繁殖場
思わず3作目を書いてしまいました。
ある意味怖いというお話です。
何度言っても、慣れたくない言葉がそこにある。
しかし、私はそれを告げなくてはいけない。
泣き叫ぶ家族を前にして、私は私の務めを果たすべく、その言葉を告げていた。
「8月3日 午後8時15分 ご臨終です」
頭を下げて、冥福を祈る。
「何で?」
その言葉が耳に残る。
それは私の疑問でもあった。
一体この人に何があった?
運ばれてきたときには、すでに心肺停止状態だった。
私のできることは、その確認を行うのみだった。
この人に何があったのか、一見して元気な若者に、いったい何が起こったのだろう。
遊園地で、彼の体に何かがあったとしか思えなかった。
一体何が起きたのか。
私の中で反復されるその疑問。
それは、家族も同様だろう。
せめて、考えられる原因だけでも家族に告げることができないか?
「わるいけど、遊園地から来た子に話聞けないかな?そこで何が起きたのか知りたいんだ」
救急車にいっしょにのってきた子ならば、何か知っているに違いない。
どんな些細なこともでも、それが分かる手掛かりになればよかった。
看護師に連れてきてもらった彼女は、まだ眼元が腫れたままだった。
「つらい時に申し訳ありません。遊園地での出来事を教えてください。些細なことでもいいので、彼の体に関係することをできるだけ詳しく」
心情を考えると、酷な話になるのだが、これは職業的に仕方がないことだ。
そう自分に言い聞かせながら、話しを促す。
「朝、開園と同時にジェットコースターに乗ったんです。彼、絶叫系が好きだから。前来た時は故障で乗れなかったから、うれしそうでした。あの裏野ドリームランドにあるやつです」
今にも泣きだしそうな彼女は、一言、一言、絞り出すように話してくれた。
「乗り終わった後、なんだか気分が悪そうでした。虫かなんかが口の中に入ったと、しきりに吐き出そうとしてました。あそこの虫って気味が悪いくらい大きいんです。わたし、信じていなかったんです。そんなことないって思い込んでました。もっと彼の話をちゃんと聞いていれば……」
組んだ両手をかすかに震わせ、彼女はその時の様子を思い出していた。
「でも、しばらくするとおさまったようで、後は何ともなかったんです。気持ち悪さもなくなって、普通にお昼ご飯も食べてました。」
訳が分からない。そういった感じだった。
「虫ですか……。朝というと9時くらいですか?それで、彼の様子がまたおかしくなったのはいつでした?」
恐らく9時ごろ、何かを飲み込んだ。少なくとも彼はそう感じていた。
しかし、昼には食事をしている。
救急隊が到着して、その車内で心停止起こしたのが20時くらい
その11時間、彼はドリームランドにいた。
そこで彼の体に、何かが起こったと考える。
飲み込んだ虫がなにかした?
いや、それはおかしい。
そもそも、口に入った程度なら、そんな違和感はすぐにとれるだろう。
吐き出したいということは、すでに胃に到達している可能性がある。
しかし、強力な胃酸がその生存を許すだろうか?
胃潰瘍の薬を飲んでいない限り、それは考えにくかった。
そもそも、その後食事もしている。
実際に飲み込んだのか、わからない。
私が自分の考えを整理する前に、彼女から返事が返ってきた。
「7時半くらいです。なんだか急に青い顔になって、吐き気がする。お腹が痛いと暴れだしました。急いで救護所に連絡して、救急車に乗ってたら……」
その後のことは救急隊からすべて聞いていた。
急に吐血をしだしたと思うと、いきなり血圧低下したとのことだった。
昇圧剤にも反応せず、ここについたということだ。
何かほかに見落としはないか、カルテを見ながら考えていた。
「彼は、何回か入院歴がありますね。十二指腸潰瘍、胃潰瘍。ともに出血した時ですね。最近胃の調子が悪いということはありましたか?」
1年半ほど前に入院した後、定期的に通院している。
最近は来ていないが、おそらく通院間隔を延ばしたのだろう。
記録では、潰瘍は瘢痕化している。
「いえ。ストレスは抱えていましたが、最近は調子よかったはずです。薬も余っているということでした」
どうやらその線はなさそうだ。
しかし、ますますわからなくなった。
一体彼の体に何が起こったのか?
「その他に何か気になることはありましたか?」
できるだけ丁寧に聞かないと、あとでこの子は自分を責めるようになる。
さっきのような感じになってはいけない。
「いえ、最後に血を吐いた時に、黒い塊がありましたが、それ以外はなにも……」
黒い塊?
凝血塊か?
救急隊は何も言ってなかったが?
これ以上は彼女に負担がかかるのだろう。
看護師の無言の圧力にも、耐えられなくなってきた。
いったん整理するためにも、一度終わることにした。
「ありがとうございます。つらいことをお聞きして申し訳ありません。彼の身に何が起こったのか、私にもまだ、わからなくてですね。何かお伝えできればと……」
頭を下げてから、看護師に目配せをする。
慣れた様子の看護師は、彼女を連れて出ていった。
しばらくして戻った看護師は、自分の知っていることを教えてくれた。
裏野ドリームランドは、ある製薬メーカーの工場跡地に作られたものだった。
広大な敷地には、様々なアトラクションがあり、とても人気がある場所になっていた。
なかでも、ジェットコースターはダントツで、一番の人気アトラクションだということだった。
しかし、裏野ドリームランドのジェットコースターは、たびたび電気系のトラブルで運休することが多いということでも有名だった。
だから、ジェットコースターに乗れるのは割と運がいい方だという噂まであった。
その噂には尾ひれがついて、はっきりしない事故の噂にもなっていた。
実際には電気系統のトラブルなので、事件にもなっていない。
しかし、面白半分で、運休している現場を事故としてネットに流す。
もしかすると、乗れなかったことへの腹いせなのかもしれない。
とにかく、そういう事が起きているとのことだった。
遊園地なんて、子供のもの。そういう価値観で生きてきた。
まして、今のアトラクションの価値はわかるはずもない。
しかし、乗れなかった悔しさを、そういうところで解消するのか……。
八つ当たりに近い感情で、事故として噂される遊園地側に同情していた。
「でもね、先生。あの遊園地、実際食中毒もだしているし、あながちしっかりしていると言えないかもしれませんよ?」
私の心を見透かしたのか?
看護師は最後にそう言って、診察室から出ていった。
やはりわからない。
何が起こったのだろう。考えても、答えはここにはなかった。
ならば、直接体に聞くしかなかった。
状況からいうと、やはりこれは異常死だ。一応確認しておく必要がある。
再び看護師を呼び、死亡時画像診断の必要性を告げる。
家族の説明と同意もとって、CTにかけてみた。
「先生、なんですか?これ……」
看護師の疑問に、私は答えるすべを持たなかった。
そこにはあるはずの物が無くなって、別の場所には本来ないものが映っていた。
「わからん……。ただ、十二指腸のこの部分からの出血だろうね」
腹部にある、正体不明の3cmほどの塊。
大小はあるが、それは1つではなかった。
虫の卵に思えたのは、最初の話を聞いていたからだろう。
腹腔内に卵を宿している人なんて、現実にありえなかった。
ばかばかしい。
下手の考え休むに似たりだ。
十二指腸壁欠損部位は、瘢痕化した部分と一致している。
過去の潰瘍部分からの再出血。
ストレスはあるとのことだった。調子がいいのは、過去の薬を飲んでいるからだろう。
それとも絶叫系マシンにのったストレスか?
いずれにせよ、部位が悪かった。
比較的太い血管の上に潰瘍ができ、そこからの出血が止まらなかったのだろう。
食事ができたのは不思議だが、最終的には出血性ショックとして見ていいだろう。
塊は気になるが、ここでは剖検ができない。
死因が特定できたので、これ以上彼の家族にも負担をかけない方がいいだろう。
死体検案書をすて、死亡診断書に書き換える。
全てを終えた後、やはり何か引っかかりもあったが、これ以上考えても仕方がなかった。
もう勤務も当直に引き継いで帰ろう。
私はそう判断した。
翌日、別棟にある医局が、朝から騒然となっていた。
害虫駆除がどうの。
食中毒がどうの。
仲のいい医師たちはそれぞれで、うわさをしていた。
しかし、誰も動こうとしない。
「先生、石田先生、昨日異常死みたんですよね?あれ、すごいことになったみたいですよ?」
異常死?あのことか?
人の診断にケチをつける、にやけた様子の嫌な男。
同じ救急医でも、もともと馬が合わない奴だった。
「なんのことですか?」
とぼけてやり過ごす。正直話すのも嫌だった。
「先生が昨日みたCPAOA(来院時心肺停止)ですよ、先生の帰った後、霊安室で家族が全員倒れたらしいですよ」
もったいぶった言い方だった。
しかし、家族が倒れる原因がわからない。
昨夜は父親がまだ来ていないということで、明け方まで霊安室で過ごすことになっていた。
「家族は今どうしてるんですか?」
ここにいても始まらないが、何か知っていることを隠している気がしてならなかった。
「全員明け方に亡くなったようです。血を吐いて。異常死として警察も来てすでに帰りました」
目の前が真っ暗になる感じがした。
一体何がおこった?
もはやこの男からは何も聞けまい。
状況を知るのは、看護師が一番だ。
医局を飛び出し、外来へ急ぐ。
途中何人かすれ違うが、皆青い顔をして気持ち悪そうだった。
何が起こっている?
昨日申し送った当直医もまだいるはずだし、外来看護師もいるはずだ。
しかし、いつものその場所には、だれの姿もなかった。
救急初療室か?
すぐそこにあるその部屋が、やけに遠く感じていた。
扉に手をかけ、一気に開ける。
そこには患者はおらず、当直医だけが椅子に腰かけていた。
その背中は居眠りをしているようであり、昨夜の大変さがしのばれた。
しかし、それでも起きているのが医師だろう。
「先生。いったい何があったんですか?」
嫌悪感から、当直医の肩をつかみ、一気に顔を向けさせた。
「ああ、せん……せい……。大変だ……」
言い終わる前に、当直医の口から何かが這い出していた。
何か得体のしれない感じがして、近くの膿盆を手に取った。
まさにその瞬間、私を狙った何かが飛んできた。
反射的に膿盆で打ち払う。
奇跡的にそれに当たり、それは床に転がり落ちていた。
黒い塊。
体長2cmほどの黒い塊が、床のうえで、痙攣していた。
思わず足で踏みつける。
安堵の息を吐き切らぬ間に、背中を悪寒が走り抜ける。
みたくはなかったが、見てしまった。たった今、話した当直医の顔を。
口から、耳から、鼻から。
黒い塊は這い出してきた。
ついには眼球をおとし、そいつらは目からも這い出してきた。
一斉に飛び出すその塊を、膿盆で必死に叩き落とす。
しかし、次々と湧き出るその塊は、私の対応できるものではなかった。
これが、私に起きた出来事です。
自分で自分の死亡を診断できません。
時間も書けません。
今も、この体の中で育っている。
こいつらが出る時が、その時間になるでしょう。
時間にして、12時間以内という驚異的な成長と繁殖。
おそらくは、ここ以外でも起きている可能性があります。
腹部に異常を訴えた人がなくなった場合、すぐに塊を探してください。
それがあった場合は、一刻も早く焼却してください。
奴らは、人を繁殖場所と認識したに違いない。
一刻も早く、お願いします。
そう手紙をしたためて、見えるように貼り付けた。
あとは、異常死を届けるために、警察への電話だった。
誰にも頼めないので、自分でかけてみる。
しかし、もう限界だった。
薄れゆく意識の中で聞こえる呼び出し音は、いつまでも鳴り響いていた。
救急医療に関係する皆様、いつもお疲れ様です。