第10話:かぷかぷ笑っていたよ
『事代八重』が確保された数日後、発見したポイントに複数名の調査員が送られたらしいが、あの巨頭村には入る事が出来なかったらしい。磁場計も常に正常値を示しており、何度計っても以前の様な磁場の乱れは発生しなくなっていたらしい。彼らが意図的に時空間異常を発生させていたのか、あるいは何らかの外的要因によって偶然あそこに出現していたのかは分からなかったが、これ以上の追跡調査は不可能だろうとの事だった。
しばらくは調査案件が無い事が蒐子さんからの連絡で判明したため、私は入学早々あまり行けてない高校へ通い、遅れてしまっている勉強に追いつこうと授業を受けていた。元々九年もの間昏睡状態になっていたらしい私がここまで知識を得る事が出来たのは、賽師匠のおかげだった。あの人は他人の魂の中にある記憶を見るだけでなく、自分の中にある記憶を相手に見せるという事も出来るのだ。そのおかげで私は高校二年生レベルの勉強であれば、何とか付いていく事が出来る状態になった。しかし、それはあくまで『こういう事を習った』という知識だけであるため、計算問題の様な頭の柔らかさが重要になってくる勉強は未だに不得意なままだった。知識があってもそれを紐解く手段が無ければ意味が無いのだ。
「日奉さん」
「……え、はい?」
「あーこんにちは。えっと……初めてだよね会うの」
放課後一人で残って勉強していた私に話しかけてきたのは、同じクラスの生徒だった。光を強く反射する程の艶がある黒髪をしており、左右の瞳の色が異なっていた。左目は通常の日本人通り黒い瞳をしているのだが、右の瞳は色を抜かれたかの様に無色透明だった。虹彩異色症によって瞳の色が異なる人間が存在するというのは聞いた事があったが、この生徒の様に瞳の色そのものが存在しないというのは聞いた事が無かった。少し離れた所から見れば、片目だけ白目を剥いている様に見えるだろう。
「うんうん。初めてだね。貴方は?」
「あーんっんっ……そっか。名前、まだだったね、うん。ボク……いや、いやっ違う、私? だっけ。私の名前は、幽ヶ見真子って言うんだ。そう、そう」
「幽ヶ見さん……。私は――」
「あっあっ! 言わなくていいよ……知ってる、言ってたよね。下の名前は菖蒲さん」
「あ、うん。そう、菖蒲」
何とも独特のリズムで話すため、彼女と話しているとその不思議なペースに呑み込まれそうになった。本人にその自覚は無いのかもしれないが、話している最中にもせわしなく周囲を見回したり、自身の体をあちこち触ったりしていた。
「えーとえと……幽ヶ見さん、大丈夫?」
「あ、ごめんごめん、うん。日奉さん、日奉さんってJSCCOで働いてるんでしょ? ねっ?」
「うん。まあ働いてるって言っても依頼があった時だけだけどね。それ以外はこうやって学校に行ってもいいって言われてるんだ」
「そっか、うんそっか……じゃあ、じゃあさ、ねっ? 私のお願い、聞いてくれるかな?」
「え? うん……内容によるけど、何?」
「うん、うんっあのね?」
幽ヶ見さんは両手をわたわたと動かしながら、彼女のお願いを話し始めた。
彼女の言うお願いというのは『クラムボンを捜して欲しい』というものだった。彼女曰く、クラムボンという存在と仲良くしていたらしいのだが、ある日を境に彼らの姿が見えなくなってしまったらしい。他の人にも協力を要請したものの、何故か皆話を聞いてくれず、未だクラムボンが見つからないというのだ。
「クラムボン……それってペットみたいなもの?」
「ううん。あっあっ……クラムボンはペットじゃないよ?」
「んー……じゃあじゃあ、どこかに野生で住んでたって事でいいの?」
「うんっうん、そうそうそう。イーハトーブの青白い水の中にね、居たんだ、ね」
「……その、イーハトーブっていうのは?」
「遠い遠い、でも近くのね、幻燈の中にあるんだよ?」
「……ねぇ幽ヶ見さん、からかってる訳じゃないんだよね?」
「からかって、ない、ないよ。イーハトーブは幻燈の中にあるんだよ」
幽ヶ見さんの言動は明らかに異常であり、彼女の言うイーハトーブというものが何なのかまるで見当がつかなかった。恐らく場所であるのは間違いないが、聞いた事の無い名前である上にそこに住んでいたという『クラムボン』なる存在が何なのかまるで見えてこない。
「分かった、分かったよ。じゃあ話を変えるね。そのクラムボンっていうのはどんな感じなの?」
「クラムボンは跳ねながら笑ったよ」
「跳ねながら笑う……」
彼女の異質な言動を聞き逃さない様にしながらノートに書き写す。
「それで?」
「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」
「かぷかぷ? かぷかぷって、どんな感じ?」
「かぷかぷはかぷかぷだよ、ね。クラムボンは楽しそうにかぷかぷ笑ったんだ」
「……じゃあじゃあ笑うって事は感情表現の出来る生き物って事なんだね?」
「知らない」
「え?」
「クラムボンは笑ったよ。でも何で笑ったのかは知らないの。跳ねて笑ってたけど居なくなっちゃったの。イーハトーブに居たのにね」
彼女のその様子を見るに嘘はついていないのだろう。しかし、至る所に異常な点が見られる。かぷかぷという表現は彼女の独特な感性という事で片付けられるが、イーハトーブといい笑っていた理由を知らない点といい、奇妙な所が多過ぎるのだ。
「ごめん、分かった。クラムボンを捜せばいいんだね?」
「あっ、いいのいいの? うん、うんっ、そうしてくれると嬉しいな」
「じゃあじゃあ、最後にクラムボンの見た目を教えて?」
「知らない」
「……え?」
「クラムボンは笑ってたよ。でも、でもね、でもね、何で笑ってたかは知らないし、どんなお顔なのかも知らないの。でもかぷかぷ笑ってたし、イーハトーブの青白い水の底に居たよ?」
「…………分かった。調べてみるよ。でもでも、あんまり期待しないでね?」
「あっあっ、ありがとう! ね、ねっ! クラムボンによろしくね!」
これ以上話しているとこっちまでおかしくなってしまいそうだったため、急いで荷物を片付けると鞄を持って教室から駆け出した。グラウンドへと出た私はスマートフォンを取り出し、殺月さんに電話を掛ける。部活に入っていないのかすぐに繋がった。
「もしもし」
「あっ殺月さん。ちょっとお話したい事があって」
「プライベートな話はしないって言ったでしょ」
「違う違う、そうじゃないよ。実はさ……」
幽ヶ見さんから頼まれたクラムボン捜しについて伝える。話し終えた後に聞こえてきたのは彼女の溜息だった。
「……それ馬鹿にされてる」
「え?」
「日奉さん、宮沢賢治って知らないの?」
「えーと……名前だけ聞いた事あるかも」
「はぁ……その『クラムボン』っていうのは、宮沢賢治が残した作品の中に出てくる架空の存在。つまりフィクション」
「……そうなの?」
「そう。『クラムボン』なんてものはこの世に存在しないし、何なら作品の中でもその正体は語られてない。捜そうとしても居る訳ない」
「うーん……でも幽ヶ見さんのあの感じ、嘘ついてる感じじゃなかったんだよねぇ……」
「それは君が人慣れしてないだけ。平気な顔で嘘つける人間はいくらでも居る。そんなの相手にしてたらキリがないよ」
本当にそうなのだろうか? 本当に幽ヶ見さんは嘘をついているのだろうか? もしからかう目的でやっているのだとしたら、何故こんなに簡単に足がつく題材を選んだのだろう。私が九年間昏睡していたという情報は一部の親しい人しか知らない。仮に知っていたとしても、調査員として仕事を任されている私がこれを上層部や同僚に話すであろう事は簡単に想像が出来る筈だ。嘘をついていたとバレれば業務妨害の罪に問われる可能性もある。そこまでして嘘をつくだろうか?
「……ねぇ殺月さん。念のため調べてみようよ」
「正気で言ってる? 絶対時間の無駄。大体、そんなの上から許可が出る訳無い」
「でもでも、もしかしたらって事もあるかもよ?」
「無い。そもそも、君はイーハトーブの場所分かるの?」
「いや分かんないけどさ……」
「幻燈がどうとか……そういう記述は宮沢賢治の作品の中にも書かれてた。要はその子はそれを基にでっち上げてるだけ」
「……じゃあいいよ。私一人でやるからね」
「は? ちょっ――」
電話を切り、校舎へ戻ると図書室へと向かう。
殺月さんを頼れない以上は一人でやるしかない。話を聞くだけなら師匠に聞いてみるのもありかもしれない。しかしその前にやらなければならない事がある。彼女の言っていた聞き慣れない言葉が宮沢賢治の作品の関連しているというのであれば、まずはそれがどういう風に記載されているのかを確認しなければならない。もし幽ヶ見さんが嘘をついていないのであれば、きっと宮沢賢治は……。
閉館時間が迫っている図書室へと入った私は、急いで関連書籍を受け付けに持っていき、図書委員が引いているのもお構いなしに鞄に詰め込んで家へと向かった。




