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特異事例調査員 日奉菖蒲の調査ファイル  作者: 龍々
case16:月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ 我が身一つの 罪にはあらねど
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第53話:海原の 水面に揺らぐ 月影は 潮を散らし 我が身を穿つ

 何が起きているのか分からなかったが、あたしは菖蒲ちゃんを玄関に置いて魔姫の所へと駆けた。当然だが扉は閉められたままであり、強めに叩きながら呼び掛ける。


「魔姫っ? 魔姫っ? 出てきて?」


 返事は無かった。あの子が返事を返さないのはたまにある事だが、自分がこうして焦っている様な反応をしていれば、必ず何らかの反応は返してくれていた。それだというのに何の言葉も物音も聞こえない。流石に何かがおかしいと感じ、ドアノブを捻ってみると鍵が掛かっていないのか簡単に扉は開いた。


「魔姫……?」


 ゆっくり扉を開け中へと入ってみると、もうしばらくは見ていなかった魔姫の部屋が目に映った。床には彼女が描いた絵が乱雑に散らばっていた。静物画がほとんどだったが、中にはあたしや菖蒲ちゃんを描いた絵も転がっていた。そして魔姫本人は、部屋の隅でこちらに背を向ける様にしてうずくまっていた。


「魔姫、どうしたの……? 魔姫……?」


 不安だった。この異常な状況の中、そんな体勢になっているという事は何かあったのではないか。怪我でもしたのではないか。具合が悪いのではないか。あらゆる考えが頭の中を巡っていた。

 とにかくここから一旦出した方がいいだろうと彼女の肩に触れようとした瞬間、突如こちらに振り返り、床の上へと押し倒された。

 あたしを押し倒した魔姫はそのまま腹部の上で馬乗りになっており、その目はじっとりとこちらの瞳を覗き込んでいた。


「いつも、そうだよね」

「……え?」

「姉ちゃんはいっつもそう。自分は何にも悪くない。そう思ってるんだ」

「何言って……」

「自分を正当化したいだけ。本当は分かってるのに。そういう穢れてる血を引いてるのに」


 何かがおかしいのは分かっていた。この状況がおかしいのは分かっていた。だがそれが何なのかが分からなかった。おかしいという事だけは分かっているのに、それが何なのかが浮かんでこなかった。腕を動かして魔姫を退かそうにも、体に力が入らない。ステッキも札も、仕事ではないため自分の部屋に置いたままにしていた。

 自分には、何も出来なかった。


「何言ってる、の……魔姫っ……」

「いつもそう。アタシの事だってそうでしょ。『仕事が忙しい、だから仕方ない』? そうやって自分の嘘を正当化してる」

「嘘なんかじゃ……!」

「姉ちゃんは約束した。ずっと一緒に居てくれるって。だけど嘘だった」


 そんなつもりは無かった。本当に仕事が忙しく、彼女に構える時間が少なくなっていただけだ。魔姫の事を守りたいという意思は本物なのだ。何一つ嘘なんて無い。

 突然誰かの足が視界に映る。それは明らかに人のそれではなく、何らかのコトサマのものなのが一目で分かった。足の形も指の形も、あらゆる要素が人間ではなかった。その足の主を見ようとすると魔姫が覆い被さる様にして顔を近付け、こちらの視界を封じてきた。


「知らないなんて許されない」

「ま、魔姫っ……」

「アタシ達が殺した」

「してないっ……あたしもあの事件が起きるまで知らなかったの……!」

「その言葉を証明する証拠なんて無い。嘘吐き姉ちゃんの言葉なんて、誰も信じない」

「違うっ違うの魔姫っ……!」


 彼女はあの事を知らない。自分達の一族がかつてコトサマを殺していたという過去を。もちろんあたしが自分の意思で隠した。本当の事を告げる訳にはいかなかった。彼女の記憶の中でだけは、清らかな普通の一族であった欲しかった。彼女の家族に対する思い出を汚したくなかった。だからこそ魔姫がこの情報を知っている筈がないのだ。それが分かっているというのに、自分の中では魔姫がそれを知っている事が当たり前の事実として存在していた。明らかに異常である筈なのに、それが当然であるかの様に。


「ねぇ、感じる?」


 パキッパキッと弾ける様な小さな音が耳に入ってくる。床はグスグスと音を立て、少しずつその色を黒く変化させていった。そして鼻の奥には何かが焼けている様な嫌な臭いがじくじくとこびり付いてきた。まるで火事の現場に取り残されたかの様な感覚だった。


「痛いね。熱いね。苦しいね。つらいね。悲しいね。信じられないね。……そうやって殺された」

「それは、あたしじゃ……」

「本当に? 本当に姉ちゃんじゃなかった? アタシじゃなかった?」

「違、う……」

「じゃあどうしてこんなに心臓がバクバクしてるの?」


 激しく拍動する自分の心臓とは逆に、魔姫の拍動は異常な程に落ち着いていた。トクン、トクンと、冷静状態のいつもの彼女と同じリズムをしている。そう、異常な程に。


やましい事があるんだ」

「無い……あたしは何もやってないっ……」

「イーハトーブが壊れたのは誰のせい?」

「な、何でそれを……」

「逃げられたのはクラムボンだけだった。入るべきじゃなかったんじゃないの? 現実リアルの姉ちゃんが、理想郷フィクションを壊したんだ」

「あ、あの場所はもう今の時代には耐えられなかったの! あたしのせいじゃっ……!」

「井戸に居た餓鬼を報告したのはどうして? ただ利害が一致しただけなのに。ただ、お腹を満たしたかっただけなのに」

「あっちの世界とこっちの世界の干渉をそのままにしちゃっ……!」

「そんな身勝手な考えのせいで餓鬼はご飯を食べられなくなったね。閻魔様から怒られて、死ぬ事も出来ずにずっとずっとずっとずっと飢えて苦しむんだ」


 今まで家で仕事の話をした事は無かった。こういった話は聞きたがらないだろうという考えもあり、そもそも魔姫が部屋から出てくる事も少なく話す機会が無かったからだ。そんな彼女がこういった話を知っているのはおかしい。おかしい筈なのだ。そんな事は有り得ない。こんな事は起こりえない。

 焼ける音に混ざる様にして耳をつんざく様な悲鳴が聞こえてきた。野太い声もあれば甲高い声もあり、その声はどれもこちらを恨んでいるのが伝わってきた。


「聞こえる? 聞こえないワケないよね。今までずーっと耳を塞いできてたんだもん。聞こえないワケないよ」

「こんなっ声……あたしのせいじゃ……!」

「そうだね。姉ちゃんは誰も殺したりしなかった。直接はね。でも……小岳村の人達は死んじゃったよね」

「あれもあたしは……」

「本当に? 八尺様の真実を話した村長さんが、自責のあまり村に火を点けたんじゃないのかな」

「そんなの誰も知らないっ……!」

「あのまま八尺様を放っておけば良かったんじゃないのかな。そうすればもっと犠牲が少なく済んだんじゃないのかな。本当に捕まえる必要あった? アイツが八尺様を捕まえたんでしょ? でも止めなかった姉ちゃんも共犯だよね」


 八尺様を捕らえた後に起きた放火事件、あれの真犯人は結局誰にも分かっていない。村のほとんどが焼けてしまったせいで、あらゆる痕跡が焼け落ちてしまい誰にも分からなくなってしまったのだ。八尺様が起こした呪いの一種ではないかという考えもあったが、少なくともあの留置所に入れられている八尺様がそういった事を出来るとは思えなかった。


「あの時もそうだったよね。あの抗争の時も、姉ちゃんはコトサマを見殺しにした」

「してないっ……あたし、は……」

「ビルが崩れそうになった時、姉ちゃんはアイツともう一人だけを助けた。コトサマの玉藻前は無視して」

「でもあの時はっ!」

「無意識に区別してたよね。人間とコトサマを区別してた。コトサマなら死んでもいいって、そう思ってたんじゃないのかな。そう思ってるから見殺しにしたんじゃないのかな」

「そんな、事は……」

「言い淀んだね。やっぱり嘘つき姉ちゃんだ。昔からそうだね。姉ちゃんは約束一つ守れない。嘘ばっかりついて正当化して。そうやって自分を慰めながらどんどんコトサマを殺していくんだよね」


 言い返せなかった。自分達の仕事はコトサマ関連の事件を解決する事だ。それだというのに自分はあの時、玉藻前を助けようとはしなかった。あの二人を助ける事だけで頭がいっぱいになっていた。その助けたいという括りの中に、玉藻前は含まれていなかった。無意識の内に除外していた。自分はあの時自分の意思で、彼女が死ぬ道を選んだ。


「あた、しが……殺した……?」

「そう。殺そうとして殺した。殺月の一人として」

「そうだ、あたしが……殺したんだ……」

「大丈夫だよ姉ちゃん。アタシはずっと一緒だから。だから、だから、さ。任せてね」


 魔姫はこちらに覆い被さったまま、両手で左右から首を絞めてきた。体温が少しずつ上がっていき、鼻に入ってくる燻る様な臭いが、ますます呼吸を阻害してくる。

 しかしこれでいいのだ。自分が許されるにはこれしかない。目には目を、歯には歯を。死には死をだ。殺月一族の血脈に刻まれた悍ましい穢れの痕跡は、その血筋の完全な抹消によって消える事となるだろう。全てを消さなければ、この罪は贖われない。長年に渡って歴史の裏で行われてきたその罪は、清められなければならない。そうしなければ、示しがつかない。


「っ……そうだ、あた、し、が……」

「心配しないで。アタシも一緒だから。ね? 苦しくない、でしょ」


 この子の言う通りだった。首を絞められているというのに、息が出来ないというのに不思議と苦しくない。まるで夢の中に居るかの様に、頭の中がふわふわとしていた。霧が掛かったかの様に視界が霞んでくる。家の外に広がっていると言われていた海を思い起こさせる様な潮の匂いが、鼻の中を満たしていく。


「……ちゃんっ! ……っ!」


 よく知る家族の声が、波音に掻き消されながら聞こえていた。

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