31.真実は闇の中
ホテルの窓からライトアップされた自由の女神が見えた。
女神の輪郭が妙な感じにぼやけていて、自分が泣いていることに気がついた。
(泣いたって何も変わらない)
それでも涙はとまらない。
俯いた遥の指先から一枚の写真がはらりと落ちた。
写真には三人の人物が写っている。
背後には教会の礼拝堂と飴色のオルガン。
オルガンの椅子に腰掛けたまま、上半身をひねってこちらを見ている青年。
青年の傍らに立つ少女。
少女と手をつなぎ、空いている方の手でこちらを指差し、無邪気に笑っている幼い少年。
始めて見た時は、息がとまるほど驚いた。
興信所がメールで送ってきたのは、橘直己とその兄姉の写真のはずなのに、青年は遥の家のピアノの上に飾られた写真の中の男、つまりは遥の父親と同一人物だった。
さらに遥を驚かせたのは、青年に寄り添うようにして立っている少女の方だった。
長い髪、くっきりとした切れ長の目、すらりとした手足……。
一体、どういうからくりなのか。
少女は真琴にそっくりだった。
木島武彦 19歳。
木島由布子 17歳。
木島直己 5歳。
遥は写真を拾い上げ、写真の裏面に走り書きされた名前に目を落とした。
木島由布子という名前は、聞いたことがなかった。
木島武彦にしたって、家にある写真はタキシード姿の一枚きりで、こんな風にリラックスした姿は見たことがない。
国際的なコンクールで賞をとり、奨学金でジュリアード音楽院に留学することになった木島武彦は、ジョン・F・ケネディ空港に降り立った直後に姿を消し、その翌日、変わり果てた姿でハドソン川に浮いていた。
アメリカではセンセーショナルに報道されたらしいけど、日本では新聞の小さな囲み記事にしかならなかったのは、興信所の調書によれば、何らかの報道規制がかかったかららしい。
犯人は結局捕まらず、武彦の子を身ごもった一条麗華は大学を中退。
親とも家とも縁を切り、死んだ恋人の後を追うようにアメリカに渡り、双子を生んだとされている。
女優として脚光を浴び始めたのはその数年後。
大変な苦労があっただろう。
だが、遥たちが物心ついた時、母親はすでに遠い人だった。
眩いスポットライト。
華麗な恋愛遍歴。
モニター画面に映し出される嫣然とした微笑。
だから、遥は忘れていた。
自分に母親が、そして、父親がいることを。
遥は母親によく似ている。
真琴は父親似なんだと思い込んでいた。
木島武彦と真琴は確かに面差しが似ているけど、木島由布子の写真を見てしまった今、そんな事実はかすんでしまう。
武彦が殺された時、由布子は武彦のそばにいた。
強姦に襲われたのは由布子の方だった。
武彦は妹を救おうとして殺された。
兄が殺される一部始終を目の当たりにした妹は、数人の男たちにレイプされた時、すでに正気を失っていた。
正気を失ったまま病院に入院し、正気を失ったまま子供を生んだ。
こんなこと、真琴に言えるはずがない。
自分を産んだ母親が、自分を産んだ直後に病院の窓から身を投げたなんてことを知ったら、真琴はきっと壊れてしまう。
遥は涙を拭い、部屋の窓を全開した。
尾を引くテールランプ。
パトカーのサイレン音。
ニューヨークの街は東京と同じで眠らない。
「マコ、僕たちは姉弟じゃなかったよ」
冷たい風に髪をあおられながら、写真と調書を小さくちぎった。
空に向かって投げ上げると、白い紙ふぶきが雪のように闇を彩り四散した。