24.ラビリンス3
直己の個人情報を入手することは、遥にとって、それほど難しいことではなかった。
受付の若い女性ににっこりと微笑みかけて、企業の責任者に取り次いでもらい、同社が派遣してきたハウスキーパーが藤原麗華の私物を盗んで失踪したという作り話を、言いにくそうに打ち明けただけだ。
「事を荒立てたくはないんです。ただ、橘さんがどんな人なのかを知っておきたくて」
遥のそのひとことで、相手はあるだけの情報を差し出した。
履歴書の学歴には、教会の所在地から遠く離れた私立高校の名称が書き込まれていた。
一年の秋に中退したまま、その先は空欄になっている。
高校を訪れた遥は、「進路指導室」の札がかかった一室に通された。
初老の教師は意外にも、在学期間が一年にも満たない直己のことをよく覚えていた。
苗字は違っていたが、写真を見せるとすぐにわかったようだった。
ずば抜けて成績が良かったという。
入学試験の結果はほぼ満点に近く、学校創立以来の秀才と言われていた。
「その優秀さゆえに、資産家の家に跡取りとして迎え入れられたのだと聞いた。本当に器用な子でね。何をやらせても上手かった。でも、誰も周囲に寄せ付けず、いつも暗い目をしていたよ。彼が養子に来た途端、長年子供に恵まれなかったその家に男の子が生まれてね。きっと居場所がなかったんだな。そのうち学校にも来なくなり、養父母に問い合わせてみたんだけど、素行が悪いので縁を切ったなんて言うんだ。辛い思いをしていることには気づいていたのに、私は見てみぬふりをしてしまった」
懺悔の呟きとともに、重いため息を漏らした教師は、テーブルの上に置かれた写真に目を落とした。
「この写真の中では優しい目をしているね。私は彼がこんな風に笑うのを見たことがない」
遥の知っている橘直己は、穏やかな目をした青年だった。
暗い表情など一度として見せたことがない。
遥は立ち上がり、品行方正を絵に描いたような所作で一礼した。
「生き別れになったお兄さんが見つかることを祈っているよ」
「ありがとうございます」
「それはそうと、君の顔、どこかで見たと思ったけど、娘が買ってくる雑誌の表紙にたびたび載っているモデルの少年にそっくりだな」
まさか本物ではないだろうねと言われて、遥は笑って否定した。
公園のベンチに座ったついでに、ケータイの履歴をチェックしてみると、聖からうんざりするほど着信が入っていた。
「自分まで着信を拒否されたら、ヒー君は激怒するだろうな」
着信拒否のボタンを押そうとして思いとどまった時、明かりのがともったケータイの画面に水の雫がぽとりと落ちた。
(さっきまで青空だったのに)
空には厚い雲が垂れ込めていた。
直己の養父母を訪ねるまで、天気が持ってくれればいいが。
母親が入院して、わかったことがいくつかある。
大女優の看板を掲げていながら、母親名義の銀行残高は拍子抜けするほど少なかった。
映画、テレビドラマ、そしてCM出演のギャラは、一体どこに消えたのか。
(橘直己に貢いでいた?)
浮かんだ思いを、遥はすぐに否定した。
母親が入院している特別室のテーブル上に、真紅の薔薇の花束と一緒に、白い封筒が置かれていた。
封筒の中には、駅のロッカーの鍵が入っていて、ロッカーの中には小さなカバンが収まっていて、カバンの中には橘直己の預金通帳と印鑑が入っていた。
通帳の残高は1400万円と少し。
大女優に貢がれていたとすれば少ないし、住み込みのハウスキーパーとして働く24歳の男の貯金としては多すぎる額だ。