1ー1
だんだん明るいコメディになるはず。
よろしくお願いします。
不細工と言われ続け早、四十年余り。人は俺を“豚”と呼び子供達は“勇者”として退治しようとしてくる。おまけに地域の交番には“要注意人物”のトップになっていると忠告された。
忠告されたからと言ってどうしろと。
そんな俺は、この度、二十数年勤めた会社を円満じゃない退職。期末決算で三百万円損失を出した責任をとっての退職だった。
俺は入社してから“万年ヒラ”で決算報告とは無縁だったにもかかわらずいつの間にか責任者になっていて部長の呼び出しで初めてそれが分かった。分かったからと言って、会社で最も嫌われているランキング不動の一位な俺を庇ってくれる人は無く、追い出された上に退職金は賠償金として全て取られてしまった。
俺が何をした。生きているのが、そんなに悪いのか。
親は二人供、俺の嫁を心待ちにしながらも死別している。
考えてみれば、これで良かったかもしれない。俺が就職した時にあれほど喜んでいた両親にこんな姿を見せなくてすんだのだから。
部長の呼び出しから帰ってきた俺の机は、もう無くなっていた。正確には机は隅に寄せられ机が有った場所に紙袋がひとつ置かれていて
「君の机の中の物は全部、突っ込んでおいたから。」
イヤな笑みを浮かべた課長が手に持ったポールペンで紙袋を指した。俺は黙って紙袋を持つと、ざわめく部署の誰にも声をかける事無く、目を合わせる事もしないで会社から出た俺は、現実感が無い状態でふわふわと力の入らない足を動かしフラフラと歩き出した。
俺は、ここまでされるような事をしたのか。何をしたらここまでされる程、厭がられるのか。俺はいったい何をしたのだろう。太っているとか顔が不細工とか動きが鈍いだとか、そのせいで小さい頃から苛められて少し無口な所とか、ここまでされる事なんだろうか。
正直、どう帰ったのか覚えていない。電車通勤しているが会社から駅まで徒歩十五分、電車内で一時間半、電車を降りて自宅のアパートまで徒歩三十分。しっかり紙袋を抱えて帰ってきているのに間の記憶が全く無い。築六十年を数えたアパートはばあちゃんと死に別れたじいちゃんが住んで、その後、親が住んで、今は俺が住んでいる、三世帯に渡ってお世話になっているアパートだ。部屋は六畳が二間と風呂場、和式便所、台所。ダイニングキッチンなんて言葉の無かった時代に建てられたアパートである。一人暮らしにはやや広く二人暮らしにはやや手狭な部屋には両親が死んでから、片付けるのが面倒で敷きっぱなしのせんべい布団が奥の部屋に無造作に置かれている。
俺は湿気った布団に潜り込むと
「疲れた……。」
呟き目を閉じた。
翌朝。
疲れの抜けていない俺はカーテンの隙間から射し込む陽射しで目を覚まし霞みがかかったようにハッキリとしない頭を必死に動かして何時もの場所に置かれた目覚まし時計を見た。時計は五時ちょっと過ぎを指している。ボ~ッとした頭で無意識に会社到着時間を計算した。
ここから会社までは二時間十五分かかる。今からなら七時半過ぎくらいには会社に着くが、この田舎では都会みたいに電車の本数は多くない。この時間帯なら、十五分か四十五分かの二回になる。部屋から駅までは三十分かかるから……。
もう一度、時計を見た。時間はもうすぐ五時十分。すでに五時十五分の電車には間に合わない。四十五分の電車に乗って七時十五分に向こうの駅に着いて十五分をかけて会社に着くから七時半頃会社に到着予定……会社は七時半からの営業です。
寝惚けていた頭がいきなりフル回転を始める。布団を跳ね飛ばして違和感を感じる体を起こした。
「なんで背広を着たまま寝てたんだ? シワだらけじゃないかっ。いや、今はそれどころじゃないっ! 遅刻するっ!」
背広を着たまま寝てたのなら違和感があって当たり前だ。着替える時間すら惜しい俺は、その時間を短縮出来たと良い方向に考えてシワを手で軽く伸ばすと慌てて玄関に走った。
財布、OK。
ハンカチ、昨日は使っていないからOK。
電車の定期、持っている。
玄関に向かいながら背広のポケットを順繰りに叩きポケットに三点セットが入っているのを確認。毎朝の習慣で玄関近くに置いた鞄の取っ手を持ち部屋から出ようとした所で、鞄の感触の違いに気づいて間違えて持ったかと目で確認。
そして。
ドアを半開きにしながら俺は呆然と呟く。
「……どこに遅刻すんだよ……。」
俺が鞄のつもりで持ったのは、紙袋だった。
落ち着いたというか落ち込んだ俺は背広を脱ぎクリーニングに出すために畳んで雑誌の付録に付いてきたエコバックに入れた。俺自身はくたびれたスエットの上下に着替え布団を敷いていない部屋の真ん中に寝転がった。
時計はようやく六時を指す。まだ、朝早いせいか昨日の夜も食べていないのに腹が空いた感じがない。テレビもないこの部屋は静かで……しかし薄いアパートの壁はさまざまな部屋の音を届けてくれる。
上の階では、先程の俺のように
「寝過ごしたー。」
と叫びバタバタしている音が落ちてくる。違う部屋ではテレビの音の合間にキーッ、バタンとドアを閉める音がした。
「行ってきまーす。」
の声。声に張りがあるから若い子だろう。
「気を付けていくのよ!」
お母さんだろうか?
「はーい。」
やはりさっきの声は子供だった。元気な返事が返ってきた。
「おはよーっ。」
「はよーっ。」
「おっはよう。」
友達だろうか? それとも集団登校ってやつだろうか。どっちにしても俺にとってはさほど早い時間ではなくても一般には“早い時間”のはずなのに三つの元気な声は騒がしく消えていく。
暇だった。
俺の部屋にはテレビが無い。テレビは地デジ化の年に滅多に帰らない部屋に置いておく意味が無いことに気づいてしまい捨ててしまった。電話は勧誘が五月蝿いから止めたし電話回線が生きていないからパソコンを持つ意味も感じられず。“わいはい”なんて便利なものはこのアパートには届かなかったらしい。携帯電話すら一日の大半を会社で過ごす俺には必用が無かった。単に連絡を取る知りあいがいないから電話が鳴らなくてつまらないから止めたとも言う。
俺の会社は家族、恋人がいる人から休みをつけていく個人休日月二回、定休日月四回で出張や休日出勤は独身、恋人のいない人が優先的になる。手当ては一律千円。そして俺は自慢じゃないが独身にして独り身。会社に入社した当時は休んでいたが気がついた時には休み無しで会社に出ていた。それを二十数年、耐えて昨日は決算のズレの責任を取らされて……なんで下っ端の俺が責任を取ったんだろう。
ああ、また課長の嫌な笑い顔が思い出された。見たくも無いんだから消えとけ?
上司の言う事は「はいっ!」と背筋を伸ばして返事する彼の課長は都合が悪くなると「アイツが責任者です」と自分のミスでも相手に押し付ける残念さが売りで、「私が指導します」とか言っておきながら指導しない、聞いても分からない、逆ギレしては上司に言いつける、部下の功績は私の物とばかりにしていながら「報告は正確に」って言ってのけるメンタルの強さが特長で思い出しただけで胃がムカつく、俺の体調不良の一端を担うスバラシイ人だ。
初めて見た“フォローのしがいが無い”人でもある。
思い出したくもないのにこんな人に限ってアクが強いから思い出しちゃうんだよな……。
兎も角、会社の事は忘れてこれからどうするかを考えないと。
幸いなのか、休み無しで働いていた分、給料は高かった。おかげで貯金は二~三年は無職でも暮らせるぐらいはある。
独り身だし。
慌てて次の仕事を決めなくてもいいのは良いのだが、不細工な俺は就活しても面接で落とされそうな気がしていた。
さて、どうするべきか。
ふ、とこの部屋、唯一の情報機器であるラジオのスイッチを入れた。気分が落ち込んだ時は気分転換をした方がいいのだ。ラジオの周波数を地元のラジオ局に合わせて電波の状態がいい窓際に置く。
寝転がってラジオを聞いていたら気になる話しが出てきた。
「……この地域でも少子化の影響で小学校が閉鎖されました。第二太平小学校は明治生まれで今年、百十五才でしたが、その歴史に幕を下ろした形になります。なんか寂しいですよね。」
明るい声で女アナウンサー? が全然、寂しくなさそうに言っていた第二太平小学校は俺の母校だった。