第12話:どっどど どどうと風が吹く
駅から出た私達の目に映ったのは日本の片田舎の風景だった。緑豊かでここから見る限りでは家々はお互いかなり離れており、まさに私達日本人が田舎と聞いてパッと思いつく景色だった。空には小鳥達が飛んでおり、天を彩る太陽は爽やかな燦燦たる光を大地に照らしていた。
暖かな日差しを受けながら二人で田舎道を歩き続け探索していると、やがて緑に囲まれた一軒の建物が見えてきた。近くに寄ってみると玄関の隣に木で作られた掲示板の様な物が付いていた。そこには白いチョークで書かれたと思しき『下ノ畑ニ居リマス 賢治』という文字があった。
「殺月さん、これ……」
「どういう事……まさか、本人が居るっていうの? そんな事が……」
「行ってみる?」
「……帰り方も分からないし、仕方ないか……。日奉さん、油断はしないように。何かのコトサマが化かしてきてるかもしれない」
「オッケオッケ。しーちゃんにもまだ固着してもらってるから大丈夫だよ」
掲示板に書かれていた文字を頼りに、件の畑へと向かってみた。するとそこには畑仕事をする一人の男性の姿があった。初めて見る筈のその背中を見て、私は何故か彼こそが宮沢賢治その人であると確信した。写真で顔を見はしたがこうして実際に見るのは初めての筈だというのに、まるで何度も会った事があるかの様に私の頭の中には奇妙な懐かしさが生じていた。
「貴方は……」
彼はゆっくりとこちらに振り返った。その表情は優しかった。怒りの感情など初めから持っていないかの様な心穏やかな顔だった。小さく一礼した彼はその口をゆっくりと開いた。
「ようこそお出で下さいました。どうぞゆっくりしていってください」
「貴方は……貴方は宮沢賢治本人なの?」
「どうなのでしょう。最後に見たのは母の姿だったと記憶していますが」
どうやら彼は生前の記憶もあるらしく、彼自身自分が宮沢賢治本人であるかははっきりと分かっていないらしい。殺月さんが言う様に何かのコトサマが宮沢賢治を模倣しているだけの可能性もあったが、少なくとも彼からは悪意や敵意といった感情は一切感じなかった。
「あのあの、宮沢さん。ちょっと確認したい事があるんですけど、ここってイーハトーブって事で合ってますか?」
「はい。間違いありませんよ」
「あれは貴方の創作だった筈では……?」
「そうする他無かっただけですよ」
彼は微笑みながらイーハトーブを創作にしなければならなかった理由を語り始めた。
どうやら今私達が居る、ここ『イーハトーブ』は元々普通の人には見えない場所らしい。上手くは理解出来ないのだが、別次元に存在しているという表現が正しいのだろうか。ここに来るためには彼が見つけたという道を使うか、あるいは私達が乗ってきた銀河鉄道を使わなければいけないそうだ。そうでなければここには来られない。逆に言えば、ここを知っている。来た事があるという事はつまり、その人物は彼と同じだという事である。
「あのあの……ここに幽ヶ見っていう子が来ませんでしたか?」
「片目に色の無いお嬢さんの事ですか?」
「そうですそうです! 実はその人もここの事を知ってたんです!」
「知っています。最後にお出でになったのはいつだったでしょうか……確か数週間前には見た気がしますが」
「ほらほら、ね? 殺月さん。嘘じゃなかったでしょ?」
「……みたいだね。でもそれじゃあその子は……」
「私と同じお嬢さんなのでしょう。同じ様にこの場所を見付ける事が出来る力をお持ちの方……」
幽ヶ見さんは嘘をついていなかった。あの子は初めから本当の事を言っていたのだ。どういうルートを通ったのか分からないが、彼女は間違いなくここ『イーハトーブ』に出入りしていた。そして彼女はここで謎の存在『クラムボン』と出会ったのだ。しかし彼女の言っていた『クラムボン』は姿を消してしまったそうだ。
「えっとえっとそれでですね。私達はその子から頼まれて――」
「クラムボンを捜しにお出でになった。そうでしょう?」
「……あれあれ? 何で知ってるんですか?」
「ここに住んで長くなります。彼らが居なくなったのは私も気づいておりましたから」
「少しいいですか? 貴方の作品には『クラムボンが殺された』というセリフがありました。あれは一体?」
「こうなる事は見越していたのです」
彼によると『クラムボン』というのは非常に希薄な存在らしい。そこに確かに存在するにも関わらず、それをしっかりと認識出来るのは彼や幽ヶ見さんの様な特殊な感覚能力を持った人間だけらしい。そんな彼らはその反認識性だけでなく、更に厄介な性質を持っていたそうだ。
「彼らは、いえ、ここは……超常的でなければならない存在なのです」
「どういう意味です?」
「私も風の噂に聞いた話なのですが、現世は私が生きていた時とは変わってしまったのでしょう? 正常と超常が混在し、今ではそれが普通と聞きました」
「ええ、そうですね。それとどう関係が?」
「ここに『イーハトーブ』という名を付けたのは私なのです。彼らに名を付けたのも私です。ここはあくまで『超常』でなければならなかったのです」
つまりは私達が住んでいるあの世界が変わってしまった事によって、理想郷として名付けられた『イーハトーブ』は消えかけているらしい。誰もが『超常』を『創作』として認識していた。それが大切だったのだ。『正常だった世界』と『超常の世界』が混ざり合った事によって、その境界線は曖昧になってしまった。『超常』でなければこの場所は形を保てないのだ。未だに超能力や妖怪を『創作』として認識している人などどれほど残っているのだろう。いや、僅かでも残っているからまだここがあるのかもしれない。
「元々希薄であった彼らはいつしか消える事になる。薄々感じておりました」
「じゃあじゃあ、ここもその内……?」
「消えるでしょう。ですが、予想は出来ていた事です。理想はいつしか現実へと成り果ててしまうという事なのでしょう。誰を責めてもいけません。これが運命です」
「……止める方法は?」
「殺月さん?」
「あたし達の仕事はコトサマやその他超常現象によって引き起こされた事件や事故の調査です。もし貴方があたし達の世界のせいで消えそうになっているというのであれば、助けなければいけません」
「無意味ですよ。イーハトーブは不安定で泡沫なのです。いつしか青い青い水面へと浮かんで弾けて消えるのです」
殺月さんはあんな事を言っているが、実際はどうしようもない時は下手に関わらない様にと教えられている。もちろん助けられるのであれば助けなければならない。だが、今回のこれは助けられない事象に思える。彼が話した内容が事実であるのだとすれば、私達が住んでいるあの世界が今すぐにでも変わらない限りはここは救えない。理想郷であった筈の『イーハトーブ』は、人の常識が変わった事によって事実になってしまった。『存在しないかもしれない』という状態こそが大事だったというのに。
「殺月さん殺月さん。諦めよう」
「何言ってるの。JSCCOの仕事は?」
「殺月さんの方こそ何言ってるのさ。出来ない事は無理しない。これが原則でしょ。下手に関わって事態が悪化した前例もあるらしいじゃない」
「だけど……」
「……ねぇねぇ殺月さん。殺月さんは何をそんなに気にしてるの?」
「え……?」
「妙じゃない。いつもはリアリスト気取ってる癖に何でこんなに気にかけるのさ。さっきもコトサマが模倣してるだけかもとか言ってたでしょ? それも今考えるとおかしいよ。私達の仕事的にさ、別に関係ないじゃない。本物でも偽物でも。相手が襲ってきたら対抗する。助けを求めてきたなら助ける。本物偽物関係ないじゃない」
殺月さんの目には動揺が見えた。一瞬だったが目が泳いだのだ。彼女が根っこの部分ではお人好しなのは分かっていたが、それにしても今日の彼女はおかしかった。別に彼が本物であろうとなかろうと、私達には大した問題ではない筈だというのに。
「お嬢さん方、お帰り下さい。ここもいつまでもつかは分かりません。現世の方々を良く思っていない方々も居ります。これ以上ここに居るのは危険です」
「だけど……!」
「殺月さんにはここを救ういい方法が思い浮かぶの? 浮かばないよね? ある意味ここを作り出した人でもあるこの人が言ってるんだよ? もう助からないって……」
「それは……」
「コトサマを全員殺す? その方法ならいいかもね。でもそうなれば人権団体が黙ってない。オカルト技術を扱ってる企業はどうなる? ここを助けるなら、日本を犠牲に差し出せる覚悟が無いとダメだよ」
殺月さんは何も言い返してこなかった。口元をもごもごと動かしていたが、その口から有意義な案が出る事は無かった。
「さぁどうぞ行って下さい。私が農学を教えている場所があるのですが、その建物の奥にお嬢さん方の世界との出入り口があります。そこから出たら、もうここには来ないようにして下さい。いつ消えるか分からないのですから」
「ありがとうございます。ほら殺月さん行くよ」
「…………何かある筈……」
「ほらいいから」
私達に敵意を持っている存在も居ると聞いた後であったため、私の二番目の姉であるしーちゃんの魂を固着させたまま、殺月さんの手を引いて先程見かけた建物へと走り出した。
後少しで建物が見えてくるといったところで、突然突風が吹いた。その風は走っていた私達の足を無理矢理止めてしまう程の勢いであり、目を開ける事も出来ない程だった。
やがて少し風が弱まり、その隙に目を薄っすらと開けてみると空中に人影が見えた。顔までははっきりと見えなかったが頭髪と靴は真っ赤であり、背中には何かを羽織っている様に見えた。それは空中で静止したままこちらを見下ろしており、やがて上空から子供の声で歌が聞こえてきた。
「どっどど どどうど どどうど どどう 醜い世界も吹きとばせ 混ざった世界も吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどう」




