番外編 エリート研究員の恋人-5
窓から差す日の光に顔をしかめ、イザベルは目を覚ました。
床にはまだ読めていない新聞が散らばっているといってもよい程度に積まれている。
ここ数日、忙しさから少し散らかって見える部屋をみて、片づけないといけないわね、と思ったところでようやく頭が覚めてきたのを感じ、窓の外に目を移す。
大通りに面している部屋の窓からは賑やかな祭りの様子が見えた。
「・・・研究、間に合って良かったわ」
昨日発表のための窓口に研究データと論文を提出したイザベルは、協力してくれた研究員たちに礼を言い、一週間の休みを言い渡した後、セリア達にやたらと励まされながら見送られ、帰宅し、汗をかいた体を温かい湯に浸したタオルでぬぐい、髪を洗ってすぐに出かけるための服を出してようやくベッドに潜り込んだのだった。
次に、イザベルは通りの時計に目を移し、そこでようやく気付く。
「・・・え?」
時計の針がアリーとの約束の十分前を指していることに。
アリーは広場にある時計を見上げた。
約束の時間を一分ほど過ぎている。
(何かあったのでしょうか?)
話しかけてもどこか上の空だったり、反応が遅れたりすることも多かったし、髪が乱れていたり、目元に隈を隠したあとがあったりしたりと、ここ数日のイザベルはどこか様子がおかしかったのをアリーは気づいていた。
(倒れていたりしたら・・・でも家の場所も分かりませんし・・・)
考えるほどに不安になっていく。こんなことなら家の場所くらい聞いておけばよかった、と考えると同時に自分にそんな勇気があるものか、とも思う。
アリーが軽く自己嫌悪に陥りかけていると、石畳を打つ足音が聞こえてきた。
そちらを見ると、待ち人がこちらに駆けてくる。
広場が見えてきて走り出すと、足音が聞こえたのかアリーがこちらを向いた。
「ごめんなさーい!」
肩で息をしながらはしたないと分かりながら、思わず膝に手をつき、アリーに謝罪をする。
「いえ、大丈夫ですよ?私も今来たところですから」
にっこりとアリーは言ってくれるが、その後ろにある時計を見上げると、待ち合わせの時間を少し過ぎてしまっている。そんなわけがない。
見ると、その手は霜に焼けてしまいかけていて、頬も寒さに赤く染まっている。
「はぁ、はぁ、ほんとにごめんなさい」
「だから大丈夫ですって。それより、何か食べませんか?私、朝ごはんまだなんです」
そうにっこりとほほ笑むアリーに申し訳なく思いつつも、せっかく初めて二人で出かける日に時間をこれ以上無駄にしてはいけないと思い、イザベルは気を取り直すことにした。
「・・・ええ、そうね。屋台でなにか買ってどこか座れるところを探しましょうか」
「はい!」
精霊祭は、もとが収穫と豊穣への感謝を精霊へ捧げるものであったため、食べ物の屋台が比較的に多く出店される。
通りに出ると、食欲を刺激する香りが漂ってきた。
「見てくださいイザベル!とってもおいしそうですよ!」
いつもと比べてアリーのテンションが高い。まだ少し落ち込んでいたイザベルも、珍しいアリーの様子に頬が緩む。
「ええそうね、でも朝から食べるにはどれも少し重たくないかしら?」
「そんなことはありませんよ。もうお昼に近いですし・・・あっ、あれ美味しそうですね。私ちょっと買ってきます!」
「分かったわ。ここで待ってるから、買ってらっしゃい」
「はい!」
そういうと、アリーは小走りでパイ売りの屋台へ向かう。
背が高めで眼鏡をかけた美人のアリーが、にこにこしながら屋台の列に並ぶ様子はほほえましいを通りこしてすこし可笑しかった。
「買ってきました!はちみつ入りのものと、ベリー入りのものがありますが、どちらが・・・何かおかしかったですか?」
アリーに不思議そうに尋ねられて、あわてて表情を戻す。
「いいえ、何でもないわ。別に私の分まで買ってこなくてもよかったのに・・・」
「そんなわけにはいきません・・・それとも、パイはお嫌いでしたか?」
「ふふ、いいえ、好きよ。お金は後で返すわね?」
「いえいえ、要りませんよ」
「そんなわけにもいかないわよ」
遅刻もしちゃったし、と心の中でつぶやいて、またイザベルは落ち込みそうになる。
「じゃあ、次のお店はイザベルが選んでください。それで良しとしましょう。ね?」
「・・・わかったわ。じゃあそうしましょう」
「どうかされましたか?」
「いいえ、なんでもないわ。座れるところをさがしましょうか」
「はい!」
二人は大通りから離れ、近くの人のまばらな公園へ移動し、そこにあるベンチに腰かけた。
「はい、どうぞ。ベリーのほうでいいですか?」
「ええ、ありがとう」
アリーからパイを受け取るとまだ温かく、紙の包みを開くとパイの香ばしい香りが食欲をそそる。
(そういえば、昨日は疲れてたから晩御飯食べてなかったわ・・・)
一口かじると、ベリーの酸味と甘みが口の中に広がり、パイの食感の心地よさにすぐに二口目が欲しくなる。
「おいしいわ!あんまり屋台とかで買い物することってないんだけれど、焼き立てだとこんなにおいしくなるのね!」
「それはよかったです」
「そっちはどう?」
「はい。むぐ・・・。こちらもおいしいですよ!齧ると中からはちみつが出てきて・・・これはお茶と一緒にいただくとさらにいいかもしれません」
パイを頬張り、本当においしそうにそういうアリー。
それを聞いて、イザベルもなんだかそちらも食べたくなってくる。
「ねぇ、私のもあげるから、そっちも一口ちょうどだいよ」
「ええ。いいですよ・・・はい、あーん」
あーん、と言われるままに口を開きそうになって、そこで気づいてイザベルは慌てる。
「い、いいわよ!自分で食べられるから!」
「ですが、仲の良い友達同士はこうやって食べさせ合うのでしょう?学園で何度か見ましたよ?」
確かにイザベルもそういった現場を見たことがある。
ただし、そういったことをしていた者たちの関係は決して仲の良い友人同士などではないことを彼女は知っていた。
良家の紳士淑女の多い学院生はそういった行為を友人同士などでは行わない。
そういったことを恥ずかしげもなく行う例外が、恋人同士の関係にある者たちである。
学院時代一人も友人のいなかったアリーはその現場を見て友人のじゃれ合いであると勘違いしてしまったのだろう。
(しかもこんなところで「あーん」なんて・・・恥ずかしすぎるわよ!私もう結構立派な大人よ!?)
「どうしたのですか?ほら、早く食べないと、はちみつが垂れてしまいますよ?」
ほら、とアリーがさらに差し出す。
自分が意識しすぎているだけなのだろうか、学院ではああだったが、世間一般の友達同士では普通のことなのだろうか、と普段は聡明で冷静な脳みそを最高に回転させている間に
「・・・むぐっ!?」
考えすぎて間抜けにも口が開いていたのだろうか、アリーに口の中にパイを押し込まれてしまう。
「どうです?はちみつの方もなかなかいけるでしょう?」
なんでもないようにアリーはそう言うが、イザベルの方は味なんて感じられない。
イザベルは自分の顔が熱いのを感じた。
(恥ずかしい・・・こんな恥ずかしいこと、恋人同士だからってよくできるわね。もう二度としたくないわ・・・)
しかし、そんなイザベルの願いはすぐに裏切られることとなる。
「では、今度はそちらをください。あーん」
「・・・・・・え?」
二人はおしゃべりをしながら大通りの店と公園のベンチを往復し、様々な食べ物や飲み物を楽しんだ。
「ふと思ったんだけど・・・」
「はい、なんでしょうか」
「これ、なにも考えずに食べてるけれど・・・確実に太るわよね」
「もうっ、今それを言うのは無粋というものですよ!」
「・・・そうね、ごめんなさい。・・・ふふっ」
「どうしたんですか?」
「ふふっ、うふふっ・・・わ、わからないわ、でも、ぷっ、なんだかおかしくって」
「何がおかしいんですか・・・ふふ」
「ふふ、あはは、アリーも笑ってるじゃないの、ふふっ」
「だって、イザベルが笑うから・・・ふふ、うふふっ」
うふふ、あははとひとしきり笑って、落ち着いたころに、イザベルは考えていたことを話すことにした。
「ふぅ・・・ねぇアリー、明日も予定は空いているかしら」
「はぁ・・・ええ、精霊祭の間はお休みをいただいていますし、イザベルのほかに王都で休日に出かけるような間柄の方もいませんから」
「悲しいこと言わないの。でもよかったわ。明日も一緒に回らない?ほら、パレードもあることだし」
「パレードですか?」
「精霊祭が豊穣を精霊様に祈るための祭りだったのは知っているでしょ?今でもその名残でパレードを行って踊りと歌が披露されるのよ」
パレードは恋人とみると二人は永遠に結ばれるという噂のあるカップル御用達のイベントだが、友達と見てはならないという決まりはないし、去年イザベルがせっかくだからと覘いた時には、ちらほらと同性同士でパレードを見ている者もいた。アリーと二人で見ても浮いたりはしないだろう。
「そうなんですか・・・はい!私も、明日もイザベルと一緒に回りたいです!」
「決まり。じゃあ、約束ね?」
「ええ。・・・でもよかったです」
「ふふ、私と明日も回れるのがうれしいの?」
「いえ・・・はい、そちらもうれしいのは確かですが・・・」
からかったつもりが真顔で肯定されて、イザベルは思わず赤くなる。
「そちらもって、他に何かうれしいこと、あったかしら」
「・・・その、ここ最近のイザベル、なんだか疲れているようだったので・・・」
「え?」
ここ最近、つまりはこの祭りのために無理をして研究を仕上げていた期間のことだ。
「でも、今日のイザベルは元気そうですし、楽しそうに見えます。遅れてらした時はどこかで倒れているのではないかとドキドキしましたが・・・」
「それは・・・いいえ、それも、ね。ごめんなさい、ちょっと仕事が立て込んでいたの。心配をかけたわ」
「いえ、そんな・・・、いいえ、そうですね。心配しましたよ。私が話しかけても生返事ですし、顔色は悪いですし・・・」
「本当にごめんなさい・・・うまくやっているつもりだったのだけれど、あなたにはばれていたみたいね・・・」
「分かるに決まってますとも。私は鈍感なのを自覚していますが、あなたの変化だけは一番気づくつもりですよ。でも、いいんです。今日一日あなたといれば、すっかり元気になったことはよくわかりましたから」
「・・・ありがとう」
アリーは照れるようなことをさらりというのよね、とイザベルが照れていると頬にポツリ、と感触があった。
「あら?雨ね・・・」
「本当ですね・・・」
見上げると、いつの間にやら空は真っ黒な雲に覆われていた。
「これは強くなるかもしれないわね・・・今日はこれでお開きにしましょ」
「そうですね、名残惜しいですが、これ以上いてもお店もしまい始めてしまうでしょうし」
雨に気づいた人たちが引き上げてゆき、それに応じて露店や屋台も店じまいを始めている様子が公園からでもみえた。
「そういえば、アリーってどのあたりに住んでるの?」
「ええと、西の大通りの脇にある通りに白色の建物があるんですが、そこの三階の部屋を借りています」
「なるほど・・・そこだと、ここからだと少し距離があるわね」
「大丈夫ですよ。まだ小雨ですし、すこし急げば」
アリーが言い終わる前に、雨足は急に強くなり、石畳はざあざあと音をたて、雷までなり始めた。
「大変、とりあえず屋根のあるところへ行きましょ!」
「は、はい!」
近くの軒の下に移動した二人は困り顔で空を見上げた。
「弱まる気配も見せませんね・・・」
「そうねぇ、どうしようかしら・・・」
イザベルは家が近いため走っていけばそれほどの距離はないが、アリーはそうはいかない。
仕方ないわね、とイザベルはアリーにある提案をすることにした。
「ねぇ、アリー、良かったら私の家、来ない?」




