第55話:朧月 霧中の最中 霧晴れて 正体見れば 泡沫なるかな
ゆっくりと開かれた扉から命ちゃんの自室へと入る。特に異常な点は見当たらず、危険そうな物も見えなかったが警戒を緩めずに『不死花』の形を手で作りながら見回す。その後ろからは命ちゃんと魔姫ちゃんが同じ様に警戒しながら入室してきた。
「どう?」
「……少なくとも霊とか神格の類は居ないね。有り得るとしたら、昔妖怪って言われてたコトサマかな」
「それか魔姫が見た黒コートか……」
「な、何なの? あ、あれ姉ちゃんじゃなかったの……?」
「だと思うよ魔姫ちゃん。どうやったのか知らないけど、ここを突き止めて命ちゃんに成りすました」
今この家で起きている幻覚の様な現象から考えるに、少なくとも二名以上の超常存在が関わっているのは確かである。まだ確定はしていないが、あの黒コートはこういった能力は使えない筈である。もし使えるのであれば、あの病院の時にとっくにそれで私を始末していた筈なのだ。つまり、黒コートは他の何者かと組んでいるという事になる。
「菖蒲ちゃん、魔姫をお願い。ステッキを取ってくる」
「オッケオッケ。一応私も備えとくよ。ほら魔姫ちゃんこっち来て」
「何でアタシがお前なんかと……!」
魔姫ちゃんは嫌がってはいたものの、自分の姉からの命令という事もあってか私の後ろに隠れる様に移動した。この中では一番攻撃能力を持たない彼女が襲われた場合、彼女自身は何の抵抗も出来ない。相手からすれば、そんな魔姫ちゃんが一番囮としては利用しやすい存在なのだ。
命ちゃんは警戒しながらゆっくりと移動し、箪笥の前まで来ると一番下の段を開けてそこからステッキとお札の貼られたベルトを取り出した。いつも彼女が任務の時に使っている一式であり、これが無いとコトサマ相手に戦えないのだという。
「よし。これで……」
そう言って彼女が立ち上がろうとした瞬間、突然箪笥が不自然に傾き命ちゃんの方へと倒れていった。急な事ではあったが、命ちゃんはステッキをつっかえ棒にする様にして箪笥を支えると、お札を一枚貼り付けて剣へと変形させた。変形した瞬間に切断能力を得たため床に一瞬刺さっていたが、命ちゃんはそれをすぐさま振り上げて箪笥を真っ二つに切断した。これによって何とか下敷きになるのを免れた命ちゃんは素早くこちらに戻り、扉を背にして部屋を見回す。
「ね、姉ちゃん……!」
「大丈夫、平気だから。……それより菖蒲ちゃん、何が見えた?」
「箪笥が倒れてくるのが見えたよ。少なくとも私には。命ちゃんにはどう見えてたの?」
「あたしも同じだった。あの場所が見えるのは……」
命ちゃんの視線が箪笥の反対側にある窓へと動く。
その窓に掛けられたカーテンは閉まっていたが、若干隙間が空いており外からの光が内部へと漏れこんでいた。
「待って待って。行かない方がいいよ。あそこから仕掛けて来たんだとは思うけど、今追うのは危ないよ。待ち伏せしてるかも」
「……分かった。先にこの幻覚を作ってる方を探そうか」
「その方がいいよ。それで、心当たりとかある?」
「分からない……まずは最近買った物から調べてみよう」
命ちゃん曰く、最近買った物というのは食事用の食品群らしい。私達も人間である以上は定期的に栄養を摂らなくてはいけない。そういった食品の中に誰かが悪意を持って何かを忍ばせていた場合、気付かずに摂食して命を落としたりといった事も考えられるだろう。昔の人間も毒殺を警戒して毒見係を用意していたりしたのだ。今でもそれが有効な手段なのは変わらないだろう。
「じゃあじゃあ、一回出るよ?」
ドアノブに手を掛けて捻り、体重を掛けながら開く。しかし私の足には奇妙な違和感が伝わってきた。
見てみると周囲の景色は一瞬にして病院へと変わっていた。私が今さっきまで握っていた筈のドアノブも命ちゃんの自室へと続く扉も完全に消滅しており、まるで最初からそんなものは無かったかの様に病院としか言いようの無い景色になっていた。
「……命ちゃん? 魔姫ちゃん?」
呼びかけてみても返事は無い。それどころか人の気配がまるで無い。やはりこれも何らかの方法で発動している幻覚の類であり、私の目か、あるいは視覚情報を受け取る脳に干渉をもたらしているものと考えられる。魔姫ちゃんやクラムボンが持っていた反認識能力はただ自分を認識させなくなる能力というだけだが、幻覚と呼称される認識改変能力は所有者によって出来る限度が異なる。これだけ大きく誤認させる事が出来るという事は、かなり強力な使い手なのだろう。
「命ちゃーん! 魔姫ちゃーん! 聞こえるー!?」
叫んでみても返事は無い。もし私が幻覚を見ているだけなのであれば、現実の方では私の体や動きに異常が出ている筈である。もしそうであれば少なくとも命ちゃんは助けてくれるという確信があった。しかし特に何の返事も反応も無いため、仕方なく院内を歩いてみる事にする。これが幻覚なのであれば見えている景色よりは実際は狭い筈である。
だがその考えは甘かった。私が真っ直ぐに伸びている廊下を歩いてみても、どこにもぶつかった様な感覚が無いのだ。自分が覚えている限りでは、命ちゃんの家にはここまで長い直線は存在しない筈である。あの扉から出て真っ直ぐ歩いたとしても、とっくに壁か何かにぶつかっていないとおかしいのだ。
「幻覚じゃない……?」
もう一つ可能性として挙がっていた改変能力を考慮して考えてみたが、やはり合点がいかなかった。もし現実を改変する力なのであれば、私と命ちゃんが見ていた景色は同じ筈である。だが家の外を見た時、私達は全く違う景色を認識していた。こういった事象は幻覚の類でなければ不可能なのだ。
「……?」
ふと何かの気配がして後ろを振り返る。すると先程私が歩いて来た廊下の向こうから、一歩足の真っ白なコトサマがこちらに向かって腕を無茶苦茶に振りながら迫って来ていた。頭部に該当する箇所は存在せず、代わりに胸の辺りに顔が付いていた。その姿はねぇねやしーちゃんから聞かされていた私の因縁の相手そのものだった。
固着させているしーちゃんに語り掛ける。
『しーちゃんあれってさ……』
『クソ野郎……何であいつが生きて……』
『あれって、ヤマノケだよね?』
『そう。菖蒲を狙ってたクソ野郎。あの時あたしが殺した筈なのに……』
私は当時昏睡していたため詳しくは知らないのだが、『黄昏事件』が発生した際に出現したヤマノケは私を標的にしていたらしい。その時にしーちゃんとねぇねは私を守るために戦い、結果としてしーちゃんが自らの身に憑依したヤマノケごと自身の魂を殺す事で倒したという。だが偶然にもその場所が私の病室であったため不安定だった能力が発動し、しーちゃんの魂だけが私の中へと入って残る事になったのだ。つまりヤマノケはその時にとっくに始末された筈なのである。
『えっとえっと、どうすればいいの?』
『これが幻覚なのかマジなのかは知らないけど、少なくともあの時はあたしの力で殺せた。やり方は菖蒲に任せる』
少し腰を低くして戦闘態勢を取る。しかしヤマノケは気にする様子は一切無くこちらへと真っ直ぐに向かって来ていた。
「取りあえず一回寝ててよっ!」
どこが首なのかは分からなかったため、胴体部分にある顔の眉間部分に指を突き立てて霊素を流し込む。だがその瞬間、すぐに違和感を覚えた私は手を離して非常口表記のある扉へと急ぐ。
『菖蒲どうしたの?』
『触れなかった! いや触れはしたんだけど、魂が無かった!』
『……じゃああいつは実体が無い幻って事かもね』
『それはそう思うんだけど、本体がどこなのか分かんないとこのままじゃまずいと思う』
命ちゃんがどんな幻覚を見ていたのかは分からないが、少なくとも私が目撃した際には自分の首を自分で絞めていた。もしこの幻のヤマノケに憑りつかれればどうなるのか想像も出来ない。未だにこの幻覚から醒めないという事は、命ちゃん達の方ではまだ私を起こす事に成功していないという事である。
非常口へと続く扉を開けて外に出た瞬間、凄まじい金属音が響き渡る。そこに来て初めて、完全に誘導されていた事に気が付いた。
『しーちゃん、やっちゃったかも……』
『……誘われたって訳』
立っている非常階段の足場が軋みながら外れそうになっていく。上を見上げれば巨大な金属製のパネルが非常階段に突き刺さっており、私達が病院で戦った際に発生したあの一件と、全く同じ景色だった。あの時はねぇねが助けてくれたため何とかなったが、今はそうはいかない。病院内に戻ればヤマノケが居り、このまま残れば崩壊に巻き込まれる。幻覚の中で死亡するとどうなるのか、まるで想像が出来ない。
「……一か八か」
私は覚悟を決め、自分の頭へ右手を置いた。緊張を解くために一度深呼吸をすると、そのまま頭を掴む様にして手を動かした。そして結果が出たのはすぐの事だった。
「……ちゃん! 菖蒲ちゃん!」
「……うぁ?」
「見える!?」
「あ、うん、うん。あぁそっか、成功したんだね」
「成功……?」
「うん。私さっきどうなってた?」
気が付いた時には景色は殺月家の内部となっており、命ちゃんによると扉を開けた瞬間、私が急に立ったまま動かなくなったのだという。いくら声を掛けても返事を返さず、眼球だけがキョロキョロと動いていたらしい。どうやら私は実際には一切動いておらず、認識の中だけで病院を歩いていた様だ。だからどれだけ歩いても家の壁にぶつからなかったのだ。
「なるほどなるほど……これは相当まずいっぽいね」
「それより、大丈夫なの?」
「うんうん。さっき命ちゃんを助けた時に『蛇痺咬』を使って幻覚を解除したでしょ? だからそれの応用というか、幻覚の中で自分の魂を体から引っ張り出してみたんだ」
「え、それは……」
「平気平気。こうやって無事な訳だし、それにこれではっきりしたよ。あの幻覚は脳とかに干渉して発生してるんだ。だから魂が一旦抜けて脳が機能してない状態になれば、その影響から抜け出せる」
ふと見てみると命ちゃんの傍に魔姫ちゃんが居ない事に気が付く。
「魔姫ちゃんは?」
「ここ」
不機嫌そうな声が聞こえ、そちらを見てみると冷蔵庫から何かの袋を取り出している魔姫ちゃんの姿があった。それを持ったままこちらに近寄ると、命ちゃんへと手渡しこちらを睨みながら彼女の背中へと隠れた。
「ありがとう魔姫」
「うん……」
「それは?」
「最近スーパーで買った貝。当たり前だけど食べるために買った」
「まあそりゃそうだろうね」
「さっき一瞬、本当に一瞬だったけど、潮の香りがしたの」
「潮って……海の潮?」
「そう。それでピンと来た。もっと早くに気が付くべきだった。幻を見せるコトサマに有名なのが一人居たんだから」
そう言うと命ちゃんは剣になっているステッキへと貝の入った袋をゆっくりと降ろしていく。物体を簡単に切断出来る剣という事もあってか少し当たっただけで袋は破れ、そこから水が漏れだした。しかしその水も剣の部分に当たるとすぐさま蒸発し、袋の中の水はあっという間に減っていった。
「我々はJSCCOの者です。直ちに投降しなさい。これ以上の抵抗を続けるのであれば武力行使を行います」
「その中に居るの?」
「そう。ここ以外に考えられない。この周辺であれが住める場所なんて無い筈」
後少しで袋内部の水が完全に無くなりそうになったところで突然内部の貝が全て消滅し、代わりに床の上に巨大な二枚貝が姿を現した。その貝殻は閉じられており、それを見た命ちゃんは袋を魔姫ちゃんへと手渡す。
「そのままそこで動かないでください。貴方を超常法違反、及び公務執行妨害で逮捕します」
「え、えっとえっと~……私置いてけぼりなんだけど、どちら様~……?」
「昔から妖怪の一種として語られてたコトサマ。記録には『蜃』って残されてる」
「その、『蜃』が幻覚を見せてたって事?」
「そう。記録によると『蜃』が吐き出す気によって楼閣が見えた事があったらしい。今まであたし達が見せられてたのは、その気から来る幻という事」
『蜃』はその場から動く事も無くじっとしていた。単にその体が貝であるが故に動けないのか、それとも勝てないと見て抵抗を止めたのかは分からないが、少なくとも現段階では何か仕掛けられているという事は無かった。
「菖蒲ちゃん、如月さんに連絡して」
「あっそうだねそうだね」
スマートフォンを取り出し電話を掛けてみると、簡単に繋ぐ事が出来た。
「もしもし蒐子さん?」
「あっ日奉さん! 少し前に殺月さんから無線が入ったんですけど何かあったんですか? 今一緒だったりはしますか?」
「え? あ~……実はコトサマに襲われたんですよ。多分その無線はその時ですね」
「え!? だ、大丈夫ですか!?」
「ああ、それはもう大丈夫ですよ。それで出来れば回収班を呼んで欲しいんです。ちょっと私達だけじゃ無理そうなんで」
「わ、分かりましたー! 少し待っててくださいね!」
電話を切り、スマートフォンを仕舞う。
「済んだよ」
「ありがとう。……さて、では質問があります。喋る事は可能ですか?」
『蜃』の貝殻が少しだけ開き、そこから小さく煙の様なものを吐いた。すると床の上に結露した窓に指で書いた様な文字が浮かび上がった。そこに書かれていたのは『これならできる』という文字だったが、すぐさま命ちゃんがステッキを向けた。
「超常能力を使わない様に。『はい』の時は一回、『いいえ』の時は二回殻を鳴らしてください」
文字は風に吹かれた塵の様に消えていき、カチンと貝殻を打ち合わせた。
「貴方には協力者が居る。そうですね?」
カチン。
「向こうから持ち掛けられた?」
カチン。
「脅された?」
カチン。
「その協力者はまだここを見てる?」
カチンカチン。
「貴方はその人物の名前を知っている?」
カチンカチン。
「顔は?」
カチンカチン。
「それは何故?」
「命ちゃん命ちゃん、『はい』か『いいえ』で答えられる様にしないと」
「……そうだね。その相手が逃げた場所を知っている?」
カチンカチン。
「……これ以上は無駄そうだね」
どうやらこの『蜃』はただ利用されただけの立場らしい。あの黒コートがどうやってこの家を特定したのかは分からないが、こうしてコトサマを簡単に持ち込んだ事からこれ以上ここに住むのは危険だろう。どこか別の場所に住居を移さない限り、また命を狙われるのは明白である。実際、魔姫ちゃんは命ちゃんに成りすましたその人物を間近で目撃していたのだ。
「ひとまず貴方は拘束されます。処罰については裁判で決まりますので、弁護士が必要なのであれば拘置所に入れられた後に刑務官にお伝えください」
それからしばらくすると、蒐子さんが要請してくれた回収班がやって来た。『蜃』には既に抵抗の意志が見られない事から特に問題無く運搬車に乗せられ、命ちゃんや魔姫ちゃんの今後の家について話をするために私達も同行する事になった。魔姫ちゃんは知らない人が多いという事もあって敵対的な目つきで回収班を睨んでいたが、命ちゃんに迷惑を掛けたくないのか黙ったまま命ちゃんに引っ付いていた。




