第七十話 燕
ミラには何とか頑張ってあの空間から出てもらった。それから更に少しでも離れようと移動を始めたが、あのダッシュゴブリンのリカバリーは意外と早く、細い横穴に入り込んだところであの嫌な、ギィイィイイ! という鳴き声が突き刺さる。
ミラは振り返り、俺を杖代わりにしつつ、その姿を認める。
息が荒い、肩が大きく上下し、疲労の色も濃い。どうみても立ち上がるのがやっとといった様子に、ゴブリンの口角が吊り上がった。
そして再びあの鳴き声を上げ、ミラに向かって飛び込んでくる。手にはあの赤いナイフ。
確実に仕留めようと、助走をつけ、瞬時にその距離を詰めてきた。
これは――好機だ! そう、これを待っていた! ミラがこのゴブリンから逃げ切れないことなんて最初から判っていた。
そうなれば、もうやることは一か八かでも反撃に出る事のみ。だけど、まともにやってもダッシュゴブリンの素早さを捉えきるのは至難の業だ。
だからこそ、敢えてこの細い場所を選んだ。横には狭く、ゴブリンが距離を取るスペースもなく、それでいて上下に剣を振れるスペース程度はギリギリで確保できているこの場所を。
そしてミラは上手いこと相手を誘い込んだ。勿論ダメージを受けてはいるが、ポーションを飲んだおかげで本当はここまで満身創痍じゃない。
つまりこれは引っ掛けだ。
ダッシュゴブリンが迫る。その瞬間、ミラの目つきも変わった。獲物を狙う研ぎ澄まされた瞳、射抜くような炯眼、杖代わりにしていた俺の柄を両手でギュッと握りしめ、間合いに入った瞬間に――振り上げる!
「ギィ!」
驚愕の色がその眼を染める。火花が散った。ミラの振り上げた刃を、ゴブリンは手にした赤いナイフで受け止めたのだ。
だが、そんなもので受け止められるほど、俺は鈍らじゃない。ミラの腕だって素人のそれとは違うんだ。
しかも――事前に強化の薬も飲んでいる。これのおかげで、更に攻撃力は増している。これならば受け止めたナイフだって弾くはず。
そう、思ったのだが、相手も中々にしたたかで、俺を受け止めた状態から後方に伸び上がるようにして、そして勢いを逆に利用して胸から回転、そのまま距離を離しつつ、無駄のない動きで回転中にナイフを投擲してきた。
どうやらさっきの場所で使ったナイフはしっかり何本か回収してきていたようだ。
なんてやつだと思いはしたが、ミラはナイフが命中しても構うことなく、返しの刃で二の太刀を決めにかかった。
そう、燕返しだ。例え一撃目が外れても、これならすぐに追撃を狙える。
この作戦も、最初はあの水の魔法で閉じ込めてはどうかという話になった。
だけど、ダッシュゴブリンがミラの手の動きで警戒を強めていたことがどうしても気になるといい、それは却下。
連撃も一撃目が決まればいいのだが、外れた時はむしろ隙が多いということで却下。
結果的に例え一撃目が外れても切り返しが速い燕返しで勝負しようと決め、称号もカウンター用の返しの名人に切り替え、更にこのためだけにたまったポイントをつぎ込み、燕返しのLVを2に上げた。
確かに最初の一撃は躱された、ナイフの攻撃もミラの身体を捉えた。
だけど、ミラは止まらない。返しの刃に踏み込みを乗せて、一度は離された間合いを一気に詰め、斜めに振り下ろす。
流石にこれはナイフでは防ぎきれないだろう。タイミングもバッチリだ。いくらダッシュゴブリンの素早さでも避けきることは不可能だろう。
返しの刃がごブリンの首元に迫る。当たればそのまま腰まで引き裂ける斬撃だ。
勝てる――確信に近い感情を抱く。刹那――ゴブリンが一気に加速した。
そうだった、こいつにはこれがあった。あの空間でも一度見せていたはずだ。驚異的なダッシュ力、それは正面だけじゃなく、後ろに飛び退く際にも見せつけられる。
返しの刃が空を切った。悔しい、あのゴブリンがほくそ笑んでいる気がした。
折角のチャンスを逃した――そう思ったのだが、しかしその瞬間だった、返しの刃を振り抜いたその時、俺から何かが飛び出した。
あれは――白い燕だ。そう、燕の形をした何かが斬撃後に飛び出し、飛翔して――ゴブリンダッシュに命中した。
「グェッ!」
奇妙なうめき声を上げ、燕を受けたダッシュゴブリンが飛び退いている途中でバランスを崩し、頭から地面に落下し、反動で地面にうつ伏せに倒れた。
頭はミラの方を向いている。意識が飛んでいるようにも思えた。これは――
『ミラ! スタンだ! 恐らくスタンが発動した! 追い打ちをかけろ!』
俺が念で叫ぶと、ミラもハッとした顔になり距離を詰めていく。どうやらあの燕は、燕返しをLV2にしたことで付随された効果なようだ。
どちらにしても魔法以外で飛び道具が増えたのは嬉しいことかもしれない。スタンが発動するってことは打撃系の攻撃になるようだな。
衝撃と言ったほうがいいのか?
とにかく、ミラが彼我の間合いを詰め、その手を開いた。だが、ゴブリンダッシュも立ち直りが早い。
既に頭を振りつつ、起き上がり始めていた。
しかし、遅い! ミラの腕輪による魔法が発動。ゴブリンの身体が泡に閉じ込められる。
そして――
「スパークボルト!」
ゴブリンダッシュの悲鳴が響き渡る。プスプスと煙を上げ、今度は逆にゴブリンの方がかなりのダメージを負っているであろう状況に。
だが、まだ完全に倒したわけじゃない。
『ミラ、トドメだ! ここでキッチリとトドメを!』
「う、うん!」
ミラが頷き、俺を振り上げる。これで決着がつく! と思ったのだが――突如ゴブリンダッシュが身を翻し、ダッシュでミラとの距離を一気に離し始めた。
「……え?」
『ミラ! 呆けている場合じゃない! 多少無理をしてでも、あいつを追いかけてトドメを刺すんだ! そうでないと、何か胸騒ぎがする!』
そう、実は俺にはずっとあいつに対して胸騒ぎがおきていた。いや、そういうのとも違うか? とにかく、あのゴブリンには何かモヤモヤした物を感じる。
とにかく、ミラが動き出した。ナイフをまた喰らってしまったり散々な気もするが、だけどあれはさっきよりも遥かにマシだった筈だ。
何せ薬はもう一本、そう、鉄壁の薬も合わせて飲んでいた。それでミラは防御力も上がっていたんだ。
効果は小だから、あの赤いナイフで直接攻撃されるのは厳しかったかもしれないが、投げナイフならまだなんとかなる。
そしてミラは、あの空間に再び足を踏み入れたが、バンッ! ガチャ――
そんな音が鳴り響く。何かとミラが目を向けるが、どうやらこの奥にあった扉が閉められた音だったようだ。
「……う、う~ん、駄目だねエッジ。この扉、何か鍵が掛かっているみたい」
やられた――それしか思い浮かばなかった。つまりさっきの音はあのゴブリンがこの扉から逃亡し、そして向こう側から鍵を掛けた音だったわけだ。
みたところミラ側からは鍵は開けられない仕組みなようなので、向こう側だけに存在する鍵なのは間違いなさそうだ。
全く本当にあのゴブリンは、油断ならない相手だな――
◇◆◇
「キュピ! キュピキュピ! キュピ~!」
「うん、ありがとうキュピ、とりあえず、何とか大丈夫そうだよ」
ミラが胸当ての中からスライムを出してあげると、心配そうにキュピが飛び跳ねていた。
ミラはそれに笑顔を覗かせて、キュピの頭を撫でながら大丈夫だと返してはいるけどな。
あのダッシュゴブリンとやらにはまんまと逃げられたが、ミラは命があっただけでも運が良かったといえるかもしれない。
それぐらいあのゴブリンは強かった。勿論、運を引き寄せたのはミラの力と咄嗟の閃きがあったからとも言えるか。
逃げ切れないと考えたのは俺だが、燕返しでいくと決め、LVを上げるのを望んだのもミラだ。
そしてあれがあったからこそ、あのダッシュゴブリンを追いつめられたといえるだろう。途中のあの反応の良さを見るに、もし燕返しではなく最初から魔法を狙っていたら気づかれて終わりだったし、連撃も一撃目で隙が出来てしまっていた。
まあ、結果的にはLVを上げて生み出された副産物に助けられたわけだけどな。
まさかあそこで燕が飛ぶとはな。だけどこれからの事を考えると嬉しい誤算か。
でも、これからか――
『ミラ、ボロボロだな……』
「ははっ、結構喰らっちゃったよね――」
そうだ、回復用のポーションも使ったし、攻撃力と防御力を上げる薬も使用した。
だが、それでも当然すべての傷が回復したわけじゃないし、カウンター狙いの時に受けた投げナイフも無傷というわけにはいかない。
『残りHPはどれぐらいだミラ?』
「42だね、MPなら80は残っているんだけど――」
42……最大HPが164だから大体4分の1か。
さて、どうする。とりあえずあのダッシュゴブリンを倒すことを第一に考えていたけど、ここからが問題だ。
戻るにしても今のミラのHPで水の中は正直、しかしだからといって――
「キュピーーーー!」
うん? そんな事を考えていたら、キュピが突然鳴き声を上げながら、ピョンピョンっと跳ねてどっかに移動を始める。
「キュピ! キュピ! キュピ!」
そしてクルリと器用にゼリー状の身体を回して振り返り、ふり、かえってるのか? とにかく何かをアピールしてるようなんだけどな。
「もしかして、ついて来てって言ってるのかな?」
「キュピー」
どうやらそういう事らしい。
なのでミラは俺を鞘に収め、ピョンピョン跳ねるキュピの後をついていった。
あの細い横穴を抜け、俺達がキュピの鳴き声を最初に聞いた空間から、今度は逆方向にキュピが向かう。
頭の上に矢印を出してこっちだよ~とミラを導いていた。器用だな本当に。
そしてついていった先、丁度角に近いその場所に――泉があった。
「キュピ~♪」
『どうやらここを教えたかったらしいな。でも、これって神秘の泉って奴か? だとしたら、体力なら回復するかもしれないけど、そんなに意味は、う~んでも……』
「何か凄い輝いているよねこの水――」
そう、確かにこれまでの泉とは逸するぐらいに、この水は輝いていた。
そしてキュピが、ピョンピョンと跳ねながら、飲んでみて~、と言わんばかりにアピールしてくる。
『キュピを信じてないわけじゃないけど、ミラ、とりあえず鑑定……』
「――ううん、多分、間違いないよ」
しかしミラは、眼鏡を掛けることなく、その輝く水を手ですくって口の中へと注いでいった。
おいおい大丈夫かよ、と思ったりしたが――その瞬間、ミラの身体も一瞬光りに包まれて。
『お、おいミラ!』
「凄い――」
だけど、光が収まった後、ミラがその眼を瞬かせて驚いてみせた。
そして俺も驚いた。
ミラのやつ――傷が全快してるし……。




