第62話:ボクはボクをボクだと思ってますからつまるところボクはボクです(体の方の意見とか知りません)
肉体を持っている方の雌黄さんが戻って来たのは1時間程経ってからだった。幸いにも軽度の骨折だったらしく、石膏や包帯などを使って左腕を固定し、しばらく安静にしていれば治る程度の負傷だったそうだ。しかし部屋へと戻って来た雌黄さんの顔色はあまり良いとは言えず、私達の方を一瞥すると顔だけを背けて黙りこくっていた。
「あのあの、雌黄さん」
「雌黄ちゃん。私ね、聞きたい事があるの……」
「……どうして」
「え?」
「どうして皆、ボクに酷い事するんですか」
きっとこちらの雌黄さんには世界の全てが敵に見えているのだろう。自身の魂を電子データに移行したと思っていたら何故か肉体のままであり、生まれつき体が弱いせいで自由に動く事も出来ず、そのせいで家族からも見捨てられてしまった。
「じゃあもう何ですか、死ねばいいんですかボクは」
「雌黄さん、一旦落ち着きません?」
「落ち着いてますよずっとね。じゃなきゃ電子の世界に行こうなんて思い立ちませんでしたもん」
「……雌黄さん。我々はJSCCOからの依頼でここに来ています。貴方に関する事で」
「ハッ……またそうやってボクを馬鹿にしてるんですね、知ってますよ。ボクが病院から出られない引きこもりだから馬鹿にしてるでしょう。いいですよねあなた達は? ボクと違って図書館だろうとどこだろうと好きなだけ行けて」
雌黄さんは完全にいじけてしまっていた。電子生命体の雌黄さんの様子を見るに、そもそもが知的好奇心の強い人なのだろう。そんな彼女にとって自分の体を自由に動かせず、好きな場所に移動する事も出来ないというのは凄まじいストレスと言える。
「言葉を知ってれば賢いんですか? 好きに動き回れるのがそんなに偉いんですか?」
「雌黄さん、我々は貴方を助けに来たんです」
「偉そうにしないください!」
声を荒げた雌黄さんは小さく咳き込んだ。少し大声を出すだけでもこちらの彼女には強い負担なのだ。コンプレックスに満ちている彼女の心は、自分を守るのに必死なのかもしれない。今も昔も。
命ちゃんは話しやすい様にと椅子に腰掛け、なるべく雌黄さんと目線の高さが近くなる様にした。
「今、貴方の身に超常的な事が起こっています」
「そうでしょうね、ボクの体がおかしいのなんて周知の事実でしょうから」
「その件ではありません。先程ご覧になったと思いますが……」
「あれは……何なんですか? 何でボクの真似をしてるんです? ふざけないで……」
「……落ち着いて、聞いてください」
命ちゃんは雌黄さんに事情を説明するために、自分が知っている情報を話し始めた。先程スマートフォンに映っていたのは雌黄さん本人であり、今の社会は『黄昏事件』によって大きく変わってしまっている事など、それらを全て説明した。
雌黄さんは予想もしていなかった事実を話される度に呼吸を乱し過呼吸になっていたが、その度に命ちゃんは話を止めて安心させる様に右手をそっと握っていた。
「……大丈夫ですか?」
「全部……本当の事なんですか?」
「ええ。信じがたいとは思いますが」
「……それじゃあ、それじゃあボクは、誰なんですか? ボクは……ボクは……」
「少しいいかな雌黄ちゃん」
「あなたは……?」
「三瀬川賽って言うんだ。もう一人の雌黄ちゃんとは知り合いなの」
「もう一人のって……ボクは、ボクだけの筈なんです……」
「うん。その事を確かめたいから、質問に答えてくれるかな?」
賽師匠が雌黄さんにした質問、それは自身の魂を電子データへと変換する方法についてだった。どうやら先程記憶を見た際にその瞬間までは確認出来たらしいのだが、どういう理論でそれを実行しているのかが分からなかったのだという。
「勝手に見たんですか……? ボクの記憶を……」
「ごめんね、本当は良くない事なのは分かってたんだけど、そうしないと雌黄ちゃんの事が分からなそうだったから……」
「雌黄さん雌黄さん、それでどうやったんですか? 私にも全然想像がつかないんですけど」
「どうもなにも……そもそもボクは失敗してるんですよ? さっき話に出たのだって、ボクを勝手に名乗ってるだけの偽物じゃないんですか? だって、だってそうじゃないとボクは……」
「雌黄さんお願いします。何か分かるかもしれません」
雌黄さんは自身に起きている奇妙な状況を上手く飲み込めず苦しそうな顔をしていたが、賽師匠と命ちゃんの真っ直ぐな態度を見てか少しずつ話し始めた。
雌黄さんがその時にやった方法というのは、簡単に言えば魂の転写だった。思考回路や外見、記憶などを全てデータの形へと変換するという方法を取ったらしい。そうすれば彼女の理論上、電子データ上に魂を移す事が出来るそうだ。
「以上です。失敗しましたが」
「どう思います賽師匠?」
「千草ちゃんっていう前例はあるけど、多分今の理論だと難しいと思う」
日奉千草は日奉一族本家筋の日奉秘色によって魂を移植されて生み出された存在だった。複数の魂が継ぎ接ぎになっており、一人の人間の魂として機能していた。しかしそれは秘色が持っていた『理論を上書きする能力』によって行われた儀式によって成立しているものだった。通常の理論では不可能な行為だったのだ。雌黄さんが持つ『電子機器を操作しデータに干渉出来る能力』では似た事をするのは無理だろう。
「私もそういう事に詳しい訳じゃないけど、それだと本当に転写に過ぎないんじゃないかな」
「……雌黄さん。もしかしてですが……」
「な、何ですか?」
「貴方の理論はある意味成功していて、貴方にとっては失敗だったのかもしれません」
「それはどういう……」
命ちゃんの考えによると、現在ネットワーク上で日奉雌黄として活動している彼女は、目の前に居る雌黄さんの完全な模倣に過ぎないかもしれないらしい。雌黄さんは自身の理論でネットワーク上に完璧な自身の模倣体を作り出してしまった。そのためどちらも自分が本物の日奉雌黄だと認識しているのではないかという。つまり私達がよく知る雌黄さんはあくまで自分を日奉雌黄だと思い込んでいる人工知能に過ぎないという事だ。
「それだと、それだと意味が無いじゃないですか……! ボクは、ボクはこんな体からおさらばしたかったんです! ずるい! ずるいです! 何でボクだけこんな目に合わないといけないんですか!」
「命ちゃん命ちゃん。もしそれが本当だとしたらさ、私達はどうするべきなのかな?」
「あたし達に出された任務はあくまで調査に過ぎない。危険性があるなら確保しないといけないけど、こっちの雌黄さんもあの雌黄さんも何も害意や敵意を見せてない。だから後は上層部の判断に任せるしかない」
「待って! 待ってください! ボクは、ボクはっ……」
「すみません。我々の仕事はここで終わりです。実際に何が起きているのかは分かりませんが、貴方を悪い様にはしません」
椅子から立とうとする命ちゃんの裾を雌黄さんの小さな手が掴む。
「放してください」
「ボクはっ……ボクはもう、嫌なんです……」
雌黄さんの声は震え、鼻水をすする音まで出始めていた。
「お願いです……殺してください……」
「何を……」
「あなた達には分からないでしょうけどっ……えほっ……もう嫌なんですよ……。どうやったって上手くいかないなら、死んだ方がマシですっ……」
「雌黄ちゃん、そんな言い方しちゃダメだよ……」
「健康なあなた達に分かる訳ないじゃないですかっ! 何もかも上手くいかなくてっ皆から邪魔者扱いされてっ! 生きてる意味なんか無いんです!」
「……」
命ちゃんも賽師匠も何も言い返せなかった。彼女が生まれてからずっと抱えてきたコンプレックスと激しい怒り、それによって生まれた無力感。それなりに普通ではない人生を歩んできたが、それでも健康な体を持っている私達に彼女を説得する事など出来なかった。私達が何を言おうとも上っ面だけのくだらない、がらんどうな言葉に聞こえるだろう。しかしそれでも彼女を放っておくのは寝覚めが悪い。
「もう嫌だ……もう嫌なんです……お願いですボクを殺してください……」
「雌黄さん雌黄さん」
「あなたでもいいです……! 殺してください……!」
「いやいや何でですか嫌ですよ。ちょっと聞きたい事があるんです」
「何なんですかもう……死なせてくださいよ……」
「雌黄さんって、自分の事を無価値な人間だって思ってません?」
「そうですよボクの親も皆も! どうせそう思ってるんです!」
「いやいや、私は雌黄さん自身が自分をどう思ってるかを聞いてるんです」
「ボクはっ……」
雌黄さんの口は何かを喋ろうとパクパク動いていたが、続きの言葉を紡ぎだせずにいた。
「本当は死にたくないんですよね?」
「……」
「菖蒲ちゃん、何を……」
「ちょっと不思議だなって思ってたんです。もし雌黄さんが本当に死にたいって思ってるなら、いくらでもチャンスや方法なんてある筈なんですよ」
「ボクが、根性無しだと……?」
「そうじゃなくってですね? 本当は雌黄さん、助けてもらいたいんじゃないですか?」
「……っ」
「ずっとずっと、不安だったんですよね。両親が自分を邪魔者扱いしてたのを知って絶望して、自分の体が一生このままなのを知って絶望して、怖かったんですよね」
賽師匠は命ちゃんの上着の裾を掴んでいる雌黄さんの手に触ると、小さな悲鳴にも似た驚きの声を上げた。そしてその後すぐに雌黄さんの体を優しく抱き締めた。これ以上骨が折れない様に。折れた腕が痛まない様に。優しく優しく、かつて私にもしてくれた抱擁で彼女を包んだ。
「そっか……そうだったんだね……雌黄ちゃんは、ずっとこんな……」
「三瀬川さん?」
「……ごめんね殺月ちゃん、菖蒲ちゃん。少し二人にしてもらえないかな……」
「いいですよ。行こ、命ちゃん」
「……分かった」
雌黄さんの苦しみに正面から向き合えるのは記憶や心を読み取れる賽師匠だけしか居ないため、二人で廊下へと出る。あそこにあれ以上居ても、私達に出来る事は対して無かっただろう。
外に出てから30分程経った頃、ようやく病室から賽師匠が出てきた。その頬には涙の跡が残っており、顔は少し紅潮していた。それは雌黄さんの心に向き合った証だった。
「お疲れ様です、賽師匠」
「うん……」
目元を拭うと賽師匠は呼吸を整えてから雌黄さんと話した内容について教えてくれた。
「初めてだったよ……あんなに嘘をつくのが上手な子が居るんだね……」
「嘘?」
「うん……。最初に雌黄ちゃんの記憶を見た時は、そこまで強い感情は見えなかったの。ショックを受けたりはしてたけど、それでも何とか耐えられるレベルの感情に見えたんだ」
「では、彼女は三瀬川さんの能力でも見破れない嘘をついていたと?」
「そうだね殺月ちゃん。多分だけど雌黄ちゃんは自分の心を守るために自分自身の記憶にすら嘘をついてたんだと思う。壊れてしまわない様に『実際はそこまではショックじゃなかった』って無理矢理記憶を塗り替えて……」
「でもでも、賽師匠の能力ならそういうのすぐにバレちゃいません?」
「私もこれまでそう思ってた。触っちゃえばどんな嘘でも分かるって。でも違ったの。あの子は……無意識の内に嘘をついてた。無意識だから嘘をついてる記憶が無い。だから読めなかった」
「見える様になった要因はやはり?」
「そうだね……菖蒲ちゃんに指摘されたのがトリガーだったんだと思う」
賽師匠によると、雌黄さんは『自分は弱い』という事実がとにかく許せないと考えているらしい。肉体面はもちろん精神面でもそう考えていた様だ。そのため私が『本当は助けを求めるんじゃないか』と質問した事で、自分自身の弱さを再確認してしまい嘘が記憶の中に表層化したらしい。雌黄さんにとっては、『誰かに助けを求める』という行為ですらも情けない恥ずべき『弱さ』に含まれている様だ。
「無茶苦茶じゃないですか? だってだって、『殺してくれ』っていうのも一種の助けを求める行為だと思うんですけど」
「それすらも分からないくらい取り乱してたみたい……。それだけあの子にとって、『弱さ』っていうのは恨めしいものなんだと思う」
『弱さ』を何よりも嫌っていた雌黄さんにとって、自分の体は最も忌み嫌う相手なのだろう。自分が一番嫌っているものが自分自身など、耐え難い苦痛と言える。しかもその弱さがどうやっても克服出来ないものともなれば、恨みも抱くだろう。
「それで今は?」
「今は泣き疲れて寝ちゃってる……。一応私の方で簡単な処置はしておいたけど、これは多分あの子自身が乗り越えなきゃならない問題だと思うの」
「処置って何したんですか?」
「菖蒲ちゃん、昔私が学校の勉強に付いていける様にって私の記憶を一部分けたのを覚えてるかな?」
「ああ、ありましたね。ほんとに助かってますよ賽師匠。あれが無かったら未だに高校とか通えてなかったと思いますし」
賽師匠は記憶の読み取りだけでなく、記憶の譲渡なども出来る。長い間昏睡状態だった私が学校に通える様にと、自身の持っている記憶を一時的に私に与えてくれたのだ。そのおかげで何とか一般的な範囲での知識を手に入れ、高校に入る事が出来た。
「そうだね。あの時みたいな感じで、雌黄ちゃんが持ってた感情を一部だけ私の方に流したんだ」
「えっ……それって大丈夫なんですか?」
「うん。本当は全部取り除いてあげたかったんだけど、それをやっちゃうと私も危ないからちょっとだけにしたの」
「三瀬川さん、乗り越えなければならないと仰いましたが具体的にどうするおつもりですか?」
「あのね殺月ちゃん。申し訳ないんだけど、もう一人の雌黄ちゃんを呼んでくれないかな?」
「構いませんが来られるかどうか……」
「お願い、何とかして呼んで欲しいの。あの子の苦しみはきっとあの子じゃないと向き合えない。結局私も自分が負の感情に飲み込まれるのが怖くて逃げてしまった。でも雌黄ちゃん本人なら、きっと向き合ってくれる」
「……分かりました。試しに要請を掛けてみます」
そう言うと命ちゃんは一旦その場から離れると蒐子さんへと無線で連絡を取り始めた。
「賽師匠。賽師匠は悪くないですよ」
「でも私、怖くなって逃げちゃった……。苦しんでる人が居るのに、ちゃんと全部受け止めて上げられなかった……」
「でもでも、それやってたら今度は賽師匠が危なかったんですよね? 私嫌ですよ、賽師匠が死んじゃったりしたら……」
「あはは……菖蒲ちゃんは優しいね。ダメだな私……菖蒲ちゃんの先生なのに……」
彼女がここまで落ち込んでいる姿は今まで見た事も無かった。
俯いてしまっている賽師匠の両頬に手を添えてこちらを向かせる。
「そんな事言わないでください」
「菖蒲ちゃん……」
「賽師匠はダメなんかじゃないです。私が保証します。賽師匠が居なかったら私は今頃小学生、良くて中学生レベルの勉強をしてたんです。あの時助けてくれたから、こうやって普通の年相応の暮らしが出来てるんです。だから、そうやって卑下しちゃダメです。賽師匠は、私にとってヒーローなんです」
この時ばかりは自分の本心をぶつけた。いつもなら猫を被って適当にその場に合った、相手に合った対応をする。だが大切な人が苦しんでいるのを前にしてそんな真似はしたくなかった。もっとも、この人相手に私程度の嘘は通じないだろう。きっと初対面の時にとっくに嘘はバレていた筈だ。だがそれでも賽師匠は私を助けてくれた。それを縁師匠に話しもしなかった。触れもしなかった。見て見ぬフリをしてくれた。ありのままの私を受けて入れてくれたのだ。
「もし賽師匠が我が身可愛さに逃げる人なんだったら、この前の異人会とコトサマ連盟の抗争の時に助けてくれたりしなかった筈です。『黄昏事件』の時に日奉一族でもないのに戦ったりしなかった筈です。賽師匠は……とっても、とっても優しい人です。きっとこの世の誰よりも……」
ねぇねも縁師匠も命ちゃんも、もちろん他の日奉一族の人達も優しい人ばかりだ。しかし一番優しいのは誰かと言われれば間違いなくこの人だ。どこまでも相手に寄り添えるこの人だけだ。
「買い被りすぎだよ……」
「ううん。私にとってはそうなんですよ。他の人が何て言ったって、賽師匠が何て言ったって。私にとってはそうなんです」
「あははっ……いけないなぁ私……」
優しく抱擁され、頭を撫でられた。
「ごめんね……ちょっと影響受けすぎちゃってたのかも。良くないよね、あんまり悪く考えるのは」
「ふふっ、そうですそうです! 悪く考えちゃダメダメです!」
私を撫で終えた賽師匠はふぅっと息を吐き呼吸を整えた。雌黄さんから受け取ったマイナスの感情をしっかりと受け止める事が出来たらしい。そんな様子を見て安心していると命ちゃんがこちらへと戻って来た。
「あっ、どうだった?」
「何とか頼み込んで了承してもらいました。渋々といった感じでしたが」
「ごめんね殺月ちゃん、無理言って……」
「いえ、それはお気になさらずに」
「じゃあじゃあ、この後雌黄さんのとこにもう一回行く感じだよね?」
「悪いけど菖蒲ちゃんは自分の所に戻ってくれる?」
「えーっ何でさー」
「君、一応入院してる立場なの覚えてる? 許可を取ってるとはいえそろそろ戻らないと怒られる」
「ぐぬぬ正論言いおってぇ……」
「それにここからは雌黄さん同士の対話になる。君だけじゃなくてあたしも三瀬川さんも立ち入れない」
「確かにそれもそうか……」
電子生命体である方の雌黄さんはやや毒舌というか皮肉屋なため、あの雌黄さんだけで話させても大丈夫だろうかと不安に感じたが、命ちゃんの言う様に私は許可を貰って病室から出ている身のため、あまりウロウロしていると問題になってしまう。ここは言う通り部屋に戻った方が賢明だろう。
「それじゃ私は病室戻ってまーす……」
「ごめんね菖蒲ちゃん。またお見舞いに来るからね?」
「いいですよ、多分すぐ退院でしょうし」
「後はこっちに任せて。君は検査の方に集中してて」
「集中って言っても私はただ機械の中やらに寝っ転がらされるだけですけどねー……」
仕方がないとはいえつまらない病院生活をしなくなった原因であるセンを少し恨みつつ、私は病室へと戻っていった。




