第3話「英雄に成りたい」
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「……ここは?」
気がつけば全面真っ白な空間に、一人ポツンと立っていた。
「傷が……ない?」
銃弾で穿たれた筈の脇腹と右腕が、治っていた。更に言えば、折られた筈の歯も、蹴り飛ばされた口も、何もかもが治っている。
それも傷跡を残さず、綺麗さっぱり消えている。
「ど、どうなってんだ?」
よくわからない状況だが、とりあえず歩いてみることにする。
常に真っ白な空間があるだけで変わり映えしないが、前に進んでいる感覚は確かにあった。
体感で三分程度前に歩き続けると、見えない壁でもあるのかそれ以上前に歩いてみても、前に進んでいる感覚がなくなる。
『僕、ヒーローやりたい』
突然として後ろから幼い声が聞こえ、俺は振り向いた。
振り向くと、さっきまで真っ白だった空間が、今では映画館さながらの全面真っ黒の空間と変化していた。
いや、完全に映画館だ。視界一杯がスクリーンと化し、座席も一個だけだが出現した。暗くてよく見えないが、綺麗な装飾の施された良質な座席だ。
折角だから、ゆったりと体を座席に預けてスクリーンを見る。
『だから、僕がヒーローやりたい!』
映し出される、幼い頃の俺の姿。
どうやら、公園で友達とヒーローごっこをするようだ。
そういや、あの頃の俺はヒーローやりたいの一点張りで、友達にヒーロー役をいつも譲ってもらっていた。
悪役なんて一度もやったことがない。
……なんて、ワガママなガキだったんだよ俺。
『ヒーローは必ず勝つ!』
これも鉄板だった。
必ずヒーローの圧倒的勝利で、ごっこ遊びは終了する。悪役は特技ない癖に、ヒーローはバリヤーからビーム、ドラえもんの道具に至るまで使い放題なんだから手に負えない。
『将来僕は、ヒーローになる!』
公園のジャングルジムのてっぺんに登っては、毎回言ってた言葉だ。けっこう大きな声で言ってたし、近隣の人達には丸聞こえだったろうな。うわ、急に恥ずかしくなってきた。
『なりたいなぁ。ヒーローに』
場面の俺は急にでかくなって、今の俺と大差ない。
おい、ここまで大きくなるまでの間にもっと色んなドラマがあった気がするよ⁉︎ 監督が誰だか知らないが、今すぐに連れてこい。
と俺が軽い憤りを覚えている間にも場面は飛び、映像の中の俺は早くも人生の最終局面を迎えていた。
覆面男に額に銃口を押し当てられた、あの場面。
その場面で俺が、
『……に……へっろ』
と言葉にした所で、映像はプツンと終わる。
きっと今見ていたのは、走馬灯という奴なのだろう。
出来ることなら、生きてきて良かったと思える走馬灯を見たかったのだが、そうはいかなかったようだ。
まったくもって馬鹿げたシナリオだ。もし俺のこの人生が、神様が作ったシナリオだとしたら、一つ神様に言ってやりたい。
「ふっざけんじゃねえッ!」
そして、次の俺の人生があるのなら、もう少し良い人生にしてくれ。
そう切に願う。
「勝手に願わないで」
唐突に人の思考に投げやりをいれる、その声の主は、地面からニュルッと現れた。
見覚えのある顔。否、未だに脳裏に焼きついて離れない、あの少女に他ならなかった。ただ、あの時のような違和感に襲われることはなかった。
それよりも、この少女に言わなくてはいけないことがある。
少女がここにいるということは、それはきっと少女も死んでしまったということだろうから。
「…………すまん」
言って深くお辞儀をした。こんなことしか俺にはできない。
謝って許されることじゃないってことは、わかってる。
それでも、謝らずにはいられなかった。
「なに勝手に諦めてんの?」
その言葉に顔を上げると、少女は一直線に俺を見ていた。睨みつけるわけでなく、呆れたような視線を送っていた。
「え……? いや、でも、俺は死んだわけだし」
「なに勝手に死んだと決めつけてんの?」
「でも……」
「ヒーローへの憧れってそんなもんだったんだ」
「俺は……」
……なりたい。俺は英雄になりたい。
この思いだけは誰にも負けない。
だけど、俺は死んだ。
「だから! 勝手に死んだって決めつけるな! 今から一度だけ聞く。ヒーローになりたいのか、なりたくないのか、どっちかはっきり言え!」
「……っ⁉︎」
そんなのは十数年前から決まってる。
一度だって、ぶれたことなんてない。
ずっと思い描いてきたんだ、自分が英雄になる姿を。
「そんなの、なりたいに決まってんだろッ!」
「……ふふ。ちゃんとわかってんじゃん」
嬉しげな少女の声と共に、徐々に世界が掻き消えていく。
少女に似合わない獰猛な笑みを俺が見たのを最後に、世界は完全に閉じきった。
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「さてとお嬢ちゃん。どこから撃ってほしいかな?」
「いやっ! 離して!」
聞こえる。
「離して!」
俺には聞こえる。英雄を呼ぶ声が……。
「お願いだから、誰か助けてッ!」
瞬間。俺の中で何かが膨れ上がり、ソレは爆ぜた。突如として漲る得体の知れない力。俺はその力に身を委ねて両手で体を押し上げる。続けざまに力強く地を踏みしめ、地を強く蹴り、飛んで、覆面男に肉薄する。
「うぉおおおおおおああああああああああああああああああッ!」
体は不思議な浮遊感に包まれ、一回地面を蹴っただけだというのに、覆面男の顔がすぐ近くにあった。拳を構え、腕を引く。照準を覆面男の鼻っ柱に狙いを定めて、解き放った。
「んなっ⁉︎ お前、頭おかし……………ッ!」
文字通り全力で振るった拳は、覆面男の咄嵯のガードの上から鼻っ柱を叩き潰すと、そのまま数メートル先までぶっ飛ばした。ぶっ飛ばされた先で覆面男は鈍い音を立て、壁に激突する。気絶しているのか、遠くに見える覆面男が立ち上がってくることはない。いや、今はそんな情報どうだっていい。
あの少女は無事なのか?
そう思って背後を振り向くと、
「寝覚めはどうかな?」
少女は平然とした口調で、テクテクと俺の方に歩み寄ってきていた。
少女は俺の真正面で足を止める。近くで見るとわかるが、少女は平然取り繕っているだけのようで、少女の瞳は少し濡れている。
「あなたの名前を教えてくれないかな?」
「…………神田 宗馬」
あまりにも唐突で場違いな質問に、俺の頭には疑問の一つも浮かばず、ほぼ反射的に名乗っていた。
俺の名前を聞いた少女は、小さな声で「……ソーマ。ソーマかぁ」と名前を反芻するとくすりと微笑み、人差し指で目尻を拭うと、俺に向き合う。
「ソーマ。ずっと君を待っていたんだ」
拭いきれない涙を誤魔化すように、可愛い笑顔を少女は見せた。