32.誰が誰を愛してる
明け方近くに聖から電話がかかってきた。
母が意識を取り戻したのだと聞かされて、遥は言うべき言葉を探したが、相槌ひとつ満足に打つことができなかった。
花に囲まれた病室で、固く目を閉じた麗華は眠り姫のようだった。
目覚めることが、彼女にとって良いことか、それとも悪いことなのか、今の遥にはわからない。
「ハル、黙ってないで何とか言えよ、真琴が言っていたけど、アメリカにいるって本当なのか?」
真琴の名前を持ち出され、遥は身を乗り出した。
自宅に入り込み、真琴に銃を突きつけた男は、麗華を脅していた裏組織の人間だ。
直己は組織から離反した。
ああいう世界がどうなっているのかは知らないけど、今はたぶん追われる身だ。
「マコは? マコもそこにいる?」
「病院には一緒に来んだたけど……」
「来たけど、なに?」
「それがさ……」
聖は明らかに困惑している。
遥は舌打ちしたいような気持ちで先を促した。
「ハルのとこにいた男の人、ええっと、橘さん…だっけ?」
「病院に来たの!?」
「違うよ。そうじゃない。仕事は辞めたんだろ? 居場所だってわからないそうじゃないか」
思わず立ち上がった遥は、聖の言葉にほっと胸を撫で下ろした。
そうだ、居場所がわからない。
遥の予想が当たっていれば、あの人はもう二度と自分のたちの前に現れない。
「直己さんのことはもういいよ。それより真琴は……」
「だから、話は最後まで聞けよ。あの人、病気だったんだってさ。慢性骨髄性白血病。グリベックっていう薬を飲み続けないといけないんだって」
真琴はいなくなったのは、その話を聞いた直後だった。
買い物に行ってくると言ったきり、いくら待っても戻って来ない。
「ケータイにかけてもつながらないんだ。真琴の友達にも連絡した。話を聞いていてわかったんだけど、あの人、ただの住み込みのハウスキーパーじゃなかったんだな。ええっと、つまり、麗華さんの……」
「母さんの愛人だよ」
相手が言いよどんだので、代わりに答えを投げてやる。
真琴は直己に懐いていたから、母親との関係を知って、ショックを受けたに違いない。
だが、これでもう、直己を探し出そうなんて思わないはずだ。
(本当に、そうだろうか?)
ふいに浮かんだ疑問が、遥の思考を反転させた。
真琴は本当に何も知らなかったのか。
遥がそうだったように、母親とのことも気づいていて、気づかないふりをしていただけじゃあ、ないのだろうか。
あの潔癖な姉が、全てに気づいていながら、それでも彼を慕っていたのだとしたら?
遥はぞっとする思いで、ケータイを持つ手に力をこめた。
「ヒー君、真琴を愛してる?」
「は?」
「答えて!」
「どうして本人にも言っていないことを、お前に言わないといけないんだ」
聖は困惑していたが、それでもただならぬ気配を察したのか、肯定の言葉を口した。
「じゃあ、僕の言う通りにして! どんなことがあっても、真琴を守ってくれるよね?」
「でも、ハル、お前は……」
「僕はいい。僕だってちゃんとわかってる。マコと僕は姉弟で、弟はどうがんばったって弟だ」
そうだ、わかっていた。
わかっていたけど、密かに願い続けていた。
一生二人で生きていけるぐらいのお金をためたなら、誰も自分たちを知らない国へ行って、二人きりで生きていくことはできないだろうか。
真琴がいれば何もいらない。
真琴もそんな風に思ってはくれないだろうか。
願うだけなら許されるはずだ。
たとえ空しい願いであっても、心は自由なのだから。