第61話:放っておいてって言いましたよね?
命ちゃんが蒐子さんに連絡して数分後、命ちゃんのスマートフォンに着信が入り雌黄さんの姿が画面上に表示された。姿を現すなりすぐに溜息を吐き、うんざりといった様子だった。
「あ、どうもどうも雌黄さん。実はですね……」
「知っています、ええ聞いていますともだからボクは体などさっさと処分しろと言ったんです、こういう事が起こる可能性もゼロでは無かった訳ですし実際こうして起こりましたからね、余計な事態を招く事になるのは目に見えていたというのにどうしてこう聞き分けが悪いのでしょうか」
「雌黄さん、お忙しい中ありがとうございます」
「はぁ……ボクの体が目覚めたのですね?」
「そうなんですよ。しかも賽師匠によると雌黄さん本人の記憶を持ってるみたいなんです」
「見たのですか?」
「ご、ごめんね雌黄ちゃん。一応確認してもらっていいかな?」
賽師匠はプライバシーのためにと一旦私達をその場から離れさせると、命ちゃんのスマートフォンに映っている雌黄さんに自身が見た記憶について話し始めた。離れた所からその様子を見たため何を話しているのかは分からないが、その話は5分もしない内に終わり、すぐに戻ってもいいという事になった。
「どうでした雌黄さん?」
「……うんざり、うんざりですよ。ボクが忘れてしまいたかったもの全てです、全部嫌いだからこうして電子生命体へと変わったというのにこれでは無意味ではないですか、汚らしい価値の無い体が生きているせいでこんな辱めを受ける羽目になるとは」
「では間違いないのですね?」
「認めたくありませんがね、ボクですよその記憶は。間違いなくボクです」
「じゃあじゃあ、やっぱり今は雌黄さんが二人居るって事になるんですかね?」
「本物はボクだけです。案内してくれますか会ってみたいので」
実際にどうなっているのか会ってみたいとの事なので全員でもう一度病室へと向かう。部屋の前で固まっていた専門家の人々はいつの間にかどこかへと行っており、疑問に思っていると雌黄さんが自分で追い払ったと発言した。どうやらそれぞれのスマートフォンなどに偽の呼び出しメールを送付する事によって帰らせたのだという。本来は力をそういう風に使うのは禁じられているが、雌黄さんはJSCCOの中ではそれなりの地位を与えられているらしく後で適当な説明をして誤魔化しておくらしい。
「失礼します」
病室に入ると、ベッドの上で肉体の方の雌黄さんが窓の外を見ていた。しかし部屋に入るとすぐにこちらへと振り向き、眉間に皺を寄せた。
「何してるんですか? さっきボクは放っておいて欲しいと言った筈なんですけど」
「雌黄さん。会って欲しい人が居るんです」
「ボクに?」
命ちゃんは自身のスマートフォンの画面を彼女へと向ける。そこに映る幼い彼女は、まさに目の前の彼女の生き写しと言ってもいい。
「……久し振りと言えばいいんですかねこの場合は」
「えっ……どういう、事です……? ボクは失敗した筈では……」
「いいえ失敗はしてませんよボクに限って失敗など有り得ません、そもそもあなたが異質な存在だというだけですよあなたはこの世に生まれたバグ、瑕疵なのです」
「な、何を言って……けほっ……失敗したからボ、ボクがこうやって……」
「成功したからボクが居るんですよ、繰り返しますがあなたはそもそも日奉雌黄ではないのです。どうやってるどこの誰なのかは知りませんがあなたが日奉雌黄になるのは不可能です」
肉体の方の雌黄さんはかなり動揺している様子だった。その姿はもう一人の雌黄さんと比べるとまるで別人に見えた。私達が知る雌黄さんはほとんど感情的な言動を見せない人である。しかももう一人の雌黄さんは先程から時折咳をしている。あまり体が強いという訳ではないのだろう。
「あなたは誰なんですか?」
「そういうあなたこそ誰なんですかっ……!? ボクっ……えほっ……ボクはボクです! 今回は失敗しただけで!」
「失礼ですがあなたは今が西暦何年か分かってます?」
「えっえっ……そんなの……」
「言葉に詰まりましたね正解は2024年です、ええもうお分かりですよねボクこと日奉雌黄が魂を電子データへと書き換えたのが2010年ですつまりはそういう事です」
それを聞いたもう一人の雌黄さんは酷く動揺し激しく咳き込み始めた。しかしその目は確かにこちらをしっかりと見ており、今にも泣き出しそうな様子で涙を浮かべていた。
私は一旦落ち着いてもらうために一人で近寄ると、激しく息を乱している彼女の背中をゆっくりと擦った。私も幼い頃はこうやって背中を撫でてもらった事がある。ほとんどをベッドの上で昏睡状態のまま過ごしたため、そこまでそういった記憶が多い訳ではないが。
しばらく撫で続け落ち着いたのを見計らうと、刺激しない様にそっと手を離した。
「落ち着きました?」
「はぁ……ボク……ボクは……」
「全く持って理解不能ですねどうしてあなたの様なイレギュラーが発生してしまったのか計算も出来ません。これまでのJSCCOの記録にも世界中のオカルト機関の記録にも一切こういった事例は存在しないのですよ」
「雌黄ちゃん、私から少しいいかな」
「何ですか賽さん手短にどうぞ」
賽師匠が話したのは以前私達が出会い確保した日奉千草の件だった。かつて存在していた『皮田千草』の肉体の中に『日奉秘色』の魂が一部入り込み、全く別の存在が生まれたというものである。実際私達も彼女の様子は覚えており、本人も自分が新たに生まれた存在であるという事は理解していた。
「何が言いたいのです?」
「何事にも例外はあると思うの。どうしてこんな事になってるのかは分からないけど、そういう事が無いとは言い切れないんじゃないかな」
「なるほど、その件でしたらボクも記録しています。魂の移植……にわかには信じがたいですが賽さんがそう言うのであれば信じる他ありません」
「では雌黄さん、どうしますか?」
「ボクに委ねられても困りますねボクはあくまで情報収集や諜報活動が専門です、それにあっちのボクを自称している彼女は何か悪事をした訳ではないのでしょう? でしたら不当に逮捕する事も出来ませんし」
これは雌黄さんの言う通りだった。今肉体に宿っている雌黄さんは何か悪い事をしたという訳でもない。ただ突然目を覚ましてしまっただけに過ぎないのである。しかも私達から見てもどちらが本物の雌黄さんと言えるのかが分からないのである。魂を電子データに移す事を失敗したのが本物なのか、それとも成功して今スマートフォンに映っている方が本物なのか。誰にもそれが証明出来ない。恐らく本人達でさえ、どちらが本物の日奉雌黄と言えるのかは分かっていないのだろう。
「雌黄さん雌黄さん……あなたの処遇についてなんですけど……」
「いやっ! 嫌です! ボクはっ……げほっ……こんなの! こんなの嫌です……!」
「いやっ! 放してくださいっ……! 嫌だ! 嫌です!」
肉体に入っている雌黄さんは錯乱した様子で暴れ出した。その力はとても非力なものであり、私ですら簡単に取り抑える事が出来る程だった。しかし暴れない様にと抑えていると、やがて彼女はベッドに付いている落下防止用の柵に左腕をぶつけ、小さく呻き声を上げながら蹲ってしまった。
「えっ雌黄さん!? 大丈夫ですか!?」
「ど、どうしたの菖蒲ちゃん!? 今、どこかにぶつけなかった……!?」
「……菖蒲さん、すぐに離れてください。今ボクの方でナースセンターをハッキングしてコールしました」
しばらくすると雌黄さんによって呼び出された看護師達が病室まで駆けつけ、すぐに治療するために担架に乗せて部屋から連れ出していった。
病室に残された私達に雌黄さんは詳しい事情を話し始めた。本来であれば話したくはなかったらしいが、私達が困惑しているのを見てそうする事を決めたのだそうだ。
「ボクは生まれつき体が弱かったんです」
「生まれつき……ですか」
「はい。骨形成不全症という病をご存知ですか?」
「えっとえっと……聞いた事ないです」
「先天性のものだとされている病気です、結合組織の主成分であるI型コラーゲンの量的異常や質的異常によってもたらされるのです」
雌黄さん曰く、この症状は些細な事での骨折を招く事になるのだという。しかも症状の重さは人によって様々であり、生まれてすぐに亡くなる人も居ればほとんど無症状の人も居るらしい。雌黄さんの肉体はその骨形成不全症によって非常に脆くなっており、そのせいで今まで50回近く骨を折った事があるそうだ。
「嫌だったんですよボクは、そういう自分の体が。だからこうして電子の世界に移ったんです、幸いな事にボクにはその才能がありましたからね。不必要な現実の肉体はさっさと捨てるに限りますよ」
「そういう事だったんだね……だから雌黄ちゃんは……」
「哀れまないでくださいボクがそうしたくてした事なのですから。まあ日奉一族当主の茜さんがボクの体を残したいと言ったのはボクにとって不本意でしたが」
「えっとえと……雌黄さんは自分の体は要らないって事なんですか?」
「ボクにとっては脆弱な体など必要ありません、今のこの状態であればあらゆるデータに干渉出来ますしネットワーク全てを掌握する事も可能です。前の肉体であれば出来ない事だらけでしたから」
雌黄さんは自身の肉体についてまるで関心を持っていなかった。それこそもう不要なのだから処分してもいいとさえ思っているらしい。生まれつき体の弱かった彼女にとっては、脆弱な肉体は自分を縛り付ける邪魔な殻なのだろう。今の彼女はそれらから解放されている。だからこそ余計に不要だと思っているのかもしれない。
「本当に……それだけなの?」
「……どういう意味ですか賽さん」
「賽師匠?」
「私があっちの雌黄ちゃんの記憶を見た時……見えたの。雌黄ちゃん本当は、ご両親の事……」
「今それ関係ありますか?」
「思い出したくない記憶なのは分かるよ……だけどさっき見た時も、あっちの雌黄ちゃん、ご両親の事を……」
「もう結構です、後は勝手にどうぞ」
そう言うと雌黄さんは機嫌を損ねてしまったらしく命ちゃんのスマートフォンから消え、そのままこちらの発言には一切の返答をしなくなった。
「あの、あのあの……賽師匠。今言ってた雌黄さんの記憶の話って……」
「本当はあんまり話しちゃいけないんだろうけど……言わないとあっちの雌黄ちゃんの今後に関わるかもだし……。ここからは誰にも言わないって約束出来るかな?」
「はい、もちろんですよ! 命ちゃんもだよね?」
「ええ。守秘義務がありますので」
「そっか。ありがとう。えっとね……」
賽師匠が話した雌黄さんの記憶、それは本人にとって一番思い出したくない苦い記憶だった。
雌黄さんは生まれつき骨形成不全症だった。そのせいもあったのか、それとも最初からそういう人間性だったのか、雌黄さんの両親は彼女を病院に置き去りにしたそうだ。ある日から入院費が払われなくなったのを不審に思った院長によってそれが判明したらしい。周囲は雌黄さんを傷つけまいと必死に隠していたらしいが、彼女は自分でその事実を知ってしまったという。
「あのあの、どうやって知ったんです? 今ならまだしも、当時じゃ無理じゃありません?」
「ノートパソコンを受け取ってたみたいで……」
「当時は雌黄さんの能力は判明していなかったという事ですか?」
「そういう事になるね殺月ちゃん。あの記憶の順番から考えると、その後に雌黄ちゃんに日奉茜さんが接触したみたい」
日奉茜といえば日奉一族の現当主だ。超常的な力を持ち、何らかの異常な事件を起こしたか巻き込まれたかした相手にコンタクトを行い、自分達の一族にスカウトをする。私は既に昏睡状態だったため覚えていないが私達の時もそうだったらしい。今ではJSCCOに特別顧問として所属している。
「でもでも、誰がノートパソコンを?」
「病院の人達が。皆、雌黄ちゃんに同情したみたいで……ずっと病院から出られずに家族にも捨てられたから、せめて何か楽しめる物をって……」
「そこで雌黄さんは自分の力を使用したという事ですか?」
「記憶によると、その時初めて気づいたみたい。自分が持ってる力に」
「初めてですか?」
「うん。それまで雌黄ちゃんもそんな力があるなんて思ってなかったみたい。でもあのパソコンを初めて触った時に……」
賽師匠が見た記憶によると、雌黄さんはノートパソコンを触っている最中に偶然その能力が発動したらしい。本心で家族が会いに来てくれない事を疑問に思っていた彼女は、無意識の内に自身の力を発動させたそうだ。ネットワークに侵入するとそこに存在するあらゆる情報を無意識の内に選別し、家族の情報へと辿り着いた。
「全部、無意識だったって事ですか?」
「そういう事みたいだね……。そこから雌黄ちゃんは探りを入れたみたい」
「探りを?」
「電話を入れたみたいなの。お母さんの携帯に」
「え? でもでも、そんな事しても……」
「傍受してたみたい。聞きたい事を合成音声に変換して」
「……噂で聞いた事があります。携帯越しに聞こえてくる音声は、全て本人の声に似せた合成音声だと」
「そうだね殺月ちゃん。雌黄ちゃんもそれを無意識に調べてたみたいで、その原理でお父さんの声を作り出して電話したみたいだよ」
携帯での電話には『ハイブリッド符号化方式』という手法が使われているらしく、雌黄さんはそれを利用して母親に連絡を取ったそうだ。そしてその会話記録を自身のパソコンへと転送し、そこで本心を聞いてしまったのだ。
「そこで……聞いちゃったんですか?」
「うん……正直私も、子供を持った人があんな事を言うなんて、考えたくもないけど……」
「何て言ってたんですか?」
「『あんな不良品、本当は産みたくなかった』って……。『あんなのに人生を邪魔されたくない』って」
胸糞の悪くなる言葉だった。話している賽師匠も苦しそうにしており、こんなのを聞いて胸糞の悪くならない人が居るのだとすれば、雌黄さんの肉親と同じタイプの人間だろう。自分の腹を痛めて産んだ子供にそんな事を思えるなど信じられなかった。
それを知った雌黄さんはますます自分の体を恨む様になったらしい。誰からも愛されない、場合によっては哀れまれもする。普通を望んでいた雌黄さんにとっては自分自身が誰よりも憎らしかったのだ。そしてネットに触れて好奇心を強く刺激され、その世界に惹かれた雌黄さんは自分の魂をデータに変換する方法を模索し始めたそうだ。
「だから雌黄さんは自分の魂をネットへと移動させたという事ですか。合理的判断とも言えるかもしれませんね」
「殺月ちゃんはそう考えるんだね。私はどうしても……何か他にいい考えがあったんじゃないかって思っちゃうよ……」
「命ちゃんは冷たいな~。かわいそうとは思わないの?」
「……思わない訳じゃないよ。だけど気持ちも理解出来るっていうだけ。それだけ酷い事があればそうしたくなるのも分かるだけ」
きっと命ちゃんも胸糞悪く思っているのだろう。彼女は自身を律するためにリアリストを演じている。だが実際は優しい人だ。魔姫ちゃんへの愛情や、今までの事件での振る舞いから分かる。最近は私にもそういう面を隠さなくなっていたが、賽師匠が居るからなのか何故かそういう風に振舞っている。
「どうする命ちゃん? 別に事件って訳でもないし、あっちの雌黄さんをどうするかが重要になってこない?」
「ええ。雌黄さんは人間の体を捨てたいと思ってた。一人は成功して、何故かもう一人は失敗してる。どうしてあの雌黄さんが生まれたのか、どうしてこういう現象が起きたのかを調べるべきかも」
「だねだね。えっと賽師匠はどうします?」
「二人が良ければもう少し付き合ってもいいかな? 雌黄ちゃんとは少し付き合いがあるし、何とかしてあげたいから……」
「私は賽師匠がいいならいいですよ」
「上にはあたしから伝えておきます。こちらとしても三瀬川さんがいらっしゃると助かります」
「ありがとう殺月ちゃん。それじゃあ雌黄ちゃんの治療が終わるまで待ってようか」
「ですね。早めに終わるといいんですけどね」
「うん。少しでも痛みが少なければいいんだけど……」
「まあそれもですけど、早くしないと縁師匠がカンカンになっちゃいますから」
「あ、あぁ……そ、そうだね。多分もう怒ってるかな……」
今後もう一人の雌黄さんをどうするべきかを決め、何故こういった現象が起きたのかを調べるために治療が終わるのを病室で待つ事となった。




