第44話:裏見、憾み、恨み、怨み
命ちゃんと別れて病院へと辿り着いた私は、受付で病室を教えてもらい師匠達が居るという四階へと向かった。エレベーターから降りてナースセンターで詳しい身分を話し、身分証明を終えた私は404号室へと足を運んだ。病室の中には師匠達以外にも他の患者も入院しており、それぞれのベッドを隠すカーテンには外部に呪力などが漏れるのを防ぐための紋様が描かれていた。そんな中の一つを開く。
「賽師匠!」
「あ……菖蒲ちゃん……」
「……終わったの?」
賽師匠は右腕に点滴を打たれており、体が少し弱っている様に見えた。それにも関わらず賽師匠は私を安心させるかの様に優しい笑顔をこちらに向けてきた。私が無理をさせてしまったというのに。
「ごめんなさい賽師匠……」
「謝らないで……それより、怪我は無かった……?」
「は、はい。えっと……あの歌って何だったんですか?」
「あれは賽の昔の友達が教えた歌。『追儺の魔除け歌』って言うらしい」
代わりに話してくれた縁師匠曰く、『追儺の魔除け歌』とはかつて賽師匠と親しくいていた追儺桃という少女が賽師匠を助けるために使った歌なのだという。その歌は魔除け歌とは言っているが、実態は使用者本人の魂の中にコトサマを憑依させる事によって封じるというものらしい。つまり使えば使う程、使用者の肉体は弱っていく事になる。本来であれば使用を控えるべきである切り札的な技術なのだ。
「じゃ、じゃあじゃあ賽師匠は……」
「う、うん……がしゃどくろ、取り込んだんだ……」
「だ、大丈夫なんですか!?」
「ん。一応祓うための儀式は終わってる。あの院長が言うには、もう大丈夫だって」
「院長って確か……」
「そう、真白」
この病院の院長である日奉真白さんの事は私も知っている。かつて昏睡状態になっていた私を毎日診て入院させてくれていたのは、真白さんだったのだ。『黄昏事件』によって発生した呪力などの被害者を一挙に引き受けて治療してくれたのもあの人だったそうだ。真白さんが居なければ、私もとっくに死んでいたかもしれない。
「大丈夫だからね菖蒲ちゃん……明日には退院出来るみたいだから……」
「ほ、本当なんですか? 何か凄い弱ってるみたいに見えるんですけど……」
「ん。嘘じゃない。菖蒲も疲れたでしょ。今日は帰ったら?」
「いえいえ、私は大丈夫です。えとえと、実はちょっとお二人にお聞きしたい事があって……」
私は何か有力な情報が掴めるかもしれないと考え、二人にあの謎の人物について知らないか尋ねてみた。当時、結界の外に居たあの二人ならば、もしかしたら見ているかもしれないと考えたのだ。だが結局情報は何も手に入らなかった。歩道橋などで入り組んでいるせいで人目を掻い潜る事は難しくはないが、あの人物はただ迷い込んだだけの一般人には見えなかったのだ。
「そいつが菖蒲と雅を殺そうとしてたってほんとなの?」
「少なくとも私にはそう見えたんです。でもでも、確かに偶然にも思えたんです。直接何かしてきた訳でもないですし……」
「……そいつを見たのはその時だけ?」
「はい。暑かったですし、もしかしたら幻とかだったんですかねぇ……?」
「幻を見せる力を持った奴が居なかったとは言い切れないと思う。後は『玉藻前』の立場に取って代わろうとする奴が居るとかね」
「確かにあの人が出てきたのは『玉藻前』を人間化させてからでした。つまり、簡単に殺せる状態になって初めて……」
「……ま、あくまで私の想像だから。一応何か似た事例があったら教えるから、菖蒲もあんまり考え過ぎない様に」
「そ、そうですね。ありがとうございます」
これ以上長居すると賽師匠がゆっくり休めないかもしれないと考え、また明日会いに来る事を伝えて病室を出てエレベーターへと向かって廊下を歩き出した。先程まで争いの真っ只中に居たという事もあってか、この病院の静けさは少しばかりの安らぎを与えてくれた。
ボタンを押してしばらくし、エレベーターが到着したため入ろうとしたその時、エレベーター横にある階段の上から悲鳴が響き、一気に院内が騒がしくなった。何事かと慌てて一つ上に階に上ってみると、他のスタッフも上へと向かっていたためそれに続いて六階まで上った。すると六階の廊下では、一人の女性が看護婦を人質に取って他のスタッフを牽制していた。そのスタッフの中には以前『無怨事件』で出会った蘇芳さんの姿もあった。
「何をしていますの! 放しなさい!」
「アタシを……ここから解放するなら聞いてやりますとも……。車を用意しなさいな……」
人質犯の髪の毛は光を完全に吸収してしまう程に真っ黒であり、彼女の右手には何かのオブジェの様な物が握られていた。小さいオブジェであるためここからではしっかりと見えなかったが、少なくとも箱ではなくいくつもの面によって構成されていた。
私も援護するために蘇芳さんの隣に立つ。
「蘇芳さん!」
「菖蒲さん……いらっしゃったのですね」
「あの人、どうしたんですか?」
「彼女は……異人会総帥、日奉濃紫ですわ。私共が確保したのですけど、大人しく捕まったと思ったらこれですわ」
「えっ日奉って……」
「……私もあんな名前は聞いた事がありませんでしたわ。勝手に名乗っているのかもしれませんわね……」
日奉という苗字、そしてJSCCOや日奉一族に所属している蘇芳さんでも知らない名前とあって、私の中ではある一つの答えが生まれた。それは、あの日奉濃紫という人物は日奉千草が語っていた日奉一族本家筋の人間なのではないかというものだ。『コトサマ連盟』相手に戦争を引き起こそうとしていたという事から、コトサマに強い敵意を抱いているのは明白である。いかなる手段を使ってでもコトサマを排除しようとしているのは、千草の言っていた本家筋の特徴とも一致する。
「……また、増えたのですね。恥知らず共め……」
「あのあの! 貴方ってもしかして!」
「貴方達の言う事を聞くつもりなんてありません! アタシは! アタシは必ず使命を果たしてみせるっ!」
そう言うと濃紫は手に持っていたオブジェを人質の頭部に強く押し当て、ガチャガチャとそのオブジェの形を変形させていった。そしてある程度変化させた瞬間、人質になっていた看護婦はバタリと倒れ、私でも分かる程の凄まじい呪力がオブジェから放たれ始めた。それを見た蘇芳さんは何か良くないものを感じ取ったのか、私の前に立つと手を空中で素早く動かしながら私を押す様にして後方へ下がり始めた。他のスタッフ達は自分では手に負えないと感じたのか階段から下の方へと逃げていった。
「そう……そのまま下がっていてくださいな。アタシは必ず使命を果たす。必ずね」
「す、蘇芳さん蘇芳さん!? あれって一体!?」
「……呪物の類ですわ。それも相当強力な……」
濃紫はよろよろと歩きながらエレベーターの前まで来ると、壁にもたれ掛かりながらボタンを押し、オブジェを再びガチャガチャと弄り始めたかと思うと、ある程度弄った後にそれをこちらに向かって放ってきた。それは正二十面体のオブジェであり、面の一部が隆起して変形する構造らしかった。そしてその形は現在、鷹を思わせるものになっていた。そこから放たれる呪力は更に強力になっており、蘇芳さんが対処してくれているにも関わらず、どんどん気分が悪くなってきていた。
「すお、うさん……」
「マンモスヤバイですわね……解いても解いてもどんどん出てきますわ……」
「偽物共め……ずっとそこでそうやっていれば良いのです……」
濃紫は到着したエレベーターに乗り込むとそのままそこから姿を消した。すぐにでも追跡しなければならなかったが、彼女が置いていったこの呪物の力が強すぎてこの場所から先に進む事を本能が拒否していた。
「はぁ……はぁっ……」
「菖蒲さん気を確かに! 後ろに真っ直ぐ行けば非常口がありますわ! そちらからお逃げなさい!」
「で、でも、でも……」
「私の事はお気になさらずに……この呪物、このまま放っておけば範囲が広がり続けるでしょう。ここで私が時間を稼ぎますから、菖蒲さん……あの人を追ってくださいな!」
「う……分かり、ました……」
私は込み上げてくる吐き気を抑えながら後ろへと下がっていき、廊下を曲がったその先にあった非常口の扉を開けると病院外壁に繋がっている階段へと出る事が出来た。そこまで来れば流石に体調も戻り始め、呼吸も安定して出来る様になっていた。
まずは連絡を入れるべきだろうと考え、蒐子さんに無線を繋げる。
「蒐子さん! 蒐子さん!」
「痛ぁっ……ど、どうしましたー?」
「東雲病院で『異人会』の総帥が逃げ出しました!」
「えっ!? な、何でそんな……」
「分かりません。他の人も気づいているみたいですから避難は始まってると思いますけど、念のため近くに居る鎮圧部隊の人に連絡をお願いします!」
「わ、分かりましたー! 無理はしないでくださいね!?」
呼吸を整えた私は濃紫に逃げられない様に急いで階段を下っていき、そろそろ二階に到着しそうになったその時、病院の駐車場の車の陰に立っているある人物が目に入った。その人物はまさにあの謎の女性だった。黒いロングコートを着て腰の辺りまである長い髪という、顔まで見えなくても記憶に残る容姿の彼女だった。
「何で……」
その女性はゆっくりと右手を上げ始め、また何か起こると考えた私は急いで階段を下り、二階へと繋がっている扉を開けようとした瞬間、真上から金属が激しく衝突する音が響き渡り、思わず目を瞑ってしまった。すぐに何が起こったのか上を見てみると、金属製の大きな板状の物体が非常階段にぶつかり突き刺さっているのが見えた。辛うじて私が居る所までは来ていなかったが、その凄まじい衝撃によって階段と病院を繋げている箇所が大きく破損しており、金属が軋む様な音を立てていた。
「う、そっ……!?」
直後、扉を開けようとした瞬間に非常階段そのものが崩壊し、完全に地上へと落下していった。ドアノブを掴んでいたおかげで落下せずに済んだが、急激に足場が崩落したため肩にかなりの負荷が掛かっていた。顔を動かして駐車場の方を見てみると、あの謎の人物は既に居なくなっており、地上では非常階段が落下した事による騒ぎが発生していた。
「誰、か……」
自分の体を支えるのにも限界が来ており、そろそろ手を離しそうになったその時、ふと目の前の景色が変化した。いや正確には非常階段が崩落する前の景色に戻っていたのだ。駐車場にはあの女性が立っており、ゆっくりと手を上げ始めていた。何が起きたのか頭が追い付かずに困惑していると、突然二階への扉が開き、そこから伸びた手が私の腕を掴んで屋内へと引っ張り込んだ。私はそのままその人の胸に抱かれ、後方では先程聞いた激しい衝突音が響いていた。
「良かったよ~……間に合ってぇ……」
「え、え……?」
「ごめんねぇ……お姉ちゃんがもっと早くお仕事終わらせてれば良かったんだけどぉ……」
顔を上げてみると、そこには私の一番上の姉である日奉百の姿があった。艶のある綺麗な髪と穏やかな瞳、間違いなく私がよく知るねぇねその人であった。
「ねぇね……え、え……何で……」
「うん。お姉ちゃん、お仕事が思ったよりも早く終わったからさ~。菖蒲ちゃんを驚かせようと思ってこっそり帰ってきたんだ。そしたらコトサマと人間の間で抗争が起きて、菖蒲ちゃんがそこに派遣されたって聞いて……警察の人に聞いたら病院に行ったんじゃないかって言われたからさ~」
「う、うん。色々……色々あって……」
「そしたら如月さんっていうオペレーターさんから全員に緊急連絡が入ってね~。もしかしたらって思ったら……」
「そっか……そっかぁ……」
自然と声が詰まり、目が潤んできた。大好きな家族が居てくれるだけでここまで心強いのかと内心驚いた。帰る前に連絡をしてくれなかった事には少し苛立ったが、それでもこうして戻ってきて更に命まで助けてくれた事には感謝しかなかった。
よく知る優しい手が頭を撫でる。
「よしよし……何が起こってるのか話せる?」
「うん……ひ、日奉を名乗ってる人が……『異人会』の総帥の人が……急に暴れ始めて……。蘇芳さんが、蘇芳さんが……」
「蘇芳さんがどうかしたの~?」
「呪物の対処をしてくれてる……でもでも、どこまでもつか分からないかも……」
「……分かった。蘇芳さんの所にはお姉ちゃんが行くよ。菖蒲ちゃんは……その人の事、お願い出来るかなぁ?」
「……大丈夫、なの? 呪い専門の蘇芳さんでも危ないって言ってたけど……」
「大丈夫。お姉ちゃんに任せて~。行く時は階段使ってねぇ?」
そう言うとねぇねは私を一際強く抱き締めると、廊下の階段がある方へと駆けて行った。私は息を整えるとその後を追って階段まで行き、急いで一回へと駆け下りた。正直、私にもどんな力を持っているのか教えてくれていないため、ねぇねが呪物相手にどんな対処が出来るのかは分からなかったが、家族である彼女が言うのであればそれを信じるしかなかった。
一階へと降りてみると濃紫を相手に賽師匠や縁師匠、そして連絡を聞いて駆けつけたと思われる命ちゃんの姿があった。すぐに動ける他の人々の避難は完了しているらしく、今この病院に残っているのは私達と、病室から出られない人くらいなのだろう。
「あなた、何をしてるんです、か……」
「知っていますよ。貴方は三瀬川賽。あの事件の時、偽物に協力したそうですね。あのまま死ねば怪異共を殺せたというのに……」
「知った風な事言わないで。あんたが誰かなんてどうでもいいけど、賽を侮辱するなら許さない」
「日奉濃紫! これ以上は公務執行妨害になります! 速やかに投降しなさい!」
「そっちの小さいのは黄泉川縁……話には聞いていますとも、あの事件の死にぞこないだとね」
「……あんたには関係無い」
「そっちは怪異共を相手にしていた人ですね。確か殺月の名を継ぐ者でしょう。貴方も裏切り者です。知っていますとも……」
「何を……」
濃紫が命ちゃんに発した『裏切り者』という言葉が少し引っ掛かったが、なるべく早く鎮圧する必要があったため、しーちゃんを魂に固着させた状態で腰を落としこっそりと背後から近寄る。蛇痺咬を一撃でも打ち込めれば動きを封じられるため、気付かれる訳にはいかなかった。
師匠達は私に気が付いており、私の考えを察してくれたのか見ないフリをして濃紫に視線を向け続けていた。そのおかげで後少しで蛇痺咬を打ち込める位置まで接近出来たものの、私の目には再び彼女が映り込んでいた。
黒いロングコートの彼女は病院外の野次馬の中に紛れ込んでおり、自動ドアのガラス越しにその姿を確認する事が出来た。しかしやはり顔を見る事は叶わず、ゆっくりとこちらに向けて手を上げ始めていた。
「っ!」
次に何が起こるのかまるで予測が出来なかったため、止むを得ず濃紫に飛び掛かる様にして蛇痺咬を繰り出した。しかし、驚きのあまり発してしまった小さな呼吸の音を聞かれていたのか濃紫は素早く避け、床の上に倒れ込んでしまった私の背に馬乗りになると両頬に手を当てた。
「菖蒲ちゃんっ……!」
「忌まわしい……忌まわしいですよ貴方の様な方がアタシ達と同じ名を名乗るなど。何と汚らわしい……穢れたる人々でしょう……」
どうやら日奉濃紫は『自由に呪力を付与出来る力』を持っているらしく、かつて『無怨事件』で命ちゃんを助けた時に感じた、あの悍ましい感覚が私の魂を蝕み始めていた。外の野次馬の中には既にあの黒コートの姿は無くなっており、賽師匠達は迂闊に動けないのかその場で見ている事しか出来ていなかった。私自身も背中に乗られているせいで手を使った技を発動出来ず、完全にどうしようもない状況に追い込まれてしまっていた。
「命ちゃん! 私はいいから早く!」
「でもっ……!」
「おやおやおや……貴方の様な汚らわしい偽物でも友愛の心はあるのですね」
「……菖蒲を放して。それ以上やったら、私があんたを殺す」
「縁ちゃん……!」
「偽物共に手を貸していた死にぞこないがいくらそれらしい言葉を並べても無意味ですよ。アタシには全部見えているのですから」
「お願いですからやめてください! 菖蒲ちゃんが何をしたんですか!?」
「我々の名を騙る不届き者の一人なのですよ。どれだけ社会が認めようと、我ら日奉は決して許さない……怪異と共に歩む社会? 待っているのは破滅でしょう」
「……じゃないですか」
絞り出す様な声で濃紫に語り掛ける。
「……何ですか?」
「……って、言ったんですよ」
「だから何と――」
私の声を聞こうと顔を近付けたのを感じた瞬間、思い切り頭を後ろに振り、後頭部で頭突きを繰り出す。どうやら綺麗に当たったらしく、濃紫は私から離れ、呻き声を上げながら鼻っ面を押さえていた。揺れる脳を何とか押さえながら、こちらに駆け寄ろうとした命ちゃん達を手で制止する。
「大馬鹿だって言ったんですよ……」
「何を……」
「歩み寄りもせずに、勝手に……決めつけて。そんな人が……社会を語る資格なんて、無いですよっ……」
「知った風な口をっ……!」
「あはは……そう、ですね。私も貴方も……どっちも自分を正しいと思ってる、偽善者、ですからね……?」
こちらを睨む濃紫の目には憎悪の感情が煮えたぎっていた。




