第7話「ナナ・アレスタ」
いくら頭を悩ませようと、俺には何もわからない。
二日しか経っていないなら、二日経ったなりの考察を導き出そうとしても、考察の一つも導き出せない。浮かんでは否定しての繰り返しで、結果として何一つとして残らなかった。それどころか腹が減りすぎて、俺の頭の中は『腹減った』が汚染し始める始末。
「ああー腹減った。でも、今食ったら吐くだろうし、我慢するしかないんだよなぁ」
腹が減っては戦はできぬ。
先人の教えって素晴らしいなあ。
それを最後に俺は考えるのを止め、いい感じに腹の痛みがおさまるまでボーっとすることにした。
一時間が経つと、俺の目論見通り腹の痛みはかなりおさまってくれた。これなら朝飯を食べても大丈夫だろうと、俺の脳君が言ってくれているから早速朝飯を飢えた獣如く食べる。
やけ食い、なのかもしれない。
とにかく俺は、食って食って食いまくった。
「くーーっはははは! うまい、うまいぞ俺の料理! 過度な空腹も相まって、めちゃくちゃうまい! 空腹は最高のスパイスって、こういうことだったんだな! ………………はぁ」
残っているスープは、ミスラの分も含めて全部俺が飲み干した。それでもまだ満たされない。腹は満たされても心は満たされなかった。悶々とした何かが胸で渦巻いて、酷く気持ちが悪い。
単なる食べ過ぎかもしれないが……。
こんな時は腹ごなしを兼ねて、
「…………散歩でもするか」
走ることは無理そうだが、歩くことは問題なさそうだ。
というわけだから、今日は昨日の散歩より少し遠くに行くことにする。そうやって行動距離を増やして、少しずつこの町のことを知っていけばいい。ミスラのことも、少しずつ知っていけばいい。
俺は……焦りすぎだ。
「っと、鍵…………。まあ、ミスラが帰ってくるより早く帰って来ればいいか」
昨日はミスラが鍵を閉め忘れてくれたおかげで、なんとか家に入ることができた。俺が帰ってくるのを見越して鍵を開けていた、という可能性は限りなく低い。
なんせ、帰ってきた俺に対する第一声が『逝ってらっしゃい』だったからな。
「よし! 散歩に行きますか!」
靴を履いて外に出る。
鍵は開けっぱなしなのだが、たぶん問題はないだろう。仮に空き巣が入ったとしても、盗むものなんて何もない。それに町長が言っていたが、鍵がついている民家の方が珍しいとのこと。
「あと、散歩しながら金策を考えないとな。何処かに手伝いを募集してる所があればいいんだけど……」
雑貨店や食堂の軒先に、お手伝い募集の張り紙が貼ってないか血眼になりながら、俺は昨日とは違う道を歩く。道が違えば行き交う人も違うようで、昨日よりは全体的に見て若い人とすれ違うことが多い気がする。まあ、老人とすれ違うことの方が多いのだが。
それに、若い人と言っても見た感じ四十代。老人ばかり見かける所為で、四十代でも若く見えてしまう。
「町長に聞いた話じゃ、四方を森と湖で囲まれてる所為であまり新規の人が来ないのが原因なんだろうな」
俺としては自分と年齢が近い人が多すぎても気疲れしそうだから、現状の町が居心地がいい。ただ、町のことを考えるなら、今の現状はあまりよろしくないように思える。
「…………まあ、俺がここで何を考えようと、俺に町を変えることはできない。これは、町長の仕事だ」
ひとまず今は自分の心配をしよう。朝の一悶着があった所為で更に険悪な関係になったミスラから食費(俺が健康的な食事をする為の)を受け取ることは、天地がひっくり返らない限り不可能だ。
つまり今の俺の最優先事項は金稼ぎ。
それ以外に考えられない。
「って言っても、どこもお手伝いを募集してないんだよな……」
かなり歩いたが、一つとしてお手伝いを募集している所はなかった。張り紙があるか確認するだけでなく店の中に入って尋ねてみたが、あえなく全滅。
今はもう、商店街らしきところを抜けた先の、ちょっとした広場に来てしまった。数人のがきんちょ共が元気よく遊んでいる微笑ましい光景が、視界に入ってくる。
あの無邪気さが、今はとても羨ましい。
「…………ん? あの子……」
数人のガキ共が遊んでる所から少し離れた場所で、一人の幼女が木を見上げていた。暫く見ていると、幼女は木の太い幹を足裏で蹴り始めた。何度も、何度も、力強く蹴りつけていた。そして最終的に、その場にうずくまってしまう。
「おいおいおい、どうしたってんだよ……」
まさか、木を蹴りつけてストレス発散しているわけではあるまい。うずくまってしまった幼女を放って置けず、俺は幼女の元に駆け寄った。いいか? 俺はロリコンじゃない。つまり、これは事案ではないからな。
「どうしたんだ? 悩みがあるなら聞くぞ」
「…………おじちゃん誰?」
態勢はそのまま顔だけあげて、幼女は俺を見る。
「俺か? 俺は正義の味方だよ。あと、おじちゃんと呼ばれる程歳は食ってない。呼ぶなら、お兄ちゃんと呼べ。それで、どうしたんだ?」
「…………あれ」
幼女は木の上を指差した。
「ああ、そういうことか」
木の枝に引っかかっているボール。それを取ろうとして、幼女は木の幹を必死に蹴っていたわけだ。ただ、いい感じに木の枝がボールを絡め取っていって、これでは木を揺らした程度では取れそうにない。
「今すぐ取ってやるから、ちょっと待ってろ」
これは、人助けで。
俺は幼女を助けてあげたい。
「満たしたぜ、【英雄規定】」
突如として膨れ上がる力。それを確認して、俺は地面を強く蹴って飛び上がる。期待通り、俺の肉体は木に引っかかったボールの所まで届いた。俺はボールを手で掴み、そのまま着地。
「ほら、取れたぞ」
「……あ、ありがとうございます」
「それにしても、よくあんな所にボールを引っかけたな」
「も、もとから引っかかってて……」
「まあ、そうだよな」
ただの幼女が木に引っ掛けられるほど、ボールを強く投げられるわけがない。
「まあ、とりあえずこれはお前が貰っとけ」
「…………いいの?」
「まあ、たぶん問題ないだろ。そんでもって、あそこのガキ共に交ざって遊んで来いよ。一人じゃ、つまらないからな」
「…………」
幼女は無言で、首を横にふるふる振った。まあ、なんとなく気持ちは分かる。向こうで走り回って遊んでるガキ共は男しかいない。そこに女の子が一人交ざるのは、それなりの勇気が必要だ。
「よし! なら、俺と遊ぶか」
「ふえ?」
「なんと俺は、今とてつもなく暇なんだ。だからさ、暇を潰したくてしょうがない俺の為に、俺を助けると思って遊び相手になってくれないか?」
「……わ、わかった」
「うし! なら、そのボールを使ってキャッチボールでもするか!」
最優先事項は金稼ぎ。
一人ぼっちの幼女を楽しませるのは、最最優先事項だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「次の曲がり角を右だよ、お兄ちゃん」
「その次はどっちだ、ナナ」
「その次も右」
空が綺麗な茜色に染まる、夕暮れ時。
俺は広場で出会った幼女、もといナナ・アレスタを背負って町中を歩いていた。今は、ナナを家まで送ってやっている最中だ。
誘拐とか、事案などでは断じてない。
「あとは、ここを真っ直ぐ進んだ先に家がある」
「じゃあ、ここら辺で降ろすから、あとは一人でいけるよな?」
「い、家の前まで……」
ぎゅっと強くしがみついてくる。
「やれやれ、仕方のない可愛い奴め」
広場で遊んでから、俺とナナの距離は妙に近しくなっていた。昔から子供に懐かれやすかったが、それは異世界に来ても健在のようだ。
「あっ、お姉ちゃん」
突然、ナナの口からそんな言葉が発せられた。
「な、なに⁉︎ 何処にいるんだ⁈」
「ほら、前からこっちに向かってきてるよ」
ナナの指差す方向に、エプロン姿の少女らしき人が見える。
「ほー、あの子がお前のお姉ちゃんか。って、あれ? お前のお姉ちゃん凄い勢いでこっちに走ってくるんだけど⁉︎ 」
エプロン姿の少女が、両手を思いっきり振って全力疾走でこちらに向かって来ていた。随分と慌てているように見える。何をそんなに慌てているのだろうか。
貴方様の妹様なら、紳士である俺が丁重に家まで送ってあげているところですよっと。
俺も前に歩いて進んでいる為に、もう少女の顔の表情がハッキリと見える所まで、少女は近づいてきている。
茶髪ショートヘアーの、とても可愛らしい少女だ。
その少女は、
「私の妹を………………」
脇の横で握り拳を作り、
「離してくださぁあああああああああいッ!」
素晴らしい紳士である筈の俺の右頬に、走っている勢いを乗せた全力の右ストレートをお見舞いした。
「ぶべらぁッ!」
あれ? 俺はただ、善意から仲良くなった幼女を家までおんぶで送ってあげているだけなのに、なんで殴られているのだろうか。
もしかして、また俺が悪いの? 俺が悪いんですか?
あははははは、おかしいなぁ、目から水が垂れてきた。
…………今日は厄日だ。