25.死神1
(テレビなんか、つけるんじゃなかった)
いきなり始まった車のコマーシャル。
澄んだ秋空を背景に、母娘が寄り添うようにして立っている。
笑顔で手を振っている。
二人の視線の先で、同じように笑顔で手を振る父親の姿。
柔らかな光。
暖かな空気。
女神のような容姿を持つあの人は、家庭を顧みたことなどないくせに、絵空事の幸せを、いつだって完璧に演じてみせた。
つけたテレビをまたすぐに消した後、真琴はソファーで膝を抱えた。
あの事故から一ヶ月。
麗華の病状は、他の入院患者の口から外部に漏れ、一時は騒然としたものの、その後の病状に変化がないこともあり、家の周辺で報道関係者の姿を見ることもなくなった。
マスコミは貪欲で飽きっぽい。
彼らをそうさせているのは、テレビの前に座っている視聴者だ。
手垢のついた情報には価値がない。
よりフレッシュで、よりセンセーショナルな事件を追い求め、移ろっていく。
聖が予備校に行っている時を見計らい、真琴は自宅に戻ってきた。
遥の姿も直己の姿もどこにもない。
何度も捜索願を出そうとしたが、そのたびに聖に止められていた。
中間テストの結果はさんざんだった。
でも、そんなことはどうでもいい。
今回のテストで校内にセンセーショナルを巻き起こしたのは弟の遥だった。
ずっと学校を休んでいたハルが、試験日にふらりと現れた。
試験の結果は五科目全て満点で、聖は二位に甘んじる結果となった。
カンニングだと騒ぐ者もいたが、真琴には、そうではないことがわかっていた。
遥とって、高校のテストで満点を取ることなど、簡単なことだ。
試験勉強などしなくても、ただ、その気になりさえすればいい。
つまりはピアノと同じなのだ。
成績に執着する双子の姉に遠慮して、ずっと手を抜いていたに過ぎない。
(泣くようなことじゃない)
真琴はこぼれそうになる涙を無理やり抑えこんだ。
本当はずっとわかっていた。
真琴が遥に与えられるものは何もない。
遥は天才で、できの悪い姉に妙な気を使ったりしなければ、どこまでも高みにのぼれるのだ。
(お姉ちゃん離れしたんなら、喜ばしいことじゃない)
心の中で強く自分に言い聞かせた時、カチャリという音がした。
それは、誰かがキッチンのドアを開けた音だった。
ちらりと流し見た掛け時計の文字盤は、午後九時半を指していた。
直己なら、表のインターフォンを鳴らすだろう。
遥なら、キッチンではなく、離れの部屋から入ってくる。
いやな予感がして、咄嗟に窓に駆け寄った時、背後のドアが音もなく開いた。
「一条真琴さんですね?」
ぎこちなく振り返ると、黒っぽいスーツを着た男が立っていた。
年は四十代半ばだろうか。
口調は丁寧だけど、他人の家に土足で上がりこんでくるぐらいだから、まともな人間であるはずがない。
「橘直己がどこにいるか、ご存知ありませんか?」
余裕のある笑顔で男が取り出した拳銃に、真琴は慄然と凍りついた。
「拳銃を見るのは初めてですよね。これは、S&WM36。威力はたいしたことありませんが、持ち歩くには便利だし、至近距離からなら……」
「直己さんがどこにいるのかなんて知らないわ! 黙っていなくなったんだから!」
震えながらも、必死に睨みつけてくる少女を面白そうに見つめたまま、男は静かに含み笑った。
「知らないというのなら一緒に来ていただきましょう。噂通りの美少女だ。あなたの協力があれば、簡単におびき出せそうだ」
何が何だかわからない。
恐怖をやりすごそうと、真琴は震えるこぶしを握り締めた。
橘直己は確かにこの家で働いていた。
だからといって、真琴を使って直己をおびきだそうなんてナンセンスだ。
「赤の他人なんだもの! 私を痛めつけたって来ないわよ!」
「さあ、それは、どうかな?」
伸びてきた腕を振り払った時、離れの方角からかすかなピアノの音が聞こえてきた。
ありえない展開に、真琴の意識が遠のきそうになる。
とぎれとぎれに耳に届く旋律は、モーツァルトの「きらきら星」だった。