第84話:禍る世界 千草side
外が騒がしい。理由は明白だ。先程テレビに映っていたあの人物による被害が広がっているのだ。テレビには謎の人物による映像が流れ、そこでは日奉一族分家の一人である日奉雌黄が倒される姿が映っていた。そして画面上には常に『殺月真臥禧』という名前が表記されていた。恐らくそれが彼女の名前なのだろう。
「千草さん! 千草さん!」
部屋の外から誰かが強く玄関を叩く音が聞こえる。出てみるとそこには一人の女性が焦燥した様子で立っていた。その顔はどこかで見た覚えのあるものだった。
「どちら様でしょう」
「JSCCOの者です! ここは危険ですから早く!」
「私は、どちら様でしょうとお尋ねしたのですが?」
「ちょ、調査部の日奉百です……」
名前には聞き覚えはなかった。しかしその顔はかつて私を捕まえに来た日奉菖蒲によく似ている。もしかすると血縁者なのかもしれない。だとしたら彼女もきっと私の正体は知っているのだろう。同じJSCCOに所属し、ましてや血縁者にその話が行っていない筈がない。
「……私の正体は知っているのでしょう」
「え? 一応菖蒲ちゃんから聞いてはいますけどぉ……」
「ならば私を助ける理由は無い筈です。私は貴方の妹を殺そうとしたのですから」
「い、今はそんな事を話してる場合じゃないです! お願いですから早く!」
後ろを振り返り居間に居る簸子を見る。先程の放送や周囲での騒動のせいもあって不安そうな表情をしてこちらを見ている。
今ここで避難誘導に従ったところで助かる保証は無い。これまでの歴史の中でこれほどまでの大事件は起こっていないからだ。怪異の存在が公になったこの世界ですら、今のこの状況はイレギュラーなのだ。そんな中で避難しても事態が悪化するのを指を咥えて見ているだけになってしまう。
「失礼ながらお断りします。避難は必要ありません」
「えっ!?」
「殺月真臥禧という者を殺害しない限り、この現象は止まらないでしょう。避難しても無駄に時間と人員を消耗するだけです。それこそが彼女の狙いでしょう」
「何言ってるんですか!? 千草さんも簸子ちゃんも避難しないと……!」
「では簸子だけ頼みます。あの子はこの件には無関係ですから」
「ダメです! そんな事は日奉一族として、何より一人の人間として認められません! さあ私と一緒に――」
「ごめんなさい」
彼女の言葉を遮るようにして玄関のすぐ近くにある台所の蛇口を少しだけ捻る。それによってぽたりぽたりと一定周期で水滴が落ち始めた。すると私の狙い通り、日奉百は放心した様にその場で立ち尽くした。私の『理論を上書きする能力』によって、あの水滴のリズムに催眠効果を持たせたのだ。
「頼みますよ」
居間に居た簸子の頬に口づけを済ませると、彼女を日奉百の目の前まで運び、諸々の道具を鞄に入れると外へと出た。
やはり街中がパニックになっており、各地で上がっている火の手を見るに死者数も被害者数もかなりの数になっている事が窺えた。更には遠く離れた所に見える山からは、真っ黒な球状の何かが姿を見せていた。それは強力な引力でも持っているのか、建物の破片や自動車などを吸い込み続けている。
「あのままだと厄介か……」
鞄からビニール紐を取り出し、アパートの周りにある電柱の根本へと結んでいく。これによって作られたのは私の能力で保持される結界だった。私の能力はあまり長時間は続かない上に、使用した道具が破壊されてしまうとそこで効果は切れてしまう。しかし百と簸子を足止めし、なおかつ今起こっているこの災害から守るまでの時間を稼ぐのには十分と言える。
殺月真臥禧を殺せばいいとは言ったものの、彼女が今どこに居るのか分からない上に私の能力では歯が立たないのは明白だった。この力を行使するためには、少なくとも理論の創造と道具の準備が必要になってしまう。暗殺するのは難しくはないが、この世界ごと破壊しようとしている殺月真臥禧の能力はあまりにも無差別で突発的だ。あらゆる事象に気を付けながら彼女を殺す手筈を整えるのは非現実的と言える。
「私だけが出来る事……」
私は近場にある家電量販店へと向かった。今私に出来るのはあの球状の何かをどうにかして止める事だ。あの位置には確か時空間管理局があった筈だ。時空間異常が磁場の乱れによって生じているという話が事実なのだとすれば、あれは恐らく時空間異常が巨大化したものなのだろう。
店内に入ってみると、もう既に避難が済んでいるのか誰も居なかった。いつもは正常に動作しているのであろうテレビ達も全て同じチャンネルを映し続けている。そこには殺風景なスタジオに転がっている有名な芸能人の姿が映っていた。
別に可哀想とは思わなかった。元々大して思い入れの無い人間だったというのもあるが、あまり好きではなかったのだ。そんな人間がどうなろうと何とも思わない。だが、『かつての私』を救ってくれたお姉ちゃんだったらどう思うだろうか。かつて私達を救ってくれたあの人なら、あんな人間のためにも涙を流したのではないだろうか。
「……借りますよ」
頭の中に浮かんだ余計な考えを振り払い、店内に陳列されていた置時計を一つ拝借する。私がこれから行う新たな術式のためには絶対に必要になるものだ。
置時計を手に入れた私は店を後にし、次の目的地である家具店へと向かった。次に必要なのは三面鏡だったのだ。少し大型の物が必要になったため運ぶのに手間取ってしまったが、何とかこれも入手する事が出来た。
「後は……」
家具店が入っているビルの屋上へと必要な道具を持ち運んだ私は、時空間異常を鎮めるための準備を開始した。三面鏡の反射面を時空間異常が存在する山の方へと向け、その反射面の方を向く様にして置時計を設置する。そして設定を弄る事によって長針と短針を真上の0時へと合わせた。
「……やった」
必要な行動を全て済ませた事によって私の新たな理論は適用された。鏡面と向かい合わせる様にして時計を設置して針を両方共0時に合わせると、そこに映っている対象の時間が停止するというものだ。急ごしらえな上にもたらされる効果が強大なため、どこまで持つのか分からない。しかし事態を収束させるまでの応急処置にはなるだろう。
「誰かがやるって、思ってたんです」
少し安堵していた私の耳に聞き覚えのある声が届く。声がした方向を見てみると、そこには屋上へと上ってきたばかりと思しき殺月真臥禧の姿があった。
「貴方は……」
「調べましたよ。あ、貴方は、日奉千草。ですよね?」
「ええ」
「しょ、正直貴方がこんな事するなんて想定外でした。だって貴方もあたしと同じ、大切な人を日奉一族本家筋に奪われた人だから」
テレビで放送されていた殺月真臥禧の主張が真実だとするのなら、彼女もまた萌葱という大切な人を失った人間なのだろう。そんな事をした本家筋が許せず、そんな者達を裁かずにいる世界が許せず、こんな凶行に走っているのだ。
「気持ちは分かります。私もお姉ちゃんを殺されたようなものですから」
「なのに……邪魔をするんですか」
「貴方の理屈は理解出来ます。私も本家筋の人間を殺そうと考えていましたから。ですが、世界ごと破壊しようとするその考えには賛同致しかねます」
「どうしてですか……?」
「私を救ってくれたあの人もまた、本家筋の人だったからです。同じ本家と言っても、全員が全員悪人じゃないんだよ。萌葱という方も本家筋だったと雌黄さんが言っていましたが、事実なのですか?」
殺月真臥禧は少しの間沈黙してから答えた。
「……そうです。萌葱さんは元本家筋の人だったけど、いい人でした。あ、あたしみたいな人間にも、優しくしてくれて……」
「ならば分かるでしょう。復讐をしたいのであれば必要な相手にだけすればいい。それを止めようとする者だけ排除すればいい。無関係な他人まで巻き込む理由はありません」
「厄災に、善も悪も無いんですよ」
「どういう意味ですか?」
「あたしは、う、生まれた時から人を害する存在になる事が決定づけられてたんです。どれだけ抑えようとしても上手くいかなかった。災禍を振り撒く。それがあたしの、役割だったんです」
殺月真臥禧は屋上の端へと寄っていくと、手摺にそっと手を触れた。
「千草さん。貴方は、『憑き護』というものを知ってますか?」
「存じております。生ける守護霊。あらゆる怪異や災厄を引き受ける人間、でしたね?」
「さ、流石に詳しいですね。そうです。簡単に言ってしまえば、怪異用の人間避雷針です。初めから不幸になる事が決定づけられてる存在。それが、あたしです」
何かの資料で読んだ事があるが、それによると憑き護に選ばれた者にはその事を知らせないらしい。つまり初めから捨て駒にするために人生を利用されるのだ。実際に会うのは初めてだが、そういった人間が古くから存在しているというのは事実と見て間違いないだろう。
「あたしの名前は、真臥禧。あ、あたしは最初から、家族として見られてなかったんです」
「まさか……」
「そう。あたしの、ほ、本当の名前の意味は『禍あれ』なんです。あたしだけに、あたしだけに全部押しつけて、しかもそれを周りに放出させて、自分達だけ幸せになろうとしてたんです」
殺月真臥禧の両親は娘を憑き護として利用し、本来家系に振りかかる筈だった禍を周囲へと拡散させたのだろう。そうすれば自分達の家系だけは幸福を手に入れる事が出来る。全てを周囲に押しつけて甘い汁を啜っていたのだ。
「だから今のこの状況も、貴方自身が望んだものではないと?」
「半分正解で半分外れです。世界はあたしを愛さなかった。あたしも、世界を愛せなかった。あたしの中に残ったのは、萌葱さんとの思い出と厄の流れだけでした」
遠くから爆発音が聞こえる。
「あたしは世界を許せなかった。萌葱さんと浅葱さんを忘れて生きていくなんて、出来なかった。絶対に無かった事になんて出来ません」
突然私の体がふらつく。
「だからあたしは、この世界を恨んだんです。そこからどうなるかは、全部皆さん次第だったんです。その結果がこれですよ」
脇腹を見てみると、何かに抉られたかの様に一部が消失していた。そこからは大量の血が流れ出ており、いつの間にか私の足元には血溜まりが出来ていた。
「え……」
「皆さんはあたしを『許さない』ことにしたみたいです。その恨みは厄となり、寄せ集まって災厄になった。だけどあたしは憑き護、それも特殊な憑き護です。そんな災厄は巡り巡ってこの世界へと拡散されていったんです」
足に力が入らなくなり、思考を巡らせる事すらも難しくなっていく。それほどまでに出血してしまったのだろうか。
「貴方のそれも、厄災の一つです。貴方はあたしを恨んだ。だからその恨みの力が厄になり、最後には厄災となって貴方に返ってきたんです」
「まさか、さっきの……」
「な、何か爆発……してましたね。破片か何かが飛んできたんだと思います」
油断していた。この状況下ならどこかで何かが起きていてもおかしくないと考えていた。自分に何か起こる時は分かりやすく起こると思っていた。『木を隠すなら森』とは言うが、『厄災を隠すのなら大災害』という事なのか。
ついにその場に倒れ込み、意識が薄れていく。それもあってか時空間異常が再活性化したのが確認出来る。鏡に映ったそれの中へと瓦礫などが吸い込まれていくのが視界に端に映っている。
「ば、罰が当たりましたね。この状況は、全部皆さんのせいでもあるんです」
「何を、戯けた事を……」
「戯けてなんていませんよ。おふざけなんて一切無しです。おぞましい人間の悪意によって、世界は崩壊するんです」
「人を呪わば、穴二つです……こんな事をして、ただでは……」
「い、今更です。この世界を滅ぼせるなら、死ぬのなんて怖くありません。どうせあたしは生まれた時から人じゃなかったんですから。死んだところで萌葱さんの所に行ける筈もありませんし」
殺月真臥禧の手によって三面鏡が倒され、鏡面が割れる音が聞こえる。
「……一応壊しておきますね。貴方が悪足掻きするかもしれませんから」
「っ……」
「いいですよ恨んで。人は人を許せない。加害者と違って被害者はいつまでも覚えてますからね。恨みは絶対に消せない感情なんです」
首謀者である彼女の足音が少しずつ遠ざかっていく。
「臭い物に蓋をしても底の方でもっと腐っていくだけ……。なら、臭い物を作った張本人を皆殺しにすればいいんです」
最早声を出す事すら出来なくなっていた。新しい理論を作ろうにも頭が働かず、立ち上がる事すらも出来ない。
「さようなら千草さん。分かり合えなくて安心しました。これで心置きなく、貴方に消えてもらえますから」
屋上を後にする彼女に対して私が取れたのは、ただ腕を伸ばして割れた三面鏡の破片に触れるという事だけだった。




