前日のお話。
午後七時。
部活として使っている物理室で、吹奏楽部の明日の大会の為に、曲の練習をしていた。
確認の為に音出しをしていると、後ろからドアの開く音が聞こえる。
「あ、美穂ちゃん。まだやってたの?」
物理室の重いドアを開けて入ってきたのは、二つ年上の先輩だった。
先輩は今年で高校三年生になって、同時に部活引退の時期でもあった。
そして明日の本番は、先輩が演奏する最後の大会でもある。
「はい、明日の為に。」
「偉いなぁ」
「先輩もですか?」
「うん、俺も練習しないとって思って」
そういうと、角に立て掛けてあった楽器ケースからトロンボーンを取り出して吹き始めた。
先輩と同じ曲に出演する私は、先輩が吹くのに合わせて演奏する。
「上手いじゃん」
「あ、有り難うございます」
吹き終わると、恥ずかしくて下を向いた。
すると頭の上に何かが優しく乗せられたのを感じて、また上を向く。
「わ、先輩!」
頭の上には先輩の大きな手が乗っていて、顔も赤くなる。
窓は開いていて光も差し込んでくる筈なのだが、九月の空は暗く、夕日のせいだなんて言えなかった。
「それだけ上手だったら、後は相手の顔を見ながら音を合わせて演奏出来るようにするだけだよ。大丈夫!」
最後に一度、私の頭をくしゃっと撫でると、先輩は楽器を背負って出ていってしまった。
先輩の背中を見ていることしかできなかった私は、持っていたサックスを机に置いて物理室を飛び出した。
長い廊下を随分と進んだ先輩に声をかける。
沢山息を吸い込んで、
「先輩! 明日、頑張りましょうね!」
振り返った先輩は片手をあげて、
「おう!」
と笑った。
優しく、丁寧に教えてくれて有り難うとか、忙しくても相談に乗ってくれて有り難うとか。
___好きです、とか。
伝えたい事はいっぱいあるけど、今は多すぎて伝えきれないので。
そっとその場で呟いた。
「有り難うございました、頑張ってください……!」