第13話:誰がクラムボンを殺すのか?
上空に浮かんでいる彼が何者なのか心当たりがあった。私が『イーハトーブ』について調べている最中に読んだ宮沢賢治の童話の中に彼についての記述があった。この場所の実在が確認された以上、あれが完全な作り話だったとは考えにくい。銀河鉄道もクラムボンも全て実在していたのだ。そしてもちろん、彼もだ。
「殺月さん、あれって……」
「有り得ない……こんなの有り得る訳が……」
殺月さんの様子がおかしいという部分が少し引っ掛かっていたが、今はあまり気に留めている訳にはいかなかった。恐らく今上空に浮かんでいる彼は私達現世の人間に敵意を抱いている存在なのだろう。自分達の意志を伝えるために攻撃を仕掛けてきているのかもしれない。もしそうなのだとすれば、私達は見せしめという事なのだろう。JSCCOの調査員である私達を殺せば自分達の意志を示せる。
「どっどど どどうど どどうど どどう」
再び突風が吹き始め、更には晴れていた筈の空が雲で覆いつくされていた。その雲はいわゆる雨雲であり、最初はポツリポツリと振り出したその雨はあっという間に凄まじい勢いの豪雨へと変化した。その雨粒は突風のせいでまるで弾丸の様に私達の体へとぶつかってきた。
「っ……!」
口を開く事さえも出来なかった。雨と風の勢いはどんどん増してきており、目も開けなくなっていた。今の私達に出来るのはただ前に進む事だけだった。ここを一番最初に見つけたであろう彼が残したあの言葉を体現するかの様に、殺月さんの手を引きながら一歩一歩その足を進めていった。
「どっどど どどうど どどうど どどう 醜い世界も吹きとばせ 混ざった世界も吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどう」
これだけの豪雨の中でも彼の歌だけはしっかりと聞こえてきていた。自分達に仇を成す憎い現世を恨んでいる呪い歌とも言える内容だった。そんな世界を祟る歌を聞きながら、私と殺月さんは真っ直ぐに真っ直ぐに、ひたすらに真っ直ぐに雨にも風にも負けずに進み続けた。
やがて人々の喧騒が聞こえふと目を開けた。そこはどこかの公園であり、空は青々と晴れて雨など一粒も降ってなかった。それどころか私達が住んでいた世界へと戻って来ており、周囲の人々は全身ずぶ濡れになっている私達を怪訝な顔で見ていた。
「帰ってきた……?」
「日奉さん、それ……」
殺月さんは私を見て困惑していた。それは私も同じだった。
私達の全身には小さな痣の様なものが大量に出来ていたのだ。恐らく雨粒が凄まじい勢いでぶつかってきた影響で痣が出来てしまったのだろう。不思議と痛みはほとんどなかったが、この痕が残っているおかげで私達が見ていたのが幻ではなく現実だったという証明になった。
後ろを見てみると一体の地蔵が置かれており、恐らくここが『イーハトーブ』との境界になっているのだろう。しかし誰でも入れるという訳ではないのかもしれない。宮沢賢治や幽ヶ見さんの様に特殊な感覚能力を持っている人間でなければ出入り出来ない可能性がある。
「殺月さん、蒐子さんに連絡出来る?」
「今は通信機持ってないけど、家に帰れば……」
「じゃあじゃあ、お願いしてもいいかな。報告お願い」
「いいけど……君は?」
「私は幽ヶ見さんを探して話してみるよ」
「分かった……また後で連絡する」
魂に固着させたままだった姉のしーちゃんを解放すると、殺月さんと別れた私はいつの間にか朝になっていた事に疑問を持ちながら学校へと向かう。丁度登校時間なのか他の生徒達とも遭遇し、全員私を見るとやはりギョッとしていた。そんな視線を無視しながら歩みを進め、校門の近くで幽ヶ見さんを待つ事にした。
それから数十分待っていると、やがて幽ヶ見さんが姿を現した。ぽやーっとした雰囲気をまとっており、私を見付けるとこちらに駆け寄ってきた。
「あっあっ日奉さん、日奉さんっ! ど、どうだった、どうだったかな、かな? クラムボンは見つかった?」
「……その事なんだけどね幽ヶ見さん」
「うん、うん?」
「実は……君が言ってた『イーハトーブ』っていう所に行ってきたんだ」
「お、おおっ! じゃ、じゃあじゃあっ見つかったんだね、ねっ?」
「はっきり言うと見つからなかった」
「そっか、なるほどそっか、そっかそっか……」
幽ヶ見さんは見るからに残念そうな表情をした。
「ただただ、その代わり、宮沢賢治本人に会ったんだ」
「宮ちゃ、宮ちゃんに会ったんだね!」
「宮ちゃん……? えっとそれでさ……」
私は『イーハトーブ』で何が起きているのかを彼女に話した。話を聞いている間、幽ヶ見さんは落ち着きを失くした様子で体を忙しなく動かしていたが、やがて話し終えると髪をわさわさと掻き始めた。
「……その、幽ヶ見さん?」
「う、うんっうん……だ、大丈夫大丈夫っ……そっかなるほどそっか……い、い、イーハトーブは、は……なく、無くなっちゃうんだ、ね、ねっ?」
「そうみたいだね……多分この世界がすぐに変わらない限りは、きっと……」
「うん……うん……」
幽ヶ見さんは涙を流し始めた。声は上げなかったが苦しそうな顔をしており、呼吸が乱れていた。私に出来る事は彼女を抱き寄せ背中を撫でるくらいしか出来なかった。
幽ヶ見さんが落ち着くまで宥めていると殺月さんが姿を現した。
「殺月さん、どうだった?」
「誰が殺したの?」
「え?」
「殺したのは誰?」
「ちょっとちょっと殺月さん……?」
「殺したのは誰?」
その瞳は虚ろだった。手にはステッキが握られており、周囲の生徒達はその異様な雰囲気を察して校内へと走り出していた。
「幽ヶ見さん……」
「な、な、何かな、な?」
「避難してて。何かまずそうだから……」
「え、で、でもでもでも……い、い、居るっ居るよ、よ?」
「居る?」
「クラムボンは笑ってるよ。かぷかぷ笑ってるよ。かぷかぷかぷかぷ……かぷかぷ……」
殺月さんの方からバイブ音が聞こえてくる。恐らく誰かが着信を入れているのだろう。
「殺したのは君?」
「殺月さん落ち着いて」
「君が殺した? 何故殺された?」
「幽ヶ見さん、離れててね……」
再びしーちゃんを呼び出してその力を纏う。『彼女の魂に触れる力』があれば殺月さんを一時的に無力化する事が出来る。更に正確な位置が分かれば『クラムボン』を捕らえる事も可能だろう。問題はどうやってそれを探知するかではあるが。
指先を蛇の頭を模した形にして構える。
「何故殺された?」
「……殺月さんごめんっ!」
こちらに振り下ろされたステッキを避けると殺月さんの首筋に食らいつかせる様な動きで『霊拳 蛇痺咬』を突き込んだ。そのまま自分の持っている霊力を彼女の魂へと流し込み、アレルギー反応を無理矢理引き起こした。『巨頭』の時と同じ様に殺月さんは痙攣しながらその場へと倒れ込んだ。
殺月さんが抵抗出来なくなったのを見て彼女の服を探り携帯を取り出した。画面には『如月蒐子』という文字が映っていた。
「もしもし」
「痛っ! ……あ、あれ日奉さん? 殺月さんはどうしたんですか?」
「まずい状態になってますよ。急に『誰が殺したの』とか言い出して……」
「やっぱり……」
「何か知ってるんですか?」
「えーとですねー……実はさっき殺月さんからお話を伺ってたんですけど、ワタクシがそのクラムボンについて聞こうとしたら、そんな感じの事を言い出して……」
「蒐子さんはクラムボンについては知らないんですか?」
「それが全然で……聞いた事も見た事もないんです」
私達と殺月さんの違いは何なのだろうか。もし『クラムボン』の事を知ったり話したりしただけであの状態になるのであれば、とっくに私も蒐子さんもそうなっている筈である。何か特定の人間だけを狙う目印みたいなものでもあるのだろうか。
「じゃあじゃあ、『イーハトーブ』については?」
「それも聞いた事が無くて……あの事件以来色んな時空間異常が発見されましたけど、そんな空間に繋がっているという報告はありませんでした」
「そうですか……」
殺月さんがムクリと起き上がったため、その場から飛び退き距離を取る。
「殺したのは誰?」
「蒐子さん蒐子さん。これって洗脳みたいなものなんですかね?」
「わ、分かりませんけど……何かの認識汚染の可能性も……」
その言葉を聞き宮沢賢治が話してくれた『クラムボン』のある特性が浮かんできた。彼によれば『クラムボン』というのは存在そのものが非常に希薄らしい。そこに確かに存在しているにも関わらず、幽ヶ見さん達の様な特殊な認識能力を持っている人でなければ存在を認識する事すら出来ない。私も調査員としての仕事をする前にした勉強で、そういった存在の事を学んだ記憶がある。
認識しようとしても視覚、聴覚、嗅覚、触覚、あらゆる感覚器官を騙す事が出来る『反認識能力』というものがあるらしい。そういったものを認識出来るのはやはり一部の特殊な人間だけらしい。賽師匠の『魂が見える』という力もこの特殊な感覚能力の一種なのだろう。
「なるほどなるほど……分かりました。ちょっと思いついた事があるのでやってみますね」
「えっ!? 大丈夫ですか!? 増援が必要なら要請を出した方が……!」
「大丈夫です」
通話を切ると携帯を自分のポケットに収める。
「……幽ヶ見さん幽ヶ見さん。『クラムボン』はどこに居るの?」
「あっあっ……その人、人の、頭、眉毛と眉毛の間、に居るかな、うん、居る」
「オッケ……場所変わったらすぐに言ってね……」
殺月さんの攻撃を躱しながらタイミングを見計らい、隙が出来た瞬間に眉間に指を突き込む。すると、確かにそこに手触りがあった。魂に感触があるというのもおかしな表現かもしれないが、確かに殺月さんのものとは別の魂がそこにあったのだ。そしてその魂は異常とも言える程、希薄だった。少しでも意識を逸らせば認識出来なくなってしまいそうな魂だった。
それを引き剥がすと殺月さんはその場に尻餅を付き、その目をパチクリさせていた。
「幽ヶ見さん、お願い」
「えっあ、えっ何何?」
「クラムボンをお願い……」
「う、うんっうん。こっち、こっち、おい、おいで……」
幽ヶ見さんの手の上に見えないそれを降ろす。その瞬間、先程まで感じていた魂の感触がどんなものだったのか忘れてしまった。
「日奉さん……一体、何が……?」
「殺月さん、おかしくなってたよ」
彼女が『クラムボン』によってどういった状態になっていたかを話すと、その顔に動揺が見えた。
「……ねぇねぇ殺月さん。教えて。宮沢賢治が書いた作品……何か思い入れとかがあるの?」
「……プライベートな話だよ」
「殺月さん、大事な話だよ。今のところ、操られたのは殺月さんだけなんだよ。私も蒐子さんも何の影響も受けなかった。殺月さんだけが操られた理由がある筈なんだ」
殺月さんは少し話しにくそうにしていたが、やがて意を決したのか話してくれた。
「……妹が」
「妹?」
「昔……妹が宮沢賢治の作品を好きだった。よく、読み聞かせしてた……」
「じゃあじゃあ、もしかして……」
『クラムボン』は自分を大切にしてくれる人を探していたのかもしれない。あのまま崩壊する理想郷には居座らず、現実の世界へと飛び出してきた可能性がある。生物としてどんな構造をしているのか分からないためどうやったのかは不明だが、幽ヶ見さんが認識出来ている事からこちらの世界に来たのは事実である。彼は自分を守ってくれる依り代を探していたのかもしれない。
「……幽ヶ見さん」
「あっな、何っ何かな?」
「『クラムボン』の事、お願いしてもいいかな? 多分ちゃんと面倒見てあげられるのはあなただけだと思うんだ」
「う、うんっい、いいの? の?」
「いいよ。ただ、定期的にJSCCOに観察記録を入れて欲しいんだ。念のために、ね」
「わ、分かった分かった! やるっちゃんとやる、よ!」
「お願いね。学校始まっちゃうから先に行ってていいよ?」
「う、うんうんっ!」
幽ヶ見さんは『クラムボン』を手の平の上に乗せたまま校舎へと走っていった。それを見送った後、殺月さんの手を引いて立ち上がらせる。
「……ごめん」
「うん?」
「あたしの判断ミスだった」
「別に殺月さんのせいじゃないよ。『クラムボン』がこっちに来てるなんて私でも分からなかったもん」
「でもあたしが……」
「まぁまぁ、確かに早めにさっきの話はして欲しかったけど、過ぎた事だからさ。後は幽ヶ見さんに任せるしかないし、ね?」
「……ありがとう」
殺月さんは少し顔を俯かせながらそう言うと、「まだ報告があるから」とその場を後にした。一緒に付いていこうとしたが、一人で大丈夫だと言われたため仕方なく校舎の方へと足を進めた。
きっと『イーハトーブ』は遅かれ早かれ崩壊するのだろう。理想郷だったあの場所は正常と超常が混ざり合った事で現実になってしまった。超常存在が世間に知れ渡る事になった『黄昏事件』が起きてしまった時点で、あの場所が滅びる事は確定してしまっていた。もう私達ではどうしようもない状況になっていたのだ。
もしあのまま『クラムボン』が消滅していたとしたら、誰も『クラムボン』が殺された理由を認識出来なかっただろう。もしそうなっていたら、『クラムボンを誰が殺したか』という問いには『分からない』と答えるしかなくなっていただろう。
理想郷は今はもう、私達の幻燈の中にしか無くなってしまった。




