第34話:私の人生は本質的に複雑ではない
うだる様な暑さの中、私と命ちゃんは魔姫ちゃんの異常性を抑え込むために殺月家へと辿り着いた。中へと入ってみると部屋へと閉じこもっているのか魔姫ちゃんの姿は確認出来ず、命ちゃんは魔姫ちゃんの自室の扉を優しくノックし語り掛けた。
「魔姫。魔姫」
「……何?」
「お姉ちゃんね、お話したい事があるの。開けてくれない?」
「入んなバカ!」
「ねぇお願い。大事なお話なの」
「いい子ちゃんぶんな!」
どうやら虫の居所が悪いらしく、姉である命ちゃんに対しても警戒を向けている状態だった。これ以上続けても開けてはもらえないかもしれないと考えた私は、一旦自分に代わってもらう事にした。少なくとも彼女は私に対して、いじめから助けてもらったという借りがある。もし根っこの部分から捻くれていないのであれば、最低限の恩義は感じている筈である。
「あー魔姫ちゃん?」
「……」
「おーい。無視しないでよー」
「……」
「もしもーし」
「何しに来たワケ!? どーせアイツに媚売ろうとしてるんでしょ!?」
「命ちゃんの事? いやいやそんな訳ないじゃん」
「じゃあ何しに来たの! お前の家じゃない!」
「や~あのさ、ちょっと一回落ち着かない? 私さ、魔姫ちゃんとお友達になりたくて来たんだよ?」
「ウソつくな!!」
「嘘じゃないよ。本当にお友達になりたいって思ってる」
私のその言葉を聞き、魔姫ちゃんは反応を返さなくなった。しかし室内から歩く様な音が聞こえてきたかと思うと、ギッと扉が軋む音が鳴った。まるで人間一人がもたれ掛かったかの様な音色だった。私は二人きりで話をするために命ちゃんに少し離れていて欲しいと手で示すと、その場に腰を降ろして扉に背中を預けた。
「……沈黙は聞いてるものとして見るね」
「……」
「あのね魔姫ちゃん。私、あなたのお姉さん……命ちゃんから話聞いたんだ。あなたが持ってる不思議な力の事」
「……何で」
「うん?」
「何であの時……助けてくれたの? お願いされてたの? アイツに……」
「違う違う。まあ一緒に探して欲しいとは言われたよ? でもでもあの時助けようと思ったのは私の判断」
「意味分かんない……」
「あはは。だろーね。私も何であんな事したのか分かんないんだ」
実際彼女がいじめられているとはあの時まで知らなかった。そもそも学校に行っていないのだからいじめも何も無いだろうと思っていたのだ。だがあの場面を見た時、咄嗟に助けようと思った。もしあそこで見捨てればねぇねにもしーちゃんにも顔向け出来ない。あの二人が命懸けで守ってくれたおかげで今の私があるのだ。血の繋がった姉妹として、あの二人の意志に泥を塗る訳にはいかない。
「……ねぇねぇ魔姫ちゃん。魔姫ちゃんって何か趣味とかある?」
「何、急に……」
「いいからいいから」
「……無いよ。何も」
「ほんとに? じゃあじゃあ普段命ちゃんが家に居ない間何してるの?」
「っ……関係ないじゃん」
「えー? お友達なんだから教えてくれてもいいじゃんか~」
「別に友達になるとか言ってないし」
「んーそっかそっか。じゃあじゃあ、お歌とか好き?」
「……別に」
「私聞きたいなー」
十秒程の間沈黙が続いていたが、やがて小さな歌声が扉の向こうから聞こえてきた。人との触れ合いに飢えている様な印象を受けたため、私がある程度お願いすれば渋々ながらやってくれるだろうと踏んでいたが、どうやら当たりだったらしい。
彼女の歌っている歌は何かのアニメの主題歌らしきものだった。どんな作品なのかは詳しくない私にはまるで分からなかったが、今聞いているものが本来のものとはズレているというのは自分にも分かった。彼女の歌声はまるで小さい子が必死に歌っているお遊戯会の様であった。音痴というよりも歌い慣れていないせいの様に感じた。
「……終わり」
「ありがと魔姫ちゃん。嬉しいよ」
「そう。……で?」
「うん?」
「歌えって言ったのそ、そっちでしょ……感想、とか……」
「あ~~~……そうだね、うん。本音を言うと、ちょっとズレてるっぽかったね。私は好きだけど」
「やっぱりアイツと同じじゃん……そうやって媚び売って……」
「違うよ。ほんとに好きって思ったよ? 可愛かった」
「……そっ」
「うん」
扉の向こうから体を揺らしている音が聞こえてくる。扉に密着させたまま体を揺らしているせいで服が擦れているのだろう。
「そういえば魔姫ちゃんって絵とか描くの好き?」
「……別にどっちでもない」
「好きでもないけど嫌いでもない?」
「……」
「じゃあさじゃあさ、私の似顔絵とか描いてみてよ」
「何で?」
「いや~実は私って似顔絵とか描いてもらった事無くてさ~。せっかく描いてもらえるなら、友達に描いてもらいたいじゃん?」
「顔見えないし無理」
「じゃあじゃあ中入れて?」
「やだ」
立ち上がって部屋の奥へと歩いて行く音が聞こえ、流石にこれ以上は無理かと思っていると再びこちらへと戻ってくる足音が聞こえてきた。扉に耳を当てて聞いてみると、微かに紙が擦れる様な音が聞こえてきた。どうやら何らかの絵を描いてくれているらしく、先程立ち上がったのは道具を取りに行くためのものだったらしい。
少しの間黙って待っているとビリッと紙が破れる音が鳴り、扉下の隙間から一枚の紙片がこちらへと出てきた。見たところノートを千切ったものらしく、そこには彼女の姉である命ちゃんの顔が描かれていた。鉛筆によって描かれたその似顔絵は非常に精密な線によって構成されており、普段から描き慣れていないと出来ない描き方の様に思えた。
「凄いね魔姫ちゃん! 上手じゃん!」
「大きい声やめて」
「あー……命ちゃんには見られたくない感じ?」
「……返して」
「や~もうちょっと――」
「返して!!」
「ごめんごめんっ」
魔姫ちゃんの情緒が不安定になり始めたので急いで隙間から紙を返却する。どうやら彼女にとっては命ちゃんが大好きという情報はあまり知られたくないらしい。命ちゃんにあれだけ食って掛かる態度や少しだけ確認出来た抱き付いている姿から、実際はかなり好いているというのは予想していたが、年齢的にそれを知られるのはやはり恥ずかしいのだろう。
彼女の持っている絵に関する才能を確認した私は、扉越しに再び語り掛ける。
「……落ち着いた?」
「もう帰って……」
「もう少しだけお話したいな」
「……」
「あのね魔姫ちゃん。私、魔姫ちゃんの持ってる不思議な力の事なんだけどね? もしかしたら解決出来るかもしれないんだ」
「……」
「さっきみたいな絵をさ、SNSとかに載せてみるっていうやり方なんだけどね」
「やりたくない……アイツら嫌い……」
「……ねぇ魔姫ちゃん。嫌な事があったのは分かるよ。だけどね、それじゃダメなんじゃないかと思うんだ」
「……何で……」
「あのねあのね、人から愛してもらうには、人を愛するしかないんだよ。私の師匠はそう言ってたよ。そうしないと、人は愛してもらえないんだ」
「……」
それ以上彼女は一切の返事を返さなくなった。一旦一人にして考える時間を与えた方が良いと考えて腰を上げると、扉から離れて台所の方に移動していた命ちゃんの所へと向かった。彼女は私が来た事に気が付くとすぐに振り返り、彼女らしくもない心配そうな表情を見せた。
「あの子は……」
「とりあえず私に出来る事はしたかな。後は魔姫ちゃん次第だよ」
「そう……ありがとう」
「うん。……えっとさ命ちゃん」
「何?」
「まあ、こんなのわざわざ命ちゃんに言う事でもないのかもしれないけど……魔姫ちゃんの愛には応えて上げて欲しいんだ」
「そう、だね……どうしてあげるのが正しいのか分からないけど……」
「いやいや今のままでいいとは思うんだ。でもでも、賽師匠が言ってたみたいに、やっぱり『愛さないと愛されない』って思うしさ、自分の愛に相手が報いてくれないってなると嫌な気持ちになるから、気をつけてねって忠告」
私が他人に合わせて振る舞いを変える様にしたのも、ねぇねやしーちゃん、師匠達からの愛を受けての事だった。ねぇねは幼い頃の様な大人しくて甘えん坊な振る舞いをすれば喜んでくれた。賽師匠と縁師匠は可愛げのある健気な弟子を演じれば甘やかしてくれた。私はそんな風に愛してくれるあの人達なら信頼出来ると感じたのだ。賽師匠は相手の魂に触れれば記憶や考えている事が全て読み取れる。つまり初めて会ったあの日から、私の目論見は全てバレていた筈なのだ。それにも関わらず、彼女はそれに触れもせずに私を弟子として迎え入れてくれた。縁師匠は最初は警戒を向けていたものの、いつしか私を受け入れてくれる様になった。まるで本当の家族であるかの様に心配してくれた。だからあの人達に愛に報いたいと思ったのだ。
「ありがとう……気をつける」
「うんうん。さてと、私のお仕事はこれで終わりかな?」
「ええ。来てくれてありがとう。後であの子とゆっくり話してみる」
「それがいいよ」
「ええ。……そういえば、少し聞きたい事があるんだけど」
「どうしたの?」
「ノート見なかった?」
「ノート?」
「あたしが普段仕事の情報を纏めてるやつなんだけど……」
「いやいや、私に言われても知らないよ。ここ命ちゃんの家でしょ?」
「それはそうだけど……あの子の部屋に無かったかなと思って」
「いや私入ってないよ?」
「そうなの?」
「うん」
何となくだが私の中にノートがどこにあるのかが浮かんできていた。よくよく考えてみれば少しおかしかった。『魔の者』を必要以上に引き付けないために家から出さず、学校にも行っていない魔姫ちゃんが何故ノートを持っているのかという部分である。絵を描きたいならスケッチブックなりを使えば良く、わざわざノートを使う意味が無い。ましてやあの画力からして普段からそれなりに描いていないとおかしい。そんな彼女がスケッチブックに類する物を持っていない訳がないのである。
「……もしかしたらだけどさ」
「?」
「魔姫ちゃんが持ってるかも」
「あぁ……やっぱり……」
「やっぱり?」
命ちゃん曰く、魔姫ちゃんは時折命ちゃんの持ち物を勝手に持っていってしまう事があるらしい。普段使いしているタオルなどであれば、あくまで家で使う物のためそこまで咎める事はせずに見逃していたのだという。しかし今回の様に仕事に関連する道具などを盗まれるというのは初めての事例らしい。彼女が何を考えてそういった事をしているのかは分からないらしいが、いずれにせよ定期的に物が無くなっているのは間違いないそうだ。
命ちゃんと共に部屋の前へと戻ると、魔姫ちゃんに問い掛け始めた。
「魔姫、聞こえる?」
「……」
「魔姫?」
「大丈夫だよ命ちゃん。ちゃんと聞いてると思うから」
「……ねぇ魔姫、お姉ちゃんね、聞きたい事があるの」
「……」
「お姉ちゃんが普段使ってる大切なノートがどこかに消えちゃったみたいなの。あれが無いとお仕事で凄く困るんだけど、どこにあるか知らない?」
「……」
一切の返事が無いため、命ちゃんが扉を開けようとドアノブに手を掛けたその時、突然扉が少しだけ開き、その隙間から一冊のノートがポイッと放り出された。扉はすぐに閉められ、彼女がこちらに顔を出す事は一切無かった。
ノートを拾い上げた命ちゃんはパラパラとページを捲り、中を確認し始める。横から見てみると、途中で一ヶ所だけ千切り取られた様な箇所が確認出来たため、やはり先程似顔絵を描く時に使ったノートはこれらしかった。
「……ありがとう魔姫。ちゃんと返してくれて」
「……」
「……あのね魔姫。お姉ちゃん、今まで魔姫とちゃんとお話出来てなかった。だから、君のやりたい事とかしっかり聞いておきたいの」
「……」
その後命ちゃんは、魔姫ちゃん相手に将来の事などをあれこれと話し続けた。今まで彼女に気を遣って聞いていなかったであろう話ばかりだった。
恐らく魔姫ちゃんは、命ちゃんがいつも気を遣って本音を言わなかった事に腹を立てていたのだろう。私がしっかり嘘をつかずに本音で話をすれば、何やかんやでしっかりと受け答えをしてくれていた。周囲からの無関心やいじめの対象にされる事にストレスを感じてはいるが、『本音』というものを嫌っている訳ではないのかもしれない。いや、命ちゃんが家族だからこそ嘘をついて欲しくないと思っているのか。彼女にとっては、命ちゃんは自分がいつでも安らげる場所であって欲しいのだろう。もちろん私の勝手な推測に過ぎないが。
「……今お返事しなくてもいいから、答えが出たら教えてね」
「……」
「それと、もう一つ聞きたい事があるんだけどいい?」
「……」
「さっきノートを見てて思ったんだけど、所々――」
突然扉が開け放たれ魔姫ちゃんが姿を現したかと思うと、命ちゃんの手に持たれていたノートを引っ手繰り、凄い勢いで部屋の中へと戻っていった。その顔は赤くなっており眉がキッと上がっていた事から相当頭に来る事があったらしい。
あまりにも一瞬の出来事だったため私も命ちゃんもただただ呆然としてしまっていたが、流石に様子がおかしかったため命ちゃんに尋ねてみる事にした。
「びっくりした……。今の何聞こうとしたの?」
「あのノート、所々だけどシミみたいなのがあった。汚れない様に気を付けてるから自分が付けたものじゃない気がして……」
「シミ?」
「ええ。全部のページじゃないけど、あたしが色々書いてる所に何か掛かったみたいに……」
「……ちょっと離れてて」
再び命ちゃんをその場から離れさせると、扉越しに語り掛ける。
「魔姫ちゃん聞こえる?」
「もう帰って!!」
「聞こえてるね。さっき命ちゃんが言おうとしてた事だけど――」
「うっさい! お前に関係ないじゃん!!」
「いやいやそうとも言い切れないよまだ。殺月家の人は昔から『魔の者』に狙われやすいんでしょ? もしあれが何かのコトサマの類なら、私も調査員としてお仕事しなきゃだから」
「関係ない!!」
「……嘘はついてないんだよね?」
「お前なんか嫌い!! どっか行け!!」
「そっかそっか。分かった。ごめん、ちょっと気になったから聞いちゃっただけなんだ。何か溢しちゃっただけなんだよね?」
「……」
「私、魔姫ちゃんがどんな趣味を持ってても悪い子じゃないって思ってるし、きっといい子だって思ってる。だからさ、後でいいから、それ返してあげてね」
「……」
「私の事嫌いなら嫌ってくれてていいよ。別に魔姫ちゃんをいじめようと思って来た訳じゃないからさ、もう来ない様にするから。じゃあね魔姫ちゃん」
「あっ……」
「……どうしたの?」
「う……別に来るなとか言ってないし……」
「また来てもいい?」
「……いいけど。……いいけど! あ、アイツとくっつくのキモイからやめて!」
「え? いやいやそんなくっついてたっけ?」
「い、一緒に仕事してるだけのクセに! 何なの……毎日毎日『日奉さん日奉さん』って……キモイんだけど……」
何となくだが彼女がどういう子かが分かった。先程のノートもそういう事なのだろう。
「ごめんごめん。分かった、気をつけるよ」
「……どっか行けバカ!!」
「はいはーい」
どうやら彼女は相当独占欲の強い子らしい。普段命ちゃんにきつい態度を取ったり、物を勝手に持ち出したりしているのも気を引くためなのだろう。少しでも自分に時間を割いて欲しいからああいった事をしているのだ。私も円滑な人付き合いをするために、相手の注意を惹こうとわざとそういった行動を取る事があるためその気持ちは理解出来なくもない。そしてあのノートのシミ、彼女の名誉のためにあまり大きな声では言えないが、あれはマーキングの様なものなのだろう。大好きな相手の持ち物に自分の印を付けておく事で暗に自分の存在を示しているのだ。もしくは単に彼女の……いややめておこう。これ以上考えるのは例えそれが事実だったとしてもあの子に失礼だ。彼女がどんな趣味嗜好を持っていたとしても、それが誰かを傷つけていないのであれば尊重されるべきだろう。この超常社会で性別血縁如きでどうこう言うのはナンセンスだ。コトサマと結婚した人間も居るのだ。部外者が口を挟むべき事柄ではない。
扉から離れ、台所に居る命ちゃんに声を掛ける。
「命ちゃん、私そろそろ帰るねー」
「あの子、何て?」
「あー……その事はあんまり触れないであげて。結構その……言いたくない事だろうし」
「だけど何かのコトサマだったら……」
「ないない。それは無いよ、うん。ノートも返してくれると思うし」
「まあ、君がそう言うなら……」
「それと、これからもあの子を大事にしてあげてね。こっちから行ったら嫌がるかもしれないけど、ハグとかしてあげたら喜ぶと思うから」
「待った方がいいんじゃないの? いつも向こうから来てるんだけど……」
「うん、こっちから行った方がいいと思う。まあまあ、騙されたと思ってやってみなさいな」
「……分かった。ありがとう」
「うんうん。じゃあね~また暇な時に来るかもー」
別れの挨拶を告げた私は殺月家から出て燦燦と照りつける太陽の下へとその身を出し、特にこれといった仕事の話も無いため家に帰る事にした。
魔姫ちゃんがこれからどうなるかはあの子次第だろう。捻くれてしまってはいるが、決して悪人という訳ではない。彼女が持っている才能を上手く活かせれば、賽師匠が言っていた様に付加価値を手に入れて異常性を少しは抑えられるかもしれない。もちろんそれは彼女が行動を起こした場合の話である。何もしなければいつまでも今のままであり続ける事になる。だが、実際に彼女と対面してみた自分になら分かる。あの子は自分の寂しさを癒してくれる人が命ちゃんしか居なかっただけなのだ。勇気を出して行動すれば必ずあの子を見てくれる人がもっと現れる。そうすればきっと、あの子を縛る異常性という呪いはいつしか解かれる事になるだろう。家族相手とはいえ、あれだけ大胆な事が出来ているのだ。後は時間と本人の意思が解決してくれる筈である。
「さって……メール送っとくかー……」
うんと伸びをした私は、魔姫ちゃんに関する問題に解決の兆しが出たと師匠達にメールを送り、家路へとついた。白い雛罌粟の花々は殺月家を煌々と照らしていた。




