第4話「異世界召喚」
手の甲で涙を拭う少女を見るに見かね、ポケットからハンカチを取り出して少女の潤んだ目元を拭ってやる。拭ってやると、少女はえらくご満悦な様子だ。「ご苦労である」と調子にのる始末。
このままご満悦な表情を浮かべる少女を見続けてもいいが、そろそろ本題に入りたくなって、目の前の得体の知れない少女に問う。
「俺を、待っていた? というか、お前は一体何だ?」
『誰だ?』ではなく。『何だ?』と聞いたのはこの少女が人間ではないと気がついたから。見てくれは普通の少女に見える為、今は少女と形容しているだけだ。
「いい質問だね。でも、その前に場所を変えようか。横槍が入ると嫌だからね」
少女はパチンッと指を鳴らした。いや、正確にはカスッという儚い音だったわけだが、少女の顔が今にも泣き出しそうになっているから追及しないでおこう。
「……いつもはできるもん」
「そうだな。頑張ってくれ」
「……むかつく」
顔をむすっとさせた後、少女はもう一度指を鳴らす。今度はパチンッといい音が鳴った。
その瞬間、見える世界が切り替わる。商品棚等があったデパートの風景が消えて、あたり一面が真っ白の世界になる。おそらく、俺が走馬灯のようなモノを見せられた世界だろう。
一度見ているせいか、不思議と驚くことはなかった。
少女が作り出した真っ白な世界には、俺と少女の二人しかいない。
「さてと、話していこうか。それでは自己紹介から…………」
少女がニヤリと唇の端を吊り上げ、また指を鳴らした。
パチンッといい音が鳴ったのと同時に、再び世界は切り替わる。
切り替わった世界は、全面真っ白な世界に変わりなかったのだが、目の前にいたはずの少女が消えていた。代わりに目の前には、玉座のような絢爛豪華な椅子が出現している。
「おい! 何処に行ったんだよ!」
キョロキョロと辺りを見渡すも、姿は見えない。まさかと思いつつ俺が上空を見上げると、『何か』は上空にいた。いたというか、『何か』は絶賛落下中だった。
綺麗な銀髪をたなびかせながら上空から落ちてきた『何か』は、豪快な音を立てて豪奢な椅子にダイナミック着席を決めると、
「初めまして。……君を導く、可愛い女神様だよ!」
キャピッと、右手でピースサインを作り目元に当てての、ダイナミック自己紹介。
いや、誰だよお前。
「くははっ、びっくりした? あれは世をしのぶ仮の姿というわけさ。普通な少女像を作りたかったから、わざわざ世界中の少女の個性を足し合わせた個性を世界中の少女の人数で割って、超没個性な少女像を作ったんだYO! まぁ、ベースは日本人なんだけどYO!」
要するに、あの普通なる少女の皮を破って、中からこいつが出てきたということか。というか、テンション高すぎ。
「女神ってのは痛い設定か何かかYO!」
「この空間が何よりの証拠だと思うけど?」
「……まあ、それもそうだな」
この異質な空間を見せられては、そう納得せざるをえない。
それだけの説得力がこの空間にはあって、彼女が正真正銘の女神であることを、否が応でも知らしめてくれる。それより折角テンションを合わせてやったのに、急にテンションを下げるのはやめろ。俺が悲しい奴みたいじゃないか。
「えーと、この世界を例えて言うなら、真っ白なキャンバスかな。まあ、今の僕が描けるのは、この綺麗な椅子ぐらいなものだけどね」
うはははっと愉快そうに笑い、バンバン椅子を叩く。よく笑う女神様だこと。
対して俺は笑えなかった。
まだ本題中の本題には入らない、その前にこの銀髪の女神とやらに聞くことがある。
「あのデパートで覆面男に捕まってたのは、俺を試す為なんだろ」
「そうだねー。本来ならナチュラルに声をかけるはずが、覆面男のおかげで随分と劇的になってしまったよ。あれは、予想外だったなあ」
のほほんとした雰囲気で女神は答える。
のほほんとしてんじゃねえよ。
今からこいつに聞くことは、のほほんとしていないのだから。
「お前さ、俺が助けに行ってなかったら、もしかしなくても死んでたんじゃないか?」
「……神様を舐めちゃいけないよ、ソーマ」
一瞬、ほんの一瞬だけ女神の目が泳いだ、と思ったらこいつはまた、うはははっと笑った。どんなに可愛く笑おうが、俺は誤魔化されない。俺はロリコンじゃないから、少女の笑顔耐性はマックスだからな。
「なら、なんで泣いてたんだよ」
「……そ、それは覆面男が少し怖かっただけさ!」
「それもあるだろうけど。お前、拘束されている時、両手首を縄で手錠みたく縛られてたよな?」
「それがなにさ」
「……お前、指をしっかり鳴らさないと、この能力を使えないんだろ?」
その問いかけに、女神はビクッと体を震わせる。
「お前が指を鳴らすのに失敗した時、世界は切り替わらなかった。なのに、音がちゃんと鳴った瞬間、世界が切り替わったんだ。こんなこと猿でも気づく」
……あの時。熱い銃口を額に押し付けられ、銃声が迸ったあの時。俺は、この世界にいた。女神がその時に逃げずに再び捕まったのは、きっと俺を試す為。
「……なに? あんな馬鹿な真似はもうやめろとでも?」
「違うな。俺にお前の行動を制限する権利なんてない」
「だったら何だって言う…………」
「その時はまた俺が、お前を助けてやる」
「ひょ?」
「今度お前が別の人を試そうと思って、あんなことしてみろ。俺が真っ先にお前を助けて、別の人を試せなくしてやる!」
面と向かって言うのは少し恥ずかしいけれど、
「俺はお前の為なら、ヒーローになれる気がするんだ」
これが俺の本心だった。少女の助けを呼ぶ声が聞こえた、あの瞬間。確かに、何かが俺の中で爆発した。救いを求める声が起爆剤になって、何かが爆発した。その時もしかしたら、この少女もとい女神の為なら、俺はヒーローになれるのかもしれないと思ったんだ。
「うはははははははっ!」
かっこいいことを言ったと思ったのだが、女神は心底愉快そうに、痛快に笑った。
「な、なんで笑うんだよ! 何かおかしなこと言ったか⁈」
「そうじゃなくて。やっぱり、君でよかったなって思っただけさ」
「……それは、俺を待ってたとかいう?」
ようやく話は本題に入る。
「そうだよ。きっと僕は、ずっと長い間、君を待っていたのかもしれないね。いや、ずっと君を待ってたんだ。そう確信できる」
えへへへっと、少女は、女神は笑う。
楽しそうに、愉快そうに、嬉しそうに。
少し寂しそうに。
「……でも、さっきの言葉は僕じゃない誰かに言ってあげて欲しいんだ」
今度は、控えめに、小さく笑みを浮かべる。
「僕達はずっと、英雄になれる人を探していた。そして、今までに何千もの英雄の卵を見つけてきては、彼らを異なる世界に、異世界に、召喚してきた。今回は、君が英雄の卵だ」
……俺が、英雄の卵。
「僕達神は、基本的に下界には不可侵。あくまでも傍観者でなくちゃいけない。たとえ、悪虐が蔓延り、血が流れ、幼き命が無残に屠られようと。でも、そんなのは見てられない。だから、僕達神は一つの例外を作った。世界をハッピーエンドに導く為の、切り札」
目の前の少女は、女神は、一直線に俺を見据える。
「それが【英雄召喚】。英雄の卵には、英雄になる為のスキルが与えられる。ソーマも一度は経験したはずだよ」
「……アレか」
俺の中で何かが爆発したあの時のことを言っていると、すぐに理解できた。突如として、膨れ上がった力と勇気。なるほど、あの根源は英雄になる為のスキルだったわけだ。
「そのスキルが冠する名は【英雄規定】」
「英雄となる為のルールか…………」
「そういうことだね。……さてと」
銀髪の少女の姿の女神は、絢爛な椅子から軽快に立ち上がると、俺の方へと歩み寄ってくる。小さなその女神は俺を見上げ、俺へと手を差し伸ばす。
「ソーマ。僕が君を、英雄の道へと導こう」
英雄の道。その言葉に、胸が痺れ、心が疼く。
俺は迷わず女神の可愛らしい手を握った。
女神の手は少しひんやりしていて、心地がよかった。
異世界に召喚される前に、スマホのアドレス帳にある全ての人間の名前を消した。そのあと、全てのメールに目を通す。
両親や友人からだったり、密林からだったり、色々な所から送られてきたメールは、この世界での繋がりを改めて教えてくれる。メールに目を通している間、熱いものがこみ上げてきて、少し泣いた。
数十分ほどでメールに目を通し終えた俺は、スマホを遠くに投げ捨てた。真っ白な世界の遠くの方で、ガチャンとスマホが地に落ちた音が聞こえてくる。
異世界に行く俺にとって、スマホは無用の長物でしかない。
今日というこの日、神田宗馬という人間はこの世界から抹消される。それが、異世界に召喚される為の条件だ。スマホに入っているアドレスを自分の手で消したのは、繋がりの再確認と、長い間世話になった世界と決別するにあたっての、俺なりの覚悟の確認だった。
「準備はできたかい?」
「……ああ、できたよ」
「なら、僕から最後のレクチャーだ。頻繁に会えるわけではないからね。それで、最後のレクチャーというのは、【英雄規定】について」
女神は指でVサインを作って、ブイッと俺の目の前に突き出す。
「……発動条件は二段階。段階を踏むごとに、英雄に近づいていく。一段階目は、人助けであること。二段階目は、君が助けたいと本気で思うこと」
「ほーん。案外緩いんだな」
「ちっちっち。油断は禁物だよソーマ。いつ何が起きるか分からないからね」
「まあ、そうだけど。というかお前、自分のことを僕って言うんだな。今更だけど」
「俗に言う、ボクっ娘ってやつさ!」
銀髪美少女のボクっ娘……か。大きなお友達の層に需要がありそうだ。かく言う俺も、ボクっ娘はいいと思います! とっても可愛らしいと思います! 可愛いは正義ってはっきりわかんだね。
「いいよな、ボクっ娘」
「需要ありまくりだろ? 愛嬌の塊だろ?」
「お前みたいな妹がいたら、人生ウハウハだな」
「っ⁉︎ ふへへ。まったく君ってやつは……。それじゃあ、始めるからね。眩しいから目を瞑りなよ」
女神はそっと俺の手を握る。
すると、足下が光り始め、俺の体をすっぽり包み込むようにして光の柱が出現した。女神の言っていた通り、眩しすぎて目を開けていられず俺は目を閉じる。
「いってらっしゃい、ソーマ」
最後に、憂いを帯びた女神の声を聞いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
徐々に眩しい光が消え始めていくのを瞼越しに確認して、異世界に召喚されたのだと悟った俺は、ゆっくりと目を開いた。目を開いて真っ先に飛び込んできたのは……大勢の観衆。
そして…………。
「………うん⁈」
目の前に、真紅のドレスを身に纏った絶世の美少女が立っていた。あの銀髪の女神に負けず劣らず、神々しいまでの美しさ。凛とした瞳、肩までの綺麗な金色の髪。発達の良い肢体。
全てが特注品であり、一級品であるその容姿に、いつしか俺は見惚れていた。目を奪われるとは、まさにこのことなのだろうと考えながら。
『…………それでは、誓いの証を』
頭の中が、目の前の美少女のことでいっぱいになろうとしていた時、近くにいた神父のような人物が言葉を発した。
「……ち、誓いの証?」
いつ何を俺が誓った?
何が何やらさっぱりで、意識は混濁。体は固まった。
そんな俺を見かねてか、目の前の美少女がこちらに歩み寄ってきた。てっきり手前で歩みを止めると思っていたのだが、美少女は歩みを止めずに俺の体に密着する。
身長は同じ、いや俺の方が少し高い。
興奮を抑える為に、そんな余計なことを考えてみたのだが、効果はイマイチだ。美少女に見つめられて、思わず顔が火照りはじめる。恥ずかしくて顔を背けようとしたのだが、美少女の両手が俺の頬を挟み込んで逃してくれない。
「動かないで」
凛とした声と同時に、美少女は少しだけ背伸びして、俺の顔に自分の顔を近づけた。互いの吐息がかかる距離。興奮で、鼻息が荒くなっていたりしないだろうか。荒くなっていたとしたら、カッコ悪い。
今の距離でそんな胸中だというのに、美少女は更に顔を近づけてくる。
「な、何し…………むぐっ⁉︎」
突如、柔らかいもので唇が塞がれた。いや、わかってる。柔らかいモノが何かなんて、当然わかってる。今まさに、美少女に俺の唇を奪われた。洋画でよく見る、互いを貪り合うようなキスではなく、重ね合せるだけの軽いキス。
俺にとってファーストキスとなるそれは、甘くて蕩けるような……。
「っっっっ⁉︎」
唇と唇とが離れるその瞬間。ちょっとした痛みを伴って、ぬるっとした液体が口の中に滑り込んでくる。
……血だ。血が出るくらい、唇を本気で噛まれたようだ。少なくとも唇の薄皮は剥けている。
さて、訂正しよう。記念すべきファーストキスの味は、残念ながら血の味が全てを塗り潰してしまった。こんなの、鉄棒とキスしたようなもんだろ。ただ、あの柔らかい唇の感触だけは、俺の唇に確かに残っていた。鉄棒キスとの違いは、この柔らかさぐらいか。
視線を美少女に向けると、美少女は酷く冷たい視線を俺に送っている。ここまで来ると、流石に俺のキステクの所為ではないだろう。……そうだと思いたい。それとも、興奮のしすぎで噛んでしまったのか。
いや、あの冷徹な瞳を見てみろ。あれは俺の唇を噛み千切る覚悟のある瞳だ!
とまあ、そんな事が水面下で起きている事を知りもしない人々は、俺と美少女に溢れんばかりの拍手を送っている。
そうして、パチパチパチと乾いた音と観衆の賛美の中、
『ここに、勇者ミスラと召喚者ソーマの結婚の儀を終了する!』
どうやら俺は、異世界の女勇者と結婚してしまったらしい。
依然として冷たい視線を送ってくる、俺の嫁となった絶世の美少女を一瞥して、俺はため息まじりに呟く。
「まじかよ…………」
『美少女の嫁が出来て』浮かれたか。はたまた『女勇者の夫として異世界に召喚される』という予想外が起こったからなのか、俺の口からは、ハハハと渇いた笑みが自然と零れ落ちていた。