第75話:あなたが居てくれたから、わたしが生まれてこれたんだ
黄丹に客間へと案内され、そこで少し待っていると黄丹が慣れない手つきで盆に乗せられたお茶を二人分運んで来た。黄櫨とは違い、妹の黄丹は私達に対して特に敵意を見せているという様子は見られない。しかし彼女も日奉一族本家の人間だと考えると、私達やコトサマに強い敵意を抱いている可能性が高い。長い間学校にも通っておらず、しかも外出している姿を見た人間すら居ないというのは怪しすぎる。
「えーとえと、黄丹さんって呼んでいいですか?」
「うん! 台風止むまでゆっくりしてってね。お名前はぁ、えっと……菖蒲に、命ね」
「そうですそうです。それでですね黄丹さん。ちょっと聞きたい事があるんですけど、いいですか?」
「いいよ! わたしに答えられる事なら何でも!」
私は黄丹がどういった理由で外出していないのかを探るために声を潜めながら尋ねる。
「黄丹さんって、普段学校とかって行ってるんですか?」
「んーん。行ってない」
「あのあの、理由とかって教えてもらえたり?」
「ん~なんかね、ころちゃんが言ってたんだ。おーちゃんは学校とか行かなくてもいいよって」
「すみません、行かなくてもいいとはどういう意味ででしょうか?」
「分かんない。でも、ころちゃんね、わたしが外に出ようとすると怒るんだ。きっと寂しがり屋さんなんだよ。だからわたしがお家に居てあげないといけないの」
どうにも妙な感じがする。今の黄丹の発言からは嘘っぽさは感じられない。彼女が余程の名女優でもない限り、日奉黄丹という人物は嘘がつけないタイプの人間だ。黄櫨はそんな妹に何かを吹き込んでいる可能性が高い。わざわざ学校にも行かせず、外出さえも許さないというのは明らかに異常としか言いようが無い。
「……黄丹さん黄丹さん。日奉っていう苗字の事、どう思います?」
「なんか珍しい苗字なんだってね。あっ、菖蒲もわたし達とお揃いなんだよね!」
「黄丹さん。菖蒲ちゃんと貴方達の苗字が特別なものだという認識はありますか?」
「へ? 特別? どーゆー意味?」
何かがおかしい。この反応を見るに、黄丹は日奉一族がコトサマへの対処を古くから行ってきた一族だという認識が無いのではないだろうか。今まで出会ってきた本家筋の人間は濃紫と、秘色という人物の魂を一部受け継いだ千草だけである。濃紫は分家筋や命ちゃんに強い敵意を見せていた。恐らくあれが本家筋の人間の大半の考えの筈だ。千草を例外としても黄丹がそれを知らないというのはおかしい気がする。自分の本名が日奉黄丹だと知っているのに、その姓が示す意味を理解していないのは不可解だ。
「あのあの、私達日奉一族はコトサマが暴れたりした時に対処してきた一族なんですよ。黄丹さんは何も聞いてないですか?」
「えっ、えっ……こ、ことさまって、何? 暴れるって……何か怖いアレなの?」
命ちゃんがソファーから立ち上がる。
「黄丹さん、少し本部まで御同行願います」
「え、ほ、本部って? 旅してる人達じゃないの……?」
「ん~まあ嘘って訳じゃないんですよ? わざわざここまで来た訳ですし。でもでも、一応お仕事で来たんです」
「我々は、JSCCOの者です。とある調査のためにここに派遣されました」
「じぇ、じぇーえす、し、し……?」
「あーっとですねぇ。JSCCOっていうのはぁ――」
直後、客間の出入り口である障子の方から何かが破れる様な音がしたかと思うと、命ちゃんが脇腹の辺りを抑える様にして膝をついた。見てみると果物ナイフらしき物が脇腹に刺さっており、障子に開いた穴の向こうからは黄櫨のものと思われる目がこちらを睨みつけていた。
「命ちゃん!?」
「わわっ!? えっ、えっ!? ど、どうしたの!?」
「黄櫨さん!! そこに居るんでしょう! 今のは公務執行妨害に当たりますよ!」
障子の向こうから溜息が聞こえ、ゆっくりと障子が開き黄櫨が客間へと入ってくる。
「こ、ころちゃん……? ころちゃんがやっ――」
「しぃーーーっ……」
黄櫨は人差し指を唇に当て、そのまま黄丹の口元へと指を近付ける。
「おーちゃん。わたしがそんな事をする人間だと思う?」
「お、思わないけど……でも、今……」
「わたしの手、ナイフなんて持ってないよね。だからやったのはわたしじゃないんだよ」
「で、でもここってわたし達以外は……」
「そこの……菖蒲さんがやったんじゃないかなぁ」
「ちょっとちょっと私ですか!?」
「菖蒲はそんな事してないよ」
「本当に? 本当にそう言える? 間違いなく、ずぅーーーっと、見てた? 片時も目を離さずに。トリックを仕掛ける隙も無いくらいに」
「それ、は……」
命ちゃんは少しふらつきながら立ち上がる。
「いいえ……菖蒲ちゃんは何もしてない。やったのは、貴方としか思えない」
「こ、ころちゃん、嘘だよね……?」
「ふぅーー……」
「ころちゃん……?」
「おーちゃん。さっきお茶出す前、味見、したでしょ?」
「え、うん……」
「あの茶葉ね……睡眠導入作用があるやつなんだ」
「え、何でそんなっ……?」
突然黄丹はその場に倒れる様にして意識を失った。黄櫨が受け止めてそっと床に寝かせたため怪我の心配は無さそうだったが、間違いなく黄櫨が私達を敵視しているのは事実なのが確定した。
黄櫨はテーブルの上に置かれていたコップを手に取ると、その中身を一気に飲み干す。恐らく彼女が言っていた睡眠導入作用があるというのは嘘なのだろう。自分で能力を使って改変を起こしたのだ。
「……正直、驚きなんですよ。どうしてバレたのかって」
「何を言ってっ……」
「命ちゃん無理しないですぐに救急車とかを――」
「無駄ですよ」
黄櫨は廊下の方を指差す。
「さっきあなた達が言ったんじゃないですか。『今日は台風だ』ってね。今、そっちの対応でてんやわんやですよ」
「蒐子さん! 蒐子さん!」
「無線の相手ですよね。それもダメです。さっき、ちょっとだけ弄らせてもらいました。あなたのメールアドレスから」
慌てて確認してみると、私が入力した記憶が無いにも関わらず、蒐子さんにメールが送られていた。その内容は『妨害電波が発生しているためしばらく通信出来ない』というものだった。もちろんだが、そんな電波が出ている訳ではない。携帯の電波はきちんと届いていると表示されているのだ。
「やっぱり……改変能力だったんですね」
「あぁ……なるほど。そういう考えですか。どうも食い違うと思ったら」
「っ……どういう意味ですか?」
「確かに、わたしの持ってる力は改変能力です。でも、わたしが出来るのはあくまで『情報』に関してだけなんですよ。『現実』までは変えられない」
苦しそうな命ちゃんに肩を貸す。
「……っ……黄櫨さん。それだと、この急激な気候変動に、説明がつきません」
「理解、して欲しいんです。どうしてわたしが捕まるリスクを冒してまで、わざわざ能力を明かしたのか」
「交渉ですか?」
「賢いですね菖蒲さん。そうです。もう言ってしまいますけど、現実改変能力を持っているのはおーちゃんの方です」
思い返してみれば納得がいく。今まで何らかの改変が起こっていた時、必ず黄櫨から黄丹へと発言が行われていた。そして黄丹がそれを理解した後から改変が起こっていた気がする。天気も玄関の鍵も、全て黄丹が認識してからだったのだ。黄櫨はただ、彼女を誘導していただけにすぎない。
「話がっ……見えてきません。貴方の目的は……?」
「簡単な話です。これ以上、あの子に外の世界の情報を渡すのをやめて欲しい。それだけです」
「理由は?」
「怪異……あぁ、今ではコトサマと言うんでしたっけ。この子はそういうのが苦手なんですよ。昔、こんな事がありました」
黄櫨はかつての黄丹との思い出を語り始めた。それによると、幼い頃に二人は両親の下でコトサマを倒すための修行をさせられていたらしい。だがコトサマに対する強い恐怖心を持つ黄丹は、それを極度に嫌がっていた。そんなある日、修行のために捕獲されていた霊が突如として消滅していたのだという。本来悪霊などの霊魂を消滅させるには、弔って成仏させるか一部の特殊な力を使って魂そのものを損傷させるしかない。しかし、その霊はまるで初めから存在していなかったかの様に消えたそうだ。
「これが何を意味するか分かりますか?」
「……まさか」
「あらゆる超常存在の……消滅」
「そう。もしおーちゃんが怪異の実在を再度認識してしまえば、きっとこの世界から全ての怪異が消えます。幽霊、妖怪、超能力者、超常現象、オカルト技術……もっと他のものまで消えるかも」
「そこには我々も含まれる……そういう事ですか」
「あなた達だけじゃありません。わたしも、そして下手をすればおーちゃんもです。この子はわたし達の両親すらも消したんですから」
霊が消滅させられてから数日後、今度は二人の両親も姿を消してしまったという。恐らく自分にとって嫌な事を強要してくる両親は、黄丹にとっては恐怖の対象だった筈である。それ故に能力を使って消してしまったのだろう。
「この子は自分がやった事を何も覚えてません。母親はわたし達を産んだ時に死んだと思ってます。詳しくはありませんけど、ショックから来る一種の記憶障害ですかね」
「あのあの、少しいいですか。それじゃあ黄丹さんはあなたの矛盾する出生記録の事も知らないと?」
「当たり前でしょう。そういうあなたは自分の出生記録を見た事があるんですか?」
「無いですけど……」
「あれを知ってたのは本来わたしだけだったんですよ。あれが一番最初にわたしがやった改変でしたから」
「どうやってです? 確か赤ちゃんの頃って自我があんまり無いって聞いた覚えが……」
「わたし達は……特別な生まれですから」
黄櫨から語られたのは衝撃的な内容だった。元々黄櫨は畸形嚢腫という形でこの世に生を受けたらしいのだ。妹である黄丹の体には生まれつき瘤が付いており、黄櫨はその中に居たのだという。
「極まれにあるそうなんですよ。双子の片割れが成長の段階でエラーを起こして片方に取り込まれる。そういう事が」
「それじゃあ……貴方は……」
「そう。その時わたしは殺された。おーちゃんの健全な命を守るために、奇形だったわたしは手術によって切り離されて殺された」
「でも貴方は……生きてる……。黄丹さんが、能力を使ったんですね?」
「……不思議な感覚でした。わたしの目が、口が、鼻が、内臓が、手が足が……勝手に動いて繋がって、気がついた時にはわたしになってました」
その後、黄丹の改変を受けた黄櫨は自身の能力を使って病院の出生記録の『情報』を改竄したらしい。本来、生まれたばかりの子供は強い自我を持っていないという。しかし世の中には母親の胎内に居た時の記憶を持っている人も存在している。黄櫨がたまたまそういった人間で、そして情報改竄能力を持っている超能力者だったというだけなのだ。
「わたしにとって、おーちゃんは妹であり姉であり、そして母でもあるんです。おーちゃんが居なければ、わたしはこの世に生を受ける事すら出来なかった」
「だから……こんな山奥で引き篭もってるんですか?」
「そうです。おーちゃんはわたしが言った事は全て信じてくれます。わたしが『買い物に行った』と言えば、冷蔵庫には勝手に食料が備蓄されていく。わたしが守っている限り、おーちゃんもこの世界も守られるんです」
もし彼女の話している事が事実なのだとすれば、この世界はこの二人によって維持されている事になる。もし黄櫨が情報の改竄や遮断を行わなければ、黄丹はいつか本当の世界を知ってしまう。もしそうなってしまえば、彼女自身ですら気がついていない改変能力によって全ての超常存在が消滅してしまう事になる。オカルト技術は失われ、本来あった筈の歴史そのものが改変される可能性もある。
「わたしは一度死んだ身です。わたしにとって一番大切なのはおーちゃんだけ。だけど、この世界に対する情けや哀れみはあるんですよ」
「だから今回の事には目を瞑って大人しく退け……そういう事ですね?」
「理解が早くて助かります。幸い、あの病院での情報は全て改竄して消しておきました。これで、わたし達がこの世に存在していると証明する『情報』はどこにも無くなりました。あなた達の『目撃情報』を除けば」
「望みは……?」
黄櫨は懐に隠し持っていたのか、ガーゼと医療用テープを床の上に放る。
「わたし達に今後関わらないでください。もちろん他の人間に情報を流すのもダメです」
「もし破ったら?」
「わたしにも想像が出来ません。おーちゃんの能力がどこまで出来るのか、あまりにも未知数です。最悪の場合、歴史そのものが改変されるかもしれませんね」
現在の黄丹の中では『怪異は存在しない』という事になっているのだろう。そんな彼女がもし外の世界に出てコトサマの実在を認識したり、私達の様な超能力者が力を使っているところを見てしまえば、世界そのものが日奉黄丹の望む世界へと改変されてしまうだろう。今は外界から隠されたこの家の中に住んでいるから、黄櫨からの情報を信じての改変に留まっているのだ。彼女が自分自身の力に気づいてしまえば、本当に何が起こるのか予測が出来ない。
「わたしとの約束を守ってもらえるのなら、そのガーゼとテープを使って治療してください命さん。その二つはおーちゃんによって改変されている道具です。『どんな傷でもすぐ治る道具』ですよ」
「それも貴方が吹き込んだんですか……?」
「もしもに備えてですよ。常に先手は打っておくべきです」
命ちゃんは悩んでいる様に見えた。これは任務であり、彼女らによって情報や現実が改変されたのであればひとまず確保しなければならない。しかし黄櫨の発言が事実なのであれば、黄丹をここで確保して外の世界に連れ出すのはあまりにもリスキーすぎるのだ。
このまま悩んでいても彼女の負傷が治まる訳ではないと感じた私は、床の上に転がっていた医療用道具を手に取り、命ちゃんに手渡す。
「菖蒲ちゃん……っ」
「命ちゃん。まずはさ、そっちの方が優先だよ。それに私には黄櫨さんの話が嘘だとは思えない」
「正しい判断です。わたしもここであなた達と共に道連れだなんてごめんですから」
命ちゃんもこれ以上はどうしようもないと判断したのか、脇腹に刺さっていたナイフを引き抜くと、すぐに傷口へとガーゼを当ててテープで固定した。すると本来であればガーゼに血が沁みるなりする筈だというのに、そういった現象は一切起こらず出血そのものが停止している様に見えた。
「交渉成立ですね。ではお帰りください。この天気は……まあおーちゃんが目を覚ました時にでも改変させますので」
そう言われた私達は、仕方なく双子の家を後にした。これ以上長居したところで何かが出来る訳でもなく、下手をすれば黄丹にコトサマや世界の真実を知られてしまうのだ。下手をすれば神にも匹敵する力を無意識に行使している彼女に下手に干渉するのは、あまりにも余計な事である。『触らぬ神に祟りなし』と昔からよく言われている様に、今は退散するしかない。いや、今後一切関与してはいけないのかもしれない。
私達は強風に吹かれながら村にある駅へと向かい、ホームに着くと蒐子さんへと無線を繋げた。
「蒐子さん、聞こえますか?」
「あ、どうでしたお二人共ー。妨害電波が出てるとの事でしたけど……」
「如月さん。単刀直入に結果だけ言うから。絶対それ以外は聞かないで」
「え? はい……」
「まず、日奉千草からの情報は正しかった。あの二人は日奉一族本家筋の人間で、二人共能力者だった」
「やはりそうなんですね……!」
「だけど、今後一切、あたし達やJSCCOはこの一件に関わっちゃいけない」
「え、ですがー……」
「あのあの、蒐子さん。お願いだから信じてください。蒐子さん自体に話すのは大丈夫だと思うんですけど、これって無線じゃないですか。どこかで傍受されてたら絶対にまずい情報なんです」
有り得ないとは思うが、もしもは考えておくべきだろう。何かの拍子にというのは避けなければならない。黄櫨と黄丹の姉妹の秘密は永遠に隠蔽されなければならない。秘密を知っている人間は彼女達と私達の四人で十分なのだ。
「如月さん、信じて欲しい。この一件の情報はデータベースから消しておいて。もちろん紙媒体からも」
「な、何だか分かりませんけど、お二人がそう言うなら信じます」
「ありがとう」
その後私達はようやくやって来た電車に乗って普段暮らしている場所へと帰ろうとした。しかし電車が発車したその時、窓の外を眺めていた私の目には一瞬だが嫌なものが映り込んだ。それは、あの不幸を振り撒く真臥禧の姿だった。しかし目を少し擦ってみると、ただ窓に付着していた汚れを誤認しただけだったという事に気がつき、少し安心する。
「どうしたの?」
「いや、真臥禧さんが居た様に見えたんだよね」
「えっ!?」
「いやいや。この汚れ、見間違えただけだよ」
「そう……」
「でもでも、気をつけなきゃなのは事実だね。もし真臥禧さんの目的がこの世界そのものへの復讐なんだったら、これ以上ないってくらいにあの二人は真臥禧さんにとって有益な筈だよ」
「確かに……。早く見つけて止めないと……」
結局何一つ情報を持ち帰る事が出来ない私達は、手ぶらのまま普段暮らしている場所へと帰っていった。




