か。それともあたしが死ぬのが先か。残された未来は三つ、です」
やはりやるしかない。それで問題が解決する訳ではないが、少なくとも計算によってもたらされている今の状況を打開する事は出来る。時間稼ぎにしかならないが、一時的に世界を守る事は出来る。
私は残された左足で壁にもたれながら立ち上がると、肉体が全て重なってしまう前に地面を蹴って一気に真臥禧の近くへと飛び込んだ。そして限界まで伸ばした私の右手は真臥禧を捉え、そのまま床へと押し倒した。
「殺しても何も、か、変わりませんよ」
「っ……分かってる。お前を殺しても、事態は好転しない。だけど……っ……これなら最悪だけは超えられる!」
無抵抗なままこちらを見ている真臥禧の頭部に右手で触れ、彼女の魂を掴んで無理矢理引き摺り出す。
「無駄……ですよ」
「無駄じゃない。抵抗しなかった時点で、お前の負けだよ」
真臥禧の魂を肉体から完全に引き剥がすと、手を放して形を作る。
『まさか……』
『菖蒲! やめて!』
「やめない……」
真臥禧は私が何をしようとしているのか理解したらしく、急いで肉体へと戻ろうとする。だが当然戻る事は出来ない。一度肉体から抜けた魂は自分の意思では戻れない。魂を自由に出来るのは、私を含めた一部の能力者だけだ。
『菖蒲、そんな奴殺した方がいい!』
『や、やめてください! まさか、こんなっ……!?』
「殺さない……真臥禧は殺さない。でも厄災もそのままにはしない。当然命ちゃん達だって死なせない。世界も、元通りに戻す」
真臥禧が引き寄せられる。
『そんなっ! や、嫌です! 萌葱さ、萌葱さんのために! 世界に! 復讐、しないとなのに!』
「お前を……あなたを許さない……だから、生きててもらいます」
『いやぁぁああああああぁあああ!!?』
そんな音として響く事すらない断末魔を上げながら、真臥禧の魂は私の魂へと引き寄せられて完全に固着した。




