第30話:海原に 出づる秘色は 夢現 往時の我は 白昼夢かな
※本章は「日奉一族シリーズ」の一つ「真夏の夜と魂結び」とリンクしている内容です。
日奉千草の作り出した奇妙な術によって謎の島へと送り込まれた私達は、山の方へと向かって歩く彼女の背中を追って歩き始めた。途中で商店街の様な場所を通ったものの、やはりどこにも人の気配は無く、それどころか全ての店がシャッターを下ろしていた。離れた所に見える民家には灯りが点いておらず、今ここに居るのが本当に私達だけなのだと感じさせた。
日奉千草を追って山の麓辺りまでやって来ると、彼女は山道へと入っていきすぐに姿を消した。間違いなくついさっきまでその背中を見ていた筈だというのに、一瞬にして消失したかの様に居なくなっていた。
「命ちゃん命ちゃん……どこに行ったか分かる……?」
「あたしにも見えなかった……間違いなくここに入った筈……」
どうやって姿を消したのかは不明だったが、この先に何かある可能性を信じて山道を進んでみると、少ししたところに鳥居が立っていた。一般的な鳥居としてイメージされるのは赤色などに着色された物だが、目の前にあるそれは色は一切着いていない石造りの鳥居だった。長期間この場所で放置されているのか、随所に風化による劣化らしきものが確認出来た。
「あれあれ、これって……」
「知ってるの?」
「うん……多分これって――」
「日奉一族に伝わる結界術ですよ」
私の言葉を遮る様にして日奉千草の声が聞こえてきた。彼女は鳥居奥の山道脇に生えている木の影からこちらを見ており、周囲にはこれといった光源が存在しないにも関わらず、彼女の目は相変わらず美しく輝いていた。
「千草さん、これはどういう事ですか? 公務執行妨害に当たりますよ」
「……真実を知るべきです。罪深いあの一族の真実を」
「あのあの、どういう事なんですか? この鳥居ってやっぱりそういう事ですよね?」
「神明鳥居……天照大神の系統を表す鳥居の形。日奉一族はそこから始まったのです」
「……そうなの菖蒲ちゃん?」
「わ、分かんない……私達はコトサマの被害にあって身寄りを失くした能力者の寄せ集めだから、そういう信仰云々は考えた事が無かったかも。封印するためには占星術も陰陽道も取り入れるっていうのが昔の日奉一族のやり方だったみたいだし……」
「かつて私達は一つだった。世界を守るために影で暗躍し、光へと奉仕する一族。しかしそれはいつしか終わりを告げました。私も知らない遠いいつかに」
日奉千草の姿が木の影に隠れたかと思うと、次の瞬間には私達の背後から声が聞こえてきた。振り返って見てみると彼女は山道外にある道路からこちらを見ていた。
「あの人は孤独に戦い続けました。たった一人でこの島で。自分の血筋に抗ってでも」
「その人って……もう一人の日奉さんですか? 簸子ちゃんが『先生』って呼んでた……」
「……彼女の一家はこの島を任されていた。一族の使命として、世界のためにと。でもあの人はその使命も家族をも犠牲にして自分の信じるものを守りました。それが、私と簸子です」
「まさか……この島は、天美島なのですか?」
「はい。とっくの昔に葬られた穢れ多き島。忌まわしい許されざる島。今はもうそこにある事すら許されない島」
「天美島はあらゆる時代で出現と喪失を繰り返しているという記録が残っています。今観測されていないのは……貴方が消したから、ですか?」
「あの島には永遠に眠っておいてもらう必要がありました。『起きて 泣く子の ねんころろ 面憎さ』という歌もありますから」
彼女が発したそのフレーズには聞き覚えがあった。賽師匠が見たという日奉千草と葦舟簸子両方が持っているという記憶の中で聞いたという歌である。恐らく何らかの子守歌の分類だとは推測出来るのだが、何故そんな歌が歌われたのか、何故千草の記憶の中では自分自身を横から見ている視点だったのかという疑問がある。恐らく『先生』なる存在が千草の肉体に憑依している可能性が一番高いが、それならば何故賽師匠が見た魂の形が歪であり、記憶が部分的に抜けているのだろうか。
「あのあの、私から聞きたい事があるんです。貴方の今のその言葉……何かの歌詞ですよね?」
「ええ」
「貴方はそれを歌った」
「そうですね」
「じゃあ何で、歌ってる自分を自分で見てたんですか?」
「…………質問の意味が分かりません」
「そのままの意味ですよ。貴方の中にある歌に関する記憶は自分としてではなく、別の誰かとして見ているというものでした」
日奉千草にとって聞かれたくない質問だったのか、彼女は道路を歩き始め木の影へと消えていった。慌てて下へと駆け下りて左右を見渡してみると、右方向に伸びている道路を歩いている姿が目に映った。二人で彼女を追いかけていると、やがてその足は小さな祠の前で止められた。
「逃げないでください!」
「この島には忌まわしき因習がありました」
「因習……?」
「殺月さんでしたか、貴方は顔の無い地蔵が何に使われるか知っていますか?」
「知りませんし、経年劣化でそういった形になる事はあっても、意図して作られる事は無いと思います」
「……ではこれをご覧ください」
そう言って彼女が示した祠の中を見てみると、そこには彼女が今言っていた顔の無い地蔵が置かれていた。まるで人為的に削られたかの様につるつるしており、目も鼻も口も一切の凹凸が顔面部分に存在していなかった。
「何、これ……」
「その地蔵は水子の霊を集めるための物です。行き場の無い無縁たる存在である浮遊霊達を集めるための依り代」
「確かに水子供養のために地蔵が置かれる事はありますが、こんな物は……」
「古い古い……忌まわしき因習によって作られたんですよ。元々意味を持たなくても、時を経ればやがてそれは意味を持つ。どんな偽りも、時は真実へと変えてしまう」
「命ちゃん話を逸らされてるよ。千草さん、さっきの質問に答えてください」
「逃げてはいませんよ。私が今お話ししているのは、全て天美島に関する一連の事柄です」
そう言うと、日奉千草はかつてこの島で起きたある事件を語り出した。この天美島にはある神が居るのだという。非常に狂暴で厄災を振り撒く荒魂であり、人々はそれに苦しんでいた。しかし正確な日付は分からないが、ある日解決策が生み出された。それが、この地蔵と子供を使った生贄の儀式である。水子の魂を集めた地蔵を対象となった子供に参拝させる事によって、その肉体に複数の水子霊を憑りつかせる。そして複数の魂を内包した子供を生贄として捧げる事によって、かなりの長期間荒魂を鎮める事が出来る様になるという。
「あれは人の魂を取り込み糧としていたのです。本来なら何十人も生贄が必要になる。それを一人の人間を依り代として使う事で、最小限の犠牲に留めていた」
「あれあれ……もしかして……」
「私は日奉千草。『皮田千草』でもなければ『千草ちゃん』でもないんです。千草としては四人目と言えるのかもしれませんね」
「……少し待ってください。では今の貴方は葦舟簸子が証言していた『先生』なんですね?」
「ああ……やっぱりあの子、喋っちゃったかぁ。そんな気はしてたけど、やっぱりか」
「千草さん、命ちゃんの質問に答えてくださいよ」
「……私は『日奉千草』ですよ。『皮田千草』でも『千草ちゃん』でも『日奉秘色』でもないんです」
彼女の発言からついに『先生』と呼ばれていた女性の本名が分かった。どこにも戸籍情報が残っておらず、何故か彼女達しかその名前を知らなかった謎の成人女性。彼女の名前は『日奉秘色』だ。
「秘色……? それが、あの時確保された死亡済み人物の名前なのですか?」
「あの人は……お姉ちゃんは……もう空っぽな入れ物になっただけ。お姉ちゃんは私であり、『私』は私なんです。それが『日奉千草』という私なんです」
何となくだが見えてきた。彼女が言っている事が真実だとするのであれば、人の肉体に複数の魂を宿す方法が存在している。そしてそのやり方がもし、他にも存在しているのだとすれば、今の彼女を構成しているのは間違いなく『日奉秘色』の一部なのだろう。もし私の中にしーちゃんが居なければ納得はしなかっただろうが、自分自身が何よりも頼れる証拠だった。一人の人間の中に複数人の魂が同時に存在する事は事実上可能だ。
「命ちゃん、何となくだけど分かってきたよ。あの人は多分、本当に日奉秘色なんだと思う」
「じゃあやっぱり三瀬川さんが言ってたのは……」
「違う違う。憑依とかじゃないと思う……多分だけどさ、魂を分け与えるやり方があるんだと思う」
千草の美しい瞳がこちらを捉える。
「やはりあの方でしたか」
「悪いんですけど調べてもらいました。貴方が隠してる日記帳の事も」
「そうですか。その様子だと、私からの贈り物も意味を成さなかった様ですね」
「……あの葉書の事でしょうか? それは自分の罪を認めるという事で宜しいですね? 超常法に違反しています」
「私の過去、あの子の過去、あの人の過去を知る人には消えてもらわなければならないんです。いえ正確には……日奉一族本家筋の人も含めてね」
「やっぱり本家分家があるんですね……」
「あの人は本家筋でした。それなのに自分に課せられた使命を捨ててまで、『千草ちゃん』と簸子を守った。そして全てを私へと託していったのです。罪深きあの血筋は絶やさなければなりません。使命のために子供をも殺すあの一族は」
「あのあの、いいですか? 貴方の気持ちは分かりましたけど、何で私達もなんですか? 過去を知ったからって、そんなの完全に隠し通せる訳ないじゃないですか」
「いいえ、出来ます。あの人が……お姉ちゃんが、私に受け継がせた力なら」
そう言うと彼女は祠の中に立っている地蔵に対して蹴りを入れ、こちらに対して線香を放り投げてきた。すると突如として頭の中に赤ん坊の泣き声の様な音が大音量で響き始めた。耳を押さえて苦しんでいる事から命ちゃんも同じ状態になっているのだろう。それにも関わらず、日奉千草の話す言葉ははっきりと私の耳から入って来ていた。
「申し訳ありませんけど、ここで死んでください」
「何を……千草、さん……」
「貴方方お二人は私達の過去を探ろうとしてしまいました。もし生かしておけば、絶対に私の邪魔をしてくる。だから死んでください」
「日奉千草っ……貴方を現行犯で……!」
「殺月さん、貴方は職務に忠実な方なのでしょうね。あの人の両親もそうでした。だから私が……いいえ、秘色お姉ちゃんが殺したんです。『千草ちゃん』のために」
「も、もしかしてですけど……本家筋の人、を……殺す気なんですか……!?」
「冥土の土産に教えてあげます。あの日記帳の中には、お姉ちゃんが残した本家筋の人間の名前が書かれていたんです。あれはきっと……私へのお願いなんです。彼女の意志を……魂を受け継いだ私へのお願いなんですよ。同じ様な悲劇を繰り返させないためのね」
自分の身に起こっている現象の要因が分かってきた私は、しーちゃんへと語り掛け、彼女の魂を自分へと固着させる事によってその力を借りる事にした。自分の体の様々な場所に手で触れる事によって纏わりついてきている水子の魂を捕まえ、可哀想ではあったがその魂を引き裂いた。本来であればきちんと成仏させるのが一番いいのだが、切羽詰まった状態ではこうするしかなかった。自分に憑いていたものを全て取り払うと、命ちゃんの肉体に憑いているものも同じ様に取り除く。
「……流石ですね。日奉一族の名を継いでいるだけあります」
「千草さん……一旦話し合いませんか? 貴方は、その秘色さんの復讐をしたいんですよね?」
「復讐、ですか……正確には違います。本家筋の人間は分家とは違い、目的のためなら手段は選びません。そんな人間を生かしておく訳にはいきません。これは、正義のためなのです」
「千草さん! 知ってますよね!? 今の世界は昔とは違うんです! コトサマも人間も仲良く過ごせる様に――」
「全員が納得している訳ではないのでしょう」
「っ……」
「貴方方は、きっと良い人なのでしょう。でも全員じゃない。特に本家筋の人間は今の世を良しとしないでしょう。今は身を潜めていても、いつか必ず牙を剥く。もうあんな事は繰り返されてはなりません」
彼女はどちらかと言うとコトサマに対して好意的なのだろう。だがこの島で行われていた儀式と自分達を救ってくれた秘色の行動を見て、同じ悲劇が起こらない様に事前に先手を取ろうとしているのかもしれない。あらかじめそういった人間を殺しておけば、誰も苦しまなくて済むという考えなのだろう。
もし彼女が本家筋の人間を殺すために本格的に動き始めた場合、完全に抑えるのは困難になるだろう。今まで彼女が見せてきた奇妙な呪術や儀式術はどれも見た事が無いものだった。そして命ちゃんがあの葉書を見た際に言っていた、『術者へは呪線が伸びていない』という言葉が事実であり、今までに彼女が見せてきた技にもそれが適用されているのであれば、私の中にある予測は正しいという事になる。それを確かめるために、賭けに出てみる事にした。
「千草さん……取引しませんか?」
「……何のつもりです?」
「実は、あのアパートに向かってたのは私達だけじゃないんです……他の調査員の人にも既に連絡済みなんです」
「……」
「それに定期的に連絡を入れる様にしてるんですよ? きっと今頃、連絡が来なくて増援が呼ばれてるでしょうね」
「……何をさせたいのです」
「単純な話ですよ……この空間から、解放してください。そうすれば他の人を止めます。この事を隠してあげます」
「結構です。邪魔立てをするのであれば他の方にも消えてもらいます」
「勘違いしてませんか千草さん……貴方の記憶を見なくても、簸子ちゃんのを見れば一発なんですよ?」
それを聞いた千草は懐から化粧用に使われる物であろう折り畳み式の小型の鏡を取り出すと地面に叩きつけ、足で踏み割った。すると周囲の景色も粉々に砕ける様にして崩壊していき、気が付くと私達は姿見の置かれている玄関へと戻ってきていた。
一瞬の隙でも与えてはならないと考えた私は、一連の出来事に困惑している命ちゃんをその場に置いて一人で姿見の奥へと駆け、裏側に隠れていた千草を床の上へと押し倒して彼女の両手を掴んだ後に引っ張った。まだしーちゃんを固着させていたおかげで千草の魂の一部、正確には両腕の部分を引き出す事に成功し、その両腕の動きを封じる事が出来た。
「あ、菖蒲ちゃん! 一体何を……」
「焦らないで焦らないで。簡単な話だよ。ちょっと引っ掛けただけだから」
「嘘を……ついたんですか……」
「貴方だって隠し事してたりしたんですからお互い様じゃないです?」
「無駄ですよ……この程度で諦めるものですか……」
「ううん。無駄なのはそっちです。だって私、貴方の能力の使い方分かっちゃったんですもん」
私が予測した日奉千草の能力、それは『意味を結び付ける』というものである。本来呪いというものは何らかの道具を媒体として意味を持たせ、それによって複数の意味を結び付ける事によって事象を呼び起こすのだ。オカルト技術の研究が進んだ事によって呪いの作り方や呪いに使える道具というのはある程度特定されており、それ以外の物では意味付けが出来ないそうだ。しかし彼女は葉書やビニール紐などの何気無い前例の無い道具にも意味を持たせる事が出来、それによって独自の呪術や儀式を作れるのだろう。
「ね、そうですよね?」
「……」
「命ちゃん、簸子ちゃんが居るかもだから念のために確保しといて」
「分かった。気をつけて……」
「うん。そっちもね」
命ちゃんが奥にある部屋へと入っていくのを見送り、再び押し倒している千草へと目を向ける。
「さてさて、もう一個だけ聞きたい事があるんです。あの天美島って何なんですか?」
「質問の意味が理解出来ませんね……」
「だってだっておかしいじゃないですか。出たり消えたりする島ですよ? それに賽師匠が見たっていう歌の記憶……あの後からなんですよね島がまた無くなったの?」
「……貴方は、私を甘く見過ぎです」
そう言うと千草は突然まだ自由だった足を動かし、私の足先につま先をピタリと合わせた。すると奇妙な感覚が私の中に生じ始めた。まるで魂の中に何かが流し込まれているかの様な感覚であり、頭の中に千草の声が響く。
『正直驚きました。貴方がそこまで私の力を理解しているとは思いませんでした』
「え、う……!?」
『どうせ貴方はここで終わりでしょうし最期に教えてあげます。私の本当の力は理論の上書きです』
「上書、き……?」
『私の呪術に理論なんて必要無いんだよ。そう、お姉ちゃんと同じ力です。私の中でその理論が完成していれば、現実が実際どうであろうと関係無くなるんですよ。私が出来ると確信すれば、出来るんです。お姉ちゃんと同じ様にね』
その言葉を聞き納得した。彼女が発生させた呪いや儀式を止めるためには、媒体となった物を破壊する必要があった。葉書もビニール紐もそうだった。しかし彼女は一度だけその流れから外れた行為を行っていた。それは、ここに戻ってくる時にやっていた『コンパクトミラーを破壊する』という行為である。あの世界から脱するには、理論的には入口となった姿見を破壊する必要があった筈である。しかし私のはったりに引っ掛かった彼女は、すぐに帰れる様にとコンパクトミラーを破壊した。恐らくあの時、頭の中で新たな理論を作り出し、それをあのコンパクトミラーに適応させたのだろう。
「菖蒲ちゃん! 葦舟簸子を発見! 如月さん回収班を頼める!?」
「お姉さん何やっとるん?」
「っ……!?」
『喋らなくていいよ。喋らないでください。今から貴方は私になるんです。お姉ちゃんが『私』にそうしてくれた様に、今度は貴方が私になるんです。心配しないでください。上手く振舞いますし、ちゃんと自殺として処理しておくから』
やはりそうだった。今の日奉千草は日奉秘色が自身の持つ『理論を上書きする能力』によって魂を移した事によって出来た人格なのだ。今の彼女は本人が言っていた様に『皮田千草』でも無ければ『日奉秘色』でもない。『日奉千草』という本来であればこの世に存在しなかった筈の人間である。日奉秘色の残した日記と自身の過去、そして守るべき存在となった葦舟簸子という三つの存在が、彼女を作り上げてしまったのだ。日奉一族本家筋を全員抹殺するという歪んだ思想を持った危険人物に。
「……どうしたの?」
「お姉さん床に寝とったらきちゃないよ?」
「『ごめんごめん! 大丈夫だよ!』……!」
『心配しないでいいですよ。殺月さんも三瀬川さんも、それと同じ事務所に居る黄泉川さんでしたっけ? その人も……皆私達の過去を知るのなら同じ場所に送ってあげますから』
『……千草さん。甘いのは貴方も同じですね』
『……?』
私はこの状況を打破するためにしーちゃんに一旦離れてもらうと、自身の魂の表面を変形させて一体化しようとしている日奉千草の魂を固着させた。彼女がこの肉体に魂を入れる前に、逆にその魂を自分に降霊させる形で固定したのだ。こうしてしまえば、相手は何も出来なくなってしまう。こういった事に関しては私の方が専門なのだ。本来生きている人間の魂を降霊させるのは不可能だが、今回は彼女の方から肉体を離れてこっちに入ろうとしてきたのだ。私の前でそれをやるのは自殺行為の様なものである。
「いやいや~流石に今のはびっくりしましたよ。なるほどなるほど、こうやって秘色さんは千草さんに魂を移したんですね。いや、千草さんになったって言い方の方が正しいのかな?」
「ちょっと本当に大丈夫なの……?」
「うん。悪いんだけど命ちゃん。ちょっと千草さん見てて。大丈夫、すぐに起きると思うから」
私はぐったりとして動かなくなっている千草の肉体から離れると奥の部屋へと入っていった。
『さてさて千草さん。そろそろ観念してくれません?』
『この様な事まで出来るのですか……』
『むしろこっちが専門ですよ。それで、日記帳はどこにあるんですか?』
『……』
『ふーん。まあまあ別に? 黙秘するなら自分で探すんでいいですけど、早めに喋った方がいいですよ?』
『……』
『だって魂が抜けた状態でしばらく放置したら千草さんのあの体死んじゃいますもん。そうなったら二度と戻れませんよ?』
『私を侮らないで。また新しく理論を作れば――』
『へー千草さんって脳味噌無くても理論的に考えられるんですねー凄いですねー』
適当に煽りながら室内を物色する。実際にその能力を使うのに脳味噌が必要なのかどうかは定かではないが、私の魂に固着させている以上は勝手な行動は出来なくなっている。彼女の思考を操る事は出来ないが、こちらに危害を加えようとする事は出来ない様になっている。固着させているという事は即ち、完全に一体化していると言ってもいいのだから。
『貴方はJSCCOでしょう。こんな事をして許されるのですか? もし私を殺せば――』
『人聞きが悪い言い方しないでくださいよ。素直に話してくれればすぐに戻しますよ。それにもし仮に死んじゃっても、私がやったって証拠はどこにもありませんよね。端から見れば貴方の死因は突発的な心停止ですよ? 貴方の魂がどこにあるかは私しか知らないんですから』
『……』
『ねぇねぇ、本当にもう教えてくれませんか。私的にも簸子ちゃんみたいな子が悲しむ姿は見たくないんですよね』
もちろん今のは嘘である。いくら私でも隠し切る事は出来ない。少なくとも賽師匠が見れば一発でバレるだろう。私に千草の魂が引っ付いているのだから分からない筈がない。私としても賽師匠や縁師匠を悲しませたくないし、失望されたくない。私を信じてくれているから師匠になってくれたのだから。
『……箪笥の、一番下の段』
『そこにあるんですか?』
『その段を全部引っ張り出してください……奥に隠してあります』
言われた通りに箪笥の最下段を外まで引っ張り出して奥を覗き込んでみると、確かに日記帳らしき物が入っていた。表紙には何も書かれていなかったがペラペラと捲ってみたところダミーではなさそうだったため玄関の方へと戻り、倒れている千草ちゃんの体に触れながら固着状態を解除した。
上手く元に戻れたらしく千草は息を吹き返しこちらを睨んでいたが、彼女を心配していた簸子がギュっと抱き付くとその小さな体を抱き寄せ背中を撫でた。
「君、何したの……?」
「ん~? まあまあちょっとね。それよりこれ、見つけたよ」
「日記帳……」
「ご協力感謝しますね千草さん?」
「……私を、捕まえるのでしょう」
「貴方は超常法第一条の違反、公務執行妨害などを行っています。現行犯です」
「まあまあ待ってよ命ちゃん。ねぇねぇ千草さん、さっきの質問に答えてくださいよ」
「質問……?」
「天美島の事ですよ。あの島について、まだ何か隠してる事があるんじゃないですか?」
「それですか……。あの島は……怪物なのです……」
海上で確保された後、彼女は一人で天美島に関する情報を探し始めたらしい。あらゆる図書館や資料館、論文などを読み漁り、そしてそれらの情報から一つの仮説を立てたそうだ。その仮説というのは『天美島はただの島ではなく、島に擬態した何らかのコトサマである』というものである。それは何らかの高い隠蔽能力を持っており時折姿を隠す。実際に居なくなっているのではなく、認識出来なくなる力を持っているのだ。そんなコトサマだと認識出来なかった島民はそれを神として崇め、時折発生する厄災を止めるために生贄の儀式を作り出した。その厄災も周囲に船舶などを近付けないための現象なのではないかと彼女は考えているらしい。
「そんな巨大なコトサマ居るの……?」
「命ちゃん、四年前の『黄昏事件』の事は覚えてる?」
「当たり前でしょ。忘れたくても忘れられない……」
「あの時にさ、首謀者の如月慙愧と日奉桜は『ヒトハシラノカミ』っていう巨大な神格存在を作ったらしいんだ。私はすぐにねぇねと一緒に町から離れてたから詳しくは知らないんだけどさ」
「そういえば、ちゃんと発表された訳ではなかったけど、そういう存在を見たっていう証言はあったか……」
「あれは人工的に作られた神格だったけど、天然の巨大なコトサマが居てもおかしくはないんじゃないかな?」
「それもそうか……。千草さん、貴方はその答えに自力で辿り着いたんですか?」
「推測に過ぎませんけどね……。でも私の記憶と照らし合わせれば、私があの島を消したという事だけは事実なんです」
「それって、あの歌の事ですか?」
日奉千草の中に存在している二つの記憶、彼女の元になった日奉秘色が見た歌う千草の記憶と、目覚めて島一つとしてない海上での記憶の二つがあの島がコトサマだったという推測を補強する証拠となったという。オカルト研究が進んだ事によって歌による呪いの作り方も判明し、以前の『千草』が最期に歌っていたあの子守歌がコトサマを滅ぼすための呪い歌になっていた事に気が付いたそうだ。
「簸子の見ていたものとも、一致しました。間違いありません……」
「そうなの簸子ちゃん?」
「さ、さっきから何の話しよるん……? ウチ難しい事はよう分からん……」
「えっとね、簸子ちゃん昔海の上で助けてもらったでしょ? そのちょっと前に見たものの事なんだ。千草さんが何か歌ってなかったかな?」
「あ、う、うん……お姉さん、急に島ん方に手ぇ向けて何か歌い出してな? ほしたら急にお姉さん倒れて……ほんで、ほんで、島が急に消えたんよ」
「その後は?」
「え、えっと……先生が『心配しないで』っちゅうて、ぎゅーってしてくれて……ほしたらウチ、眠とうなって、ほんで気ぃついたら朝んなっとって、ほしたら先生が……」
「……亡くなってたんだね」
「うん……ウチ、ウチ怖ぉなって……お姉さん起こして……」
「もういいよ、ありがとう。ごめんね嫌な事聞いちゃったね」
「ううん……ええよ」
葦舟簸子は私達の間にある只ならぬ空気を察しているのかかなり怯えている様に見えた。流石に弱い者いじめをしている様な嫌な感じがしたので、これ以上は彼女には聞かない事にした。
「私が知っている事は以上です。もう隠している事はありませんよ」
「分かりました。……如月さん、回収班はもうすぐ着きそう?」
「あっ、待って命ちゃん。……蒐子さん、聞こえますか?」
「あっ、日奉さん。お疲れ様ですー。どうしました?」
「えーっとですね、千草さんの確保ですけど、ちょっと待ってもらえませんかね?」
「え!? いたっ……うぅ、ど、どうしたんですかいきなりー……?」
「ちょっと色々事情があるみたいでして。それに重要そうな証拠品を押収したんで、これだけでも十分だと思いますよ」
「うーん……ですがそういう訳にもいきませんよー……。あの二人の事を調査しなければならないのは事実ですし、それが分かっていないのであればー……」
「いやいや、全部分かりましたよ。手元にあるこれを見れば一発だと思います。本人からの証言も取れましたし。ね?」
千草さんは複雑そうな表情をしていたが小さく縦に頷いた。
「間違いないみたいです」
「ちょっと……信用していいの? さっき殺されかけたんだけど」
「えっ殺され!?」
「あー大丈夫ですよ蒐子さん。命ちゃんってちょっと大袈裟に言う事ありますからね」
「いえそうですかー……? 殺月さんってそんなイメージ無いですけど……」
「確かにちょっと抵抗されましたけど無事でしたし、そんな問題にする程じゃないと思うんですよね」
「うーん……日奉さん、申し訳ないんですけどワタクシの一存じゃ決められないです。一応身柄の拘束はさせてもらいます。殺月さんから要請があった時に抵抗されたって聞いたのでー……」
「……そうですか。じゃあ分かりました。ただ、一番重要な三人目の身元も分かりましたし、何で隠してたのかも分かりましたから、そこはあんまり責めないで上げてくださいね」
「ワタクシに言われても、ワタクシはあくまでオペレーターなので約束は出来ませんよー……」
命ちゃんは簸子を離れさせるとステッキにお札を貼り鞭状に変形させると千草の体を拘束した。簸子は千草が何をしていたのか、何をしようとしていたのかを知らないためかなり困惑していたが、彼女が連れて行かれるという事は理解したらしく玄関に立ち塞がった。
「ま、待ってや! お姉さん何も悪い事しとらんよ! なしてそうな事するん!?」
「簸子さん、千草さんとまだお話しなければならない事があります。同行願えますか?」
「そ、それはええけど、何でお姉さんにそうな酷い事するん!? 悪い事しとらんよ!」
「…………千草さんの体に危険性の高い呪いが発見されました。影響を防ぐためにはこうして移動してもらうしか――」
「命ちゃん」
「……何?」
「放してあげようよ。千草さんなら大丈夫だから。私がやるからさ、それ解いてあげてよ」
「でも……」
「お願い。絶対私がどうにかするから」
「……分かった」
簸子の焦燥しきった顔を見てか命ちゃんは拘束を解き、代わりに私が千草の隣に立ってその背中に手を当てて自分の魂にしーちゃんを固着させる事によってもし仮に千草が抵抗に出たとしてもすぐに対処出来る様にした。
「命ちゃん、これお願い」
「分かった」
回収した日記帳を渡すと、そろそろ外に来ているであろう回収班と合流するために外へと出ていった。




