第77話:頭を下げる
鏡から這い出してきた霊体はひたり、ひたりとこちらへ歩みを進めていた。命ちゃんはもしもに備えてステッキを鞭の形へと変形させ、いつでも拘束が可能な状態へと移行していた。いくら命ちゃんが警告を出そうとも霊体は一切動きを止める事はせず、歩いた後に悪臭を放つヘドロを残し続けている。
「最終通告です! そこで止まりなさい!」
「待って待って! こっちで話しかけてみるから!」
『不死花』の形を手で作り、降霊の準備を整える。するとその霊体は命ちゃんの肉体をすり抜ける様にしてこちら側へと浮遊しながら突っ込んできた。そしてそのまま私の体内へと入り込む様にして姿を消し、魂へと固着した。
その霊体の魂は今までに私が固着させたものの中で最も不安定なものだった。日奉千草もその特異性によりかなり異質な魂ではあったが、それとは全く別だった。常に不定形に形を変化させ続けているにも関わらず、どんな形の時でも同一の魂であると認識出来る奇妙なものなのだ。
『聞こえますか? 私達はJSCCO、日本特異事例対策機構の者です。分かりますか?』
『ドォシッテ? ドォシッテ?』
『何が気になってるんですか? あなたの目的は何なんですか?』
『ドォ……シッテ……』
こちらが何を問い掛けても彼女はただ疑問を示し続けるだけだった。しかし私に対して何かを伝えたい様子なのはしっかりと感じ取る事が出来た。すると言葉では伝わらないと察したのか、霊体は私の魂に固着しているまま不明な手段で私の視界へと映り込み、顔に貼ってあるお札に手を掛けてゆっくりと捲ろうとし始めた。
「菖蒲ちゃん!」
「大丈夫だよ命ちゃん……何か、何か伝えたがってる……それを探さないと……」
「何かって何を……」
「ねぇね、この幽霊さんの顔、お札がいっぱい貼ってあったよね。あれって何だと思う?」
「何かなぁ……本来お札は封印や結界を作るために使うんだけど、それを顔にあんなに貼る理由が……」
霊体の目的や素性を考えていると耳につけているイヤホンから蒐子さんの声が届く。どうやら他の調査員達の前にも同じ霊体が姿を現したらしい。身体的特徴や言動などどれもが一致しており、この事から今私に固着しているのは明確な存在という訳ではなく、魂を持った分身の様なものだと思われる。
『顔に、何かあるんですか?』
『……ドォチッテ』
『教えてください。苦しんでるなら助けたいんです』
『……』
私の言葉を聞いた瞬間、お札を捲る速度が一気に上がりその顔が視界へと入ってきた。しかしそれを合図にするかの様に視界が歪み、私の意識はその歪みに吸い込まれる様に落ちていった。
ふと目を開けると私は殺風景な和室で倒れていた。掛け軸も何も無く、ただの畳敷きの六畳間であり、とても人が住んでいる様な雰囲気を感じさせない場所だった。
そんな不可解な場所で困惑していると薄汚れている障子が開き、そこからあの霊体が姿を現した。彼女はこちらを向くとその場に正座をし、三つ指を突いて深々と頭を下げてきた。微妙な違いはあるものの、これもまた彼女を召喚する際に行った『お辞儀』と言えるだろう。
『あなたが、連れてきたんですか?』
『……』
『……ここじゃないと、言えない事があるんですね?』
『……』
この奇妙な夢と思しき世界での彼女は驚くほど静かだった。あの問い掛ける様な発言も一切行わず、こちらへと頭を下げている。しかし少しすると頭を上げて立ち上がり、奥ゆかしい所作で障子を開けるとこちらへと来る様にと手で促した。
『えとえと……そっちに行けばいいんですね?』
立ち上がり彼女に促されるままに部屋から足を踏み出す。するとそこには廊下などは無く、上下左右の感覚が無くなりそうな程の青黒い空間が広がっていた。どこを見てもただただ空間が広がっているだけであり、やはりここが現世ではない事を改めて人気させられた。
『……』
彼女はひたり、ひたりと私の前を歩き始める。現世で見た際には凄まじい霊力が青いオーラの様になって見えていたがそれは今は見受けられず、更に歩いた後にもヘドロらしき物は落ちていなかった。
しばらく歩ていると突然私の視界が全く別の景色を映し出した。目の前には成人した男性と女性の姿があり、こちらを見下ろしている。視界はぼんやりとしているため顔ははっきりとは見えなかったが、耳に入ってくる話し声から恐らく何か良くない事が起こったのだろうという事が推測出来る。
『あれ……何言って……』
その話し声はとても奇妙なものだった。明確に言葉として認識出来るものであるにも関わらず、今までに聞いた事も無い言葉だったのだ。しかしそれでいて外国語という認識は無く、まるで遠い昔にどこかで聞いた事があるかの様な懐かしい気持ちにもなった。初めて聞いたという感覚と懐かしいという感覚。この矛盾した二つの認識が同時に存在していた。
『赤ちゃん……?』
耳に酷く濁った赤ん坊の様な泣き声が響く。視界内にそれに該当する人物が存在しないため、恐らくはこの視界の持ち主本人の声なのだろう。
突如視界が私のものへと戻り、再びあの青黒い景色が広がる。霊体はこちらへと振り向いた姿勢のまま足を止めていたが、私が本来の視界を取り戻したと察したのか再び歩き始めた。
『あのあの、もしかして今のってあなたの記憶なんですか?』
『……』
『あの言葉……一体どこの……』
何も答えない彼女の後を追い歩いていると、また視界が切り替わり青い空が映し出された。耳には波の音が周期的に響き、それに合わせて視界も周期的に揺らいでいる。まるで舟か何かに乗せられているかの様な景色だった。
視界が大きく動き、舟の中で寝返りを打ったのか先程まで背中側にあった舟の一部が映る。細い植物を編み込んで作られており、その後の視界を通して見ても人の姿が誰も無かった事から、この視界の本来の持ち主は先程の男女から捨てられたという事になるだろう。
『あなたは……捨てられた……』
『……』
それからも自分の視界と彼女の視界を反復しながら歩みを進めていった。それによって分かった事をまとめると、恐らく両親から捨てられた彼女は舟に乗せられて海へと流された。本来であれば餓死などをする筈だが何故かそうはならず、一つの島へと辿り着いた。そこでやはり奇妙な言語を使う人間に拾われ育てられた。しかしその人物が亡くなると彼女は遊郭らしき場所へと身売りし、そこで毎日の様に体を捧げた。彼女は元々遊女だったのだ。
『これがあなた、なんですね?』
『……』
『一つだけ答えて欲しいんです。どうしてあのお客さん達はあんなに嫌そうな顔をしてたんですか?』
遊郭に遊びに来る客というのは大体が女性と会話をしたり、そういった事をする目的の筈だ。彼女も例に漏れずそういった行為をしていた。しかし何故か、行為をする前の客の顔は化け物でも見るかの様な表情であり、行為中は目隠しでもされているのか完全な暗闇となっていた。まるで、お札で顔を隠してる彼女を思わせる光景だった。
『……』
『待ってください!』
やはり彼女は何も答えなかった。私に背を向け歩き始めた。それを捕まえ様と駆け出したものの、何故かどれだけ走っても一向に前に進まず、どんどん距離を離されてしまう。やがて小さくなっていく彼女から眩い光が発生し、私の視界を真っ白に覆い尽くした。
「……きて。聞こえる菖蒲ちゃん!?」
「えっ……」
目を開けるとそこにはねぇねの姿があり、どうやら倒れてしまった私に膝枕をしてベンチに座った状態でずっと見てくれていたらしい。傍には命ちゃんも立っており、周囲の景色はいつの間にか海辺の町へと変わっていた。
「あ、あれあれ? 何で……ビルは?」
「君が倒れてからあの廃ビル中で変なラップ音が聞こえ始めた。もしあの霊が何かやってるなら、ビルが崩壊する可能性もあった。だからここまで運んで来たの」
「でもでも、何で海……?」
「えっとね菖蒲ちゃん……」
ねぇね曰く、廃ビルを出るという選択をした二人は私を連れて外に出るとタクシーを呼んでどこか別の場所へと移動する事にしたのだという。しかし移動し始めると二人の脳内にあの霊体の声が聞こえ始め、ずっと何かを問いかけ続けてきたらしい。そのためねぇねが持っているという能力を使いながら何度もルートを変更し、最終的に辿り着いたのがここだったそうだ。
「昔にネットに書かれた情報は日奉一族によって改竄されたものだった。だけど部分的にではあるけど真実も書かれてた」
「真実?」
「あの霊を除霊しようとした霊媒師は、毎日の様に延々と話しかけられ続けてやがて精神が崩壊した」
「あのね菖蒲ちゃん、多分なんだけど、お姉ちゃんが考えるにあの幽霊は自分にとって不都合な事をさせたくないからそうしたんだと思うの」
それはそうだろう。聞いた話によれば、あの幽霊は敵意や悪意を持っている訳ではないのだ。ただ持っている霊力があまりにも規格外過ぎて悪影響を及ぼしてしまっているだけだ。
「じゃあじゃあ、声が聞こえなくなるルートを探し続けて、その到着地点がここだったの?」
「ここが本当にそうとは言い切れない。だけど、少なくとも今は聞こえてないよ」
「でもでも、私にも見えるくらいの霊力を持ってたし、あんな力を持ってる霊が何か仕掛けてきたらいくら二人でもただじゃ済まないと思うけど……。ねぇねの能力って一体何なの?」
「それは……」
「命ちゃんは見たんだよね?」
「……見た。はっきり言うとこんな力があるなんて想像もしてなかった。どういう原理で起こってるのか、全然分からない能力だった」
何故かねぇねは自分の持っている力を私に教えようとはしなかった。私の中に常に存在しているしーちゃんに聞いてもそれだけは教えてくれなかった。
「ねぇね、何で教えてくれないの? いいじゃんか私だって調査員なんだからさ」
「……お姉ちゃんの能力は、かなり危険なものなんだよ菖蒲ちゃん。正直使ってる自分でも、最終的に何が起こるか予想が出来ないの。本当なら使わないのが一番いいんだけどぉ……」
「……分かった。今はあの幽霊さんをどうにかしなきゃだから聞かない。でもでも、後で絶対聞かせてね。じゃないと息を合わせたり出来ないし」
私はベンチから立ち上がると海を見つめる。あの不思議な空間は今思えば海中を意味していたのではないだろうかと考える。もしもあの時に見たものが全てあの霊体の記憶そのものなのだとすれば、彼女の目的が何となく見えてくる。
自分の考えを整理するために二人に夢の中で見た奇妙な一連の光景について話す事にした。二人はそれを最後まで黙って聞いていたが、話し終えると命ちゃんが蒐子さんへと無線を繋げた。
「こちら殺月。如月さん聞こえる?」
「あっ殺月さん! 日奉さん……あーえっと、菖蒲さんの方は大丈夫でしょうか!?」
「ええ。さっき目を覚ました。そっちの方はどう?」
「まだ他の調査員の方達の方では問題が続いてるみたいですねー……。昏睡状態になった人も居れば霊力によるアレルギー反応が出た人も居るみたいです」
「分かった。実は菖蒲ちゃんが倒れてる間に変な夢を見てたらしいんだけど、それについての照合をして欲しいの」
「照合ですか?」
「そう。まず……」
命ちゃんは私が夢の中で見たという光景について私からの補足説明を受けながら報告した。するとそれを聞いていた蒐子さんは何かに気が付いたらしく、無線の向こうでドタバタと慌ただしく動き回り、やがて一冊の本を見つけ出してきた。
「ありました! 多分これです!」
「何だった?」
「古事記に記されてる神話です! 伊邪那岐命と伊邪那美命、この両神が国産みを行った際に子供を生んでるんですが、その時の子供が不具の子だったとして舟に乗せられて海に流されてます!」
「まさか蛭子……?」
「いいえ百さん、蛭子は一番初めに生まれた子供とされてるんですが、しっかり祀られてて存在も確認されてるんです。きちんと問題無く今は和魂になってますよ」
「考えられるのは、二人目以降の子供とかかも」
命ちゃんと蒐子さんによると、一番最初に生み落とされた蛭子も海へと流されたが、後に恵比寿神として信仰される様な事になっていたりと、きちんと報われていたのだという。しかし二番目に生まれたアハシマという子供はそういった話が存在せず、ただ海に流されて以降は一切どうなったのかが分からないそうだ。一部では淡島神社との関連性が考察されているらしいが、それを証明する証拠が見つかっておらず、アハシマは完全に消息不明になってしまっているらしい。
「そうだとしたら繋がるよ。あの幽霊さんが伝えたかったのはそういう事なんだ」
「『ドォシッテ?』っていうのは自分を捨てた両親への問いかけ?」
「捨てられた事だけは覚えてて、その理由を知りたがってるのかも。本人達の口から聞きたくて探してるんだよ」
「……もし国産み神話が真実だったとするなら菖蒲ちゃんの言う通りだとお姉ちゃんも思うよ。だけどもしそうなら、これまでアハシマはどこに行ってたのかな? どこからどうやって自分の分身体を作って飛ばしてきてるんだろ……」
「この事件の調査をする前にさ、命ちゃんが『違う世界から干渉してきてるのかも』って言ってたよね?」
「うん。お姉ちゃんもそれはそうだとは思うんだけど……それだと一方的に向こうからだけ干渉出来る理由が説明出来ないというか……」
確かにそうだ。別世界からやって来た結城さんもこちらの世界の物に自分から干渉する事は出来なかった。しかしそれは彼があくまで普通の人間だったからだ。今私達が相手をしているのは非常に強力な霊力を持った霊体である。これまでの前提など一切通用しないと考えてもいいかもしれない。
「ねぇね、あの幽霊さんを召喚する時に鏡を使ってたよね。あれってさ、もしかしたら水面を擬似的に再現するために使われてるんじゃないかな?」
「水面?」
「百さん、鏡は昔からこの世ならざる者を映す力があると言われていました。そしてそれ故に、儀式などのオカルト術には頻繁に使われてもいたんです」
「うん、それは知ってるけどぉ……」
「だからだから、そういう事だよねぇね。あの幽霊さんはそこに目を付けたんだ。本来ならこっちの世界と向こうの世界は繋がってない。だけど呪術的な意味づけをされてそういう認識が広まった事で、いつの間にか鏡は二つの世界を繋げる架け橋になってた」
「あっ! ワタクシからもいいですか!?」
無線越しに蒐子さんが声を上げる。
「もし今の日奉さんの意見が正しいとするなら、あの召喚儀式にも納得がいきます! 鏡がそういう力を持っていたとしても、普通なら二つの世界は隔絶されてて繋がりません。ですが、こちらから招き入れたとしたらどうでしょうか!?」
「お辞儀の動きは招き入れるための合図だった、そういう事が言いたいの如月さん?」
「そうです! 儀式や呪術には何らかの意味づけが絶対に必要です! これなら説明がつくと思うんですが!」
あの夢の世界でも霊体はこちらに対して深々とお辞儀をしてきていた。あの時は特に何とも思わなかったが、今考えてみればあれは『あの世界に私を招き入れる』という事を意味していたのではないだろうか。そうだとするならば、私と彼女は少なくともお互いの事を一度は招き合ったという事になる。
「有り得ると思いますよ蒐子さん。夢の中でのあのお辞儀も、そういった意味だったのかも」
「菖蒲ちゃんの言ってる通りだとしたら、招き入れたからあの幽霊は好きにこっちに干渉出来て、こっちから干渉出来ないのは単純に霊力の違いって事でいいのかな?」
「多分そうだと思うよねぇね。問題は、どうやって幽霊さんに納得してもらうかだよ。ねぇねぇ蒐子さん、伊邪那岐と伊邪那美の両方が祀られてる神社とかってあるのかな?」
そもそも彼女が本当にアハシマだという確証はどこにも存在しない。下手をすれば古事記にも載っていない捨てられた子供の可能性すらある。しかし一つだけ確かなのは、彼女は何かを探しているという事だ。あの景色が本当に彼女のものなのであれば、伊邪那岐と伊邪那美に一度会わせた方がいいかもしれない。
私は少しの可能性に賭けるために、蒐子さんから聞き出した淡路島にあるという伊邪那岐と伊邪那岐の二柱が祀られている伊弉諾神宮へと赴こうと三人で行動を開始した。




